第228話 救出対象
ルクス・ヴァルキュリアの解析室では、前回接触戦の記録が再生されていた。
『アミィ……わたし……?』
『命令……じゃ……ない……?』
『レ……タ……?』
何度聞いても、短い声だった。
途切れ途切れで、意味もまだ不安定だった。
だが、その声は命令ではなかった。
イリスは波形を拡大する。
命令層との同期反応。
セレスティア支援波の補正反応。
A系列基本反応。
そして、その奥から浮かび上がった本人反応。
「再確認します」
イリスの声は少し緊張していた。
「PT-A01アミィ本人反応は、レータさんの呼びかけに対して継続的に反応しました。自己名アミィへの反応。レータさんの識別名への反応。命令ではない、という言葉への反応。すべて、命令層と同期していません」
ミオも支援網の記録を重ねる。
「セレスティア支援波は、アミィ本人反応を包むように動いていました。ただし、その包み方は命令層へ戻すためのものでもあります。本人反応を保護しているように見えますが、自由に外へ出すものではありません」
リクトが表示を切り替えた。
「命令層との分離は、一瞬だけ成功した。セラの狙撃で支援波の流れが乱れ、ミオの支援網が本人反応を保護した。その瞬間、アミィは命令と異なる返答を続けた」
カイトは黙って聞いていた。
自分の画面にも、前回の戦闘記録が残っている。
通信路前衛。
判断遅延。
敵機の割り込み。
白く滲む視界。
それでも、ほんの数秒だけ守った道。
その数秒の向こうで、アミィが返した。
アミィ。
わたし。
命令じゃない。
レータ。
それは、戦場で聞こえた声としてはあまりにも小さかった。
けれど、今までのどの砲撃よりも重い意味を持っていた。
レータは、解析画面の前に立っていた。
目を逸らさず、じっと音声記録を見ている。
『レ……タ……?』
その声が再生されるたびに、レータの指がわずかに震えた。
喜びたい。
でも、簡単には喜べない。
アミィは苦しんだ。
命令層に押し戻された。
セレスティアの支援波に包まれ、閉じ込められた。
それでも、呼んだ。
レータの名前を。
黒瀬が端末を開いた。
「作戦分類を更新します」
室内の空気が静かに張り詰めた。
三島が記録準備に入る。
ジンも腕を組んだまま、黒瀬を見る。
カナデはレータの横に立っていた。
ユイは、レータの少し後ろにいる。
黒瀬は、いつものように淡々と読み上げた。
「PT-A01アミィ。これまでの分類は、敵性戦力、および本人意思反応を有する要保護対象候補」
三島が頷く。
「記録確認」
「第227接触記録により、以下を確認」
黒瀬は項目を表示する。
「第一。本人反応の継続性。複数回の呼びかけに対し、命令層と異なる反応を継続」
画面に、アミィの波形が表示される。
『命令……じゃ……ない……?』
「第二。命令と異なる返答。命令文ではなく、外部からの呼びかけに対して疑問形で応答」
次の記録が表示される。
『アミィ……わたし……?』
「第三。自己識別への反応。自己名アミィに対して、明確な本人反応上昇を確認」
さらに、最後の音声。
『レ……タ……?』
黒瀬は一瞬だけ間を置いた。
「第四。外部識別名への反応。レータさんの識別名に対し、本人反応が返答を試みた」
レータは、唇を結んだ。
泣きそうになるのをこらえている。
自分でも分かっていた。
黒瀬は端末に新しい分類を入力した。
「以上により、PT-A01アミィを、敵性戦力から、救出対象を含む要保護対象へ正式変更します」
室内に、静かな息遣いだけが残った。
三島が記録を復唱する。
「PT-A01アミィ。敵性戦力から、救出対象を含む要保護対象へ正式変更」
「ただし」
黒瀬は続けた。
「アミィは依然として高い戦闘能力を有し、命令層下では敵性行動を継続する可能性があります。敵性行動時の防御、拘束、無力化は許可します」
三島が記録する。
「撃破ではなく、防御・拘束・無力化を優先」
「はい。救出対象であることは、危険性がないことを意味しません」
黒瀬はレータを見る。
「レータさん」
「何」
「救出対象になりました。ただし、戦場でアミィが攻撃してきた場合、味方を守るために止めます」
レータは少しだけ目を伏せた。
「分かってる」
「その時、あなたが迷えば、アミィ本人にも危険が及びます」
「分かってる」
今度は、少し強く言った。
だが、怒っているわけではなかった。
「止める。でも、壊さない。助けるために止める」
黒瀬は頷いた。
「その認識で記録します」
レータは、そこでようやく小さく息を吐いた。
目元がわずかに揺れる。
