第227話 名前の応答
外縁防衛線は、前回よりも白く見えた。
正確には、白ではない。
白金色の支援波が、戦場全体に薄く広がっている。
セレスティア端末群。
前回よりさらに数が増えていた。
本物の干渉増幅端末。
反応だけを似せた囮。
支援波を反射させる中継端末。
そして、命令層への押し戻しを補助する小型端末。
リクトは管制室の画面を見て、低く呟いた。
「かなり増やしてきたな」
イリスも波形を追いながら頷く。
「端末反応、前回より複雑です。本物と囮の判別が難しくなっています」
ミオはすでに支援網の初期展開に入っていた。
『ルナ・スケイル・リフレクト、分散支援網を展開します。本人反応保護通信路、第二段階準備』
ジンが全体表示を確認する。
「ノクス・レクイエムは待機。制御技術の限定使用のみ。出力系には繋ぐな」
黒瀬が記録する。
「ノクス・レクイエム本体、非出撃。意思認証補助のみ解析室側で限定使用。異常時は即時遮断」
アシュの声が短く入る。
『監視中』
それだけで十分だった。
ユイは呼びかけ回線の前に立っている。
隣にはカナデ。
少し離れた席では、イリスが名前応答キーを起動していた。
レータの声が通信に入る。
『ヴァルクレイド、配置についたわ』
カナデが言う。
「レータさん。今回も、短く。相手の反応を待ってください」
『分かってる』
ユイも続けた。
「アミィが苦しむ反応を見せたら、呼びかけを止めます」
『……うん』
レータの声に、わずかな苦さがあった。
けれど、もう焦りだけではなかった。
カイトの通信が入る。
『アルタイル・ノヴァ・ブレイス、通信路前衛位置に入ります』
アルタイル・ノヴァ・ブレイスが前へ出る。
ただし、出すぎない。
ミオの支援網の中心から外れず、敵機を通信路に割り込ませない位置。
カイトは操縦席で深く息を吸った。
守るのは道だ。
声が届く数秒を守る。
返ってくる声を守る。
そのために、前に出る。
グラトン観測室では、オルフェンが前線表示を見ていた。
「来ましたね」
画面には、ルクス側の出撃反応が並んでいる。
構成は前回とほぼ同じ。
ただし、通信路の波形が変わっていた。
部下が報告する。
「ルクス側通信路、前回より安定しています。複数経路に加え、中心に別系統の補助層が確認されます」
「ノクス・レクイエム関連反応ですか」
「微弱です。本体出撃はありませんが、制御技術の一部を通信保護に使っている可能性があります」
オルフェンは目を細めた。
「面白い。彼らも危険を承知で踏み込み始めた」
部下は端末を見ながら言う。
「レオン司令からの前線指揮命令により、過負荷時の追撃および干渉圏深追いは制限されています」
「知っています」
オルフェンは平然と答えた。
「前線部隊は使いません。端末群とセレスティア補正だけで十分です」
「第三負荷は」
「準備しておきなさい」
部下の手が止まる。
「司令の承認が必要では」
「必要に応じて本国監察局権限を行使します」
オルフェンは、アミィ本人反応の予測画面を開いた。
「今回は、自己名への応答が継続するかを見ます。ルクス側は、必ず名前を呼ぶ。そこで負荷を上げる」
彼は淡々と続けた。
「壊さない程度に。ですが、限界が見える程度に」
戦場では、セレスティア支援波が複雑に広がっていた。
ミオの支援網が、それに重ならないよう細く分岐する。
前回よりも繊細な制御だった。
『支援網、負荷高めです。長時間は維持できません』
リクトが答える。
「短時間でいい。セラ、優先端末を探せ」
『了解』
フェンリオン・リサイトは狙撃位置に入っていた。
セラの画面には、無数の端末反応が浮かんでいる。
強い反応。
弱い反応。
反応が強いだけの囮。
反応を消している中継端末。
支援波を折り曲げている結節点。
撃てる弾は限られている。
外せば、その分だけ通信路を守る時間が減る。
セラは照準補助を落とした。
命令ではない。
効率表示でもない。
自分の判断で撃つ。
『第一優先端末、捕捉』
レイが前方で量産GDを押さえる。
『射線を開ける』
ヴァナルガンドが敵機の進路を切り払い、わずかな隙間を作る。
