第234話 エリシオン、前進
エリシオンが、撤退ルートの正面に立っていた。
白灰と金の装甲。
巨大な盾。
展開された防御フィールド。
その姿は、攻め込んでくる敵というより、そこから先を許さない門のようだった。
ルクス・ヴァルキュリアの管制室では、撤退航路の再計算が続いている。
アミィを保護したまま、大きく迂回することはできない。
回収区画はまだ安定処置中で、艦の急加速や急旋回は避ける必要がある。
セレスティア残留反応も完全には落ち着いていない。
三島が報告する。
「最短撤退ルート、エリシオン防御フィールドにより遮断。迂回ルートは二本ありますが、どちらもヘルメス隊の外周圧迫を受けます」
黒瀬が続ける。
「アミィ保護区画への負荷を考えると、急激な方向転換は避けるべきです」
ジンは前方表示を見つめた。
「つまり、正面の圧をどうにかしないと下がれんか」
「はい」
正面のエリシオンから、通信が入る。
『ルクス・ヴァルキュリアへ』
レオンの声だった。
ジンが応答する。
「こちらルクス・ヴァルキュリア、ジンだ」
『PT-A01アミィを回収したことは確認した』
管制室の空気がわずかに張り詰める。
レオンの声は、怒鳴るものではなかった。
責める声でもない。
だが、冷静で、硬い。
『だが、防衛線を通すわけにはいかない』
ジンは黙って聞く。
『撤退するなら進路を変えろ。外縁防衛線の正面は通さない』
「こちらは保護対象を抱えている。戦闘拡大は望まない」
『こちらも乱戦は望まない』
レオンは即答した。
『だが、防衛線を譲るつもりはない。進めば止める』
通信が切れる。
カイトは、アルタイル・ノヴァ・ブレイスの操縦席でその声を聞いていた。
敵だ。
レオンは敵の指揮官だ。
外縁防衛線を守るために、こちらの前に立っている。
けれど、オルフェンとは違う。
アミィを奪い返すために乱戦を起こそうとしているわけではない。
セレスティア残留反応を回収するために、こちらを壊しに来ているわけでもない。
ただ、止めようとしている。
防衛線を通すわけにはいかない。
その一点だけで、前に出ている。
カイトは操縦桿を握り直した。
「俺が前に出ます」
黒瀬が即座に応答する。
『カイトさん、判断遅延の後遺負荷が残っています。突出は認めません』
「突出じゃありません。エリシオンの前進を止めるだけです」
ミオの通信が入る。
『支援網は縮小運用になります。広くは支えられません』
「分かってる」
セラも続ける。
『残弾が少ないため、牽制狙撃が中心になります。エリシオン本体への有効打は期待しないでください』
「十分です」
レイが短く言う。
『俺が前に出る。カイトは中央を守れ』
「レイだけじゃ押し負けます」
『だから俺が止める。お前は崩れた時に支えろ』
カイトは一瞬黙る。
それは正しい。
今の自分は救出戦の負荷を引きずっている。
視界の一部には、まだセレスティア支援波を受けた時の遅れが残っているような錯覚があった。
だが、何もしないわけにはいかない。
ジンの声が入った。
『カイト、レイと連携しろ。前に出ることは許可する。ただし、単独でエリシオンを押し返そうとするな』
「了解」
『レータは』
レータの声が返る。
『ヴァルクレイド、出てるわ。でも無茶はしない』
その言い方に、ほんのわずかな苦さがあった。
レータはアミィのそばにいたい。
それは誰もが分かっている。
だが、今はアミィを連れて帰るために、前線に出ている。
『アミィを抱えてる以上、ここで私が倒れるわけにはいかないもの』
カナデの声が入る。
『その認識でお願いします。レータさんは、前線維持と艦防衛を優先してください』
『分かってる』
レータは短く答えた。
エリシオンが一歩前に出た。
巨大な盾が、宇宙空間に防御壁を広げる。
白灰のフィールドが扇状に展開し、ルクス側の進路をさらに狭めた。
攻撃ではない。
しかし、圧力は強い。
近づけば押し返される。
迂回すればヘルメス隊に絡まれる。
止まればグラトンの照準圧を受け続ける。
それは、殲滅ではなく拘束だった。
カイトはアルタイル・ノヴァ・ブレイスを前へ進める。
その横を、レイのヴァナルガンドが先行した。
『まず俺が当たる』
「了解。後ろから支えます」
『言葉だけは慎重になったな』
「実際に慎重です」
『ならいい』