「……救出対象、か」
言葉にすると、実感が遅れてやってきた。
アミィは、もうただの敵ではない。
命令の奥にいる誰かとして、正式に記録された。
救う対象として扱われることになった。
レータは顔を伏せた。
「よかった」
声は小さかった。
ほとんど息のようだった。
ユイが静かに隣へ来る。
「レータ」
「泣いてない」
「はい」
「まだ泣くところじゃない」
「はい」
ユイは否定しなかった。
ただ、レータの横に立っていた。
それだけで、レータは少しだけ呼吸を整えられた。
カナデも穏やかに言う。
「泣くのは、悪いことではありません」
「分かってる。でも、まだ迎えに行けてないから」
レータは画面を見る。
『レ……タ……?』
アミィの声が、もう一度再生される。
「次は、返事しなきゃ」
ユイが頷いた。
「はい。迎えに行きましょう」
作戦会議室に、次の段階の資料が表示された。
タイトルはまだ仮称だった。
PT-A01アミィ救出作戦。
その文字が、全員の前に映し出されている。
ジンが口を開いた。
「ここからは、確認作戦ではない。救出作戦の準備に入る」
全員が表情を引き締める。
ジンは続けた。
「ただし、即時突入ではない。アミィを救出するには、セレスティア支援波、帝国命令層、外縁防衛線、そのすべてを突破する必要がある」
リクトが説明を引き継いだ。
「技術的な最大の課題は、セレスティア命令層との分離だ」
画面に四層構造が表示される。
帝国命令層。
セレスティア支援波。
A系列基本反応。
アミィ本人反応。
「アミィ本人反応は確認できた。命令と異なる返答もあった。だが、本人反応が浮上するたびに命令層が押し戻す。セレスティアはそれを保護するように包みながら、同時に命令層へ戻している」
カイトが言う。
「檻みたいに、ですよね」
「そうだ」
リクトは頷く。
「だから、セレスティア本体を壊せばいいわけじゃない。アミィ本人反応を支えている部分まで崩れる危険がある。次に必要なのは、命令層との接続を一定時間剥がすことだ」
ミオが自分の支援網記録を表示する。
「保護通信路第二段階で、短時間なら本人反応を守れます。ただし、負荷が大きいです」
彼女の声には疲労が混じっていた。
「前回は数秒です。次に救出作戦として使うなら、最低でもその倍以上は維持する必要があります。ですが、支援網密度を上げるほど、私の機体にも負担がかかります」
ユイが心配そうに言う。
「ミオ、無理はしないでください」
「はい。無理をしないために、作戦時間を短くする必要があります」
セラが続けた。
「支援端末の中枢を見つける必要があります」
画面に、端末群の配置図が表示される。
「前回は命令層負荷を増幅する端末を撃ち抜きました。ただし、端末は多数あります。囮も増えています。救出作戦では、通信路を開く端末だけでなく、命令層への押し戻しを制御している中枢を特定する必要があります」
レイが腕を組む。
「中枢を撃てば、支援波が全部消えるのか」
「分かりません」
セラは正直に答えた。
「完全に消すのではなく、流れをずらすのが目的です。撃ちすぎれば、アミィ本人反応を支えている部分も崩れる可能性があります」
カイルが通信越しに笑う。
『つまり、壊すんじゃなくて、扉の蝶番だけ撃つようなもんか』
リクトが少し苦笑する。
「乱暴な例えだが、近い」
『なら、周りの邪魔はこっちで引き受ける。俺は撤退路を見る』
レイも頷いた。
「俺は救出時の前衛と敵機牽制だな。アミィを止める必要が出た時も、壊さずに動きを止める」
カイトが顔を上げる。
「俺は通信路を守ります」
ジンが見る。
カイトは続けた。
「前回、数秒だけでした。でも、その数秒で声は届きました。次は助けるために戦います。倒すためじゃなくて、連れ戻すために」
黒瀬が確認する。
「カイトさん。救出対象であっても、アミィが攻撃してくる可能性があります」
「分かっています」
「その時、迷えば味方が危険になります」
「迷わないように、止める方法を考えます」
カイトははっきりと言った。
「助けるために、止めます」
黒瀬は少しだけ間を置いて、頷いた。
「記録します。アルタイル・ノヴァ・ブレイスは、救出作戦時の通信路防衛および非致死的制圧候補」
三島が記録する。
ジンは全員を見渡した。
「各担当は救出作戦案をまとめろ。次の接触ではなく、次は救出だ。準備不足で突入することは認めん」
全員が頷く。
「リクト、ミオ、イリス。セレスティア命令層分離案を詰めろ」
「了解」
「セラ。支援端末中枢の特定方法をまとめろ」
「はい」
