第224話 前線指揮官の線
グラトン艦橋では、前回接触戦の記録が再生されていた。
ルクス側の限定出撃。
ミオの分散支援網。
セラによる支援端末の狙撃。
アルタイル・ノヴァ・ブレイスによる通信路前衛。
そして、PT-LとPT-Yによる呼びかけ。
レオンは、艦長席の前に立ったまま映像を見ていた。
『私はレータ』
『命令じゃない』
『あなたは、私の代わりじゃない』
『私はユイ』
『アミィ。あなたの名前です』
その後、波形が跳ねる。
『アミィ……?』
艦橋に、その細い声が流れた。
レオンは無言だった。
ただ、拳だけがわずかに握られている。
クラウスが横から報告する。
「PT-A01、自己名への反応を確認。命令層同期率は一時的に低下。その直後、セレスティア支援波と命令層によって再固定されています」
「再固定、か」
レオンの声は低かった。
「そう呼べば聞こえはいいな」
クラウスは返答に詰まった。
記録上は、再固定。
命令層の安定化。
戦力状態の維持。
だが、目の前の映像に映っているものは、それだけではなかった。
名前に反応したものを、上から押し潰す。
わずかに浮かび上がった意思を、命令層へ沈める。
それを、帝国は戦力維持と呼ぶ。
レオンは画面を見つめた。
「もう一度だ」
クラウスが操作する。
同じ音声が再生される。
『アミィ……?』
疑問。
戸惑い。
命令ではない揺れ。
レオンは、その声を聞いて眉間に皺を寄せた。
「兵器として設計されたものが、名前に反応する」
クラウスは静かに答える。
「はい」
「そして、それを観測対象として扱う」
「本国監察局は、そう判断しています」
「本国監察局、か」
レオンは短く吐き捨てるように言った。
彼はルクスを敵として見ている。
それは変わらない。
防衛線を突破しようとするなら止める。
グラトン、エリシオン、外縁防衛線を脅かすなら迎撃する。
帝国の前線指揮官として、その判断は揺るがない。
だが、それとオルフェンの実験に乗ることは別だった。
「クラウス」
「はっ」
「前線部隊内の反応は」
クラウスは一瞬だけ迷った。
だが、隠しても意味がないと判断したのか、端末を開く。
「セレスティア干渉圏への再投入について、一部部隊から懸念が出ています」
「一部、か」
「はい。特に通信支援班と無人機制御班です。前回の負荷上昇時、味方側の判断補助にも乱れが出ました」
レオンは画面を切り替えさせる。
帝国側の量産GD部隊にも、確かに反応遅延が出ていた。
ルクス側ほどではない。
だが、セレスティアの支援波は敵味方を完全に分けているわけではない。
クラウスは続ける。
「ヘルメス隊からも、干渉圏への深追いは避けたいとの意見が出ています」
「ヘルメスが?」
「はい。高速機動中に判断補助が乱れると、機体制御に影響が出るとのことです。特にセレスティア端末群の第二配置以降、支援波の反射が読みにくくなっていると」
レオンは小さく息を吐いた。
ヘルメス隊は臆病な部隊ではない。
むしろ、危険域へ踏み込むことを前提にした高機動部隊だ。
そのヘルメスが嫌がる。
それだけ、セレスティアの干渉は戦場全体を歪め始めている。
「前線全体が、実験場にされているな」
レオンの声は静かだった。
だが、そこには怒りがあった。
クラウスは何も言わなかった。
その時、艦橋の扉が開く。
オルフェンが入ってきた。
「記録確認中でしたか」
彼はいつものように薄い笑みを浮かべていた。
「ちょうど良い。次回接触時の観測計画を共有しに来ました」
レオンは振り返る。
「観測計画ではない。負荷試験だろう」
「表現の違いです」
「違わない」
艦橋の空気が張り詰める。
オルフェンは気にした様子もなく、端末を前方表示に接続した。
アミィ本人反応。
命令層負荷。
セレスティア支援波補正。
自己識別反応。
そこに、次回の負荷段階が重ねて表示される。
「次回、ルクス側はさらに深い呼びかけを行う可能性が高い。PT-Lの呼びかけは効果がありました。PT-Yの名乗りにも反応している。自己名アミィへの反応は特に強い」
