第229話 強制再同期
グラトン艦内の観測室に、短い通知音が鳴った。
オルフェンは端末を見る。
本国監察局からの返信だった。
申請項目。
PT-A01アミィに対する強制再同期処置。
許可。
その二文字を見て、オルフェンは満足そうに目を細めた。
「通りましたか」
部下が画面を確認する。
「本国監察局より、強制再同期処置の限定許可。条件は、PT-A01の戦力維持、命令層の再安定化、セレスティア支援波を中継装置として使用すること」
「十分です」
オルフェンは、アミィの反応記録を呼び出した。
『アミィ……わたし……?』
『命令……じゃ……ない……?』
『レ……タ……?』
その声が再生される。
部下は、わずかに視線を伏せた。
オルフェンは気にしなかった。
「強制再同期とは、本人反応を命令層へ再固定する処置です」
彼は、説明するように言った。
「揺れた反応を消すのではありません。命令層の下へ戻す。自己名への過剰反応、外部識別名への応答、命令と異なる返答。それらを再分類し、兵器としての安定状態へ戻す」
部下が慎重に尋ねる。
「成功すれば、PT-A01の揺れは消える可能性があります」
「安定します」
「失敗すれば、本人反応そのものが崩壊する可能性もあります」
「だから、セレスティアを使います」
オルフェンは画面を切り替える。
セレスティア支援波。
命令層。
A系列基本反応。
アミィ本人反応。
それらが白金色の中継構造で結ばれていく。
「セレスティアは、PT-A01を保護しながら命令層へ戻す。今回の再同期には最適です」
部下は、口を閉じた。
それが本当に保護なのか。
命令層へ戻すことが、守ることなのか。
その疑問を口にできる空気ではなかった。
オルフェンは端末に指示を入力する。
「強制再同期準備。セレスティア端末群を第三配置へ移行。命令層固定波を段階的に上げます」
部下が記録する。
「了解。強制再同期準備を開始します」
観測室の画面に、白金色の波形が広がっていく。
グラトン艦橋では、同じ通知がレオンにも届いていた。
強制再同期処置、限定許可。
レオンはその文字を見て、表情を硬くした。
「本国は許可したか」
クラウスが静かに答える。
「はい。監察局権限による処置として承認されています」
「内容は」
「PT-A01アミィ本人反応を命令層へ再固定。セレスティアを中継装置として使用。戦力維持および命令層安定化を目的とする、とあります」
レオンは拳を握った。
「安定化、か」
それは便利な言葉だった。
本人反応を押し込める。
外部への応答を消す。
名前への反応を命令層に沈める。
帝国はそれを安定化と呼ぶ。
「阻止は可能か」
クラウスは少しだけ目を伏せた。
「完全には不可能です。監察局権限でセレスティア端末群へ直接命令が通っています。前線補助回線を遮断しても、処置そのものは止められません」
「遅らせることは」
「一部は可能です。ただし、明確な妨害と見なされます」
「構わん」
即答だった。
クラウスがレオンを見る。
レオンは前線表示を見つめていた。
「防衛線を壊されるわけにはいかない。アミィを壊されるわけにもいかない」
「司令」
「俺は、ルクスを通すつもりはない。敵は敵だ」
レオンは低く言う。
「だが、オルフェンの負荷試験に防衛線を差し出すつもりもない」
クラウスは頷いた。
「では、前線命令は」
「追撃抑制は継続。ヘルメス隊は干渉圏深追い禁止。エリシオンは防衛優先。強制再同期中にアミィ本人反応が不安定化した場合、攻勢を止める」
「了解」
クラウスが記録を進める。
「それと、セレスティア端末群への前線補助回線は、最低限まで絞れ」
「監察局系統は残ります」
「分かっている。完全には止められない。だが、加速はさせない」
レオンは、表示されたアミィの記録をもう一度見た。
『レ……タ……?』
細い声だった。
それを聞いた上で、帝国は再同期を選んだ。
レオンは静かに呟いた。
「沈めるつもりか」
答える者はいなかった。
ルクス・ヴァルキュリアの解析室で、最初に異変に気づいたのはイリスだった。
「アミィ本人反応が……下がっています」
その声に、全員の視線が集まる。
ミオが支援波の表示を確認する。
「セレスティア支援波が厚くなっています。でも、前回の戦闘時とは違います。広がるのではなく、内側へ押し込むような動きです」
