第211話 出さない選択
ノクス・レクイエムは出ない。
その判断は、戦場にすぐ伝わった。
前線の機体にとって、それは楽な知らせではなかった。
白灰と金のエリシオンは、なお防衛線の中心に立っている。
グラディウス・ブレイクは突撃の角度を変え、ヴェス・シュトルムは横から支援線を乱し、ノクターン・ジャマーはミオの支援リンクを鈍らせている。
ルクス側は押されていた。
アルタイル・ノヴァ・ブレイスの肩装甲は砕け、右腕部にも負荷が出ている。
ヴァナルガンドの脚部装甲には浅い損傷。
ルナ・スケイル・リフレクトの防御支援パネルも、連続展開で熱を持ち始めていた。
それでも、カイトは操縦桿を握り直した。
「出ない、か」
口に出すと、不思議と焦りが少しだけ形を変えた。
ユイが出ない。
ノクス・レクイエムを使わない。
それは、戦力を温存するというだけではない。
こちらが、敵の誘導に乗らないということだった。
『カイト』
通信にユイの声が入る。
「聞こえてる」
『エリシオンは、防衛線を固定する機体です。ですが、固定を維持するには、必ず基準点が必要です』
「基準点?」
『はい。盾の中心。指示の起点。動かない場所です』
ユイの声は落ち着いていた。
前線に出ていないからこそ、戦場全体を見ようとしている声だった。
『エリシオン本体を崩す必要はありません。まず、エリシオンが動かざるを得ない状況を作ってください』
カイトは正面の防衛線を見た。
敵は動かない。
いや、動かないように見せている。
実際には、周囲のGDや砲台を細かく動かし、防衛線の形を維持している。
ならば。
「盾を壊すんじゃなくて、盾を動かす」
『はい』
カイトは小さく息を吐いた。
「分かった。やってみる」
ミオがすぐに支援表示を組み替える。
『正面突破案を破棄します。新しい目標は、敵防衛線の再配置負荷を上げること。エリシオンの防御指示を引き出し、その指示経路を可視化します』
『つまり、ちょっかい出して困らせるってことか』
レイが言う。
『乱暴ですが、近いです』
『なら得意だ』
『レイ、単独で突っ込むのは違います』
『分かってる。たぶん』
『たぶんは困ります』
緊張の中に、わずかなやり取りが戻る。
カイトはそれを聞きながら、機体を横へ流した。
今度は正面を目指さない。
エリシオンに向かって突っ込まない。
防衛線の端へ、浅く斜めに入る。
すぐにヴェス・シュトルムが反応した。
黒灰の高速機が二機、カイトの進路を遮るように走る。
カイトは撃たなかった。
さらに内側へ入ると見せて、すぐに外へ逃げる。
ヴェス・シュトルムが追う。
その動きに合わせて、後方の固定砲台が照準をずらす。
『照準変化を確認』
ミオが言う。
『セラ、今の砲台群の同期点、見えますか』
『見えます』
セラの声が返る。
『ですが、撃ち抜いてもすぐに代替されます』
『撃ち抜かなくて構いません。少しだけ角度を変えてください』
『了解』
フェンリオン・リサイトが砲身を向ける。
狙いは砲台本体ではない。
砲台の前に浮かぶ小型の誘導中継機。
セラは呼吸を整えた。
命令されたから撃つのではない。
自分で、必要な場所を判断して撃つ。
『撃ちます』
一射。
弾体は中継機の中心を貫かず、端をかすめた。
破壊ではない。
姿勢制御だけを狂わせる。
中継機がわずかに傾き、砲台の照準補助に誤差が生じる。
すぐにエリシオンから補正指示が走った。
ミオの画面に、その流れが映る。
『見えました。エリシオンから第三防衛群へ補正指示。指示経路、記録します』
管制室で、リクトが声を上げた。
「よし、取れた。エリシオンの補助指示は階層化されてる。本体から直接全部を動かしてるんじゃない。いくつかの中継点を通して、防衛群をまとめている」
黒瀬が端末を見る。
「中継点を狙えば、エリシオンの防衛指揮を鈍らせられる可能性がありますか」
「可能性はある。ただし破壊しすぎると、エリシオンが別経路へ切り替える。今は壊すより、揺らす方がいい」
アシュが短く言った。
『盾持ちは、片側を押すと反対側で支える。全部押すな。少しずつずらせ』
カイルが笑う。
『珍しく分かりやすいな』
『いつも分かりやすい』
『そうか?』
『お前が分かってないだけだ』
レイヴン・ハウルが戦域の端を滑る。
カイルは敵の防衛線へ深く踏み込まず、外周をなぞるように動いた。
その動きに、ヴェス・シュトルムの一部が釣られる。
すぐにエリシオンが再配置指示を出す。
防衛線の端がわずかに動く。
『今』
ミオの声。
レイが動いた。
ヴァナルガンドは、さきほどのように正面の穴へ飛び込まなかった。
敵が塞ぎたくなる位置へ、あえて浅く踏み込む。
グラディウス・ブレイクが反応し、前へ出る。
その瞬間、レイは横へ抜けた。
『引っかかった』
