第217話 セレスティア接触戦
外縁防衛線は、まだそこにあった。
グラトンは沈黙したまま、停止線の奥で巨大な艦影を横たえている。
エリシオンは防衛線の中心に立ち、盾を構えたまま動かない。
ヘルメス隊の高機動反応も、外側航路で警戒位置を保っていた。
だが、ルクス・ヴァルキュリアが次に狙ったのは、正面突破ではなかった。
停止線の内側。
戦闘時に一瞬だけ重なった、セレスティアに似た微弱反応。
その反応が現れた方向へ、限定的に接触する。
撃破ではない。
突破でもない。
確認だ。
アミィ本人の反応が、命令層の奥に残っているのか。
セレスティアの支援波と、A系列の基本反応と、本人の揺れを切り分けられるのか。
そのための接触戦だった。
管制室で、ジンは出撃表示を確認する。
「ノクス・レクイエムは待機」
黒瀬が即座に記録する。
「ノクス・レクイエム非出撃。今回の作戦目的は、PT-A01アミィ本人反応の確認および命令層との切り分け。撃破および突破を主目的としない」
三島が頷く。
「記録しました」
ユイは管制室に残っていた。
出撃はしない。
ノクス・レクイエムにも乗らない。
今回は、呼びかけと反応照合に集中する。
カナデがユイの横に立つ。
「ユイ。呼びかける時、焦らないでください」
「はい」
「返事がなくても、失敗ではありません。反応が小さくても、無理に引き出そうとしないでください」
「分かっています」
ユイは画面を見た。
そこには、出撃準備を終えた機体が並んでいる。
アルタイル・ノヴァ・ブレイス。
ルナ・スケイル・リフレクト。
ヴァナルガンド。
フェンリオン・リサイト。
ヴァルクレイド。
レイヴン・ハウル。
そして、観測支援として、イリスの反応解析席が開かれている。
カイトの通信が入った。
『アルタイル・ノヴァ・ブレイス、出ます』
続けて、ミオ。
『ルナ・スケイル・リフレクト、支援網を展開します』
レイ。
『ヴァナルガンド、出る』
セラ。
『フェンリオン・リサイト、狙撃支援に入ります』
レータの声が続く。
『ヴァルクレイド、出るわ』
その声は、普段より少し低かった。
ユイはレータへ通信を繋ぐ。
「レータ。無理をしないでください」
『それ、私が言う側だった気もするけどね』
「今回は、私が言います」
『分かった。無理はしない。でも、逃げもしない』
最後にカイルが笑う。
『レイヴン・ハウル、外周を見る。前みたいにヘルメスが横から来るかもしれねえ。こっちは任せろ』
機体が射出される。
ルクス・ヴァルキュリアの格納庫から、白と蒼青、薄藍と真珠色、鉄灰と黒紺、砂白、暗赤、黒紫の機体が次々と宇宙へ放たれた。
防衛線はすぐに反応した。
エリシオンの周囲でGD部隊が位置を変える。
固定砲台の照準が警戒線を作り、無人迎撃機が外縁へ散る。
だが、レオンはまだ本格攻撃を命じていなかった。
グラトン艦橋で、クラウスが報告する。
「ルクス側、限定出撃。正面突破軌道ではありません。セレスティア反応が観測された宙域方向へ接近」
レオンの表情が硬くなる。
「やはり気づいたか」
オルフェンが薄く笑った。
「気づかせたのですから、当然でしょう」
レオンは視線を向ける。
「お前か」
「本国の観測命令です。PT-A01、PT-L、PT-Y、そしてノクス・レクイエム関連反応。揺れを確認するには、餌が必要です」
「アミィを餌に使うつもりか」
「表現が悪いですね。観測対象同士を接触させるだけです」
レオンの声が低くなる。
「戦場を実験場にするなと言った」
「そして本国は、実験によって戦場を理解します」
オルフェンは平然と答えた。
「ご安心を。セレスティアは正面火力機ではありません。派手な破壊は起こしませんよ」
レオンは前線表示を見つめた。
「派手な破壊だけが戦場を壊すわけではない」
その頃、ルクス側前線では、最初の異変が起きていた。
ミオの支援網が、わずかに揺れる。
『来ました』
ミオの声が通信に流れた。
『通常通信ではありません。支援リンクに重なっています』
イリスが管制側で波形を追う。
「セレスティア反応、確認。前回より強いです。でも、まだ本体位置は曖昧です」
リクトが画面を拡大する。
「命令層が厚い。ミオ、支援網を引っ張られるな」
『はい。支援リンクを固定しません。分散させます』
ルナ・スケイル・リフレクトの鱗状パネルが展開する。
淡い支援光が一本ではなく、細かく分岐して各機へ伸びた。
前回、ヘルメスに乱された時と同じ考え方。
一本を守るのではなく、切られても残る複数の線を作る。
しかし、セレスティアの干渉はヘルメスとは違った。
速くかすめるのではない。
重なる。
こちらの支援網の上に、柔らかく、薄く、別の反応をかぶせてくる。
ミオの表情がわずかに歪む。
『支援リンクの同調がずれます。切られてはいません。でも、味方機の反応タイミングが微妙に遅れます』