ヴァナルガンドが加速する。
エリシオンは動かない。
盾を構えたまま、レイの接近を受ける。
レイは正面から斬り込まなかった。
盾の縁を狙い、重心をずらすように刃を入れる。
だが、エリシオンは崩れない。
盾が微妙に角度を変え、ヴァナルガンドの斬撃を受け流す。
そのまま、防御フィールドの圧でレイの機体を押し戻した。
『硬いな』
レイの声に、余裕はある。
だが、簡単に抜ける相手ではないことも伝わってきた。
カイトが前に出る。
アルタイル・ノヴァ・ブレイスがブレードを構え、エリシオンの盾の反対側へ回り込もうとする。
だが、その前に、視界がわずかに遅れた。
「っ……」
救出戦の時の判断遅延。
もうセレスティア支援波の中ではない。
それでも、負荷の残りが反応を鈍らせる。
敵機の軌道予測が一拍遅れる。
盾の角度変化に反応が遅れる。
エリシオンの防御フィールドが、アルタイル・ノヴァの進路を先に塞いだ。
「読まれた……!」
衝撃。
機体が押し返される。
ミオの支援が入る。
『カイトさん、右側へ逃がします。無理に押し返さないでください』
「了解!」
カイトはミオの支援線に合わせて機体をずらす。
支援網は前回までのように広くはない。
細く、必要な場所だけを支える縮小運用だ。
それでも、十分だった。
カイトは体勢を立て直す。
エリシオンは追ってこない。
攻撃を重ねてこない。
ただ、盾を戻し、また進路を塞ぐ。
カイトはそこで気づいた。
「レオンは……壊しに来てない」
通信越しにレイが返す。
『ああ。止めに来てる』
「オルフェンとは違う」
『違うな。だから厄介だ』
敵意だけなら分かりやすい。
殺意だけなら受け流せる。
だが、レオンは前線指揮官として、崩れない壁になっている。
こちらを壊さないようにしながら、通さない。
それはある意味、全力の攻撃よりも厄介だった。
外周では、カイルがヘルメス隊の動きを追っていた。
ヘルメス隊は以前より慎重だった。
セレスティア干渉圏の残響を警戒しているのか、深く踏み込んではこない。
しかし、撤退候補航路の外側に居座り、ルクス側が迂回するのを妨げている。
『お前ら、今日は随分お行儀がいいな』
カイルが牽制射撃を放つ。
ヘルメス隊は散開し、射線を避ける。
だが反撃は浅い。
通信に、リュカ・ヴァレンの声が入った。
『そちらこそ、保護対象を抱えている割に余裕ですね』
『余裕なんざねえよ。だからそこで止まってろって言ってんだ』
『我々も無理に踏み込む命令は受けていません』
『なら仲良く距離を取ろうぜ』
『敵同士で仲良く、ですか』
『今だけな』
カイルは軽く笑う。
だが、操縦は冷静だった。
ヘルメス隊が一機でも深く入れば、撤退路が潰れる。
逆にこちらが追いすぎれば、外周で引き離される。
だから、距離を保つ。
嫌な位置で邪魔をする。
それが今の役目だった。
セラは後方からエリシオンを狙っていた。
高精度弾は少ない。
支援端末中枢を撃ち抜いた救出戦の後では、無駄撃ちはできない。
エリシオンの盾そのものを抜く弾はない。
狙うべきは、盾の展開角度を変える瞬間。
防御フィールドの端。
レイやカイトの機体が押し返される圧を、一瞬だけ弱めるための牽制。
『撃ちます』
セラの狙撃が、エリシオンの盾の外縁をかすめる。
防御フィールドがわずかに揺らぐ。
その隙に、レイが踏み込み、盾の角度をずらそうとする。
しかし、エリシオンはすぐに立て直した。
レオンの操縦は派手ではない。
だが、崩れない。
盾の角度、機体の重心、防御フィールドの広げ方。
すべてが、前へ進ませないために最適化されている。
レータのヴァルクレイドが前に出る。
『押し合いなら、こっちもやれるわ』
重装機であるヴァルクレイドが、エリシオンの防御フィールドに斜めから圧をかける。
正面から押すのではない。
撤退路に小さな隙間を作るため、盾の展開方向をずらそうとする。
エリシオンの盾が受け止める。
白灰の防壁と、ヴァルクレイドの重装フレームが軋む。
レータは歯を食いしばった。
ここで無茶をしてはいけない。
アミィを連れて帰るために出ている。
自分が倒れれば意味がない。
それでも、押す。
『アミィを連れて帰る道くらい、開けなさいよ……!』
エリシオンは、答えない。
ただ、盾で受け止める。
カイトが横から支えに入る。
