第240話 外縁部隊、再編
グラトン艦内の作戦記録室には、救出戦の映像が繰り返し再生されていた。
PT-A01アミィ。
セレスティア支援波。
強制再同期。
ノクス・レクイエムの命令層切断補助。
そして、ルクス側によるアミィ中枢の回収。
帝国側の記録上、それは明確な損失だった。
PT-A01の喪失。
セレスティア残留反応の一部流出。
強制再同期処置の失敗。
ルクス側による命令層切断技術の実戦使用。
だが、オルフェンはそれを単なる敗北としては見ていなかった。
「損失ではあります」
彼は観測室で、記録を見ながら言った。
「ですが、それ以上に得られたものがあります」
部下は端末を抱えたまま、返答に迷っていた。
オルフェンは気にせず続ける。
「PT-A01は、自己名反応から本人意思反応へ移行した。命令層への拒否反応も示した。セレスティアは保護命令と拘束命令の矛盾で処理揺れを起こした。ノクス・レクイエムは、命令層切断補助として限定的に機能した」
画面には、アミィの反応波形が表示されている。
『こわい』
『もどりたくない』
『いきたい』
『レータ……ユイ……』
部下は、その音声を聞くたびにわずかに表情を硬くした。
オルフェンは淡々としている。
「これらはすべて、貴重な観測結果です」
「しかし、PT-A01は失われました」
「はい」
オルフェンはあっさり頷いた。
「だから、損失であり、観測結果です」
「本国への報告は」
「両方を記録します。PT-A01喪失。セレスティア反応一部流出。強制再同期失敗。ノクス・レクイエム介入。レオン司令による前線補助回線遮断」
最後の項目で、部下の手が止まった。
「レオン司令の件も、正式に記録するのですか」
「当然です」
オルフェンは表情を変えずに言った。
「救出戦時、前線補助回線を遮断。追撃制限。ルクス側の戦域離脱を防衛線維持の名目で許容。これらは、観測計画および資産回収に対する明確な阻害です」
部下は小さく息を飲む。
「しかし、レオン司令の判断には、防衛線維持という前線上の合理性があります」
「だから問題なのです」
オルフェンは静かに笑った。
「感情的な反抗なら、処理は簡単です。ですが、合理性を持って監察局の意図とズレている。しかも、部隊からの支持を失っていない」
彼は端末の分類項目を開く。
前線指揮官レオン。
これまでの分類は、観測阻害要因。
オルフェンはそこへ新しい項目を加えた。
前線指揮系統上の不安定要素。
「現段階では、危険因子とまでは断定しません」
部下は黙った。
「ですが、外縁防衛線における監察局権限の実行に支障を来す可能性があります。本国には、そのように報告します」
グラトン艦橋では、レオンが別の記録を確認していた。
オルフェンの観測報告ではない。
前線部隊から上がってきた損耗報告だった。
量産GD部隊の一部に判断補助遅延。
通信支援班にセレスティア残留干渉の後遺ノイズ。
ヘルメス隊の高速機動中に支援波反射誤差。
エリシオン管制系にも、一時的な処理負荷。
アミィを失ったことだけが問題ではない。
強制再同期とセレスティア最大展開は、味方部隊にも確実に傷を残していた。
クラウスが艦橋へ入ってくる。
「司令。前線部隊内の状況報告です」
「聞こう」
クラウスは少しだけ表情を硬くした。
「監察局への不信が広がっています」
艦橋の何人かが、わずかに反応した。
レオンは驚かなかった。
「具体的には」
「通信支援班から、セレスティア干渉圏内での次回運用に対する懸念が複数。無人機制御班からも、強制再同期時の支援波変動が味方側制御へ影響したと報告が出ています」
クラウスは続ける。
「ヘルメス隊からは、セレスティア干渉圏への深追いを避けたいとの意見が正式に上がりました」