グラディウス・ブレイクの突撃角度がずれる。
前衛の一角に隙間ができる。
カイトはそこへ撃ち込んだ。
敵を落とすためではない。
さらに動かすために。
ビームがグラディウス・ブレイクの足元をかすめる。
敵機は踏みとどまり、後方のファランクス系防衛GDが前へ出る。
それを見て、セラが二射目を放った。
ファランクスの盾ではなく、盾を支える腕部関節。
破壊ではない。
動作を遅らせる。
防衛線が、ほんの少しだけ歪んだ。
「押せる!」
カイトが前へ出ようとした瞬間、カイルの声が飛ぶ。
『押すな! 今押したら戻される!』
カイトは機体を止めた。
「でも、今なら――」
『今なら、向こうが待ってる場所に入るだけだ。焦るな』
カイトは歯を食いしばった。
まただった。
突破できそうに見えると、身体が前に出ようとする。
その癖を、エリシオンは利用してくる。
カイトは息を吐いた。
「……了解。押さない」
その判断を見て、管制室のユイは小さく頷いた。
「カイトが止まりました」
カナデが言う。
「はい」
「あなたも、少し呼吸が落ち着きましたね」
ユイは自分の手を見る。
知らないうちに、指先に力が入っていた。
「出ないと決めても、見ているだけなのは難しいです」
「見ているだけではありません」
カナデは静かに言った。
「今、あなたは前線へ情報を渡しています。ノクス・レクイエムを使わずに、戦場を支えています」
ユイは少しだけ目を伏せた。
「支える……」
「はい。出撃だけが戦うことではありません」
黒瀬がその言葉を記録していた。
以前なら、ただの情緒的な表現として流していたかもしれない。
だが今は違う。
ノクス・レクイエムを出さないこと。
ユイが後方から敵の癖を読み、味方へ伝えること。
それは安全管理であり、戦術判断でもある。
「記録します」
黒瀬は言った。
「ノクス・レクイエム非出撃下におけるPT-Y個体の戦術支援。危険出力を用いず、敵防衛構造解析に寄与」
三島が少しだけ黒瀬を見る。
「監査官、ずいぶん言い方が変わりましたね」
「事実を書いているだけです」
「そうですね」
三島は小さく頷いた。
前線では、ルクス側の動きが少しずつ変わり始めていた。
最初のように、正面から突破しようとはしない。
レイが敵を釣る。
セラが動きをずらす。
ミオが支援網を細かく組み替える。
カイルが外周から敵の再配置を誘導する。
カイトはその中心で、前に出たい衝動を抑えながら、味方の動きに合わせて位置を変える。
アルタイル・ノヴァ・ブレイスは、ノクス・レクイエムを支えるための機体として作られ始めた。
だが今は、仲間全体の動きの継ぎ目を支えている。
『カイト、三秒後に右へ』
ミオの指示。
「了解」
『レイ、敵前衛を一機だけ引き出してください』
『一機だけか。面倒だな』
『二機出したら戻ってください』
『じゃあ一機にする』
『セラ、誘導砲台の補正だけを撃ってください』
『了解。撃ち抜きません』
言葉が短くなっていく。
それは余裕がなくなっているからではない。
やることが明確になっているからだった。
防衛線はまだ崩れない。
エリシオンは動かない。
だが、周囲のGDは動かされている。
グラトン艦橋で、クラウスが報告した。
「防衛線再配置負荷、上昇。第三、第五防衛群の指示経路に遅延。エリシオンの補正範囲内ですが、ルクス側が中継点を狙っています」
レオンは静かに頷いた。
「気づいたか」
オルフェンが不快そうに言う。
「ノクス・レクイエムを出さないまま、こちらの防衛線を解析しています」
「そうだ」
「不愉快ですね。観測対象が観測を拒否している」
「戦場では当然の判断だ」
レオンの声は変わらない。
「出せば勝てるかもしれない機体を、あえて出さない。あの個体は、自分の力がどう見られているか理解している」
「恐れているだけでは?」
「恐れを理解した上で、選んでいる。恐れがないより厄介だ」
オルフェンは薄く笑った。
「では、その判断を崩しましょう」
レオンの視線がわずかに動く。
「何をする気だ」
「こちらも、分類された通りの戦力を使うだけです」
オルフェンは端末を操作する。
クラウスがその通信経路に気づき、表情を硬くした。
「監察官、その回線は――」
「本国監察権限による補助指令です。外縁高速機動試験隊に待機命令の解除準備を通達します」
レオンの声が低くなる。
「ヘルメスはまだ動かすなと言った」
「正式な出撃命令ではありません。準備命令です」
「詭弁だ」
「観測記録が取れないまま防衛線を揺らされる方が問題です」
オルフェンは笑みを消さない。
「エリシオンは盾です。ならば、横から揺らす手も必要でしょう。ルクス側もそれを始めたのですから」
レオンはオルフェンを見据えた。
「戦場を乱しすぎるな」
