第238話 隣に座る場所
アミィが再び目を覚ましたのは、ルクス・ヴァルキュリアが一時安全圏に入ってから数時間後だった。
保護区画の照明は落とされている。
強い光も、強い音もない。
外部通信は制限され、入室できる人数も最小限に抑えられていた。
区画内にいるのは、カナデ、イリス、ミオ。
そして、レータとユイだけだった。
アミィの中枢ブロックを収めた保護ポッドの中で、淡い白金色の光が揺れている。
セレスティア残留反応は、まだ完全には消えていない。
だが、以前のように命令層へ押し戻す強い動きは抑えられていた。
イリスが小さく報告する。
「本人反応、浮上しています。短時間だと思います」
カナデはレータを見る。
「レータさん。前回と同じです。短く、優しく。全部を説明しようとしないでください」
「……分かってる」
レータは頷いた。
分かっている。
けれど、胸の奥では言葉が溢れそうになっていた。
助けたかった。
遅くなってごめん。
怖かったよね。
もう命令じゃない。
ここにいていい。
私が守る。
あなたは私の代わりじゃない。
言いたいことはいくらでもある。
でも、アミィが受け止められる言葉は、まだ少ない。
レータは息を整えた。
保護ポッドの中で、アミィの声がかすかに揺れる。
『……レー……タ……?』
レータの目元がわずかに震えた。
「ここにいる」
それだけを返す。
アミィの反応が、少しだけ安定した。
『ここ……』
「うん。ここ」
『めい……れい……』
アミィの声が小さく乱れる。
白金色の残留反応が、わずかに揺れた。
イリスがすぐに波形を見る。
「命令層残滓、微弱反応。でも上昇はしていません」
カナデが静かに言う。
「大丈夫です。否定しすぎないで、安心できる言葉を」
レータは頷く。
「命令じゃない」
短く、ゆっくり言った。
「私は、あなたに命令しない」
アミィの反応が揺れる。
『めいれい……じゃ……ない……』
「うん」
ユイが、レータの隣から静かに声をかける。
「アミィ。返事でいいです」
アミィの反応が、ユイの声にも小さく向いた。
『ユ……イ……』
「はい。ユイです」
『へんじ……?』
「はい。命令ではなく、返事でいいです」
アミィは、その言葉を確かめるように繰り返した。
『へんじ……』
レータは胸を押さえたくなった。
命令ではなく、返事。
アミィにとって、それはまだ新しい言葉なのだろう。
何かを言われたら従う。
呼ばれたら応答する。
自分の反応が命令に対するものなのか、返事なのか、まだ分からない。
だから、何度でも伝えなければならない。
命令ではない。
返事でいい。
選んでいい。
レータはポッドの前に近づきすぎない位置で立ち止まった。
「アミィ」
『……アミィ……』
「うん。あなたの名前」
『わたし……?』
「そう。あなた」
アミィの反応が小さく震えた。
『レータ……』
「うん」
『こわい……』
「怖くていい」
レータは同じ言葉を返した。
「怖いって言っていい。命令じゃないから」
アミィの反応が少しだけ落ち着いた。
ミオが小声でイリスに言う。
「レータさんの声に、安定反応が出ています」
イリスも頷いた。
「はい。本人反応の揺れが小さくなっています。セレスティア残留反応も、レータさんの声に合わせて保護側へ寄っています」
カナデはその記録を確認しつつも、すぐには喜ばなかった。
「安定要素になっているのは良いことです。ただ、依存しすぎると危険です」
レータが少し顔を上げる。
「依存?」
「はい」
カナデは丁寧に説明する。
「アミィが、レータさんの声がないと落ち着けない状態になると、それは別の意味で不安定になります。レータさん一人が支えるのではなく、少しずつ安心できる相手や場所を増やしていく必要があります」
レータは黙った。
自分が支えたい。
自分がそばにいたい。
アミィが自分の声で落ち着くなら、ずっと話しかけていたい。
そう思った。
でも、それでは駄目なのだ。
アミィを自分だけで抱え込むことは、アミィを助けることとは違う。
レータは小さく息を吐く。
「……私が全部背負っちゃ駄目ってことね」
カナデは頷いた。
