第206話 揺らぎの記録
セレスティアが撤退した後も、ルクス・ヴァルキュリアの管制室には重い沈黙が残っていた。
戦闘そのものは終わった。
敵小規模艦隊は後退し、残ったGD部隊も回収されていった。
ルクス側に大きな損害はない。
だが、誰も軽い勝利とは受け取っていなかった。
ミオは支援管制席で、セレスティアの干渉記録を何度も再生していた。
画面には、ミオの支援リンク、カイトとユイの補助回線、PT感応反応、各機の判断補助系統が重ねて表示されている。
そこに、白金の光のような干渉波形が薄く入り込んでいた。
「やっぱり、普通の電子戦ではありません」
ミオが静かに言った。
「通信を切られたわけでも、データを壊されたわけでもありません。支援が届く前に、意味を少しずつずらされています」
イリスが頷く。
「セレスティアの干渉は、支援情報そのものより、支援を受け取る直前の判断領域に近い場所へ触れている。戦場で言えば、命令や通信ではなく、呼吸をずらす妨害」
ジンが腕を組む。
「ノクス・レクイエムとは別方向の危険性だな」
「はい」
イリスは即答した。
「ノクス・レクイエムは、出力そのものが危険です。暴走すれば周囲を破壊する。セレスティアは逆です。直接の火力は低い。しかし、味方同士の連携を信用できない状態にします」
黒瀬が端末へ記録を入れる。
「味方の支援を、味方にとっての危険要素へ変える。防衛上、非常に厄介です」
三島は、表示を見ながら顔を曇らせた。
「でも、あれに乗っていたのは……ユイさん達と同じ、パルスティアなんですよね」
その言葉に、カイトは黙った。
アミィ。
その名前を、彼は初めて知った。
これまでカイトにとって、アミィは存在しない相手だった。
ユイ達の妹でありながら、ルクスにはいない。
グラン・ネメシスでユイが会い、帝国側に残されていたPT-A01。
感情を抑えられ、皇帝思想に近い位置に置かれた子。
敵として現れた。
セレスティアでルクス側を乱した。
けれど、ただの敵ではなかった。
「アミィも、ユイ達と同じように作られたんだよな」
カイトが言う。
ユイは、少しだけ目を伏せた。
「はい」
「でも、帝国に残っている」
「はい」
「……なら、敵ってだけじゃないんだな」
カイトの声は、どこか迷っていた。
「戦ってきた相手なのに、そう言うのは甘いのかもしれないけど」
黒瀬は何も言わなかった。
否定もしない。
ただ、記録を続けている。
ユイはゆっくりと答えた。
「甘いかどうかは、分かりません」
カイトがユイを見る。
「でも、アミィは敵として出てきました。私達の支援を乱し、戦場を支配しようとしました。それは事実です」
「うん」
「それでも、あの子は命令だけではありませんでした」
ユイの声は静かだった。
「私の声に反応しました。レータの言葉に迷いました。再教育という言葉に、答えが遅れました」
カナデが頷く。
「完全な命令駆動なら、あの揺らぎは出ません」
ミオが表示を切り替える。
「ここですね。ユイさんが呼びかけた時と、レータさんが『あなたは私の代わりじゃない』と言った時。セレスティアの干渉波形が大きく乱れています」
イリスも続ける。
「アミィは、戦闘能力としては非常に危険。でも、完全な制御状態ではない。むしろ、帝国側の命令と本人の反応が噛み合っていない」
「それは、救えるということですか」
三島が思わず聞いた。
ユイは、すぐには答えなかった。
管制室の視線が、彼女へ集まる。
「分かりません」
ユイは正直に言った。
「アミィは、帝国に残り続けました。私よりもずっと長く、皇帝思想に近い位置にいました。私が知っているアミィは、任務を疑わず、感情を抑え、自分を役割として見ていた子です」
「でも、揺らいでいた」
カイトが言う。
「はい」
ユイは頷く。
「だから、分かりません。救えると断言はできません。でも、もう何も届かないとも言えません」
それが、今のユイの答えだった。
レータは、少し離れた場所で通信記録を見ていた。
セレスティアとの会話。
アミィの声。
L系列、現存確認。
PT-L系列の完全凍結。
欠損補完。
再設計個体。
その言葉の一つ一つが、まだ胸の中に残っている。
「私が逃げた後に、あの子が作られたんですよね」
レータは、いつもより小さな声で言った。
カイルが壁に寄りかかったまま、彼女を見た。
「お前が作ったわけじゃない」
「それは分かってます」
レータは苦笑した。
けれど、その笑みは弱かった。
「でも、関係ないとは言えません。私がいなくなって、L系列が凍結されて、その穴を埋めるためにアミィが作られた。帝国が勝手にやったことでも、私の不在が理由の一つになっているのは本当です」
「だからって背負い込むな、とは言わない」
カイルは静かに言った。
「どうせお前は背負う。なら、潰れるな」
レータは少しだけ目を丸くした。
「優しいんだか乱暴なんだか分かりませんね」
