第223話 観測される救出
解析室には、前回戦闘で記録された通信が何度も流れていた。
『……こえ……』
『……だれ……』
『めい……れい……では……ない……?』
『ユイ……レータ……』
『アミィ……?』
短い。
途切れている。
会話と呼ぶには、まだ不安定だった。
それでも、確かに会話だった。
イリスは、何度も波形を確認していた。
命令層。
セレスティア支援波。
A系列基本反応。
そして、その奥から浮かび上がった本人反応。
イリスは顔を上げる。
「アミィ本人反応は、前回より強くなっています」
室内に小さな緊張が走った。
レータが、わずかに身を乗り出す。
「強くなってるってことは、届いてるってことよね」
「はい」
イリスは頷いた。
「前回は、通信路に触れただけでした。でも今回は、こちらの呼びかけに対して断片的な返答があります。特に、レータさんとユイさんの名前、それから自己名のアミィに反応しています」
画面に、アミィの反応が表示される。
『ユイ……レータ……』
『アミィ……?』
レータはそれを見つめた。
喜びたい。
叫びたいくらいだった。
アミィが、自分の名前を聞いた。
レータという名前を拾った。
そして、自分自身の名前に反応した。
だが、素直に喜べなかった。
あの声の直後に、命令層が厚くなった。
白金色の支援波が膨れ上がり、アミィの反応を押し込んだ。
呼びかければ呼びかけるほど、アミィが苦しんでいるように見えた。
「でも……」
レータは拳を握った。
「強くなった分、あの子への負担も増えてるんじゃないの」
リクトが静かに頷いた。
「その通りだ」
画面が切り替わる。
本人反応の上昇と、命令層負荷の上昇が重ねて表示された。
レータの呼びかけ。
ユイの名乗り。
アミィという自己名への反応。
そのたびに本人反応は強くなっている。
だが、ほぼ同時に命令層の負荷も跳ね上がっていた。
リクトは言う。
「本人反応が強くなるほど、命令層がそれを押し込もうとしている。セレスティア支援波も同時に厚くなっている。つまり、アミィがこちらに反応すればするほど、向こうの拘束も強くなる」
ミオが支援網の記録を表示した。
「通信路側で守れる時間は、まだ短いです。セラさんが端末を撃ち抜いてくれた数秒間だけ、本人反応を包めました。でも、その後は急速に押し戻されています」
セラは静かに言った。
「端末を撃てば、通信路は開きます。ですが、向こうもすぐに補正します」
レイが腕を組む。
「撃てば撃つほど、相手も対策してくるか」
「はい」
ミオが頷く。
「それに、支援端末を破壊すればするほど、セレスティアが本体側で補おうとする可能性があります。干渉が薄くなる一方で、命令層の負荷が上がる危険もあります」
カイトは黙って聞いていた。
前回、自分は通信路を守った。
ほんの数秒だったが、その数秒で声は届いた。
だが、その数秒が、アミィを苦しめるきっかけにもなっていたのかもしれない。
「助けようとしてるのに……」
カイトが呟く。
「そのせいで、アミィに負担がかかるのか」
カナデが静かに答えた。
「可能性はあります」
レータの表情が曇る。
カナデは続ける。
「呼びかけが悪いわけではありません。アミィ本人反応が残っていることを確認するには、呼びかけが必要です。ですが、無理に呼び続ければ、アミィ自身に負担がかかる可能性があります」
「じゃあ、呼ばない方がいいの?」
レータの声がわずかに震えた。
カナデは首を横に振る。
「そうではありません。大事なのは、呼びかける回数や強さを増やすことではなく、アミィが返ってきた時に守れる時間を増やすことです」
ユイが頷いた。
「ただ呼ぶだけでは駄目、ということですね」
「はい」
カナデはアミィの波形を見る。
「アミィが返事をした瞬間、命令層が押し戻す。その時に、こちらが守れなければ、呼びかけは負担だけを増やします」
レータは唇を噛んだ。
届いた。
でも、届いたから苦しくなる。
それは、あまりにも残酷だった。
黒瀬が端末を開く。
「救出対象への移行条件を整理します」
室内の視線が黒瀬へ向いた。
「第一。本人反応の継続性。今回、複数回の呼びかけに対し、本人反応が継続して確認されています」
三島が記録する。
「本人反応の継続性、確認」
「第二。命令と異なる返答。アミィは『命令ではない』という呼びかけに反応し、命令層とは異なる応答を示しました」
