第235話 レオンの判断
エリシオンの防壁が、ルクス・ヴァルキュリアの撤退路を塞いでいた。
白灰の防御フィールド。
その背後に立つ、金の装甲を持つ重防御機。
レオンのエリシオンは、攻めてこない。
だが、通さない。
ルクス側は、撤退路を失いかけていた。
外周にはヘルメス隊。
正面にはエリシオン。
遠方にはグラトンの照準圧。
アミィを保護したまま、急旋回も急加速もできない。
ノクス・レクイエムは再封印され、再出撃はできない。
ミオの支援網は縮小運用。
セラの残弾も少ない。
カイト機にも損傷と判断遅延の後遺負荷が残っている。
状況は、決して良くなかった。
管制室で、三島が報告する。
「撤退候補航路、正面は遮断。外周二方向はヘルメス隊により圧迫。遠回りルートはありますが、アミィ保護区画への負荷が大きくなります」
黒瀬が続ける。
「エリシオンは防御と進路制限に徹しています。攻撃意思は限定的ですが、こちらの自由な撤退を許す気はありません」
ジンは表示を見つめた。
「撃ってこない敵ほど面倒だな」
カイトの通信が入る。
『こちらで隙を作ります』
黒瀬が即座に返す。
「カイトさん、単独突入は禁止です」
『分かっています。でも、あの防壁を少しでもずらさないと、艦が下がれません』
レイが通信に割り込んだ。
『俺が先に行く。カイトは支援。レータは押し合いにだけ入れ。無茶はするな』
レータが答える。
『分かってるわよ。アミィを連れて帰るために出てるんだから』
その声には苛立ちがあった。
だが、焦りだけではない。
今のレータは、アミィのそばにいたい気持ちを押し殺して前線に出ている。
だからこそ、倒れるわけにはいかなかった。
ジンは短く命じる。
「全機、無理に突破するな。目的は防壁の一時的なずらしだ。艦の撤退角を作る」
「了解!」
『了解』
前方で、ヴァナルガンドが加速する。
アルタイル・ノヴァ・ブレイスがその後ろに続く。
ヴァルクレイドは重装フレームで側面から圧をかける位置に入った。
フェンリオン・リサイトは後方から牽制射撃の準備を整える。
だが、エリシオンは動かない。
ただ、盾を構えている。
防御フィールドが広がり、三機の進路をあらかじめ塞いでいた。
カイトは奥歯を噛んだ。
「やっぱり、読まれてる……!」
レイが低く言う。
『読んでるんじゃない。通したくない場所に壁を置いてるだけだ』
「それだけで、こんなに厄介なのか」
『守る奴は、攻める奴より崩しにくい』
ヴァナルガンドの斬撃が、エリシオンの盾の端を叩く。
セラの牽制弾が防御フィールドの外縁を揺らす。
ヴァルクレイドが重装の圧で盾の向きをずらそうとする。
それでも、エリシオンは大きく崩れない。
攻撃ではない。
迎撃でもない。
ただ、押し戻す。
カイトは、その動きに違和感を覚えていた。
レオンは、こちらを殺しに来ていない。
アミィを奪い返すために乱戦を起こしているわけでもない。
ノクス・レクイエムを刺激するような攻撃も避けている。
敵だ。
でも、オルフェンとは違う。
「レオンは……本当に、防衛線だけを守ってるのか」
カイトの呟きに、ユイの声が管制から入った。
『少なくとも、アミィを壊そうとはしていません』
ユイはノクス・レクイエム使用後の負荷が残っているため、管制側でアミィとセレスティア残留反応の監視に回っていた。
『ですが、通してくれるわけでもありません』
「分かってる」
カイトは機体を前へ出す。
エリシオンの防壁が迫る。
「だから、止められたままじゃ帰れない」
グラトン艦橋では、前線の膠着が表示されていた。
ルクス側は撤退路を失いかけている。
こちらが全力で追撃すれば、アミィを再奪取できる可能性もある。
少なくとも、ルクス側に大きな損害を与えることはできる。
その判断を求めるように、オルフェンからの通信が繰り返し入っていた。
『レオン司令。今が好機です』
オルフェンの声は、いつもより強い。
『PT-A01は帝国資産です。ルクス側に持ち去られることは許容できません。セレスティア残留反応も、回収すべき観測対象です』
レオンは艦橋正面の表示を見たまま答えた。
「却下する」
『またですか』
「今、乱戦に入れば防衛線も味方部隊も崩れる」
『ルクス側は消耗しています』
「こちらもだ」
レオンはクラウスへ目を向ける。
クラウスがすぐに報告する。