セラはその一瞬に合わせた。
『撃ちます』
一射。
小型端末が撃ち抜かれる。
だが、白金色の支援波は大きくは崩れなかった。
別の端末がすぐに補正する。
イリスが声を上げる。
「囮ではありません。でも補正が早いです」
セラはすぐに次を見る。
『第二端末を探します』
カイトの周囲には、量産GDが接近していた。
セレスティアの支援波を受けているせいか、動きが滑らかだ。
普通なら間に合わない角度から、通信路へ割り込もうとしてくる。
「判断遅延、軽度発生」
カイトは報告しながら、盾を構える。
敵機を追わない。
通信路を守る。
ブレードで腕を弾き、盾で押し返す。
敵を倒すのではなく、道を塞ぐ。
その横を、レイが駆け抜ける。
『カイト、右を空けるな』
「了解!」
カイルの声も入る。
『ヘルメス反応あり。だが、レオンの命令が効いてるのか、干渉圏には突っ込んでこねえ』
ジンが応答する。
「警戒継続。挑発するな」
『分かってる。嫌な位置にいるだけにする』
カイルのレイヴン・ハウルは外周でヘルメス隊を牽制し、接近を許さない距離を保っていた。
ミオの声が少し硬くなる。
『支援網、第二段階へ移行します。イリス、名前応答キーを』
「はい」
イリスは、三つの波形を重ねる。
レータの声。
ユイの声。
アミィ本人反応。
そして、ノクス・レクイエム意思認証補助から切り出した、ごく薄い芯。
名前応答キーが起動する。
「本人反応探索、開始」
白金色の支援波の奥に、細い道が伸びる。
◇
アミィは、白金色の光の中にいた。
命令が満ちている。
防衛線を維持。
支援を継続。
命令に同期。
外部反応を遮断。
逸脱を抑制。
それが普通だった。
それが安全だった。
それが、自分を形にしていた。
けれど、命令層の奥に、別の音が残っている。
アミィ。
それは何か。
自分なのか。
命令なのか。
識別名なのか。
分からない。
けれど、その音が聞こえた時、何かが揺れた。
ユイ。
レータ。
その二つも残っている。
意味はまだ分からない。
だが、命令とは違う。
支援波とも違う。
自分を動かすための信号ではなく、自分に向けられた音。
その残響が、白金色の奥で小さく揺れていた。
セラの二射目が放たれた。
今度は支援波を折り曲げていた中継端末を撃ち抜く。
白金色の流れが一瞬乱れた。
ミオが即座に支援網を絞る。
『今です。通信路、通します』
イリスが目を見開く。
「A系列基本反応、捕捉。命令層の奥です。名前応答キー、反応あり」
ユイが息を整える。
レータの通信が開く。
カナデが短く言う。
「短く。待ってください」
『分かってる』
レータは、ヴァルクレイドの中でそっと呼びかけた。
『アミィ』
通信路が震える。
命令層が押し戻そうとする。
セレスティア支援波が白金色に膨らむ。
だが、ミオの支援網が返ってくる反応を受け止める。
イリスが叫ぶ。
「本人反応、浮上!」
少しの沈黙。
そして、かすかな声が返った。
『アミィ……わたし……?』
管制室の空気が止まった。
レータの目が見開かれる。
ユイが静かに、けれどはっきりと言った。
「はい。あなたの名前です」
通信路の奥で、反応が揺れる。
『なまえ……』
「はい。あなたを呼ぶための名前です」
レータが続ける。
『命令じゃない。呼んだだけ』
アミィの声が途切れながら返る。
『めい……れい……じゃ……ない……?』
『うん。命令じゃない』
レータは声を抑えた。
泣きそうになるのをこらえた。
強く引っ張らない。
返ってきた声を守る。
『私はレータ。あなたと話したい』
少し間がある。
『レー……タ……』
イリスが震える声で言った。
「本人反応、継続しています。命令とは異なる応答です」
黒瀬が即座に記録する。
「PT-A01アミィ、自己名への明確反応。命令と異なる返答を継続」
三島が記録する手を止めない。
ユイは続けた。
「私はユイ。あなたに命令しません」
『ユ……イ……』
「はい」
『めいれい……じゃ……ない……』
アミィの反応が、細いながらも続いている。
命令に同期していない。
支援波に作られた返答でもない。