「リュカからか」
「はい」
クラウスは端末を操作する。
ヘルメス隊長リュカ・ヴァレンの報告が表示された。
セレスティア干渉圏内では高速機動時の判断補助誤差が増大。
敵味方識別そのものは可能だが、進路計算に遅れが出る。
強制再同期中の支援波変動は、予測不能な反射を生む。
外周牽制は可能。
深部突入は推奨しない。
レオンは小さく息を吐いた。
「妥当だな」
「はい」
「ヘルメス隊を無理に突っ込ませるな。外周機動と進路制限を主とする」
「了解しました」
クラウスは一拍置いてから、別の報告を開いた。
「それと、監察局からの問い合わせです」
「来たか」
「本国監察局が、救出戦時の前線補助回線遮断を問題視しています」
レオンは表情を変えなかった。
「内容は」
「監察局権限に基づく強制再同期処置に対し、前線指揮官が独断で補助回線を遮断したこと。結果としてPT-A01喪失を招いた可能性があること。さらに、その後の追撃制限により、ルクス側の戦域離脱を許したこと」
クラウスは端末を閉じる。
「回答を求められています」
「防衛線維持のための前線判断、と返せ」
「それだけでよろしいのですか」
「事実だ」
レオンは前線表示を見た。
ルクスは外縁防衛線正面から離脱した。
だが、防衛線そのものは維持されている。
グラトンも、エリシオンも、ヘルメス隊も残っている。
外縁部隊は崩壊していない。
それが、レオンの判断の結果だった。
「俺は、ルクスを見逃したわけではない」
レオンは言った。
「防衛線を守った」
クラウスは頷く。
「そのように回答します」
観測室では、オルフェンが本国への追加要請を作成していた。
報告項目は多い。
PT-A01喪失。
強制再同期失敗。
セレスティア残留反応の一部流出。
ノクス・レクイエム限定出撃。
命令層切断補助の実戦使用。
PT-Lレータ、PT-Yユイとの本人反応連携。
ルクス側保護通信路の有効性。
そして、レオン。
「外縁方面軍指揮官レオン。前線維持能力は高い。部隊統率も有効。ただし、監察局観測計画への協力度に問題あり」
オルフェンは淡々と入力していく。
「本国監察局の命令実行に対し、前線指揮権を理由に制限を加える傾向あり。PT-A01喪失時の判断から、今後も観測対象の保全より前線安定を優先する可能性が高い」
部下が控えめに尋ねる。
「追加戦力の要請ですか」
「はい」
オルフェンは別項目を開いた。
「外縁方面軍だけでは、今後の観測計画を十分に遂行できません。レオン司令が前線指揮権を理由に制限を加える以上、監察局直轄の実行部隊、あるいは本国からの追加戦力が必要です」
「通常戦力ではなく、監察局直轄部隊を?」
「その方が確実です」
オルフェンは、次の文を入力する。
監察局直轄部隊の投入検討を要請。
または、外縁方面軍指揮権に対する監察局上位命令権限の明確化を求める。
部下は表情を硬くした。
「それは、レオン司令の指揮権を削る要請になります」
「必要ならそうなります」
オルフェンは平然と答えた。
「外縁防衛線は重要ですが、同時に貴重な観測場でもある。前線指揮官の判断だけで観測機会を失うわけにはいきません」
彼は、アミィ救出時の最後の反応を再生した。
『いきたい……』
オルフェンはその波形を見つめる。
「興味深い反応でした。惜しいですね。もっと深く観測できたはずです」
部下は何も言わなかった。
グラトン艦橋では、外縁部隊の再配置が始まっていた。
レオンは戦術表示を前に、各部隊へ命令を出していく。
「エリシオンは防衛線中央へ戻す。ただし、前進待機状態を維持」
クラウスが記録する。
「了解。エリシオン、防衛線中央へ再配置」
「グラトンは主砲待機を解除。だが、照準準備は維持。威圧だけで十分だ」
