第21話 PT脱走事件 ~side Yui~
研究区画を出たあとも、ユイはしばらく無言だった。
隣を歩くセラも何も言わない。二人の間には、重苦しい沈黙だけが残っていた。
やがて、セラが小さく口を開く。
「……怒ってる?」
ユイは少しだけ目を細めた。
「今さら?」
「そうだよね」
セラは苦笑する。その笑い方は昔と変わっていなかった。
だから余計につらい。二人は研究区画の外にある展望通路へ出る。
窓の外には、巨大戦艦群と無数の輸送艦が並んでいる。
その奥では、GD部隊が淡々と整備されていた。
帝国は変わっていない。少なくともユイには、十年前と同じ場所に戻ってきたように見えた。
「ユイ」
「ん?」
「地球はどうだった?」
その問いに、ユイは少しだけ考え込む。
どうだったか。
食堂、整備班、アーク・ノア、カイト。
短い時間だったはずなのに、思い浮かぶものは多かった。
「……普通だった」
「普通?」
「朝起きて、ご飯食べて、くだらない話して、帰ったらまた次の日が来る」
ユイは小さく笑った。
「でも、嫌じゃなかった」
セラは黙って聞いている。その横顔が少しだけ寂しそうに見えた。
「そっか」
それだけ言う。その瞬間、ユイの脳裏に昔の光景が浮かんだ。
十年前。まだ帝国研究区画にいた頃。
研究施設の居住区画。
狭い部屋に、ミオとレイが転がっている。
『起きて』
幼いユイが二人を揺する。
『訓練遅れる』
『あと五分』
レイが布団を被る。
『十分前も聞いた』
『じゃああと十分』
『増えてる』
ミオが眠そうに笑った。
まだ幼かった頃のミオは、今よりずっと感情が顔に出ていた。
レイは寝起きが悪く、レータはいつも誰かを急かしていた。
イリスだけは朝から静かで、よく窓の外を見ていた。
そんな他愛もない違いを、ユイはぼんやり覚えていた。
研究施設の中で、それだけが“普通の子供達”みたいだったからだ。
そんな何でもないやり取りの途中で、扉が開いた。
セラは少し遅れて部屋へ入ってきた。
まだ幼かった頃のセラは、人の輪へ入るのがあまり得意ではなかった。
だからいつも少し離れた位置から、ユイ達を見ている事が多かった。
『ほら、朝食持ってきたわよ』
篠宮カナデだった。その後ろには鷹宮リクトもいる。
カナデは研究員の中では珍しく、PT達を番号ではなく名前で呼ぶ人だった。
『ちゃんと食べないと午後も倒れるわよ』
そう言いながら世話を焼くカナデの姿を、ユイは今でも覚えていた。
リクトは無愛想だったが、訓練後に壊れた端末を黙って修理してくれる事が多かった。
『……無茶するな』
短い言葉しか言わないが、それでも他の研究員達とは少し違っていた。
幼いユイは、その光景を少し離れた場所から見ていた。
訓練、検査、適性試験。
毎日繰り返される研究員達の言葉よりも、こういう時間のほうが強く記憶に残っている。
ミオが笑って、レイが文句を言って、レータが騒いで、イリスが静かに聞いている。
それだけで、自分達は“兵器”ではなく仲間なのだと思えた。
『今日は適性試験の日だから無理しないように』
『カナデ、それ毎回言ってる』
『毎回無理する子がいるからよ』
その視線がユイへ向く。ユイは少しだけ目を逸らした。
『……大丈夫』
『大丈夫じゃないから言ってるの』
カナデが呆れたように笑う。その時間が、ユイは好きだった。
番号ではなく、名前で呼ばれる時間だったから。――視界が現在へ戻る。
「ユイ?」
「……なんでもない」
セラはそれ以上聞かなかった。代わりに、静かに前を見つめる。
やがて小さく呟いた。
「私、あの日ずっと後悔してた」
