第210話 盾のエリシオン
エリシオンが前線へ出た瞬間、戦場の形が変わった。
それは、ただ高出力の機体が一機増えたという変化ではなかった。
白灰と金、そして黒鉄の装甲を持つGD-NM-03エリシオンは、防衛線の中心へ静かに進み出た。
巨大な盾を構えたその姿は、攻撃機というより、戦場そのものを支える柱のように見えた。
だが、本当に変わったのはエリシオン自身ではない。
周囲のGD部隊だった。
グラディウス・ブレイクが、突撃しすぎなくなる。
ヴェス・シュトルムの高速機動が、ただの撹乱ではなく、こちらの進路を限定する線になる。
ノクターン・ジャマーの干渉が、ミオの支援リンクへ浅く、しかし確実に食い込んでいく。
固定砲台の照準が重なる。
迎撃機の散開位置が整う。
防衛線の穴が、穴になる前に塞がれていく。
カイトはアルタイル・ノヴァ・ブレイスの操縦席で、思わず息を呑んだ。
「なんだ、これ……!」
敵が強くなった。
そう言うだけなら簡単だった。
けれど実際には、敵一機一機の性能が急に上がったわけではない。
動きが変わったのだ。
ばらばらだったはずの砲台、GD、迎撃機が、同じ意図で動き始めている。
それまで隙に見えていた場所が、次の瞬間には罠になる。
突破口に見えた空間が、踏み込んだ瞬間に射線の交差点へ変わる。
『前方、射線密度上昇』
ミオの声が通信に入る。
『カイト、左側へ抜けないでください。誘導されています』
「誘導?」
『はい。空いているように見える場所ほど危険です』
その言葉の直後、カイトの前方左側に空白ができた。
普通なら、そこが突破口に見える。
だが、ミオの警告表示が赤く光る。
カイトは反射的に機体を止めた。
次の瞬間、その空白を中心に固定砲台の射線が交差した。
もし飛び込んでいたら、複数方向から撃ち抜かれていた。
「危な……!」
『エリシオンが防衛線を組み替えています』
ミオの声に、わずかな緊張が混じる。
『こちらの動きを見てから穴を塞いでいるのではありません。こちらが動く前に、動きたくなる場所を作っています』
『なら、先に崩す』
レイのヴァナルガンドが加速した。
鉄灰と黒紺の影が、敵の防衛線へ低く滑り込む。
ヴェス・シュトルムが横から妨害に入るが、レイは一瞬だけ機体を沈めるように姿勢を変え、その下を抜けた。
速い。
味方のカイトでさえ、完全には目で追えなかった。
ヴァナルガンドは防衛線の隙間へ入り込む。
狙いはエリシオンではない。
その前にいるグラディウス・ブレイクの指揮補助機だった。
『そこを退け』
レイの声と同時に、近接刃が閃いた。
だが、刃は届かなかった。
エリシオンが、動いた。
大きく踏み込んだわけではない。
盾を前へ出し、わずかに角度を変えただけだった。
その動きに合わせて、周囲のファランクス系防衛GDが一斉に位置をずらす。
レイの突入経路に、壁ができた。
『ちっ』
ヴァナルガンドは無理に突っ込まず、すぐに反転した。
その判断は早かった。
だが、反転した先にも、すでにヴェス・シュトルムが回り込んでいる。
「レイ!」
『問題ない』
レイは短く答える。
ヴァナルガンドが斜め上へ跳ねるように加速し、ヴェス・シュトルムの包囲を抜けた。
抜けた。
だが、突破はできていない。
レイの高機動でも、防衛線の内側へ踏み込めない。
セラは、その光景を後方から見ていた。
フェンリオン・リサイトの青緑センサーが、エリシオンの周囲をなぞる。
防衛指示の流れ。
砲台の照準補正。
GD部隊の位置変更。
その中に、一瞬だけ遅れる箇所があった。
『防御指示の中継点を確認』
セラは静かに言った。
『撃ちます』
フェンリオン・リサイトが狙撃姿勢を取る。
ファングレールの砲身が、淡い光を帯びる。
命令ではない。
セラ本人が、撃つべき場所を判断していた。
一射。
長距離から放たれた弾体が、防衛線の中継GDへ向かって伸びる。
その軌道は正確だった。
遮るものはない。
はずだった。
エリシオンの盾が、わずかに角度を変えた。
直接、弾を受けたわけではない。
周囲の防御フィールドを重ね、弾道を逸らしたのだ。
セラの狙撃は、中継GDの肩をかすめるだけに終わった。
