表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
216/412

第214話 外縁の停止線

 通信画面に、帝国軍の識別紋が浮かび上がっていた。

 ルクス・ヴァルキュリアの管制室には、まだ戦闘後の熱が残っている。

 前線機は格納庫へ戻り、整備班が損傷確認を進めている。

 エリシオンの防衛線は崩れていない。

 ヘルメスの高速撹乱も、完全には読み切れていない。

 セレスティアに似た微弱反応も、正体は不明のままだ。

 だが今、帝国側から砲撃ではなく、通信が来ている。

『こちら、帝国外縁方面軍。レオン・グレイスナー。ルクス・ヴァルキュリア艦長へ通信を要求する』

 ジンは一度だけ周囲を見た。

 カイルは腕を組み、通信画面を睨むように見ている。

 黒瀬は端末を開き、三島は記録準備を整えている。

 ユイは少し後方に立ち、画面から目を逸らさなかった。

「通信を開け」

 ジンの指示で、画面が切り替わる。

 そこに映ったのは、帝国軍の士官だった。

 灰色の軍服。

 余計な装飾の少ない姿。

 表情は厳しいが、こちらを見下すような軽さはない。

 その背後には、グラトンの艦橋が映っている。

 副官らしき男が控え、さらに奥には薄い笑みを浮かべた監察官、オルフェン・グラードの姿もあった。

 レオンは、まず名乗った。

『帝国外縁方面軍、レオン・グレイスナーだ』

 ジンも正面から返す。

「ルクス・ヴァルキュリア艦長、ジンだ」

『貴艦は帝国外縁防衛線へ接触し、交戦状態に入った。現時点では追撃を停止しているが、これ以上進めば、外縁方面軍は貴艦を侵入艦として扱う』

 声は硬い。

 だが、殲滅を宣言する声ではなかった。

 警告であり、線引きだった。

 ジンは引かなかった。

「こちらにも進む理由がある。帝国本国へ向かう必要がある」

『帝国本国へ向かう理由を、外縁方面軍が承認する義務はない』

「なら、こちらも外縁方面軍の一方的な封鎖を受け入れる義務はない」

 二人の声は静かだった。

 だが、そこにある緊張は明確だった。

 カイルが小さく呟く。

「話せるタイプだが、通すタイプじゃねえな」

 黒瀬が一歩前へ出た。

「地球統合軍中央監査局、黒瀬です」

 レオンの視線がわずかに動く。

『地球側の監査官か』

「はい。この艦の行動は、地球統合軍の監査下にあります。帝国側の一方的な分類で、侵入艦と断定されることは認められません」

 オルフェンが薄く笑う。

『地球統合軍、ですか。あの辺境文明が、この規模の艦を監査していると?』

 黒瀬の表情は変わらなかった。

「辺境かどうかは、帝国側の価値判断です。監査事実とは関係ありません」

 カイルが小さく笑った。

「いいぞ、黒瀬さん」

 黒瀬は反応しなかった。

 レオンはオルフェンを制するように、一度だけ視線を向けた。

『監査官。つまり、地球側はこの艦を完全に放任しているわけではないのだな』

「その通りです」

『ノクス・レクイエムもか』

 管制室の空気がわずかに硬くなる。

 黒瀬は、あえて間を置かずに答えた。

「ノクス・レクイエムは、地球側監査下における制限付き運用対象です」

 レオンの目が細くなる。

『制限付き運用対象』

「はい。危険性を否定していません。だからこそ、無制限運用は認めていません」

 オルフェンが口を挟む。

『危険性を理解しているなら、なぜ破壊しないのです』

 ユイの手が、わずかに動いた。

 だが、黒瀬が先に答えた。