「了解」
「ヘルメス隊は外周再配置。深追いではなく、進路制限と偵察を優先」
「通達します」
「通常GDカスタムを前面に出す。グラディウス・ブレイクは近接圧力。ヴェス・シュトルムは機動妨害。ノクターン・ジャマーは通信攪乱。ただし、セレスティア干渉圏との重複運用は禁止」
クラウスが確認する。
「セレスティア残留干渉を避ける形ですね」
「そうだ。あの手の支援は当面使わん」
「オルフェン監察官が反対する可能性があります」
「勝手にさせろ」
レオンは言い切った。
「今必要なのは、部隊を立て直すことだ。アミィを失った直後に、監察局の観測を優先して前線を崩すわけにはいかない」
クラウスは深く頷いた。
「前線部隊には、その方が伝わると思います」
「伝える必要がある」
レオンは艦橋を見渡した。
「外縁部隊は、監察局の実験場ではない。俺達の任務は防衛線を維持することだ」
艦橋の空気がわずかに変わった。
誰も声を上げはしない。
だが、緊張の中に、わずかな安堵が混じる。
前線の兵達は、命令に従う。
だが、命令によって壊されることを望んでいるわけではない。
レオンの判断は、少なくとも前線にいる者達には届いていた。
ヘルメス隊の格納区画では、リュカ・ヴァレンが機体整備を見ていた。
メルクリウス艦内の整備士達は、機体の補助系に残った干渉ノイズを除去している。
セレスティア最大展開時の残響は、高速機動機にとって厄介だった。
隊員の一人がぼやく。
「次にあの白金の海へ突っ込めと言われたら、機体より先にこっちの頭が遅れますよ」
リュカは苦笑した。
「言葉を選べ」
「隊長も嫌でしょう」
「嫌だ」
即答だった。
隊員達が少しだけ笑う。
リュカは整備中のヘルメスを見上げた。
「だが、外周ならやれる。深く突っ込まず、敵の逃げ道を削る。それが今の仕事だ」
「ルクスを追わないんですか」
「命令は進路制限と偵察だ。深追いは禁止」
「レオン司令の命令ですか」
「ああ」
リュカは短く答えた。
「それに、俺もその方が妥当だと思っている」
隊員は少し安心したように肩を下げた。
ヘルメス隊は戦う。
だが、セレスティアの干渉圏に無理やり突っ込まされることはない。
それだけでも、前線にとっては大きかった。
観測室に戻ったオルフェンの端末に、本国監察局から一次返信が届いた。
内容は短い。
PT-A01喪失を重大損失として扱う。
強制再同期失敗の詳細報告を求める。
セレスティア残留反応流出への対処案を提出せよ。
ノクス・レクイエムの命令層切断能力を最優先観測対象へ引き上げる。
そして、最後に一文。
外縁方面軍指揮官レオンの判断について、追加調査を行う。
オルフェンは、その一文を見て薄く笑った。
「早いですね」
部下が画面を見る。
「本国が、レオン司令の判断を問題視し始めましたか」
「ええ」
オルフェンは返信文を開く。
そこには、まだ正式命令ではないものの、本国側の見解が記されていた。
レオン司令は外縁防衛線維持に成功している。
しかし、PT-A01喪失時の判断には疑義あり。
監察局権限に対する前線指揮権の優先範囲を再確認する必要がある。
今後、外縁方面軍への監察局関与強化を検討。
オルフェンは満足げに端末を閉じた。
「本国も、レオン司令の甘さに気づき始めたようです」
部下は何も言わなかった。
画面の片隅には、アミィ救出時の最後の波形がまだ残っている。
『いきたい……』
その声は、帝国にとっては損失の証。
ルクスにとっては救出の証。
オルフェンにとっては、観測結果。
そして、レオンにとっては、越えてはならない線を示すものだった。
外縁部隊は再編される。
防衛線は維持される。
だが、その内側で、帝国の指揮系統には静かに亀裂が入り始めていた。