『外されました』
セラの声は静かだった。
だが、そこに少しだけ悔しさがあった。
『命中直前に、防御フィールドの層をずらされました。こちらの狙撃位置を読まれています』
カイトは奥歯を噛んだ。
レイが抜けない。
セラの狙撃も完全には通らない。
ミオの支援も、ノクターン・ジャマーに少しずつ削られている。
こちらが弱いわけではない。
むしろ、通常のGD部隊相手なら押し込めるだけの戦力はある。
それでも、進めない。
管制室で、リクトが表示を切り替えながら言った。
「エリシオン、周囲のGDと防衛砲台を指揮管制しています。直接制御ではなく、補助指示に近い。だからジャミングしても完全には止まらない」
「つまり、あれを落とさない限り、防衛線全体が崩れない?」
三島の問いに、リクトは首を横に振った。
「正確には、あれを落とすだけでも足りない。エリシオンがいる間に組み替えられた防衛線は、ある程度自律して維持される。壊すなら、エリシオン、砲台、中継機、前衛GDを同時に崩す必要がある」
「厄介ですね」
黒瀬が言った。
その声には、感情は少なかった。
ただ、危険を危険として認める硬さがあった。
「ノクス・レクイエムを出せば、突破できる可能性はありますか」
その言葉に、管制室の空気が一瞬だけ止まった。
ユイは、後方席で前線表示を見ていた。
ノクス・レクイエムはまだ隔離区画にある。
起動していない。
だが、彼女の視線は、戦場のどこかではなく、その奥にあるエリシオンを見ていた。
リクトは短く考えた後、答える。
「可能性だけならある。ノクス・レクイエムの出力なら、エリシオンの防御層を力で揺らせる。ただし、長引けば危険だ」
アシュが通信越しに言う。
『出すなら短時間だ。押し切るために出すな。穴を作るために出せ』
リンも続けた。
『ベントは低出力待機排出まで。連続使用は無理。アンカーは使えません』
黒瀬は端末を開いた。
「出撃条件を確認します。ノクス・レクイエム初期型の許可範囲は、通常機動、短時間の限定戦闘、低出力ベントの待機排出、本人意思認証による起動と停止」
三島が記録を読み上げるように続ける。
「禁止事項。レクイエム級出力の全開放、レクイエム・アンカーの完全使用、ベントの連続全開排出、長時間戦闘、帝国式認証網への接続、ノクス・リリス旧データの主制御直結、単独長距離出撃」
ジンはユイを見た。
「ユイ」
ユイはすぐには答えなかった。
彼女の中で、何かが静かに動いていた。
ノクス・レクイエムを出せば、この防衛線を崩せるかもしれない。
少なくとも、カイト達の負担は減る。
エリシオンの盾を揺らし、敵の陣形を乱すことはできる。
けれど、それは強いから出すという判断でもあった。
撃てるから撃つ。
崩せるから崩す。
その考え方に、ノクス・レクイエムは近づきすぎる。
カナデがユイの生体反応を確認していた。
心拍。
同期予備反応。
呼吸。
感情波形。
「ユイ。今、ノクス・レクイエムへ意識を向けていますね」
「はい」
「負荷が上がっています」
「分かっています」
「今すぐ出撃できない、という意味ではありません」
カナデは静かに言った。
「ただ、今のあなたは“仲間を助けるために出る”気持ちと、“自分が出れば崩せる”という判断が近づきすぎています」
ユイは目を伏せた。
それは、痛いほど正確だった。
「……はい」
「その状態で出れば、ノクス・レクイエムは力を使う理由を見つけやすくなります。もう少し、戦況とあなた自身を分けてください」
黒瀬がカナデを見る。
「出撃を止める判断ですか」
「現時点では、待機継続が妥当です」
カナデは答えた。
「ただし、前線被害が拡大する場合は再評価します」
黒瀬は頷いた。
「記録します。現時点でノクス・レクイエムは待機。理由、操縦者負荷上昇および戦況判断との感情結合」
ユイは何も言わなかった。
前線では、状況がさらに悪くなり始めていた。
エリシオンを中心に、防衛線はじわじわと前へ押し出してくる。
攻撃しているというより、壁そのものが前進しているようだった。
グラディウス・ブレイクが突撃し、カイトの動きを止める。
ヴェス・シュトルムがレイの追撃を分断する。