「はい。アミィは、レータさんだけの責任ではありません」
ユイも静かに言う。
「アミィは、皆で支えます」
レータは苦笑した。
「そうね。私一人じゃ、たぶん重すぎる」
それは弱音ではなかった。
ようやく受け入れられた事実だった。
アミィを助けたい。
でも、助けることは抱え込むことではない。
レータはポッドの中の淡い光を見る。
そして、ゆっくりと言葉を選んだ。
「アミィ」
『……レー……タ……』
「あなたは、私の代わりじゃない」
カナデが一瞬だけレータを見る。
しかし、止めなかった。
アミィの反応が小さく揺れる。
『かわり……?』
「うん。代わりじゃない」
レータの声は震えていた。
だが、強くはなかった。
「帝国がどう決めたかは関係ない。あなたは、私の代わりじゃない」
アミィは、意味を完全には理解していないようだった。
それでも、その言葉に反応している。
『かわり……じゃ……ない……』
「そう」
レータは続ける。
「私も、あなたの命令者じゃない」
アミィの反応が、今度は少し大きく揺れた。
『めいれい……しない……?』
「しない」
レータははっきりと言った。
「私は、あなたに命令しない」
ユイが隣で頷く。
「私もしません」
『ユイ……しない……』
「はい」
アミィの反応が少しずつ落ち着いていく。
ミオが小さく息を吐いた。
「安定しています」
イリスも画面を見つめる。
「本人反応、維持。命令層残滓の上昇なし」
レータは、最後の言葉を口にするか迷った。
今言っていいのか。
重すぎないか。
アミィが受け止めきれるのか。
カナデは、レータの迷いを察したように静かに言う。
「短くなら、大丈夫です」
レータは頷いた。
そして、ゆっくりと言った。
「隣にいていい」
アミィの反応が止まった。
ほんの一瞬。
まるで、その言葉の意味を探すように。
『となり……?』
レータは泣きそうになった。
でも、声は穏やかに保った。
「うん。隣」
『となり……いる……?』
「いていい」
アミィの反応が、柔らかく揺れる。
『レータ……となり……』
「そう」
レータは小さく笑った。
「私の代わりじゃなくていい。命令を聞かなくていい。隣にいていい」
ユイが続ける。
「アミィ。隣にいる時も、返事でいいです」
『へんじ……』
「はい」
『となり……へんじ……』
言葉はまだ断片的だった。
意味も曖昧かもしれない。
それでも、アミィ本人反応は落ち着いていた。
命令層残滓は強まらない。
セレスティア残留反応も、拘束側ではなく保護側へ薄く寄っている。
アミィは、短い言葉を受け取っていた。
レータは胸の奥が熱くなるのを感じた。
救出戦の時とは違う。
戦場で必死に手を伸ばすのではない。
今は、ゆっくり場所を作る時間だ。
アミィが隣にいられる場所。
命令ではなく、返事をしていい場所。
アミィの声が、再び小さくなる。
『……ねむい……』
カナデがすぐに言う。
「今日はここまでです」
レータは頷いた。
「うん」
アミィに向けて、短く言う。
「眠っていい」
言ってから、少しだけ固まった。
命令形になってしまったかもしれない。
カナデが穏やかに補足する。
「休んでも大丈夫、ですね」
レータは慌てて言い直した。
「休んでも大丈夫」
アミィの反応が小さく揺れた。
『だい……じょうぶ……』
「うん」
『レータ……ユイ……』
ユイが答える。
「ここにいます」
レータも言った。
「ここにいる」
アミィの反応は、ゆっくりと眠るように沈んでいった。
イリスが確認する。
「本人反応、安定したまま低下。保護状態に戻ります」
ミオも頷く。
「セレスティア残留反応、保護側で安定。拘束系の上昇はありません」
カナデは静かに息を吐いた。
「良い接触でした」
レータは、ポッドを見つめたまま言った。
「隣、か」
ユイが隣に立つ。
「はい」
「言っちゃった」
「良い言葉だったと思います」
「なら、よかった」
レータは少しだけ笑った。
その笑みには、まだ涙が残っていた。
けれど、前より少しだけ軽くなっていた。
接触後の解析会議は、すぐに行われた。