「だから負荷を上げるのか」
「はい」
オルフェンは当然のように答えた。
「反応が強いほど、分離限界を測定しやすい。命令層がどこまで再固定可能か。セレスティアがどこまで補正可能か。今を逃せば、貴重な観測機会を失います」
レオンは、端末に表示された第三負荷の項目を見た。
「前回は第二負荷までだったな」
「はい」
「次は第三負荷を使うつもりか」
「必要に応じて」
「許可しない」
即答だった。
オルフェンの笑みが、わずかに薄くなる。
「前線指揮官殿。それは本国監察局の観測計画に対する妨害です」
「前線指揮権に基づく判断だ」
レオンは一歩も引かなかった。
「セレスティア干渉圏の過負荷は、敵だけでなく味方部隊にも影響している。ヘルメス隊、量産GD部隊、通信支援班に判断遅延が出ている。これ以上の負荷上昇は、防衛線維持に支障をきたす」
オルフェンは目を細めた。
「ずいぶんと整った理由ですね」
「理由ではない。事実だ」
「本音は、PT-A01を壊したくないだけでは?」
クラウスがわずかに表情を硬くする。
レオンは、オルフェンから視線を逸らさなかった。
「壊したくない戦力を壊さないよう管理する。それも前線指揮官の仕事だ」
「彼女は不安定要素です」
「だからこそ、無理に壊すなと言っている」
「不安定要素を放置すれば、ルクス側に利用されます」
「お前はすでに利用しているだろう」
レオンの声が低くなる。
「ルクス側が救おうとして呼びかける。その反応を測る。呼べば呼ぶほど限界が分かる。そう記録していたな」
オルフェンは笑った。
「ご覧になっていたのですか」
「前線に関わる記録は確認する」
「なら、ご理解いただけるはずです。これは非常に有用な状況です」
「有用?」
「はい。ルクス側は自発的にPT-A01を揺らしてくれる。我々は、命令層と本人反応の境界を観測できる。これほど効率的な試験はありません」
レオンは、しばらく何も言わなかった。
艦橋の中に、低い機械音だけが響く。
やがて、レオンは静かに言った。
「俺は、ルクスを敵として扱う」
オルフェンの目がわずかに動く。
「防衛線を突破するなら止める。攻撃してくるなら迎撃する。必要なら撃墜も命じる」
「当然です」
「だが」
レオンは端末に表示されたアミィの波形を見た。
「お前の実験に乗るつもりはない」
オルフェンの笑みが消えた。
「それは、監察局への反抗と受け取れます」
「好きに受け取れ」
レオンは艦橋全体へ声を通した。
「前線指揮命令を更新する」
クラウスがすぐに記録体制に入る。
「第一。ルクス側が停止線を突破しない限り、グラトン主砲および広域砲撃は使用しない」
「記録します」
「第二。エリシオンは防衛線維持を優先。ルクス側撤退時の追撃は、前線指揮官の直接命令がない限り禁止」
「追撃抑制、記録」
「第三。セレスティア干渉圏における味方部隊の深追いを禁止。ヘルメス隊は外周警戒に留める」
「ヘルメス隊、干渉圏深追い禁止」
オルフェンが口を挟む。
「それでは、ルクス側の接触を十分に誘導できません」
レオンは無視した。
「第四。PT-A01アミィへの過負荷が確認された場合、前線部隊は攻勢ではなく防衛優先へ移行。命令層負荷の追加上昇は、前線指揮官承認を必要とする」
艦橋が静まり返った。
オルフェンの声が冷える。
「その第四項目は認められません」
「前線指揮権に基づく命令だ」
「本国監察局は、PT-A01およびセレスティア関連観測に関する優先権を持っています」
「知っている」
「ならば、完全な停止権限はあなたにはありません」
「完全に止められないことも知っている」
レオンはオルフェンを見る。
「だから、前線部隊を動かさない」
オルフェンは黙った。
「お前が本国権限で負荷を上げるなら、好きにしろ。だが、それに合わせて俺の部隊を突っ込ませることはしない。追撃もさせない。干渉圏内で深追いもさせない」
「防衛線の維持に支障が出ます」
「支障を出しているのは、お前の負荷試験だ」
レオンは短く言い切った。