ユイの動きが止まる。
「PT脱走事件の日」
セラはゆっくり続けた。
「あの時、私も行けばよかったって」
「でも怖かった」
「失敗したら終わると思った」
その声は震えていた。
「だから残った」
「なのに結局、研究所も変わらなかった」
ユイは静かに聞いていた。責める気にはなれない。
あの日は誰も余裕なんて無かった。警報が鳴り響いていた。
研究区画では戦闘が始まっていた。
ヴァイス・クロムウェルは冷えた声で追撃命令を出していた。
帝国側研究主任の一人であり、感情より結果を優先する男だった。
『PT-Y01の確保を最優先』
『感情暴走個体は排除しろ』
ヴァイス達が追撃部隊を動かしたせいで、脱出予定は完全に崩壊していた。
ユイは今でも覚えている。格納庫へ走る途中、レータが叫んでいた。
レータは当時から誰よりも行動が早かった。
怖がる暇があるなら動け。
そんな性格だったから、混乱した格納庫でも真っ先に皆を引っ張っていた。
『急げ!』
『追撃が来る!』
イリスは震えながらワープ座標を調整していた。
イリスは元々、戦闘向きではなかった。
だからこそ、誰よりも裏方の仕事を覚えようとしていた。
震える手で端末を握りながら、それでも最後まで逃げなかった。
『駄目……!』
『妨害が強すぎる!』
『座標が安定しない!』
その横で、ミオが必死に制御端末を操作している。
少し離れた医療区画では、エルマ・ディクセンが負傷者対応に追われていた。
『そっちの搬送を急いで!』
『まだ生きてる、諦めるな!』
厳しい口調だったが、最後までPT達を見捨てようとはしなかった。
幼い頃から面倒見が良かったミオは、混乱の中でも真っ先に周囲を見ていた。
誰かが遅れていないか。
誰かが取り残されていないか。
そんな事ばかり気にしていた。
レイは昔から真っ直ぐだった。
不器用なくらい感情が顔に出る。
だからこそ、あの時の怒鳴り声にも恐怖より焦りのほうが強く混ざっていた。
レイはGDへ乗り込みながら叫んだ。
『ユイ!』
『先に行くぞ!』
しかし、ユイは振り返った。格納庫隔壁が閉じ始めていた。
追撃部隊が来る。誰かが残らないと間に合わない。
アルベルト・ルーメンは閉じていく隔壁を見ながら、小さく呟いていた。
PT開発主任の一人だった彼は、最後までユイ達を兵器として割り切れなかった。
『……逃げろ』
『せめて、お前達だけでも』
『私が止める』
『はぁ!?』
レイが怒鳴る。
『馬鹿言うな!』
『時間が無い』
ユイは静かに答えた。不思議と怖くはなかった。
ただ、みんなを逃がさないといけないと思った。
『絶対あとで合流する』
そう言って、ユイはGDを反転させた。
その時だった。
『PT-Y01を確保しろ』
通信が響く。ヴァイス・クロムウェルの声だった。
その直後、無数のGDが格納庫へ突入してきた。
レオニス・ハルトは警備隊へ怒鳴っていた。
彼は、帝国へ協力しながらも最後まで迷いを捨て切れていなかった。
『撃ち過ぎるな!』
『まだ中に子供達がいる!』
ユイは一人で前へ出る。光が交差する。
爆発音が響いた。
その向こうで、ミオ達の機体がワープゲートへ飛び込んでいった。
最後に見えたのは、泣きそうな顔をしていたセラだった。――そこで回想が途切れる。
気づけば、ユイは強く拳を握っていた。
セラが小さく呟く。
「……ごめん」
ユイはゆっくり首を横に振った。
「今さら謝らなくていい」
「でも」
「それより」
ユイは前を見る。巨大な帝国艦隊。研究区画。
眠る量産型PT。
「止めないと」
その声には、はっきりとした怒りが混ざっていた。