ノクターン・ジャマーがミオの支援網を乱す。
そして、エリシオンがそのすべてを受け止め、整え、押し返す。
『カイト、右後方へ下がってください』
ミオの声が飛ぶ。
「いや、ここで下がったら前衛が――」
『下がってください。誘導されています』
カイトは一瞬だけ迷った。
その一瞬が、遅れになった。
グラディウス・ブレイクが突っ込んでくる。
アルタイル・ノヴァ・ブレイスは盾で受けた。
衝撃が機体を揺らす。
「ぐっ!」
警告音。
右腕部、負荷上昇。
支援ライン一部不安定。
カイトは機体を踏みとどまらせようとした。
だが、背後からヴェス・シュトルムが回り込む。
横腹を浅く斬られ、機体が弾かれた。
『カイト!』
ミオが防御支援を飛ばす。
しかし、ノクターン・ジャマーの干渉で支援フィールドの展開がわずかに遅れる。
ほんのわずかだった。
だが、その遅れで、アルタイル・ノヴァ・ブレイスの肩装甲が砕けた。
「まだ、動ける!」
カイトは姿勢を立て直す。
だが、正面にはすでにエリシオンの防衛線がある。
白灰と金の機体は、攻め込んでこない。
ただ、そこに立っている。
盾を構え、周囲の部隊を動かし、こちらの選択肢を削っている。
それが、これほど厄介だとは思わなかった。
カイルのレイヴン・ハウルが横から飛び込み、カイトを追撃しようとしたヴェス・シュトルムを牽制する。
『無茶すんな、カイト! 向こうはお前を倒したいんじゃねえ。焦らせたいんだ!』
「分かってます!」
『分かってる奴の動きじゃねえ!』
カイトは言い返せなかった。
焦っていた。
はっきりと。
敵を倒せないことではない。
進めないこと。
自分達が押し返されていること。
そして、ユイが後ろでノクス・レクイエムを見ていると分かっていること。
自分が踏みとどまれなければ、ユイが出る。
そう思った瞬間、さらに焦りが増す。
グラトン艦橋では、レオンが前線表示を見ていた。
「押しすぎるな」
彼は静かに命じた。
「防衛線を維持。敵前衛を包囲せず、進路のみ封鎖しろ」
クラウスが復唱する。
「防衛線維持。包囲戦へ移行せず。進路封鎖を継続」
オルフェンが不満そうに笑った。
「甘いですね。今なら前衛機を二、三機落とせます」
「落とすために出したのではない」
「では、何のために?」
「見るためだ」
レオンは前線表示から目を離さなかった。
「ルクス・ヴァルキュリアが、どこまで通常戦力で動くか。ユイが、どこでノクス・レクイエムを出すか。出した時、暴走するのか、それとも止められるのか」
オルフェンの口元が薄く歪む。
「ならば、出させるべきです。ノクス・レクイエムを」
レオンは答えない。
オルフェンは続けた。
「本国が求めているのは、観測記録です。通常戦力との小競り合いではありません。ユイ個体とノクス・レクイエムが、どの段階で反応を示すか。どこまで出力を上げるか。セレスティア反応に対してどう変化するか。それを取らなければ意味がない」
「戦場は実験場ではない」
「閣下がそう思っていても、本国は違います」
レオンはようやくオルフェンへ視線を向けた。
「本国の命令は理解している。だが、この防衛線の指揮官は俺だ」
「では、指揮官として結果を出していただきたい。出させてください。ノクス・レクイエムを」
レオンは再び前線を見た。
ルクス側の前衛は崩れかけている。
だが、まだ折れていない。
カイトのアルタイル・ノヴァ・ブレイスは損傷しながらも前線に残っている。
ミオのルナ・スケイルは支援網を張り直し続けている。
レイは何度も突破口を探し、セラは狙撃機会を捨てていない。
カイルのレイヴン・ハウルは、戦域の端を読んでいる。
そして、ノクス・レクイエムはまだ出ていない。
「まだだ」
レオンは言った。
「まだ、あの艦は自分達で耐えようとしている」
オルフェンは不満を隠さなかった。
「耐えられなくすればいい」
レオンは答えなかった。
ただ、エリシオンの盾をわずかに前へ進めた。
前線で、圧力が一段増した。
カイトはそれを全身で感じた。
敵の射線が狭まり、移動可能範囲が削られる。
防衛線は崩れない。
むしろ、こちらの消耗だけが増えていく。
ルナ・スケイル・リフレクトの支援パネルに警告が走る。