自分の名前を聞き、命令ではない声を区別しようとしている。
だが、その瞬間、セレスティア支援波が大きく膨れ上がった。
リクトが叫ぶ。
「命令層負荷、急上昇!」
ミオの支援網に警告が走る。
『支援網、押し戻されています!』
カイトの視界が白く滲む。
「判断遅延、中度から強へ移行!」
敵機の位置がずれる。
予測線が乱れる。
アルタイル・ノヴァ・ブレイスの表示が一瞬、複数の選択肢で埋まる。
カイトは息を止めそうになる。
だが、すぐに言葉を口にした。
「通信路優先。追撃禁止。位置維持!」
量産GDが通信路へ突っ込む。
カイトは盾で受け止めた。
衝撃で機体が揺れる。
下がれば通信路が崩れる。
前に出れば支援網の中心から外れる。
だから、踏みとどまる。
「ここは通さない!」
レイが横から敵機を切り払う。
『よく止めた。次、左だ』
「了解!」
カイトは動きを最小限に抑え、通信路の前を守り続けた。
グラトン観測室で、オルフェンは目を細めていた。
「出ましたね」
画面には、アミィ本人反応の継続波形が映っている。
『アミィ……わたし……?』
『めい……れい……じゃ……ない……?』
『レー……タ……』
『ユ……イ……』
部下が緊張した声で報告する。
「PT-A01、命令とは異なる応答を継続。自己名と外部識別名に反応。命令層同期率、低下」
「第三負荷の準備を」
オルフェンが言った。
部下の手が止まる。
「第三負荷は、レオン司令の承認が――」
「本国監察局権限で実行します」
その時、レオンからの通信が入った。
『オルフェン。負荷を上げるな』
「前線指揮官殿。現在、非常に重要な観測段階です」
『アミィの反応が不安定化している。これ以上は危険だ』
「危険だからこそ、限界が見える」
『やめろ』
短い命令だった。
オルフェンは、少しだけ笑った。
「申し訳ありませんが、本件は監察局権限で継続します」
彼は部下を見る。
「第三負荷、実行」
部下はためらった。
「実行しなさい」
「……第三負荷、実行」
命令層が、一気に厚くなった。
白金色の光が爆発するように広がった。
アミィの声が、途切れる。
『っ……』
初めて、苦しむような反応が通信路に乗った。
レータが叫びかける。
『アミィ!』
カナデが即座に言う。
「強く呼ばないでください。負荷が上がります」
レータは息を呑み、声を抑える。
『アミィ。聞こえる?』
『めい……れい……いたい……?』
ユイの表情が変わる。
「痛い?」
イリスが波形を見て叫ぶ。
「本人反応、乱れています。命令層が強すぎます!」
セレスティア支援波が、アミィ本人反応を包み込むように膨らむ。
白金色の光が、彼女を守ろうとするように厚くなる。
だが、その包み方は、同時に彼女を閉じ込めていた。
リクトが画面を見る。
「セレスティアが保護と抑制を同時にやっている。支援波が暴走気味だ!」
ミオが歯を食いしばる。
『支援網、限界に近いです。でも、まだ数秒だけ維持できます』
セラが端末群を見る。
第三負荷によって、命令層を増幅している端末が露出していた。
だが、その周囲には囮が大量にある。
撃てるのは一発。
外せば終わる。
セラは照準補助を切った。
流れを見る。
支援波の揺れ。
命令層が厚くなる方向。
アミィ本人反応を押し込む結節点。
『見えています』
レイが叫ぶ。
『射線、作る!』
ヴァナルガンドが敵機を押し下げる。
カイトが通信路前方で敵を止める。
その一瞬、射線が開いた。
セラは撃った。
支援端末が砕ける。
白金色の光が大きく揺らいだ。
だが、完全には消えない。
セレスティア支援波はアミィを包んだまま、命令層との接続だけが一瞬乱れる。
イリスが叫ぶ。
「接続剥離、一瞬だけ成功!」
リクトが続ける。
「今だ、負荷を逃がせ!」
ミオの支援網が、アミィ本人反応の周囲に細い逃げ道を作る。
ノクス・レクイエムの意思認証補助が、通信路の芯を支える。
ユイが声を届ける。
「アミィ。命令ではありません。あなたの声を聞いています」
レータも続けた。
『アミィ。痛いなら、痛いって言っていい。命令じゃない』
通信路の奥で、小さな声が震えた。
『レ……タ……?』