リクトが端末を叩く。
「命令層の固定波が上がっている。これは……再同期か?」
黒瀬の表情が険しくなる。
「再同期?」
「本人反応を命令層に戻す処置だ。帝国側の強制処理だとすれば、アミィの揺れを消すつもりかもしれない」
レータが顔を上げる。
「消すって……どういう意味」
リクトは言葉を選んだ。
「アミィが名前に反応した。命令じゃない声を聞いた。その反応を、命令層に再固定する」
「それって」
レータの声が震えた。
「また、声が届かなくなるってこと?」
イリスは画面を見ながら答える。
「このまま進めば、その可能性があります。本人反応が急速に押し込まれています」
ユイの表情が変わる。
「アミィは今、どうなっていますか」
「本人反応が薄くなっています。でも、完全には消えていません。まだ……残っています」
ミオが支援波の内側を見る。
「セレスティアが中継に使われています。アミィを包む支援波が、命令層へ戻す方向に固定されています」
カイトは拳を握った。
「今やられてるんですか」
リクトは頷く。
「おそらく、そうだ」
解析室に緊張が走る。
カナデは、アミィ本人反応の推移を見ていた。
少しずつ薄くなる線。
名前への反応があった部分が、命令層の中へ沈んでいく。
カナデは静かに、しかしはっきりと言った。
「次を待てば、もう声が届かなくなるかもしれません」
その言葉は、部屋の空気を変えた。
レータが一歩前に出る。
「今行くべきでしょ」
黒瀬がすぐに答える。
「即断は危険です」
「でも、待ってたら消えるんでしょ!」
レータの声が大きくなる。
ユイがそっとレータの腕に触れた。
「レータ」
「分かってる。分かってるけど!」
レータは画面を見る。
アミィ本人反応が、少しずつ薄くなっている。
「ようやく呼んだのに。ようやく、自分の名前に反応したのに」
カナデは黒瀬を見る。
「黒瀬さん」
黒瀬は沈黙していた。
端末に、前回までの条件が並んでいる。
本人反応の継続性。
命令と異なる返答。
自己識別への反応。
外部識別名への反応。
救出対象化の条件は、すでに満たしている。
そして今、その本人反応が消されようとしている。
黒瀬は、ゆっくりと息を吐いた。
「救出作戦の即時実行を認めます」
レータが目を見開く。
黒瀬は続けた。
「ただし、条件付きです。目的はアミィ本人反応の保護および命令層再同期の阻止。撃破ではありません。セレスティア本体破壊は避ける。アミィへの直接攻撃は防御・拘束・無力化に限定」
三島が急いで記録する。
「救出作戦、即時実行。条件付き承認」
ジンが立ち上がった。
「全員、作戦準備に入れ」
声が管制室全体に響く。
「PT-A01アミィ救出作戦を開始する」
作戦会議は、短時間で行われた。
時間がない。
アミィ本人反応は、今も押し込まれ続けている。
リクトが状況を説明する。
「帝国側は、セレスティアを中継装置として強制再同期を進めている。放置すれば、アミィ本人反応は命令層に再固定される。成功すれば、もう名前に反応しなくなる可能性が高い」
ミオが続ける。
「支援網で本人反応を保護します。ただし、今回は戦闘中の短時間接触ではありません。再同期の流れに割り込む必要があります。負荷はこれまで以上です」
イリスも言う。
「名前応答キーは使えます。レータさん、ユイさん、アミィ本人反応の波形を目印にします。でも、反応が薄くなっています。早く接続しないと、入口が見えなくなります」
セラが端末配置を表示する。
「支援端末群は第三配置に移行しています。囮も多いですが、再同期に使われている中継端末は通常の支援端末と波形が違います。そこを撃ちます」
レイが頷いた。
「敵機は俺が止める」
カイルが続ける。
『外周と撤退路は俺だ。ヘルメスが動くなら牽制する』
カイトは、アルタイル・ノヴァ・ブレイスの表示を見た。
「俺は通信路を守ります。前回より前に出る必要があるなら、出ます」
黒瀬が即座に言う。
「単独接近は禁止です」
「分かっています。ミオの支援網から外れません」
ジンが頷いた。
「よし」
そこで、ユイが口を開いた。
「ノクス・レクイエムを出してください」
室内が静まった。
黒瀬の表情が鋭くなる。
「危険です」
「分かっています」
アシュの通信が即座に入る。
『駄目だ』
短い。