『防御支援、連続展開限界に近づいています』
ミオが小さく息を吐いた。
『まだ維持します』
『ミオ、無理すんな』
レイが言う。
『あなたに言われるとは思いませんでした』
『私も言ってからそう思った』
短いやり取り。
だが、余裕は薄い。
フェンリオン・リサイトにも警告が出ていた。
セラは、狙撃姿勢を解かずに呼吸を整える。
『次で、中継点を撃ちます』
カイルがすぐに返す。
『撃てるのか』
『撃ちます。命令ではなく、私の判断で』
セラの声は静かだった。
だが、迷いはなかった。
ファングレールが再び光を帯びる。
狙いは、防衛線の中継点。
エリシオンが防御を重ねる、そのわずかな前。
一射。
今度の弾は、中継GDの脚部を撃ち抜いた。
完全破壊ではない。
だが、防衛線の一角にわずかな歪みが生まれる。
「今だ!」
カイトは機体を前へ出した。
アルタイル・ノヴァ・ブレイスが加速する。
肩装甲は損傷している。
支援ラインも一部不安定。
それでも、今しかない。
レイも同時に動く。
ヴァナルガンドが影のように走り、カイトの横を抜ける。
ミオが支援フィールドを絞って展開する。
広く守るのではなく、突破する二機へ集中する。
その瞬間、エリシオンが盾を構え直した。
白灰と金の機体を中心に、防御フィールドが何層にも重なる。
砲台の射線が交差する。
ヴェス・シュトルムが横から戻り、グラディウス・ブレイクが正面を塞ぐ。
できたはずの穴が、塞がれる。
「くそっ!」
カイトは急停止した。
止まりきれず、機体に反動が走る。
レイはかろうじて横へ逃げたが、ヴァナルガンドの脚部装甲を浅く裂かれる。
『ちっ、読まれた』
カイトの前方に、エリシオンがいた。
距離はまだある。
だが、盾越しに向き合っているように感じた。
その機体は、こちらを潰しに来ない。
ただ、進ませない。
それだけを徹底している。
カイトの手に、力が入る。
「抜けない……!」
その言葉は、通信に乗った。
管制室で、ユイはその声を聞いた。
カイトの焦り。
ミオの負荷。
レイの苛立ち。
セラの集中。
カイルの警戒。
すべてが、前線で押し返されている。
ユイは静かに立ち上がった。
「ユイ」
カナデが呼ぶ。
ユイはカナデを見た。
その表情は、先ほどより落ち着いていた。
焦りが消えたわけではない。
だが、焦りだけで動こうとしている顔ではなかった。
「私が出れば、防衛線を揺らせるかもしれません」
黒瀬が端末を開く。
「ノクス・レクイエム限定出撃申請ですか」
「いいえ」
ユイは首を横に振った。
「今は出ません」
管制室に、短い沈黙が落ちた。
ジンが目を細める。
「理由を聞かせろ」
ユイは前線表示を見た。
エリシオン。
その周囲で組み替えられる防衛線。
押し返される仲間達。
そして、こちらに出撃を選ばせようとする敵の意図。
「エリシオンは、私を出させるために防衛線を固定しています」
ユイは静かに言った。
「ここで出れば、私は向こうの望む形でノクス・レクイエムを使うことになります」
黒瀬は何も言わず、記録を続けている。
ユイは続けた。
「撃てるから撃つのではありません。出せるから出るのでもありません」
カナデが、ユイの生体反応を確認する。
心拍は高い。
負荷もある。
けれど、同期予備反応は先ほどより落ち着いていた。
ユイは、ノクス・レクイエムを見ていなかった。
戦場を見ていた。
そして、自分自身の状態を見ていた。
「今回は、出ないことで止まります」
その言葉に、誰もすぐには答えなかった。
ノクス・レクイエムは、強い。
出せば戦場を変えられる可能性がある。
だが、強いから出すという判断は、帝国が望む兵器の使い方に近い。
ジンは短く息を吐いた。
「分かった。ノクス・レクイエムは待機継続」
「艦長」
黒瀬が顔を上げる。
「記録します。ノクス・レクイエム限定出撃は申請されず。操縦者本人の判断により待機継続。理由、敵側の観測誘導を避けるため、および運用思想上の危険回避」
「それでいい」
カナデも頷いた。
「ユイ。今の判断は、逃げではありません」
「はい」
「ただし、前線を見捨てるという意味でもありません」
ユイは静かに頷く。
