第236話 保護区画のアミィ
ルクス・ヴァルキュリアは、外縁防衛線正面から離脱した。
追撃は限定的だった。
エリシオンは防衛線の前に残り、ヘルメス隊も深追いはしてこない。
グラトンの主砲は、最後まで火を噴かなかった。
それでも、艦内に安堵の空気は少なかった。
アミィは救出された。
だが、まだ戻ってきたとは言えない。
保護区画の中央には、アミィの中枢ブロックを収めた隔離ポッドが置かれていた。
ポッドの外側には、淡い白金色の光が薄く揺れている。
それはセレスティア残留反応だった。
かつてアミィを命令層へ押し戻し、同時に本人反応を崩壊から守っていたもの。
檻であり、盾でもあった支援波の名残。
今は、何重もの解析フィールドに包まれ、外部干渉を制限されている。
カナデ、イリス、ミオ、リクトが、保護区画内で状態確認を進めていた。
イリスが波形を見つめる。
「本人反応、確認できます。ただし、とても弱いです」
画面には細い線が表示されている。
それは命令層の均一な反応とは違い、小さく揺れていた。
アミィ本人の反応だ。
だが、その周囲には時折、硬いノイズが走る。
リクトが眉を寄せた。
「命令層残滓だな。主接続は切れているが、完全には消えていない」
ミオも支援網を絞りながら言う。
「セレスティア残留反応が、本人反応の周囲に残っています。今のところ押し込む動きは弱いですが、外部から強い刺激を受けると反応する可能性があります」
カナデはアミィの状態を見て、静かに頷いた。
「今は、眠っている状態に近いですね」
「眠ってる?」
区画の入口近くで、レータが聞き返した。
レータは保護区画の外側に立っていた。
中に入りたそうにしている。
けれど、カナデから止められているため、それ以上は近づけない。
カナデは答える。
「正確な睡眠とは違います。でも、本人反応が外部刺激を受け止めきれないため、保護的に閉じている状態です」
「声をかけたら?」
レータの声には、期待と不安が混じっていた。
カナデはすぐには答えなかった。
そして、慎重に言った。
「今は、強い呼びかけは避けるべきです」
レータの表情が沈む。
「……分かってる」
言葉ではそう言った。
だが、足は動かない。
アミィはそこにいる。
命令層から救い出せた。
怖いと言った。
行きたいと言った。
レータと呼んだ。
それなのに、今は名前を呼ぶことすら慎重にしなければならない。
カナデは区画外へ出て、レータの前に立った。
「アミィへの接触ルールを決めます」
黒瀬と三島も記録のために端末を開く。
カナデは一つずつ言った。
「第一。強い呼びかけは禁止です」
レータが小さく頷く。
「第二。命令形の言葉は禁止します。『起きて』『答えて』『思い出して』のような言い方は避けます」
三島が記録する。
「第三。同時に多人数で話しかけないこと。声が重なると、アミィが命令層の多重指示と誤認する可能性があります」
イリスが頷いた。
「その可能性はあります。命令層残滓が残っているので、複数入力には敏感です」
「第四。最初は名前と、安心できる短文だけにしてください」
カナデはレータを見る。
「例えば、『ここにいる』『大丈夫』『命令じゃない』のような短い言葉です」
レータは唇を噛んだ。
「もっと言いたいこと、たくさんあるのに」
「分かっています」
カナデは静かに言った。
「でも、今はレータさんの気持ちより、アミィが受け止められる量を優先しましょう」
その言葉は、優しかった。
だが、逃げ場がなかった。
レータは目を伏せる。
「……うん」
声は小さかった。
「分かってる。分かってるけど、きついわね」
ユイが隣に立った。
「レータ」
「ユイ」
「私も、言いたいことはあります。でも、今はアミィが受け止められる分だけでいいと思います」
レータは苦笑した。
「ユイに言われると、反論しづらい」
「反論してもいいです」
「しないわよ」
レータは保護区画のポッドを見る。
「アミィがここにいる。それだけで、まずはいいのよね」
「はい」
ユイは頷く。
「もう、命令層の奥に一人ではありません」
その言葉に、レータの目元がわずかに揺れた。
泣きそうになった。
でも、こらえた。
まだアミィが起きていない。
泣くのは、もう少し後でいい。
保護処置は続いた。
イリスは本人反応を追い、ミオは微弱な支援網でアミィの周囲を包んでいる。
ただし、それは命令層のように押さえつけるものではない。
外からの刺激を和らげる、薄い膜のような支援だった。
リクトはセレスティア残留反応の解析を進めていた。
「残留反応は、やはり二層あるな」
ミオが顔を上げる。
「拘束系と保護支援系ですか」
「おそらくな。今すぐ切れる部分と、切ると危ない部分が混じっている」
カナデが確認する。
「今はどちらを優先すべきですか」
「アミィ本人反応の安定だ。拘束系が強まれば切る。だが、保護支援系まで一気に剥がすのは危険だ」
イリスが画面を見つめながら言う。
「アミィ本人反応は、セレスティア残留反応に完全には拒否反応を示していません。怖がっている部分もありますが、支えられている部分もあります」
レータは、その言葉を聞いて複雑な表情をした。
「やっぱり、簡単に壊せばいいってものじゃないのね」
リクトは頷く。
「そうだ。壊すのは簡単とは言わないが、方針としては単純だ。だが、今必要なのは分けることだ。アミィを縛るものと、アミィを支えているものを」
レータは静かに呟いた。
「檻と盾を分ける」