「前線部隊の疲弊は増大しています。セレスティア残留干渉の影響により、通信支援班、ヘルメス隊、一部量産GD部隊に判断補助遅延の残留あり。エリシオン管制も高負荷です」
レオンはオルフェンへ言った。
「聞いた通りだ」
『それでも、追撃可能です』
「可能と適切は違う」
『PT-A01を失えば、本国は損失と判断します』
「すでに失っている」
艦橋が静まる。
レオンは淡々と続けた。
「ここで無理に奪還を試みれば、ルクス側はアミィ保護区画を守るためにさらに無茶をする。ノクス・レクイエムを再起動させる可能性もある。そうなれば、防衛線はさらに不安定化する」
『あなたは、ルクス側の危険を理由に追撃を拒むのですか』
「俺は、防衛線維持を理由に追撃を制限している」
『言葉を変えているだけでは?』
「前線指揮官の判断だ」
オルフェンの声が冷えた。
『PT-A01は観測対象としても重要です。命令層分離、セレスティア処理矛盾、ノクス・レクイエム干渉。これほどの素材を失うことは――』
「素材と言うな」
レオンの声が低くなった。
オルフェンは一瞬黙った。
レオンは続ける。
「兵器として扱うことと、実験材料として壊すことは違う」
『甘いですね』
「そう記録しておけ」
『すでにしています』
通信が切れる。
クラウスが静かに言う。
「監察局側は、司令の判断を問題視するでしょう」
「だろうな」
「それでも、追撃は制限しますか」
レオンは前線表示を見る。
エリシオンが防壁を展開している。
ルクス側は押し返されている。
しかし、まだ崩れてはいない。
ここで全力追撃を命じれば、結果は出るかもしれない。
だが、その結果は防衛線を守るためのものではなく、オルフェンの観測結果を増やすためのものになる。
レオンは短く言った。
「制限する」
「了解しました」
「エリシオンへ。全力追撃は禁止。進路誘導と押し戻しを継続。ルクス側を正面から遠ざけろ。だが、潰すな」
クラウスが命令を送る。
「ヘルメス隊は」
「外周圧迫を継続。ただし、セレスティア残留干渉圏への深追いは禁止。ルクス側が防衛線外へ退くなら追わなくていい」
「グラトン主砲は」
「照準維持。発射禁止」
クラウスは頷いた。
「防衛線維持を最優先。記録します」
前線で、エリシオンの動きが変わった。
防壁は維持している。
だが、ルクス側を完全に包囲する動きではない。
正面から押し返し、進路を横へずらす。
最短撤退ルートは封じるが、外縁防衛線から離れる方向には、わずかな隙を残す。
三島が叫ぶ。
「エリシオン防壁、展開角度が変わりました!」
黒瀬がすぐに解析する。
「正面突破は依然不可。ただし、右舷下方の退避航路に隙間があります」
ジンが目を細める。
「誘導か」
「可能性があります」
「罠か」
「完全には否定できません。ただし、ヘルメス隊の圧迫も同方向では弱まっています」
カイルの通信が入る。
『外周、確かに薄い。ヘルメスが引き気味だ。深追いする気はなさそうだな』
レイが前線から言う。
『レオンの判断か』
カイトはエリシオンを見た。
盾はまだこちらを向いている。
レオンは通してくれているわけではない。
こちらを助けているわけでもない。
ただ、防衛線正面から押し出そうとしている。
殺すためではなく。
奪い返すためでもなく。
防衛線を守るために。
「……逃がすんじゃなくて、押し出す」
カイトが呟く。
ユイが管制から答えた。
『はい。レオンは、防衛線維持を優先しています』
「それでも、今はその隙を使うしかない」
ジンが命じた。
「右舷下方、退避航路へ進路変更。急旋回はするな。アミィ保護区画への負荷を抑えろ」
「了解!」
ルクス・ヴァルキュリアがゆっくりと進路を変える。
ミオが支援網を艦の周囲へ細く張る。
『撤退支援に集中します。全機、艦から離れすぎないでください』
カイトが応答する。
「了解」
レイがエリシオンを牽制しながら下がる。
『カイト、戻るぞ』
「はい」
レータもヴァルクレイドを引いた。
『アミィを連れて帰る』
セラが後方から牽制射撃を入れ、エリシオンの防壁が再び広がるのを一瞬だけ遅らせる。
だが、エリシオンは追ってこなかった。
盾を構えたまま、ルクス側が防衛線正面から外れていくのを見ていた。
通信が入った。
レオンの声だった。
『ルクス・ヴァルキュリア』
ジンが応答する。
