第209話 外縁防衛線
帝国外縁防衛線。
その言葉は、ただの境界を意味しているわけではなかった。
帝国本国へ近づく航路。
外縁植民圏と軍事拠点をつなぐ中継宙域。
そして、帝国が自分達の領域だと定めた場所に、他者が踏み込むことを拒むための線。
ルクス・ヴァルキュリアの前方表示には、その線が無数の光点として映し出されていた。
固定砲台。
機雷帯。
小型哨戒艦。
無人迎撃機。
そして、それらを背後から支えるように展開する帝国艦隊の影。
その中心に、巨大な黒い艦がいた。
ドレッドノート級殲滅艦、グラトン。
艦首は、巨大な砲口のように前方へ伸びている。
単独で戦局を変えられる火力を持つ艦。
だが今、その主砲は沈黙していた。
管制室で、ジンは前方表示を見つめていた。
「向こうは、撃ってこないか」
カイルが腕を組んだまま言う。
「撃つ気がないわけじゃねえ。撃たずに止める気だな」
黒瀬が端末を確認する。
「進路封鎖。警告射線展開。固定砲台は照準のみ。グラトン主砲も待機状態です」
三島が隣で記録を取る。
「先制殲滅射撃なし。ですが、防衛線は完全にこちらの進路を塞いでいます」
「通るなら戦え、ということか」
ジンの声は低かった。
艦内通信が開く。
『帝国外縁方面軍より、未確認大型艦へ通告』
ノイズの少ない、整った通信だった。
それだけに、そこに含まれる拒絶もはっきりしていた。
『これより先は、ネメシス帝国管理宙域である。貴艦は直ちに航路を変更し、外縁防衛線より離脱せよ。応じない場合、侵入艦として対処する』
通信が終わる。
管制室に、短い沈黙が落ちた。
ジンが視線を動かす。
「返答を送れ。こちらはルクス・ヴァルキュリア。敵対のために来たわけではない。ただし、進路を閉ざされる理由もない。航路協議を要求する」
「了解」
オペレーターが返答を送る。
黒瀬が静かに言った。
「艦長。交渉記録はすべて残します」
「助かる」
「ただし、相手が防衛線を維持する限り、こちらも戦闘準備を取る必要があります」
「分かっている」
ジンは頷いた。
「全艦、第二戦闘配備。機動部隊、出撃準備」
『了解。第二戦闘配備へ移行』
警告灯が切り替わった。
格納庫では、すでに出撃準備が始まっていた。
アルタイル・ノヴァ・ブレイスが、固定アームから解放される。
白と蒼青の機体に、淡白銀の支援ラインが走る。
完成形ではない。
だが、ノクス・レクイエムを支えるための最初の形として、戦場へ出る準備は整っていた。
カイトは操縦席で深く息を吸った。
『カイト、聞こえますか』
通信にミオの声が入る。
「聞こえてる」
『支援リンクは試験段階です。今回はノクス・レクイエムとの接続は行いません。通常支援リンクのみで運用します』
「分かった」
別の通信に、レイの声が割り込む。
『つまり、普通に戦えばいいってことだな』
『普通に、という言い方は少し危険です』
セラが静かに言う。
『外縁防衛線には、先ほど分類したGDカスタムが含まれている可能性があります。通常機と同じ動きとは限りません』
『なら、見てから斬る』
『レイ、それは確認とは言いません』
『だいたい分かる』
カイトは小さく笑った。
緊張はある。
けれど、通信の中にいつものやり取りがあるだけで、呼吸は少し整った。
格納庫の別ラインでは、ルナ・スケイル・リフレクトが淡い月光色の装甲を輝かせていた。
鱗状パネルが展開し、薄藍と真珠色の機体を包むように支援フィールドが揺れる。
ヴァナルガンドは低い姿勢で待機していた。
鉄灰と黒紺の装甲。
赤い眼光。
獲物を追う影のように、静かに動き出す時を待っている。
フェンリオン・リサイトは射撃ユニットを接続していた。
砂白と白磁の装甲。
橙の照準ライン。