「命令と異なる返答、確認」
「第三。自己識別への反応。アミィという自己名に対し、本人反応が急上昇しています」
三島が画面を見ながら記録する。
「自己識別への反応、確認」
レータが顔を上げる。
「なら、救出対象にしてもいいんじゃないの」
黒瀬はすぐには答えなかった。
そして、淡々と続けた。
「要保護対象候補としては、ほぼ条件を満たしています。ただし、正式な救出対象化には、本人反応の安定性が不足しています」
「安定性……」
「はい。現在のアミィ本人反応は、呼びかけに対して浮上しますが、直後に命令層へ押し込まれています。救出作戦に移行した場合、本人反応を維持できる保証がありません」
レータは何か言い返そうとした。
だが、言えなかった。
黒瀬は厳しい。
けれど、間違ってはいない。
救出対象にしたいという気持ちだけで動けば、アミィを壊すかもしれない。
ユイが静かに言った。
「黒瀬さん。記録上の扱いは、どうなりますか」
「更新します」
黒瀬は端末に新しい文面を入力する。
「PT-A01アミィ。敵性戦力であると同時に、本人意思反応を有する要保護対象候補。次回以降の接触においては、本人反応の保護時間延長、命令層負荷の抑制、自己識別反応の安定化を優先する」
三島が確認する。
「救出対象ではなく、要保護対象候補」
「はい」
レータは小さく息を吐いた。
「また一歩手前か」
カナデが言う。
「でも、確実に近づいています」
「分かってる」
レータは画面を見た。
『アミィ……?』
自分の名前を問い返す声。
「分かってるけど、早くしてあげたい」
その言葉に、誰も軽く頷くことはできなかった。
グラトン艦内の観測室では、同じ通信記録が別の意味で再生されていた。
『私はレータ』
『命令じゃない』
『あなたは、私の代わりじゃない』
『私はユイ』
『アミィ。あなたの名前です』
『アミィ……?』
オルフェンは、その一つ一つに観測タグを付けていた。
PT-L呼びかけ。
代替認識否定。
PT-Y識別。
自己名提示。
本人反応急上昇。
命令層負荷増大。
セレスティア支援波補正。
彼にとって、それは会話ではなかった。
救出の兆候でもなかった。
貴重なデータだった。
「呼べば呼ぶほど、分離限界が分かる」
オルフェンは満足そうに呟いた。
部下が端末を確認する。
「PT-A01本人反応は、想定以上に自己名へ反応しています」
「ええ。興味深い」
「命令層との同期率は一時的に低下しましたが、セレスティア補正によって再固定されています」
「つまり、まだ壊れていない」
オルフェンは淡々と言った。
「なら、次はさらに深く揺らせる」
部下は言葉を詰まらせた。
「しかし、負荷上昇時に本人反応の乱れが大きくなっています。過負荷の可能性が――」
「可能性ではなく、観測対象です」
オルフェンは部下を見ずに答えた。
「どの段階で本人反応が崩れるのか。命令層がどこまで再固定できるのか。セレスティアがどこまで補正できるのか。それを知る必要があります」
部下は沈黙した。
その時、観測室の扉が開いた。
レオンだった。
彼の表情は、これまでよりも明らかに険しい。
「オルフェン」
「前線指揮官殿。何か」
「次に負荷を上げるつもりなら、やめろ」
オルフェンは薄く笑う。
「何のことでしょう」
「とぼけるな。前回、命令層を意図的に厚くしただろう」
「PT-A01の再同期補助です」
「再同期ではない。観測のために反応を押し潰した」
観測室の空気が冷える。
オルフェンは端末から視線を上げた。
「彼女は兵器です。命令層下での反応安定性を確認するのは当然です」
「兵器でも、壊していい理由にはならない」
「壊れるかどうかを確認しなければ、運用限界は分かりません」
レオンの拳が握られた。
「お前は、本当にそれしか見ていないのか」
「少なくとも、私は自分の任務を見ています」
オルフェンは平然としていた。
「ルクス側が呼びかけ、PT-A01が揺れる。こちらはその揺れを測定する。これほど良い条件はありません」
「救おうとしている相手の行動を利用しているだけだろう」
「利用できるものを利用する。それも帝国の基本です」
レオンは一歩、オルフェンへ近づいた。
「俺の前線で、勝手な負荷試験を行うな」