クラウスは、端末に命令を記録していく。
艦橋の通信士達も黙っていたが、その表情にはわずかな安堵があった。
前線部隊は、オルフェンを信用していない。
少なくとも、セレスティア干渉圏に無条件で入ることを嫌がっている。
レオンはそれを理解していた。
前線指揮官として、兵を無駄に壊すわけにはいかない。
それが敵に対する甘さではなく、部隊を維持するための線だった。
オルフェンはしばらくレオンを見ていた。
やがて、ゆっくりと微笑む。
「分かりました。前線指揮官殿のご判断として記録しておきます」
「そうしろ」
「ただし、本国監察局の観測権限は残ります」
「好きに観測しろ。だが、俺の部隊を勝手に使うな」
「承知しました」
オルフェンは端末を閉じた。
そして、艦橋を出ていく。
扉が閉じた後、しばらく誰も口を開かなかった。
やがて、クラウスが静かに言う。
「よろしかったのですか」
「よくはない」
レオンは答えた。
「だが、必要だ」
「本国監察局から抗議が来る可能性があります」
「来るだろうな」
「司令」
クラウスの声には、わずかな心配があった。
レオンは前線表示を見た。
エリシオン。
グラトン。
ヘルメス隊。
セレスティア端末群。
そして、命令層の奥にいるアミィ。
「俺は帝国の指揮官だ」
レオンは言った。
「ルクスを味方にするつもりはない。防衛線を明け渡すつもりもない」
「はい」
「だが、前線を実験場にするつもりもない」
クラウスは深く頷いた。
「命令を各部隊へ通達します」
「頼む」
レオンはもう一度、アミィの記録を見た。
『アミィ……?』
名前に反応した声。
それを聞いた瞬間の不快感は、まだ消えていなかった。
兵器として作られた。
命令を受けるために調整された。
セレスティアに支援され、防衛線の一部として組み込まれた。
それでも、名前に反応した。
ならば、それを単なる負荷試験の材料として扱うことに、レオンはもう耐えられなかった。
観測室へ戻ったオルフェンは、すぐに端末を開いた。
先ほどのレオンの命令が、前線指揮記録として反映されている。
追撃抑制。
干渉圏深追い禁止。
アミィ過負荷時の防衛優先。
命令層負荷追加には前線指揮官承認が必要。
オルフェンは、軽く息を吐いた。
「面倒ですね」
部下が控えめに尋ねる。
「観測計画を変更しますか」
「変更はします。中止はしません」
オルフェンは、別の記録画面を開いた。
そこには、観測対象の一覧が並んでいる。
PT-A01アミィ。
PT-Lレータ。
PT-Yユイ。
セレスティア支援波。
ノクス・レクイエム関連反応。
ルクス側本人反応保護通信路。
オルフェンは、その下に新しい項目を追加した。
前線指揮官レオン。
部下が眉をひそめる。
「司令官殿も観測対象に?」
「ええ」
オルフェンは淡々と入力する。
「前線指揮官レオン。観測阻害要因。PT-A01過負荷試験に対し心理的抵抗あり。前線指揮権を用いて監察局観測計画を制限する可能性あり」
部下は何も言わなかった。
オルフェンは続けて入力する。
「対応案。本国への報告。必要に応じ、観測権限の上位確認を要請。セレスティア端末群の自律観測範囲を拡張」
部下が小さく息を呑む。
「自律観測範囲を拡張するのですか」
「前線部隊を使えないなら、端末群で補えばいい」
「ですが、セレスティア側の自律補正が強くなりすぎると――」
「それも観測対象です」
オルフェンは平然と言った。
画面の一部で、前回の音声が再生される。
『アミィ……?』
オルフェンは、その声を聞いて微笑んだ。
「名前に反応した。次は、もっと深く届く。ルクス側は必ず呼び続ける」
彼は第三負荷の項目を見た。
レオンの承認が必要。
前線指揮命令上はそう記録されている。
だが、本国監察局の観測権限は、まだ残っている。
「前線指揮官が線を引くなら、こちらはその線の外側から観測するだけです」
オルフェンは、レオンの項目に最後の一文を加えた。
「観測阻害要因。経過監視を継続」
その文字が、冷たく記録画面に残った。