「危険物の破壊が、常に最善とは限りません。破壊による拡散、暴走、情報喪失、操縦者への影響。すべてを評価した上で、現時点では制限付き管理が妥当と判断しています」

 オルフェンは不愉快そうに笑った。

『実に地球的な言い訳ですね』

「監査記録上は、合理的判断です」

 黒瀬は淡々と返す。

 レオンは、黒瀬を少しだけ見ていた。

 それから、視線をユイへ移す。

『ユイ』

 その名を呼ばれた瞬間、管制室の空気が変わった。

 ユイは一歩前へ出る。

「はい」

『なぜ、ノクス・レクイエムを出さなかった』

 その問いは、責めるものではなかった。

 だが、逃げることも許さない問いだった。

 ユイは静かに答えた。

「出せば、あなた達の観測対象になると分かっていたからです」

 オルフェンの眉が動く。

 レオンは否定しなかった。

『その通りだ』

『閣下』

 オルフェンが不満げに声を挟む。

『それを認める必要はありません』

 レオンは目を向けずに答えた。

『戦場で見えていることを隠しても意味はない』

 オルフェンは口を閉じた。

 だが、その表情から不満は消えていなかった。

 レオンはユイを見る。

『お前は、恐れて出さなかったのか』

 ユイは少しだけ考えた。

「恐怖もあります」

 彼女は否定しなかった。

「ノクス・レクイエムは危険です。私自身も、完全に安全だとは思っていません」

『では、恐怖か』

「ですが、恐怖だけではありません」

 ユイはレオンの視線を受け止める。

「出せるから出る。撃てるから撃つ。その判断に近づけば、ノクス・レクイエムは帝国が望む兵器に戻ります」

 管制室は静かだった。

 ユイの声は大きくない。

 けれど、はっきりしていた。

「私は、出さないことを選びました」

 レオンはしばらく黙っていた。

 そして、短く言った。

『恐怖ではなく、判断か』

「恐怖も含めた判断です」

 その答えに、レオンの表情がわずかに変わった。

『なるほど』

 オルフェンが低く言う。

『裏切り個体の自己正当化に聞こえますが』

 ユイは何も返さなかった。

 代わりに、ジンが口を開く。

「少なくとも、こちらはノクス・レクイエムを出さなかった。その結果、あなた方の防衛線も、こちらの艦も、不要な被害を避けた」

 レオンは頷く。

『それは認める』

 オルフェンが再び不満を示す。

『閣下、認めすぎでは?』

『事実だ』

 レオンの声は変わらない。

『ノクス・レクイエムが出れば、外縁防衛線の損害は拡大した可能性がある。ルクス側も同様だ。出さなかったことで、双方の被害は一定範囲に収まった』

 黒瀬が静かに記録する。

「帝国外縁方面軍指揮官、ノクス・レクイエム非出撃による被害抑制効果を認める」

 カイルが低く笑う。

「黒瀬さん、それ本人の前で記録するのか」

「必要な記録です」

 レオンは、黒瀬の記録を咎めなかった。

 むしろ、少しだけ興味を示したように見えた。

『監査官。お前達は、ユイをどう扱う』

 黒瀬は即答しなかった。

 その質問が、単なる形式ではないと分かったからだった。

「危険性を持つ協力者として扱います」

 ユイは黒瀬を見る。

 黒瀬は続けた。

「ただし、兵器としてのみ扱うつもりはありません」

 レオンは沈黙した。

 オルフェンが薄く笑う。

『甘いですね』

「甘さではありません」

 黒瀬は答える。

「兵器としてのみ扱えば、本人意思を安全装置として使う現在の運用思想と矛盾します。ノクス・レクイエムを止めるためにも、ユイ本人を兵器として固定しないことが必要です」