カイトの画面にも遅れが出た。
「判断補助が……遅い?」
アルタイル・ノヴァ・ブレイスの表示が一瞬だけ迷う。
敵が来る。
回避する。
支援を受ける。
その判断の接続が、ほんのわずかに遅くなる。
一般パイロットであるカイトにとって、それは言葉にしにくい違和感だった。
『カイト、止まらないでください』
ユイの声が入る。
『その遅れは、あなたの迷いではありません。セレスティアの干渉です』
「了解!」
カイトは操縦桿を握り直した。
前方から、量産GDと支援型GDが展開する。
エリシオンの防衛線ほど厚くはない。
だが、その動きはいつもより滑らかだった。
セレスティアの支援波が、GD部隊の反応を底上げしている。
レイがヴァナルガンドで突っ込む。
『こいつら、反応がいい』
レイの刃を、量産GDがぎりぎりで避ける。
普通なら間に合わない動きだった。
『セレスティアが補助してるのか』
リクトが答える。
『その可能性が高い。直接操ってるわけじゃない。反応の遅れを埋めてる』
『厄介だな』
レイは機体を横へ滑らせ、追撃を避ける。
その時、レータのヴァルクレイドに、別の波形が重なった。
『っ……』
レータの息が詰まる。
ヴァルクレイドの指揮補助表示に、淡い光が差し込む。
それは敵性干渉として弾くには、あまりにも自分に近かった。
重装。
統率。
支援。
周囲の反応を拾い、味方へ返す感覚。
似ている。
けれど、違う。
『レータ!』
カイトが叫ぶ。
『大丈夫』
レータは答えた。
だが、その声はわずかに震えていた。
『近い。でも、私じゃない。これ、アミィの……いや、セレスティアが整えてる』
イリスが管制側で波形を追う。
「PT-L反応と近い層があります。でも完全一致ではありません。A系列の基本反応が重なっています」
ミオが支援網を保ちながら言う。
『レータ、比較してください。似ている場所ではなく、違う場所を』
『分かってる』
レータは深く息を吸った。
自分に近い。
だからこそ、飲まれそうになる。
自分の代わり。
自分がいなかった場所。
その言葉が胸の奥で膨らむ。
だが、前の解析室でカナデに言われた言葉を思い出す。
責任感だけで動くと、帝国が作った役割を見てしまう。
レータは歯を食いしばった。
『違う。これは私じゃない。私の代わりでもない』
その言葉に、波形がわずかに揺れた。
イリスが目を見開く。
「今、反応が変わりました」
ユイが前のめりになる。
「本人反応ですか」
「まだ分かりません。命令層が厚いです。でも、少しだけ遅れました」
その瞬間、セレスティアの干渉が強くなった。
柔らかい光が、通信と支援網の境界に重なる。
ユイの呼びかけ回線にも、淡い命令補助波がかぶさってきた。
リクトが叫ぶ。
「ユイの通信に上書きが来る!」
アシュが即座に遮断層を入れる。
『切れ。全部通すな』
「やってる!」
ユイは通信回線の向こうに、かすかな反応を感じた。
声ではない。
言葉でもない。
けれど、誰かがそこにいるような、ほんの小さな揺れ。
ユイは呼びかけた。
「アミィ。聞こえますか」
反応は返らない。
代わりに、命令層が上から重なる。
支援。
補助。
同期。
命令。
従属。
戦域維持。
それらが、ユイの声を意味のない信号へ変えようとする。
ミオが歯を食いしばる。
『ユイの通信を守ります。イリス、本人反応を探してください』
「はい」
イリスは波形の奥を見た。
全部同じではない。
命令反応は均一に近い。
セレスティアの支援波は柔らかく広がる。
A系列の基本反応は、周囲に合わせて形を変える。
でも、その奥に、一拍だけ遅れるものがある。
命令に反応したのではない。
呼びかけに揺れたもの。
「今のは……」
イリスの声が震えた。
「今のは命令ではありません。返事です」
管制室の空気が止まった。
ユイが呼びかけようとする。
だが、その前にレータが通信へ入った。
声は強くなかった。
けれど、まっすぐだった。
「アミィ」
ヴァルクレイドの反応が、セレスティアの波形に重なる。
「私の代わりにならなくていい」
その言葉が、戦場に流れた。
エリシオンの防衛線。
ヘルメスの外側航路。
セレスティアの支援波。
そのすべての奥で、ほんの小さな反応が揺れた。
ユイも続ける。
「アミィ。あなたは命令そのものではありません」
その瞬間、微弱な通信が返った。
『……だれ……?』
声だった。
幼く、薄く、すぐに消えそうな声。
だが、命令波ではなかった。
セレスティアの支援反応でもなかった。
アミィ本人の声だった。
レータの目が見開かれる。
「アミィ!」
だが、次の瞬間、白金色の干渉波が一気に膨れ上がった。
セレスティアが反応を遮断する。
通信が潰れる。
支援網に強いノイズが走る。
ミオのルナ・スケイル・リフレクトに警告が重なった。
『支援網、上書き干渉!』
リクトが叫ぶ。