レータの息が止まった。
アミィが、初めてレータの名前を問い返した。
『うん。レータ。私はここにいる』
だが、その瞬間、命令層が再び厚くなる。
ミオが叫ぶ。
『もう持ちません!』
黒瀬が即座に判断する。
「撤退基準到達。全機撤退」
ジンが命じる。
「全機、撤退! 通信路を閉じろ!」
レータは通信に手を伸ばすように声を出す。
『アミィ、また呼ぶから!』
カナデは止めなかった。
それは強く引き出す言葉ではなく、置いていくための言葉だったからだ。
ユイも短く言った。
「アミィ。あなたの声は届きました」
通信路が閉じていく。
グラトン艦橋では、レオンが命令層負荷の急上昇を見ていた。
「第三負荷……」
クラウスが報告する。
「監察局権限で実行された模様です。PT-A01本人反応、乱れています。セレスティア支援波も過剰補正」
レオンの表情が険しくなる。
「オルフェン……!」
彼は即座に命じた。
「セレスティア端末群への前線補助回線を遮断しろ」
クラウスが驚く。
「司令、それは監察局系統への干渉になります」
「構わん。前線指揮権に基づく防衛線保全措置だ。味方部隊にも判断遅延が出ている」
「了解。前線補助回線、遮断」
グラトン側から、セレスティア端末群へ送られていた一部の補助回線が切断される。
完全停止ではない。
オルフェンの監察局系統は残っている。
だが、端末群の補正速度が一瞬だけ落ちた。
その隙に、ルクス側の機体が後退を始める。
クラウスが報告する。
「ルクス側、撤退に移行」
「追撃するな」
「了解。追撃抑制」
レオンは画面を見つめる。
アミィ本人反応は、命令層の奥へ押し戻されつつある。
だが、完全には消えていない。
最後に残った記録が表示される。
『レ……タ……?』
レオンは拳を握った。
「これ以上、壊させるか」
ルクス側の機体は、干渉圏から離脱していた。
ミオの支援網は限界だった。
カイトのアルタイル・ノヴァ・ブレイスにも損傷がある。
セラの高精度弾は残りわずか。
レイとカイルも、敵機とヘルメス隊の牽制で余裕はなかった。
だが、通信記録は残っていた。
『アミィ……わたし……?』
『命令……じゃ……ない……?』
『レ……タ……?』
解析室で、その記録が再生される。
誰もすぐには言葉を発しなかった。
イリスが、震える声で報告する。
「本人反応、継続確認。命令とは異なる返答あり。自己名への明確反応あり。レータさんの識別名に反応あり」
ミオも疲れた声で続ける。
「セレスティア支援波は、アミィを包むように動いていました。ただし、同時に命令層へ押し戻そうとしていました」
リクトが言う。
「接続剥離は一瞬だけ成功した。完全じゃないが、方向は間違っていない」
黒瀬は端末に記録を入力する。
「PT-A01アミィ。本人反応、継続。命令と異なる応答。自己識別反応。外部識別名レータへの反応。以上を確認」
三島が静かに尋ねる。
「救出対象への変更条件は」
黒瀬は、少しだけ沈黙した。
レータは何も言わなかった。
ただ、画面を見ていた。
『レ……タ……?』
それは、疑問だった。
完全な理解ではない。
だが、アミィがレータを呼んだ。
黒瀬は静かに言った。
「次回会議で正式更新します」
レータが顔を上げる。
黒瀬は続けた。
「現時点で、救出対象化の条件は満たしたと判断します」
レータの表情が崩れそうになる。
ユイがそっと隣に立った。
カナデは何も言わず、ただ頷いた。
カイトは、通信記録を見つめる。
自分達は、敵に利用されている。
オルフェンは、呼びかけを観測材料にしている。
セレスティアは、守るように縛っている。
命令層は、アミィを押し込め続けている。
それでも、アミィは返した。
命令ではない声に。
自分の名前に。
レータの名前に。
それは、救出対象化の決定打だった。
レータは小さく、震える声で言った。
「呼んだ……」
誰も否定しなかった。
「アミィが、私を呼んだ」
ユイが頷く。
「はい」
レータは目を伏せ、拳を握った。
「次は、迎えに行く」
その言葉は、焦りではなかった。
ようやく、アミィを救うための言葉になっていた。