青緑のセンサーが、命令ではなく、セラ本人の判断を待つように光っている。
そして、レイヴン・ハウル。
濡れた羽根のような黒紫の装甲が、格納庫灯を静かに返していた。
カイルの声が通信に入る。
『先に出る。こっちは戦域の端を見てくる。カイト、真ん中で派手に転ぶなよ』
「転びませんよ」
『そう言って転ぶ奴を何人も見た』
「俺を何だと思ってるんですか」
『主人公だろ。だから転ぶ』
「ひどい」
短いやり取りの後、レイヴン・ハウルが先行して射出された。
続いて、アルタイル・ノヴァ・ブレイス。
ルナ・スケイル・リフレクト。
ヴァナルガンド。
フェンリオン・リサイト。
機体が次々とルクス・ヴァルキュリアから宇宙へ放たれていく。
背後には、巨大すぎる母艦。
前方には、帝国の防衛線。
カイトは操縦桿を握った。
「アルタイル・ノヴァ・ブレイス、出ます!」
機体が加速する。
外縁防衛線は、ただ待ってはいなかった。
無人迎撃機が、まず前へ出た。
小型で、数が多い。
速度は高くないが、散開しながら進路を塞ぎ、射線を作る。
カイトは機体を横へ滑らせ、ビームライフルで一機を撃ち抜いた。
続けて二機、三機。
アルタイル・ノヴァ・ブレイスの反応は悪くない。
高機動支援パックは、まだ完全ではないが、以前のアルタイルより機体の向きが素直に変わる。
『右側、詰めてきます』
ミオの支援表示が開く。
『レイ、そちらへ敵誘導。カイトは前方左へ抜けてください』
『了解』
ヴァナルガンドが低く加速した。
無人機の群れをすり抜け、赤い眼光が一瞬だけ光る。
次の瞬間、近接刃が二機を切り裂いた。
レイは止まらない。
斬った後にはもう、次の位置へ移っている。
セラのフェンリオン・リサイトは、さらに後方から狙撃姿勢を取っていた。
青緑のセンサーが敵の動きを追う。
『敵迎撃機、後方砲台の照準誘導に使われています』
セラは短く言った。
『撃ちます』
一射。
遠距離にいた誘導機が貫かれ、後方砲台の照準がわずかに乱れる。
カイトはその隙に前へ出た。
「押せる……!」
『油断しないでください』
ミオの声がすぐに飛ぶ。
『防衛線そのものは崩れていません』
その言葉の通りだった。
迎撃機は落ちている。
前衛の動きも止めている。
だが、敵の線は崩れない。
固定砲台が、失った誘導機の穴をすぐに別の小型機で補う。
後方のGD部隊が、前衛の隙間を埋める。
さらにその後ろで、グラトンが沈黙したまま存在している。
撃たれていない。
だが、見られている。
それだけで、ルクス側の進行速度は削られていた。
管制室で、リクトが表示を切り替えた。
「敵GD反応、前へ出ます」
「通常型か」
ジンが問う。
「通常型に混じってカスタム反応あり。照合します」
リクトの端末に、機体名が表示された。
GD-05C グラディウス・ブレイク。
GD-08S ヴェス・シュトルム。
GD-10C ノクターン・ジャマー。
黒瀬が小さく視線を上げる。
「分類記録と一致」
三島が続ける。
「208話時点の照合記録通り、通常GDカスタムです」
カナデは、前線モニターを見ながら言った。
「カイト達へ共有してください。特にノクターン・ジャマーは支援リンクへ影響が出る可能性があります」
「了解」
リクトが通信を開く。
『前線各機、敵GDカスタムを確認。グラディウス・ブレイク、ヴェス・シュトルム、ノクターン・ジャマー。通常型とは違う。油断するな』
「了解!」
カイトの前方で、帝国GD部隊が展開した。
最初に来たのは、GD-05C グラディウス・ブレイクだった。
鉄灰の機体。
赤橙のライン。
黒鉄の追加装甲。
通常のグラディウスよりも重く、しかし短距離加速だけは鋭い。
正面から、一直線に突っ込んでくる。
「速い!」
カイトは横へ回避する。