「乱れなければ、本質は出ません」
その言葉に、レオンの目がわずかに冷えた。
だが、前線からの報告が割り込む。
「第三防衛群、再配置。ルクス側前衛、側面へ移動」
クラウスが報告する。
「エリシオン、補正を継続しますか」
レオンは一瞬だけ黙った後、前線へ視線を戻した。
「継続。だが、押し潰すな。進路封鎖を維持しろ」
「了解」
オルフェンは、小さく息を吐いた。
「本当に甘い」
その声は、レオンに聞こえる程度の大きさだった。
レオンは答えなかった。
前線で、カイト達は防衛線を動かし続けていた。
突破はできていない。
だが、戦場の主導権を少しずつ取り返している。
ミオの支援網が、ノクターン・ジャマーの干渉を避けるように細く分岐する。
イリスが管制側で、わずかな通信ノイズの差を拾う。
「ノクターン・ジャマーの干渉波、一定ではありません」
イリスが言った。
「エリシオンの指示経路が強くなる瞬間だけ、干渉が薄くなります」
リクトが画面を見る。
「つまり、向こうも同時に全部はできない。防御指示を強めると、ジャマーの嫌がらせが薄くなる」
「はい」
ユイが前線表示を見た。
「カイト、次にエリシオンが防御指示を強めた瞬間、ノクターン・ジャマーの干渉が薄くなります。その時だけ、ミオの支援を深く通せます」
『了解。ミオ、聞こえた?』
『聞こえています。三秒だけ支援を深く入れます』
『三秒で何しろって?』
レイが言う。
『三秒あれば、あなたは十分動けます』
『よく分かってる』
セラが静かに言う。
『私も合わせます』
カイルが笑った。
『よし、三秒勝負だ。カイト、今度は前に出るなよ』
「分かってます」
『本当か?』
「たぶん」
『お前もたぶん族か』
通信の中に、ほんの少し笑いが戻った。
だが次の瞬間、戦場は再び鋭くなる。
カイトが浅く前に出る。
敵防衛線が反応する。
エリシオンの盾がわずかに角度を変え、防御指示が強まる。
その瞬間、ノクターン・ジャマーの干渉が薄くなった。
『今です』
ミオのルナ・スケイル・リフレクトから、細い支援ラインが伸びる。
それはカイトではなく、レイとセラへ同時に繋がった。
レイが加速する。
ヴァナルガンドが、防衛線の端を切るように走る。
セラの狙撃が、その進路を塞ごうとした中継機の姿勢を崩す。
一秒。
二秒。
カイトは前へ出たい衝動を抑えた。
自分が突破するのではない。
今は、味方が動く場所を作る。
三秒。
レイの刃が、ノクターン・ジャマーの肩部ユニットを裂いた。
完全破壊ではない。
だが、干渉波が乱れる。
『ジャマー出力低下』
ミオの声。
『支援リンク、回復します』
セラが続ける。
『敵中継点、二基後退。防衛線の外縁が下がります』
カイトは画面を見た。
エリシオンはまだそこにいる。
防衛線も崩れていない。
けれど、今初めて、敵の一部が後ろへ下がった。
「……動いた」
それは突破ではなかった。
勝利でもなかった。
だが、エリシオンの盾が、ほんの少しだけ動かされた瞬間だった。
管制室に、小さな息が漏れる。
ジンが頷く。
「いい。無理に押すな。このまま再配置を誘い続けろ」
黒瀬が記録する。
「通常戦力により、エリシオン防衛線の外縁再配置を誘発。ノクス・レクイエム非出撃のまま、敵支援機能一部低下を確認」
ユイは前線を見つめた。
出なかった。
けれど、何もできなかったわけではない。
カイト達は戦っている。
ミオも、レイも、セラも、カイルも、それぞれの役割で戦場を動かしている。
ユイは小さく言った。
「出ない選択も、戦いになるんですね」
カナデが頷く。
「はい。選択したなら、それは戦いです」
その時だった。
警告音が、別系統で鳴った。
リクトが顔を上げる。
「外側航路に高機動反応。速い……かなり速い!」
アシュの声が通信に入る。
『来るぞ』
カイルが反応する。
『何がだ』
『ヘルメスだ』
表示に、新たな機体反応が浮かび上がる。
GD-NM-01 ヘルメス。
高速撹乱・偵察・追撃機。
まだ戦域へ突入してはいない。
だが、その反応は外縁防衛線の横から、鋭くこちらを狙っていた。
ユイの表情が硬くなる。
「ヘルメス隊……」
レオンの艦橋で、クラウスが報告する。
「高速機動試験隊、出撃準備に移行。監察官権限による補助指令です」
レオンはオルフェンを見た。
「出すなと言ったはずだ」
オルフェンは涼しい顔で答える。
「まだ出していません。ですが、準備は必要でしょう」
前線表示の端で、ヘルメスの反応が加速準備に入る。
エリシオンの盾は、まだ崩れていない。
だが、ルクス側はそれを動かし始めた。
だからこそ、帝国側は次の手を出そうとしている。
盾の横から、風が来る。
外縁防衛線の戦いは、正面の押し合いから、戦場全体を揺らす段階へ移ろうとしていた。