「何だ」
『防衛線正面から離脱しろ。それ以上、こちら側へ進めば敵として止める』
ジンは少しだけ黙った。
「今は見逃す、ということか」
『違う』
レオンは即答した。
『俺は防衛線維持を優先している。お前達を逃がすためではない』
カイトは、その通信を聞いていた。
ユイも、黒瀬も、レータも。
レオンは続ける。
『次に来るなら、敵として止める』
その声には、揺らぎがなかった。
『だが、今は防衛線維持を優先する』
通信はそこで切れた。
管制室に短い沈黙が落ちる。
黒瀬が静かに言った。
「レオンは、帝国側指揮官です。味方ではありません」
ジンが頷く。
「分かっている」
「ですが、帝国本国およびオルフェン監察官とは判断基準が異なっています」
「それも分かった」
黒瀬は端末に記録する。
「レオン指揮下外縁部隊。ルクス側に対し限定的押し戻しを実施。全力追撃は行わず。防衛線維持を優先。帝国本国監察局との判断差異あり」
三島が記録を続ける。
カイトは、遠ざかるエリシオンを見た。
敵。
だが、壊すためだけの敵ではない。
その事実が、戦場を少しだけ複雑にしていた。
グラトン観測室で、オルフェンは通信記録を確認していた。
レオンの命令。
追撃制限。
ヘルメス隊の深追い禁止。
ルクス側への防衛線外離脱許容。
オルフェンの表情は冷えていた。
「前線指揮官レオン」
彼は記録項目を開く。
これまでの分類。
観測阻害要因。
オルフェンは、そこへ新たな項目を追加した。
「帝国指揮系統上の危険因子候補」
部下が息を呑む。
「危険因子、ですか」
「候補です」
オルフェンは淡々と答えた。
「PT-A01喪失時、前線補助回線を遮断。救出後、追撃を抑制。ルクス側の戦域離脱を防衛線維持の名目で許容。いずれも、本国監察局の観測計画および資産回収に反する判断です」
「しかし、レオン司令の判断は前線防衛上の合理性もあります」
「合理性はあります」
オルフェンは否定しなかった。
「だから危険なのです」
部下は黙った。
「感情的な反抗なら処理は簡単です。ですが、前線維持、味方部隊保全、防衛線安定という合理的理由を持って監察局の意図とズレている。これは、単なる反抗より厄介です」
オルフェンは本国報告書を開く。
「本国へ報告します。レオン司令は、外縁防衛線の維持能力は高い。ですが、監察局観測計画への協力度に問題あり。今後、直轄監察権限の強化、または別系統部隊の投入を検討すべき、と」
彼は、ルクス側が離脱していく表示を見た。
PT-A01は失われた。
セレスティア残留反応の一部も持ち去られた。
ノクス・レクイエムのデータは得られたが、十分ではない。
そして、レオンはまた線を引いた。
オルフェンは薄く笑った。
「面白いですね」
その声には、怒りよりも冷たい興味があった。
「観測対象が増えました」
ルクス・ヴァルキュリアは、外縁防衛線正面から離れていった。
エリシオンは追ってこない。
ヘルメス隊も距離を取る。
グラトンの主砲は、最後まで火を噴かなかった。
それでも、完全な勝利ではない。
外縁防衛線は健在。
グラトンも、エリシオンも、ヘルメス隊も残っている。
レオンは敵のまま。
オルフェンは諦めていない。
だが、ルクス側はアミィを連れて離脱した。
管制室で、三島が報告する。
「外縁防衛線正面から離脱。追撃反応、限定的。現時点で安全圏方向への移行が可能です」
ジンは小さく息を吐いた。
「よし。艦速を上げすぎるな。アミィ保護区画を優先しつつ、安全圏まで下がる」
「了解」
黒瀬が記録する。
「PT-A01アミィ保護状態での戦域離脱、第一段階成功」
カイトは、遠くなっていくエリシオンを見ていた。
「次に来るなら、敵として止める……か」
その言葉は、警告だった。
見逃しではない。
和解でもない。
けれど、確かにレオンは今、全力追撃を選ばなかった。
ユイが通信で言う。
『カイト』
「うん」
『今は、帰りましょう』
「そうだな」
カイトは機体を反転させ、ルクス・ヴァルキュリアへ戻る。
アミィは艦内にいる。
まだ不安定で、眠るように保護されている。
レータも、ユイも、皆も、疲れ切っている。
それでも、帰れる。
今はそれだけで十分だった。
外縁防衛線は崩れなかった。
だが、ルクス側はアミィを連れて、その戦場から一時離脱することに成功した。