だが、敵はすぐに姿勢を変えず、そのまま突き抜けた。
防衛線の穴を開ける機体ではない。
こちらの隊列に穴を開けるための突撃。
『後ろを狙う気です』
ミオが防御パネルを展開した。
淡金の反射ラインが光り、グラディウス・ブレイクの突撃を受け流す。
『重い……!』
「ミオ!」
『大丈夫です。反射角をずらします』
ルナ・スケイル・リフレクトの鱗状パネルが波のように動いた。
突撃の力を正面から受けるのではなく、斜めへ逃がす。
グラディウス・ブレイクの姿勢がわずかに崩れた。
その瞬間、レイが飛び込む。
『もらう』
ヴァナルガンドの刃が、敵の追加装甲を裂いた。
だが、完全には沈まない。
グラディウス・ブレイクは損傷したまま後退し、後方の防衛ラインへ戻っていく。
「倒しきれない?」
『引き際が早い』
レイが舌打ちする。
『前に出て死ぬ機体じゃない。穴を開けて戻る隊長機だ』
次に動いたのは、GD-08S ヴェス・シュトルムだった。
黒灰の機体に青白いスラスター光。
複数機が同時に加速し、こちらの視界の端を通り抜ける。
攻撃は浅い。
だが、位置が乱される。
カイトの支援表示が、一瞬遅れた。
「表示がずれた?」
『ノクターン・ジャマーがいます』
ミオの声に緊張が混じる。
『支援リンクにノイズ。大きくはありませんが、誘導補正に遅延が出ています』
カイトの画面に、GD-10C ノクターン・ジャマーの表示が出る。
黒紺の機体。
緑発光。
紫の干渉ライン。
直接攻撃してくるわけではない。
しかし、そこにいるだけで味方の連携が鈍る。
「これが、カスタム機……!」
208話で聞いた分類が、今は戦場の形になっていた。
グラディウス・ブレイクが正面の圧をかける。
ヴェス・シュトルムが横から位置を乱す。
ノクターン・ジャマーが支援リンクを鈍らせる。
一機ずつなら対応できる。
だが、組み合わされると、進めない。
カイルのレイヴン・ハウルが、戦域の外側から戻ってきた。
『カイト、前に出すぎるな。敵はこっちを倒すより、位置を固定する気だ』
「固定?」
『ああ。こっちを進ませず、退かせず、いい位置に止める。そこへ本命を出す気だろうな』
その言葉と同時に、帝国側の防衛線が動いた。
グラトンの前方。
防衛線の中心。
そこに、白灰と金、黒鉄の機体が進み出る。
単機だった。
だが、それだけで戦場の圧が変わった。
周囲のGD部隊が、一斉に陣形を変える。
砲台の照準が重なる。
迎撃機の散開位置が整う。
今まで揺れていた防衛線が、巨大な盾のように形を持ち始める。
ルクス・ヴァルキュリアの管制室で、警告表示が赤く縁取られた。
『高出力GD反応、前進』
リクトが端末を叩く。
「照合……一致」
黒瀬が画面を見る。
「GD-NM系列」
三島が息を呑む。
「型式は」
リクトが低く答えた。
「GD-NM-03、エリシオン」
外縁防衛線の向こうで、白灰と金の機体が盾を構える。
それは、ただの指揮官機ではなかった。
帝国の前線を支えるために作られた、戦場そのものを固定する機体。
帝国外縁方面軍の盾。
グラトン艦橋で、レオンは静かに前方を見据えていた。
「エリシオン、前線へ出る」
副官クラウスが復唱する。
「GD-NM-03、エリシオン。前線へ出ます」
オルフェンが薄く笑う。
「ようやくですか」
レオンは答えなかった。
ただ、表示の向こうにいるルクス・ヴァルキュリアと、その前に展開する機体群を見ていた。
「まずは、受ける」
彼は静かに言った。
「その上で見る。あの艦が、外縁を越えるだけの意思を持っているかどうかを」
白灰と金のエリシオンが、帝国外縁防衛線の中心に立つ。
その瞬間、戦場は攻める場所ではなく、越えなければならない壁へと変わった。