だが、強い否定だった。
ユイはアシュの通信に向き直る。
「本体出撃が危険なことは分かっています。でも、強制再同期を止めるには、命令層との接続を切る力が必要です。解析室側の補助だけでは足りない可能性があります」
『だから出すなと言っている』
アシュの声は低い。
『ノクス・レクイエムは切断できる。だが、余計なものまで巻き込む。アミィ本人反応も、セレスティア支援波も、命令層も、全部同じ戦場にある』
「だから、主目的を戦闘にしません」
ユイははっきりと言った。
「ノクス・レクイエムは、命令層切断補助として限定出撃させます。主砲級火力は使いません。レクイエム級出力も開きません。通信路の芯と、命令層切断補助だけに限定します」
黒瀬が言う。
「それでも危険です。ユイさんへの負荷もあります。ノクス・レクイエムがセレスティア支援波を誤認した場合、アミィ本人反応を傷つける可能性もあります」
「はい」
「それを理解した上で、出撃を希望しますか」
ユイは一瞬だけ目を伏せた。
アミィは、かつての自分とは違う。
だが、命令層に沈められようとしている姿は、どうしても重なる。
名前に反応した。
命令ではない声を聞いた。
レータを呼んだ。
その声が、消されようとしている。
ユイは顔を上げた。
「希望します」
レータが言う。
「ユイ」
「大丈夫とは言いません。でも、必要です」
アシュはしばらく黙っていた。
そして、短く言った。
『条件を付けろ』
黒瀬が端末を開く。
「ノクス・レクイエム限定出撃条件」
三島が記録準備に入る。
「第一。主目的は戦闘ではなく、命令層切断補助。第二。主砲級火力使用禁止。第三。レクイエム級出力開放禁止。第四。アミィ本人反応への直接干渉禁止。第五。セレスティア本体破壊禁止。第六。ユイさんの負荷上昇、または制御異常を確認した時点で即時撤退」
アシュが追加する。
『第七。俺が切れと言ったら切れ』
黒瀬は一瞬だけ間を置いたが、記録した。
「第七。アシュさんの技術判断による即時遮断権限」
ユイは頷いた。
「認めます」
アシュは短く返す。
『なら出せ』
カイトがユイを見る。
「ユイ、本当に大丈夫か」
「大丈夫とは言えません」
ユイは正直に答えた。
「でも、アミィの声が消える前に行く必要があります」
レータも拳を握った。
「私も行く」
黒瀬が確認する。
「レータさんは呼びかけ役です。突出は禁止」
「分かってる。迎えに行くために、壊しに行くんじゃない」
カナデが頷いた。
「その意識を忘れないでください」
ジンは全員を見渡した。
「作戦を開始する」
その声に、全員が背筋を伸ばす。
「目標、PT-A01アミィ本人反応の保護。強制再同期の阻止。可能であれば、命令層からの一時分離および救出経路の確保」
ジンは一呼吸置いた。
「全機、出撃準備」
格納庫に、警報が鳴った。
アルタイル・ノヴァ・ブレイス。
ルナ・スケイル・リフレクト。
ヴァナルガンド。
フェンリオン・リサイト。
ヴァルクレイド。
レイヴン・ハウル。
そして、隔離区画の奥で、ノクス・レクイエムが起動準備に入る。
黒い外殻に、鈍い光が走る。
ネメシス・レクイエムの残骸を改修した外殻。
その奥に組み込まれた、ノクス・リリスの中核制御。
危険な力。
だが、今必要な力でもある。
ユイは操縦席に座った。
表示される警告は多い。
出力制限。
武装制限。
制御監視。
命令層干渉警戒。
レクイエム級反応封鎖。
アシュの声が入る。
『余計なことはするな』
「はい」
『切るだけだ。壊すな』
「分かっています」
『分かってても言う。壊すな』
ユイは静かに頷いた。
「はい。アミィを助けに行きます」
同じ格納庫で、カイトもアルタイル・ノヴァ・ブレイスに乗り込んでいた。
通信が繋がる。
『カイト』
「ユイ」
『通信路をお願いします』
「任せて」
カイトは操縦桿を握る。
「次は、助けるために戦う」
レータの声も入った。
『アミィを迎えに行くわ』
ユイが答える。
『はい』
格納庫の射出灯が、赤から白へ変わる。
ジンの声が響いた。
『PT-A01アミィ救出作戦、開始』
強制再同期が進む中、ルクス・ヴァルキュリアはついに救出戦へ踏み出した。
もう次を待つ時間はない。
今行かなければ、アミィの声は命令層の奥に沈む。
だから、行く。
名前を呼んだ声が、消される前に。