「分かっています」
彼女は通信を開いた。
「カイト」
『ユイ?』
前線のカイトが応じる。
息が少し荒い。
機体も損傷している。
だが、まだ戦えている。
「ノクス・レクイエムは出しません」
カイトは一瞬、何も言わなかった。
それから、短く答えた。
『分かった』
「理由は聞かないのですか」
『聞かなくても、だいたい分かる』
カイトの声には、焦りがまだ残っていた。
それでも、ユイの判断を責める色はなかった。
『出せば勝てるかもしれないから出す、っていうのは違うんだろ』
「はい」
『なら、俺達でなんとかする』
カイトは正面のエリシオンを見た。
『ユイが出ないって決めたなら、その分、俺達が動く』
ミオが通信に入る。
『支援網を組み替えます。正面突破ではなく、撤退路と再突入経路を同時に作ります』
レイが笑う。
『抜けないなら、別の角度を探すだけだ』
セラも静かに言った。
『次は、撃ち抜くためではなく、動かすために撃ちます』
カイルの声が続く。
『よし、全機聞け。力押しは終わりだ。防衛線を崩すんじゃねえ。向こうに動かさせる』
管制室で、リクトが表示を切り替えた。
「なるほど。エリシオンは防衛線を固定する機体だ。なら、こっちが無理に押すほど相手の得意な形になる」
アシュが短く言う。
『動かせ。盾は動かすと隙が出る』
ジンは頷いた。
「作戦変更。前衛各機は無理な突破を中止。防衛線の固定点を探り、敵の再配置を誘発する。ノクス・レクイエムは待機のまま、通常戦力で戦線を組み替える」
『了解』
前線の動きが変わった。
カイトは深く息を吸う。
焦るな。
押し切ろうとするな。
ユイが出ないと決めたなら、自分が無理に勝とうとする必要もない。
アルタイル・ノヴァ・ブレイスは、エリシオンへ向かって突っ込まなかった。
代わりに、横へ流れる。
ミオの支援フィールドが細く伸び、レイの進路を一瞬だけ隠す。
セラの狙撃が、敵を撃ち抜くのではなく、位置をずらすために放たれる。
カイルのレイヴン・ハウルが戦域の端をかすめ、ヴェス・シュトルムを追い立てる。
エリシオンの防衛線は、すぐに反応した。
盾が動く。
砲台の照準が変わる。
GD部隊が再配置される。
崩れはしない。
だが、初めて、防衛線がこちらの動きに合わせて動いた。
グラトン艦橋で、レオンはその変化を見た。
「……出さないか」
オルフェンが眉をひそめる。
「恐れたのでしょう」
「違う」
レオンは即座に言った。
「選んだんだ」
オルフェンの目が細くなる。
「閣下は、随分とあの裏切り個体を評価される」
「評価ではない。戦場で見えた事実だ」
レオンは前線表示を見る。
ノクス・レクイエムは出ていない。
だが、ルクス側の動きは止まっていない。
むしろ、力押しをやめたことで、戦場の流れがわずかに変わり始めている。
「エリシオンは防衛線を固定する。だが、固定されたものは、動かされることに弱い」
クラウスが確認する。
「防衛線、再配置負荷上昇。ルクス側は突破ではなく、こちらの防衛指示を引き出す動きへ移行しています」
オルフェンは不快そうに端末を操作した。
「ならば、さらに圧をかければいい。通常戦力で足りないなら、高速部隊を投入するべきです」
レオンは視線を向ける。
「まだヘルメスは動かすな」
「本国は観測記録を求めています」
「俺は防衛線の維持を命じている」
「その防衛線を揺らされています」
オルフェンは薄く笑った。
「このままでは、ノクス・レクイエムは出ませんよ」
レオンは答えなかった。
だが、オルフェンの指が端末の上で止まっていないことを、クラウスは見逃さなかった。
前線では、ルクス側の機体が防衛線を押すのではなく、揺らし始めていた。
まだ突破はできない。
エリシオンは強い。
防衛線は厚い。
消耗も続いている。
それでも、戦い方は変わった。
ノクス・レクイエムは出ない。
その選択が、逆に戦場の形を少しだけ変えた。
ユイは管制室で、静かに前線を見つめていた。
隔離区画の奥で、ノクス・レクイエムの本人意思認証光は淡く脈打っている。
命令を待つ光ではない。
出撃を急かす光でもない。
出ないという選択を、ただ静かに受け止めている光だった。