「カイト、レイ、カイル。救出時の前衛、妨害排除、撤退経路確保を想定して訓練」
「了解」
『任せろ』
「ユイ、レータ、カナデ。呼びかけ内容と、アミィ本人反応の負荷を見た時の停止判断を詰める」
レータは頷いた。
「分かった」
ジンは最後に、黒瀬を見る。
「監査記録上の問題は」
「あります」
黒瀬は即答した。
「救出対象化したとはいえ、対象は敵性戦力であり、帝国防衛線の一部です。救出作戦は、実質的に敵中枢からの対象奪取になります」
「承知の上だ」
「ただし、本人意思反応が確認されている以上、無視して撃破するよりも救出を試みる合理性はあります」
黒瀬は端末を閉じた。
「条件付きで、救出作戦準備を認めます」
ジンは頷いた。
「よし。準備に入れ」
会議が終わる。
だが、誰もすぐには動かなかった。
画面に表示された文字を見ていた。
PT-A01アミィ救出作戦。
それは、アミィ編の局面が変わったことを示していた。
もう確認ではない。
もう、ただ名前を届けるだけではない。
次は、迎えに行く。
会議後、レータは解析室に戻っていた。
画面には、アミィの声が残っている。
『レ……タ……?』
レータは、それをもう一度聞いた。
何度聞いても、胸の奥が締めつけられる。
ユイが隣に来る。
「レータ」
「うん」
「大丈夫ですか」
「大丈夫じゃないかも」
レータは正直に言った。
「嬉しいのに、怖い。救出対象になったのに、まだ助けられてない。次は迎えに行くって決まったのに、失敗したらどうしようって思う」
ユイは静かに聞いていた。
レータは続ける。
「でも、アミィが呼んだの。私を。レータって。正確にはまだ、レ……タ……? だったけど」
「はい」
「それだけで、もう駄目ね。助けたいって気持ちが止まらない」
ユイは少しだけ目を伏せた。
「止めなくていいと思います」
「いいの?」
「はい。ただ、急がせすぎないようにすればいい」
レータは小さく笑った。
「それ、難しいわね」
「はい。難しいです」
「ユイも、難しいって言うんだ」
「言います」
二人は少しだけ笑った。
レータの目元には、まだ涙が浮かんでいた。
だが、こぼれなかった。
泣くのは、迎えに行ってから。
そう決めているようだった。
グラトン艦内の観測室では、オルフェンが前回の記録を再解析していた。
画面には、アミィ本人反応の急上昇が表示されている。
『アミィ……わたし……?』
『命令……じゃ……ない……?』
『レ……タ……?』
オルフェンは、その波形を見つめていた。
「想定より深く揺れましたね」
部下が報告する。
「第三負荷実行後、命令層は一時的に再固定しました。しかし、レオン司令による前線補助回線遮断により、補正速度が低下。その隙に、PT-A01本人反応が外部識別名へ応答しています」
「レオン司令の介入は余計でした」
オルフェンは淡々と言った。
部下は何も言わない。
オルフェンは別の画面を開く。
そこには、本国監察局への報告書が表示された。
報告項目。
PT-A01本人反応の強化。
自己名への明確反応。
外部識別名への反応。
命令層再固定の不安定化。
セレスティア補正の過負荷兆候。
前線指揮官レオンによる観測阻害。
オルフェンは、最後に新しい要請項目を入力した。
強制再同期処置の許可申請。
部下が思わず顔を上げる。
「強制再同期、ですか」
「はい」
オルフェンは静かに答えた。
「このままルクス側の呼びかけを受け続ければ、PT-A01の本人反応はさらに浮上する。命令層との分離が進む可能性があります」
「それを防ぐために」
「再固定します」
オルフェンの声には、迷いがなかった。
「本人反応を命令層へ再同期させる。自己名への過剰反応、外部識別名への応答、命令と異なる返答。それらを再分類し、命令層下へ戻す」
部下は少しだけ声を低くした。
「成功すれば、PT-A01の揺れは消えます」
「安定します」
「失敗すれば」
「壊れる可能性があります」
オルフェンは平然と言った。
「だからこそ、本国許可が必要です」
彼は申請文を確定する。
「PT-A01アミィ、命令層不安定化。ルクス側接触により本人反応が過度に浮上。戦力維持および観測継続のため、強制再同期処置の許可を要請」
送信確認が表示される。
オルフェンは迷わず、送信した。
観測室に、短い電子音が響く。
申請は本国監察局へ送られた。
オルフェンは、アミィの声をもう一度再生する。
『レ……タ……?』
その声を聞いても、彼の表情は変わらない。
「次に揺れる前に、固定しましょう」
白金色の波形が、画面の中で静かに震えていた。