「レータ、左を支えます!」
『助かる!』
アルタイル・ノヴァ・ブレイスがヴァルクレイドの側面に並び、エリシオンの防壁の圧を分散させる。
ミオの支援網が細く二機を繋ぐ。
『長くは持ちません。今のうちに撤退ルートをずらしてください』
管制室で三島が叫ぶ。
「撤退候補航路、部分的に開きます!」
ジンが即座に命じる。
「艦を右舷側へずらせ。ただし急旋回はするな。アミィ保護区画への負荷を抑えろ」
「了解!」
ルクス・ヴァルキュリアが、ゆっくりと進路を変える。
しかし、その動きを読んだように、エリシオンが盾を再展開した。
白灰の防壁が広がり、開きかけた航路を再び塞ぐ。
三島が声を上げる。
「エリシオン、防壁再展開。撤退路、再遮断!」
レータが呻く。
『しつこい……!』
レイが言う。
『いや、上手い。こっちを壊さず、通さず、疲れさせる気だ』
カイトは息を乱しながら、エリシオンを見た。
これがレオンの戦い方。
オルフェンのように、誰かの反応を観測するために壊そうとするものではない。
前線を守る。
こちらを止める。
そのために、必要なだけ押し返す。
敵だ。
だが、アミィを再び壊す気はない。
カイトはそのことを、嫌でも感じ取っていた。
グラトン艦橋で、レオンはエリシオンの戦闘記録を見ていた。
ルクス側は疲弊している。
だが、まだ崩れていない。
カイト機は判断遅延の後遺負荷がある。
ミオ機は支援網を縮小運用。
セラ機は弾数不足。
レータ機は重装だが、精神的負荷が見える。
ユイのノクス・レクイエムは封印されている。
こちらが全力で押せば、突破できるかもしれない。
だが、その場合、ルクス側は追い詰められる。
追い詰めすぎれば、何をするか分からない。
ノクス・レクイエムを再投入させる可能性もある。
アミィ保護区画に被害が出れば、戦場はさらに荒れる。
レオンは静かに命じた。
「エリシオンは現位置を維持。攻勢に移るな」
クラウスが確認する。
「押し戻しに徹する、ということですね」
「そうだ。撃破は狙わない」
「オルフェン監察官から、再度アミィ奪還要求が来ています」
「無視しろ」
「記録上、問題になります」
「すでに問題だ」
レオンは淡々と答えた。
「今さら一つ増えたところで変わらん」
クラウスはわずかに苦笑しそうになったが、すぐに表情を戻した。
「了解しました」
レオンは前線を見る。
ルクスを逃がす気はない。
だが、壊す気もない。
その線を守ることが、今の彼にできる唯一の選択だった。
ルクス・ヴァルキュリア管制室では、状況が悪化していた。
「撤退路、再遮断。ヘルメス隊の外周圧迫により迂回路も不安定」
三島が報告する。
黒瀬が淡々と言う。
「エリシオンは攻撃ではなく進路制限に徹しています。こちらを撃破するのではなく、移動方向を制御しようとしています」
「分かっている」
ジンは表示を見た。
エリシオンの防壁。
外周のヘルメス隊。
グラトンの照準圧。
すべてが、こちらの選択肢を削っている。
正面突破は危険。
大迂回も危険。
停止すればさらに包囲される。
だが、ここで焦ればアミィ保護区画に負荷がかかる。
ジンは低く言った。
「次の隙を作る。全機、無理に押し込むな。エリシオンを倒す必要はない。盾の向きを一瞬ずらせればいい」
カイトが通信で答える。
『了解』
レータも続く。
『分かったわ』
レイが短く言う。
『なら、次は俺が誘う』
セラが応答する。
『牽制射撃を合わせます』
ミオも、疲れた声ながら言った。
『支援網、もう一度だけ集中します』
その時、エリシオンが盾をさらに大きく展開した。
白灰の防壁が、撤退候補航路の前面へ広がる。
それは、単なる防御ではなかった。
進路そのものを閉ざす壁だった。
三島が叫ぶ。
「エリシオン、防壁最大展開。撤退路、一時遮断!」
ジンの表情が険しくなる。
前方にはエリシオン。
外周にはヘルメス隊。
背後には、アミィを抱えたルクス・ヴァルキュリア。
レオンの声が再び通信に入る。
『これ以上進むな。進めば、こちらは止める』
その声には、迷いがなかった。
カイトはエリシオンを見上げた。
敵だ。
だが、オルフェンとは違う。
そして、違うからこそ簡単には抜けない。
白灰の防壁が、撤退路を完全に塞いだ。
外縁防衛線は、まだ崩れていない。