「両方だ」
レータは小さく息を吐いた。
「次は、ちゃんと話します。アミィが私の代わりじゃないって、もう一度言います」
ユイが通信越しに言った。
「私も話します」
レータは頷く。
「はい。今度は、二人で」
管制室の空気は、まだ重かった。
しかし、ただ沈んでいるわけではなかった。
アミィは敵として現れた。
セレスティアは危険だった。
それでも、何かが届いた。
その事実だけは、確かに残っていた。
一方、帝国側。
セレスティアは、帰投用格納区画へ収容されていた。
白金の機体が固定アームに繋がれ、背部ユニットの光が一つずつ消えていく。
周囲には、医療管理官、技術要員、監察記録官が並んでいる。
アミィは搭乗席の中で、まだ目を開けていた。
『セレスティア、帰投確認』
『機体損傷、軽微』
『感応支援層、過負荷なし』
『戦域干渉試験、有効』
『PT-A01、精神反応に揺らぎあり』
管理官の声が、淡々と響く。
『PT-A01、自己識別』
アミィは少し遅れて答えた。
「PT-A01。アミィ」
『応答遅延、〇・九秒』
「修正します」
『任務評価』
アミィは答えようとした。
任務は、ルクス所属PT群およびノクス・レクイエム支援リンクの反応確認。
セレスティアによる戦域支援干渉は有効。
ミオの支援、カイトとユイの支援リンク、レータの指揮判断に対し干渉成功。
撤退命令に従い帰投。
記録上は、それでよい。
だが、レータの声が残っている。
あなたは私の代わりじゃない。
ユイの声も残っている。
アミィ。
その名前を呼ばれた時、セレスティアの波形が乱れた。
再教育という言葉に、答えが遅れた。
欠損補完という説明に、レータが痛そうな声を出した。
それらは任務評価に必要ない。
必要ないはずだった。
『PT-A01、任務評価』
管理官の声が強くなる。
アミィは、わずかに遅れて言った。
「戦域干渉は有効。ルクス側支援系統に対し、限定的な混乱を発生させました。ノクス・レクイエムは未出撃。支援リンクへの間接干渉は反応あり」
『続けろ』
「ユイ個体、レータ個体からの呼びかけに対し、同期波形に乱れが発生。原因は……」
アミィは止まった。
原因。
その言葉に、すぐ答えられない。
『原因は』
「分類中です」
『分類不能ではなく、分類中か』
「はい」
管理官は記録端末へ入力する。
『PT-A01、戦闘中に自律判断遅延および同期乱れを確認。ユイ個体、L系列個体との接触により反応が変動。セレスティアの戦域干渉能力は有効。ただし、搭乗者の精神反応に不安定要素あり』
別回線に、本国側の声が入る。
『セレスティアの有効性は確認された』
『ルクス側支援網に対して効果あり』
『ノクス・レクイエム未出撃時でも支援リンクへ触れられるなら、次回以降の運用価値は高い』
『問題はPT-A01の揺らぎだ』
アミィは、その会話を黙って聞いている。
『L系列との接触で干渉波形が乱れた』
『ユイ個体の呼びかけにも反応している』
『このまま前線に出し続ければ、離反リスクが上がる』
『しかし、セレスティアは有効だ。捨てるには惜しい』
別の声が冷たく言った。
『ならば、監視を強化すればいい』
『監視だけで足りるか?』
『必要なら回収する』
管理官が、少しだけ声を低くした。
「PT-A01の反応に揺らぎを確認」
通信の向こうで、短い沈黙があった。
それから、別の声が返る。
『ならば、回収処分部隊を動かせ』
アミィは、その言葉にわずかに目を動かした。
回収処分部隊。
その名称は、帝国本国直属の中でも、特に冷たい意味を持つ。
危険個体。
裏切り者。
制御不能機。
鹵獲不能兵器。
それらを、回収する。
回収できなければ、処分する。
アミィは、まだ何も言わない。
管理官は命令を受信する。
『回収処分艦『モルグ』へ出撃準備を通達』
『対象は現時点で未確定。ただし、PT-A01の監視支援、ルクス所属PT群の回収可能性、ノクス・レクイエムの制圧補助を想定する』
さらに、別の声が命じた。
『タナトスの起動準備を』
遠い格納区画で、黒と血赤の重装機体に照明が灯る。
GD-NM-02『タナトス』。
まだ戦場には出ていない。
だが、その名が記録上で起動待機へ移された。
アミィは、セレスティアの操縦席で静かに目を伏せる。
レータの声が、まだ消えない。
あなたは私の代わりじゃない。
その言葉は、命令ではなかった。
分類でも、任務でも、評価でもなかった。
だから、アミィにはまだ処理できない。
帝国の記録には、揺らぎと書かれる。
本国は、それを危険と判断する。
回収処分部隊が動き出す。
そして、白金の機体が沈黙する奥で、アミィは小さく呟いた。
「私は……何を補うためにいるのでしょうか」
その問いに答える者はいなかった。
ただ、回収処分艦『モルグ』の出撃準備を告げる警告灯だけが、帝国の暗い格納区画に灯り始めていた。