 リクトが小声で呟く。

「黒瀬さん、普通に理解進んでるな……」

 三島が小さく頷く。

「現場監査ですから」

 レオンは再びユイを見た。

『ユイ。お前が帝国から離れた理由は、今ここで問わない』

「……」

『だが、お前がノクス・レクイエムを持ったまま本国へ近づくなら、外縁方面軍は防衛線を開けるわけにはいかない』

「分かっています」

『ならば、退け』

 レオンの声は強くなった。

『ここで引き返せ。ルクス・ヴァルキュリアがこれ以上進めば、次は外縁方面軍の全戦力で防衛行動を取る』

 ジンが返す。

「こちらは引き返せない」

『理由を聞いても、こちらが承認するとは限らない』

「承認を求めているわけではない。だが、こちらにも帝国本国へ向かう理由がある」

 レオンの目が鋭くなる。

『ユイのためか』

「ユイだけではない」

 ジンは答えた。

「帝国の兵器、パルスティア、アミィ、ノクス・レクイエム、地球戦線、デッドエンドで見たNBの痕跡。帝国本国と向き合わなければならない理由が増えすぎている」

 レオンは静かに聞いていた。

 その時、レータが一歩動きかけた。

 セレスティア反応について聞きたい。

 アミィが近くにいるのか、確かめたい。

 だが、ユイがわずかに手を上げて制した。

 今、こちらから聞きすぎれば、手の内を見せる。

 セレスティア反応を掴んだことも、アミィ本人反応の可能性に気づいたことも、相手に知られる。

 それでも、レータの表情は揺れていた。

 レオンは、そのわずかな動きを見逃さなかった。

『セレスティアを追うな』

 管制室の空気が止まった。

 レータが顔を上げる。

「……知っているの?」

 レオンは、レータを見た。

『お前がレータか』

「そうよ」

『ならば、なおさらだ。セレスティアを追うな。あれは外縁方面軍の指揮下に完全にはない』

 カイルの目が細くなる。

「完全には、か」

 レオンは続けた。

『こちらの防衛線に反応が重なったことは把握している。だが、セレスティアの運用権限は外縁方面軍だけにあるわけではない』

 オルフェンが不快そうにレオンを見る。

『閣下、それ以上は』

『必要な警告だ』

 レオンは切り捨てた。

『セレスティアは、前線指揮の都合だけで動く機体ではない。本国の観測、命令補助、PT反応検出。複数の目的が重なっている』

 ユイの表情が硬くなる。

「アミィは」

 レオンはすぐには答えなかった。

 その沈黙だけで、答えの一部は見えた。

『PT-A01が完全に本人意思だけで動いているとは言えない』

 レータの手が震えた。

 カナデが横に立つ。

 レオンは続けた。

『だが、完全な命令機械とも言わない』

 ユイは息を呑む。

『前回の戦闘で、お前達もそれを見たはずだ』

 オルフェンが表情を消した。

『閣下』

『黙っていろ』

 低い一言だった。

 オルフェンは口を閉じる。

 だが、その目には明確な不満があった。

 レオンはジンへ視線を戻した。

『次にこの線を越えれば、こちらは再び防衛行動を取る』

 画面に、外縁防衛線の座標が表示される。

 グラトンとエリシオンが維持する停止線。

 ルクス・ヴァルキュリアが現在いる位置。

 その間に、明確な境界が引かれた。

『だが、今この瞬間は追撃しない』

 ジンが目を細める。

「猶予か」

『停止線だ。停戦ではない』

「分かった」

『解析するなら、今のうちにしろ。次は同じ手では止めない』

 カイルが鼻で笑う。

「親切だな」

 レオンはカイルを見る。

『こちらも同じ手では済まないからだ』

「なるほどな」

 ジンは短く頷いた。

「通信を受けた。ルクス・ヴァルキュリアは現時点で停止線を越えない。ただし、撤退はしない」

『ならば、次に話す時は、また戦場だ』

「そうなるかもしれない」

『そうならない道もある。だが、それを選ぶのは貴艦だ』

 通信が切れる直前、レオンはもう一度だけユイを見た。

『ユイ。出さなかった選択は見た』

 ユイは黙って受け止める。

『次に見るのは、その先だ』

 通信が切れた。

 管制室に、音が戻る。

 警告音。

 端末の操作音。

 冷却系の低い駆動音。

 しばらく誰も大きな声を出さなかった。

 カイルが最初に口を開く。

「話は通じる。だが、通してはくれない」

 ジンが頷く。

「前線指揮官としては筋が通っている」

 黒瀬が記録をまとめる。

「帝国外縁方面軍より停止線提示。追撃なし。ただし停戦ではない。次回越境時、防衛行動再開。セレスティアは外縁方面軍の完全指揮下になし」

 三島が言う。

「最後の情報は大きいですね」

「はい」

 ユイは画面が消えた後も、しばらくそこを見ていた。

 レオンは敵だ。

 外縁防衛線を開ける気はない。

 だが、オルフェンとは違う。

 戦場を実験場としてだけ見ているわけではない。

 そして、アミィについても完全には隠さなかった。

 レータが小さく言う。

「セレスティアは、外縁のものじゃない」

 カナデが頷く。

「つまり、アミィを追うなら、レオンだけを相手にしているわけではないということです」

 リクトが端末を開く。

「解析を急ぐ。停止線を越えずに取れる情報は全部取るぞ」

 ミオとイリスが同時に頷いた。

 その頃、グラトン艦橋では、オルフェンが別の端末を開いていた。

 通信回線は、レオンの指揮系統ではない。

 本国監察局へ向かう秘匿回線。

 オルフェンは、淡々と報告を入力する。

『ユイ個体はノクス・レクイエムを出撃させず』

 続けて、次の文を打つ。

『出撃拒否は恐怖のみではなく、観測意図の理解による判断と推定』

 彼の指が止まる。

 そして、少しだけ口元を歪めた。

『セレスティア反応への反応確認は未完』

 さらに続ける。

『PT-L個体、PT-Y個体に反応あり。追加圧力が必要』

 送信。

 オルフェンは端末を閉じた。

 前線の盾は、一度止まった。

 だが、実験を止めるつもりはなかった。

 外縁の停止線は、戦いの終わりではない。

 次に何を揺らせば、彼女達が動くのか。

 それを確かめるための時間が、静かに始まっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