「命令層が厚くなった。アミィ本人反応が押し込まれてる!」
カイトが前へ出ようとする。
「なら、もう一回――」
『待ってください!』
ミオが止める。
『これ以上近づくと、セレスティアの干渉圏に深く入ります。カイト達一般パイロットにも判断遅延が強く出ます』
カイトは歯を食いしばった。
目の前にいるかもしれない。
返事があった。
なら、もう一度呼びたい。
けれど、進めば敵の思う形になる。
セラの照準補助にも、干渉が走った。
『照準補助、乱れています』
フェンリオン・リサイトの画面に、複数の照準候補が重なる。
セレスティアの干渉は、撃つべき場所を曖昧にしていた。
命令補助に従えば、最も効率のいい位置が表示される。
だが、それは本当にセラが撃つべき場所ではない。
セラは静かに息を吸った。
『照準補助は乱れています。でも、私は見えています』
セラは砲身を動かした。
狙うのは、セレスティア本体ではない。
アミィの反応が消えた方向でもない。
干渉波を増幅している小型支援端末。
『命令ではありません。私の判断で撃ちます』
一射。
支援端末の一つが撃ち抜かれ、セレスティアの干渉が一瞬だけ薄くなる。
その隙に、ミオが支援網を引き戻した。
『全機、後退してください。本人反応は確認できました。これ以上は危険です』
レータは動きかけた。
『でも――』
カナデの声が入る。
『レータ。今は戻ってください。今の目的は、アミィ本人反応の確認です。救出ではありません』
レータの手が震える。
アミィの声が聞こえた。
だれ、と言った。
そこにいた。
でも、まだ届かない。
『……分かった』
レータは悔しそうに答えた。
『ヴァルクレイド、後退する』
カイルが外周から追撃を警戒する。
『全機、撤退線に乗れ。ヘルメスが来る可能性がある』
レイが量産GDを牽制しながら下がる。
『セラ、次撃てるか』
『撃てます。ただし、弾数は多くありません』
『十分』
カイトはアルタイル・ノヴァ・ブレイスを反転させた。
ユイの通信が入る。
『カイト』
「分かってる。追わない」
自分に言い聞かせるように答える。
「今回は、確認できた。それで戻る」
『はい』
ルクス側の機体が、セレスティア反応圏から離脱する。
エリシオンは追ってこない。
レオンが追撃を命じなかったからだ。
グラトン艦橋で、レオンは前線表示を見ていた。
セレスティアの干渉波。
アミィ本人反応らしき微弱な揺れ。
ルクス側の呼びかけ。
そして、すぐに遮断された通信。
レオンの表情は険しかった。
「オルフェン」
「はい」
「今の反応は、お前の指示か」
オルフェンは薄く笑う。
「本国監察局の観測計画の一部です」
「アミィ本人の反応をわざと揺らしたのか」
「揺れるかどうかを確認しただけです」
レオンの声が低くなる。
「それを戦場でやるな」
「戦場でなければ、彼女達は本音を出しません」
オルフェンは端末に記録を入力する。
「反応あり。やはり揺れる」
レオンは、拳を握りしめた。
「お前達は、何を作ろうとしている」
「作るのではありません。既にあるものを、正しく分類しているだけです」
「分類で人は救えない」
「分類できなければ、利用も処分もできません」
レオンは、それ以上言わなかった。
だが、その沈黙には明確な不快感があった。
ルクス・ヴァルキュリア管制室では、短い通信記録が何度も再生されていた。
『……だれ……?』
たった一言。
それだけだった。
けれど、イリスは断言した。
「命令ではありません」
ミオも頷く。
「セレスティアの支援波でもありません。遮断される前の、一瞬だけの本人反応です」
黒瀬が記録する。
「PT-A01アミィ、本人反応の可能性を確認。発話記録あり。ただし直後、セレスティア命令層により遮断」
三島が静かに言う。
「救出対象に変更しますか」
黒瀬は少しだけ考えた。
「まだです」
レータが顔を上げる。
「黒瀬」
「ただし、記録を更新します」
黒瀬は端末に新しい項目を追加した。
「PT-A01アミィ。現時点では敵性戦力。ただし、本人反応確認済み。次回接触時、命令層からの保護および本人意思確認を優先事項とします」
レータは、少しだけ目を伏せた。
「……ありがと」
「礼は不要です。記録上、そう扱うべき段階に進んだだけです」
カイトは通信記録を見つめていた。
「だれ、か」
ユイが隣で静かに言う。
「アミィは、まだこちらを知りません」
「でも、返事した」
「はい」
レータが拳を握る。
「次は、名前を呼ばせる」
カナデが静かに言った。
「焦らずに」
「分かってる」
レータは深く息を吐いた。
「でも、もう分かった。あの子は、命令だけじゃない」
ユイは頷く。
「はい」
アミィはまだ戻っていない。
セレスティアの命令層は厚く、本人反応はすぐに押し込まれた。
帝国本国は、その揺れすら観測材料にしている。
それでも、命令の奥に、確かに誰かがいた。