「前線指揮官殿の任務は、防衛線の維持です。観測計画は本国監察局の管轄です」
「防衛線を維持するためにも、アミィを壊すわけにはいかない」
「壊すとは決まっていません」
「壊れてからでは遅い」
オルフェンは、そこで初めて少しだけ目を細めた。
「随分と感情的ですね」
「感情の問題ではない。戦力管理の問題だ」
「では、こちらも戦力管理として申し上げます」
オルフェンは画面を示した。
「PT-A01は命令層下でも本人反応を保持しています。これは不安定要素です。同時に、有用な観測対象でもある。不安定要素を放置するのは危険です」
「だから壊れるまで試すのか」
「壊れる前に限界を知るのです」
「同じことだ」
レオンの声は低かった。
「次の接触で、前線指揮権を越える負荷操作をするな」
「本国監察局の命令が優先される場合もあります」
「その時は、俺が前線判断で止める」
観測室に沈黙が落ちた。
オルフェンはゆっくりと笑った。
「それは、監察局への明確な妨害と記録されます」
「好きに記録しろ」
レオンは背を向ける。
「だが、俺の戦場で、兵を実験材料のように壊すことは許さん」
扉が閉じる。
オルフェンはしばらく、その扉を見ていた。
やがて、端末へ視線を戻す。
「前線指揮官レオン。観測計画への抵抗、明確化」
新しい記録項目が追加される。
「心理的抵抗増大。指揮権干渉の可能性あり。必要に応じて、本国へ報告」
部下は何も言わなかった。
オルフェンは再び、アミィの反応を表示する。
『アミィ……?』
その声を聞き、彼は小さく呟いた。
「自己名への反応は強い。次は、もっと深い部分へ届くでしょう」
彼は次回接触時の負荷計画を開く。
命令層第一負荷。
第二負荷。
第三負荷。
前回は第二までだった。
オルフェンは、第三負荷の項目を有効にする。
「次は、負荷を上げます」
ルクス・ヴァルキュリアでは、まだ解析が続いていた。
アミィ本人反応は、確かに強くなっている。
だが、命令層の負荷も強くなっている。
喜びと危険が、同じ波形の中に並んでいた。
レータは、記録音声をもう一度聞いた。
『アミィ……?』
自分の名前を、疑問の形で呼ぶ声。
レータは小さく言う。
「アミィ」
返事はない。
それでも、レータは続けた。
「次は、もっと守るから」
ユイが隣で頷く。
「はい」
だが、その声には、いつもより少しだけ硬さがあった。
カイトは二人の後ろで、リクト達の解析画面を見ていた。
救おうとすれば、アミィは反応する。
アミィが反応すれば、命令層が押し込む。
その反応を、敵は観測する。
自分達の行動が、敵に利用されている。
その事実は、重かった。
それでも、呼ばないわけにはいかない。
命令の奥にいるアミィは、もう名前に反応してしまった。
こちらが黙れば、あの声は再び命令層の奥に沈むだけだ。
カイトは拳を握った。
「次は、もっと長く通信路を守ります」
黒瀬が振り返る。
「無茶をしない範囲で、です」
「はい」
今度は、すぐに答えた。
「無茶じゃなくて、守る方法を増やします」
ミオが頷く。
「私も支援網を改良します。次は、本人反応が強くなった瞬間の負荷を逃がす経路が必要です」
イリスも続ける。
「本人反応だけでなく、命令層負荷も同時に監視します。呼び続けるか、止めるかの判断を早くします」
リクトが画面を閉じる。
「次からは、ただ名前を届けるだけじゃ足りない。返ってきた反応を守るだけでも足りない」
ユイが言う。
「アミィが反応した時、命令層の負荷を下げる必要がありますね」
「そうだ」
リクトは頷いた。
「救出は、呼びかけだけじゃ成立しない。呼びかけが敵に利用されるなら、その利用を上回る保護手段が必要だ」
レータは画面を見つめた。
アミィの声は、まだそこに残っている。
届いた。
でも、届いたことで苦しめたかもしれない。
それでも。
「やめない」
レータが言った。
声は小さかったが、迷いはなかった。
「呼ぶ。でも、無理に引っ張らない。返ってきた声を、今度はちゃんと守る」
カナデが静かに頷く。
「それが、今の答えだと思います」
命令層の奥で、アミィは揺れている。
その揺れを救おうとする者達がいる。
そして、その揺れを観測しようとする者達がいる。
次の接触は、さらに危険になる。
それでも、もう戻れなかった。
アミィが、自分の名前を聞いてしまったから。