「そういうことだ」
その時、イリスの画面に小さな反応が出た。
「待ってください」
全員の視線が集まる。
本人反応が、わずかに浮上していた。
眠るように閉じていた反応が、外部へ向けて小さく揺れる。
カナデがすぐに言う。
「全員、声を重ねないでください」
保護区画が静まり返った。
イリスが小さく報告する。
「アミィ本人反応、覚醒に近い揺れ。短時間だと思います」
レータが一歩、前に出かける。
カナデが視線だけで止める。
レータは止まった。
拳を握る。
震えそうな声を抑える。
ポッドの中で、白金色の光が弱く揺れた。
そして、かすかな声が聞こえた。
『……レー……タ……?』
レータの息が止まった。
その一言だけで、胸の奥が崩れそうになる。
近づきたい。
名前を呼び返したい。
ここにいる、もう大丈夫、怖くない、全部言いたい。
でも、カナデの言葉を思い出す。
強い呼びかけは禁止。
命令形は禁止。
多くを言いすぎない。
アミィが受け止められる量を優先する。
レータは、震える声を抑えた。
「ここにいる」
それだけを言った。
短く。
優しく。
命令ではなく、返事として。
アミィの反応が、少しだけ揺れる。
『……ここ……』
「うん。ここにいる」
レータの目に涙が浮かぶ。
でも、それ以上は言わなかった。
ユイも、少し離れた場所で静かに見守っている。
声をかけたい気持ちはあった。
けれど、今はレータの声だけでいい。
アミィの反応は、少しずつ落ち着いていった。
『……レータ……』
「うん」
『……こわ……』
レータは息を詰める。
言いたいことはたくさんあった。
でも、選んだ。
「怖くていい」
それは、救出戦で言った言葉と同じだった。
「ここにいる」
アミィの反応が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
そして、また眠るように沈んでいった。
イリスが静かに報告する。
「本人反応、安定方向へ低下。再び保護状態に戻ります」
カナデが小さく息を吐いた。
「良い反応です。強く浮上させすぎず、安心できる短文だけ受け取れました」
レータはその場に立ったまま、動かなかった。
涙が一筋だけ落ちた。
「……返事、できた」
ユイがそっと隣に立つ。
「はい」
「ちゃんと、強く呼ばなかった」
「はい。できていました」
レータは小さく笑った。
「こんなに我慢したの、初めてかも」
「レータは、よく我慢しました」
「子供扱いしないでよ」
「していません」
ユイが真面目に答えると、レータは泣きながら少しだけ笑った。
その後、保護区画の外で簡易報告が行われた。
黒瀬が記録を読み上げる。
「PT-A01アミィ。救出後初回覚醒反応を確認。レータさんの識別名を呼称。短文応答に対し安定反応を示す。命令層残滓による即時反応悪化はなし」
三島が記録する。
「接触ルールは継続ですね」
「はい」
カナデが頷いた。
「しばらくは、レータさん、ユイさんを中心に、短時間・少人数で接触します。他の人は、アミィが安定してからです」
カイトが少し離れた場所で聞いていた。
「俺達は、まだ会わない方がいいですか」
カナデは穏やかに答える。
「今はその方が良いです。アミィが覚えている声は、レータさんとユイさんが中心です。刺激を増やしすぎない方がいいでしょう」
「分かりました」
カイトは素直に頷いた。
会いたい気持ちはある。
助けた相手が無事なのか、直接確かめたい気持ちもある。
でも、今大事なのは自分の安心ではない。
アミィが受け止められる量だ。
それは、今回の戦いで学んだことだった。
その時、リクトが少し遅れて保護区画へ戻ってきた。
手には解析端末を持っている。
表情は真剣だった。
「セレスティア残留反応の解析が少し進んだ」
全員の視線が向く。
レータが顔を上げる。
「何か分かったの?」
「ああ」
リクトは端末を表示する。
そこには、白金色の反応が二つの層に分けて表示されていた。
「やはり、残っている反応は一種類じゃない。アミィを命令層へ押し戻そうとする拘束系と、本人反応を崩さないように包んでいる保護支援系がある」
ミオが小さく頷く。
「予想通りですね」
「ただし、問題はそこじゃない」
リクトは、画面の一部を拡大した。
「保護支援系の一部が、アミィ本人反応だけでなく、レータの声にも安定反応を示している」
レータが目を見開く。
「私の声?」
「ああ。おそらく、救出戦の時にアミィ本人反応を支えた通信路の記録が残っている。セレスティア残留反応は、レータの声を『アミィを安定させる外部要素』として認識し始めている可能性がある」
ユイが静かに言った。
「つまり、セレスティアはまだアミィを閉じ込めるだけではなく、アミィが安心するものを学習し始めている」
「そう見える」
リクトは頷いた。
「ただし、そのまま信用はできない。命令層残滓も残っている。分解と再定義が必要だ」
レータはポッドの方を見た。
アミィは再び眠っている。
怖いと言った。
ここにいると返した。
その短いやり取りが、セレスティアの残りにも影響を与えている。
レータは小さく呟いた。
「檻じゃなくて、盾にする」
リクトは端末を閉じた。
「そのための解析を始める」
保護区画の中で、白金色の光が静かに揺れていた。
アミィはまだ眠っている。
すぐに普通に話せるわけではない。
戦えるわけでもない。
けれど、命令層の奥ではなく、ルクスの中で眠っている。
それが、救出後の最初の一歩だった。