参加者は、リクト、イリス、ミオ、カナデ、黒瀬、三島、ユイ、レータ。
カイトも後方席で聞いている。
まだアミィとの直接接触は許可されていないが、今後の方針を知る必要があるためだった。
イリスが報告する。
「今回の接触で、アミィ本人反応はレータさんの声に対して安定反応を示しました。ユイさんの声にも識別反応があります。ただし、現状ではレータさんの声への安定度が最も高いです」
ミオが続ける。
「セレスティア残留反応も、レータさんの声に合わせて保護支援側へ寄りました。以前のような拘束系の上昇は見られません」
黒瀬が確認する。
「つまり、レータさんの声が安定要素になっている」
「はい」
カナデが補足する。
「ただし、先ほども言った通り、レータさん一人に依存させすぎるのは危険です。今後は、ユイさん、カナデ、イリス、ミオなど、少しずつ安心できる接触先を増やす必要があります」
レータは素直に頷いた。
「分かってる。私だけで抱え込まない」
カイトが少し驚いたようにレータを見る。
以前のレータなら、そう簡単には言わなかったかもしれない。
アミィを守るためなら、自分一人で背負おうとしたはずだ。
でも今のレータは違う。
アミィを助けるために、自分一人で抱え込まないことを選ぼうとしている。
リクトは端末を開いた。
「それで、セレスティア残留反応の再定義案だが」
室内の空気が少し変わる。
「前回の解析で、拘束系と保護支援系に分けられることは確認した。今回の接触で、保護支援系がレータの声と相性を示した」
レータが眉を寄せる。
「私の声と?」
「ああ。正確には、レータの声というより、レータを中心とした識別反応だな。アミィ本人反応がレータを安定要素として認識している。その結果、セレスティア残留反応の保護側も、レータの声に合わせて安定する」
ユイが静かに言う。
「つまり、セレスティアの保護支援系を再定義する場合、レータの制御系と相性が良い可能性がある」
「そうだ」
リクトは画面にヴァルクレイドの制御系を表示した。
「ヴァルクレイドは、重装・統率・前線指揮向けの機体だ。防御、指揮、局地統率に強い。そこに、セレスティアの保護支援系を命令層から切り離して組み込めば、通信保護や命令系干渉遮断に使える可能性がある」
黒瀬がすぐに言う。
「現時点では仮案ですね」
「もちろんだ。今すぐ組み込む話じゃない」
リクトは頷く。
「ただ、アミィ本人に直接戻すよりは安全性を管理しやすい。アミィを縛っていたものをアミィ自身に戻すのではなく、外部機体側で再定義する」
アシュの通信が入った。
『やるなら分解が前提だ』
リクトは苦笑する。
「分かっている」
『命令層は全除去。拘束系も切る。残すのは保護支援系だけ。それでも試験は段階式だ』
黒瀬が記録する。
「仮案として記録します。セレスティア保護支援系の再定義先として、ヴァルクレイド指揮系との統合可能性を検討。ただし、命令層・拘束系除去を前提とし、アミィ本人への直接再接続は避ける」
三島が記録する。
レータは、画面に映るヴァルクレイドを見ていた。
自分の機体。
そこに、アミィを縛っていたセレスティアの一部を入れる。
まだ嫌な気持ちはある。
簡単に受け入れられるわけではない。
けれど、もしそれがアミィを閉じ込める檻ではなく、アミィが安心して隣にいられる場所になるなら。
レータは静かに言った。
「命令じゃなくて、返事で動くものにできるなら」
全員がレータを見る。
「アミィを縛るんじゃなくて、アミィが隣にいても大丈夫な場所にできるなら……考えてもいい」
ユイが頷いた。
「隣に座る場所ですね」
レータは少し照れたように視線を逸らす。
「まだ、仮案よ」
「はい」
カナデが微笑む。
「仮案で十分です。今は、場所を作ることを考え始められただけでも大きな前進です」
レータは保護区画の方を見る。
アミィは眠っている。
まだ断片的な言葉しか話せない。
すぐに戦えるわけでもない。
それでも、今日一つ言葉を受け取った。
隣。
代わりではなく、命令者と従属者でもなく。
隣にいていい。
その場所を作るための最初の案が、静かに形になり始めていた。




