第204話 知らない妹
戦場の空気が、少しずつ歪んでいく。
火力で押されているわけではない。
敵の数が急に増えたわけでもない。
グラトンの主砲が向けられているわけでも、エリシオンが前へ出てきたわけでもなかった。
それなのに、ルクス側の動きだけが、わずかに噛み合わなくなっていた。
ミオの支援が、半拍遅れる。
セラの照準補助が、狙いよりもわずかに外側へ流される。
レイの踏み込みに合わせた防御支援が、必要な位置へ届く直前で揺らぐ。
レータの前衛指示も、味方機へ渡る直前で、妙な余白を作られていた。
通信は切れていない。
索敵も生きている。
ルクス・ヴァルキュリアの管制も落ちていない。
だが、戦場全体の呼吸だけが、誰かの指先で少しずつずらされている。
「支援補助を第三段階まで落とします」
ミオが苦しげに言った。
「これ以上、私の補助がずらされると、逆に皆さんの動きを妨げます」
『了解』
セラが短く答える。
『照準補助、最低限でいい。自分で撃つ』
『こっちも』
レイの声が重なる。
『補助があるのに信用できない方が邪魔』
ミオの表情がわずかに曇った。
だが、言い返さない。
今はその判断が正しいと分かっているからだ。
イリスが解析表示を切り替える。
「敵後方の支援機を中心に、PT感応系に近い干渉を確認。電子妨害ではありません。通信層ではなく、判断補助、感応補助、支援リンクの接続前段階に触れています」
ジンが問う。
「つまり、こちらの通信ではなく、こちらが互いを支えようとする感覚そのものに割り込んでいる、ということか」
「近いです」
イリスは頷いた。
「ミオの支援、カイトとユイの支援リンク、PT系統の感応反応。全てに薄く触れています」
カイトは表示の中の白金の機体を見つめた。
GD-PT-A01『セレスティア』。
さっきまで、カイトはその機体も、その搭乗者も知らなかった。
だが、ユイは違った。
ユイは、画面を見つめたまま、名前を口にした。
アミィ。
その声は小さかった。
けれど、管制室にいた者達には確かに聞こえていた。
「ユイ、知っているのか」
カイトが問いかける。
ユイは一度、呼吸を整えた。
「はい」
「誰なんだ」
ユイはすぐには答えなかった。
戦場では、セレスティアの干渉が続いている。
白金の機体は前へ出ない。
後方で静かに浮かびながら、味方GDの動きを補助し、ルクス側の支援だけを少しずつ乱している。
その姿は、戦闘機というより、戦場そのものに指を置く存在のようだった。
「アミィは、PT-A01です」
ユイは言った。
「帝国に残っていた、パルスティアの一人です」
ミオが振り返る。
「PT-A01……?」
セラの通信にも、わずかな緊張が混じる。
『オリジナル?』
「オリジナルに近い立場です。ただし、私達と同時期に脱出した個体ではありません」
ユイは、言葉を選びながら続けた。
「グラン・ネメシスで会いました。感情を抑えられ、帝国の命令を疑わないよう調整されていました。皇帝の思想に、かなり近い位置にいた子です」
カイトは眉を寄せる。
「皇帝の思想に近い?」
「はい。パルスティアを、秩序を支える存在として見る考え方です。自分の意思より、命令と役割を優先する。迷わないことを、正しいとする」
カイトは、セレスティアを見た。
白金の機体は美しい。
だが、その美しさは、どこか冷たい。
「それで、あの機体に乗ってるのが……」
「アミィです」
ユイの声が、わずかに硬くなる。
「私の、妹の一人です」
管制室に、短い沈黙が落ちた。
妹。
その言葉で、カイトはようやく理解した。
ユイがなぜ、あの機体を見た瞬間に固まったのか。
敵の新型機ではない。
未知のGDでもない。
ユイにとって、あれは帝国に残された妹だった。
ミオが静かに言う。
「私達は、知らなかった」
「はい」
ユイは頷いた。
「アミィのことを知っているのは、私と、帝国側の一部です。アルベルトやレオニスなら、計画として知っているはずです」
その言葉に合わせるように、別回線が開いた。
『聞こえている』
アルベルトの声だった。
別区画から戦況を見ていた彼の声は、いつもより低い。
『PT-A01。アミィ。帝国側では、レータ行方不明後に作られたコマンダータイプとして記録されている』
レータの声が、戦場から揺れた。
『私の、後?』
アルベルトは一拍置く。
『そうだ。レータ、君の不在で、帝国はコマンダータイプに空白が生じたと判断した』
レオニスの声も重なる。
『ただし、単純な代替ではない。帝国はL系列をそのまま増やさなかった』
レータのヴァルクレイドが、敵GDの攻撃を受け流しながら動きを止めかける。
『どういう意味ですか』
『PT-L系列は、重装・統率能力に優れていた。だが、指揮型としては見過ごせない問題があった』
レオニスは淡々と続けた。
『基本的には安定している。しかし、複雑な戦況下で突発的な判断逸脱を起こす可能性がある。個人なら笑って済むミスでも、指揮官がやれば部隊が壊れる』
『……あー』
レータの声が、ほんの少しだけ弱くなる。
『心当たりが、ないとは言いませんけど』
カイルが通信で短く言う。
『今は落ち込むな。敵が来るぞ』
『分かってます!』
ヴァルクレイドがすぐに動きを戻す。
だが、レータの声には明らかな揺れがあった。
アルベルトは続ける。
『さらに、原型である君が逃亡・行方不明になった。帝国は、PT-L系列の継続を危険視した。レータ逃亡以降、L系列は完全凍結されたと見ていい』
「完全凍結……」
ミオが呟く。
『その空白を埋めるために作られたのが、A系列。アミィ型だ』
レオニスの声が、さらに低くなる。
『L系列の重装・前線統率ではなく、支援・制御・感応干渉・戦域補助へ寄せた再設計個体。帝国は、L系列の予測不能なミスを抑えるために、より管理しやすいコマンダータイプを作ろうとした』
イリスがセレスティアの干渉波形を見る。
「その結果が、あの支援干渉」
「はい」
ユイが答える。
「アミィは、ただ戦う子ではありません。戦場の支援、感応、指揮を動かすために作られています」
戦場では、まさにその能力が示されていた。
セレスティアが背部ユニットを淡く広げる。
白金の光が薄く戦場へ広がった。
その瞬間、敵GD部隊の動きが揃う。
通常GDの反応速度が上がったわけではない。
だが、誰がどこへ動くべきかを、先に教えられているように滑らかになる。
逆に、ルクス側の支援はさらに乱れる。
「ミオ、支援を完全に切るか?」
ジンが問う。
ミオは唇を噛む。
「完全に切ると、各機の負担が大きくなります。でも、このまま中途半端に繋いでいる方が危険です」
イリスが即座に言う。
「段階的切断を提案。直接補助ではなく、危険警告のみ残す」
「分かりました。支援方式を変更します」
ミオの指が走る。
「セラ、レイ、レータ、カイルさん。直接補正を切ります。こちらからは危険範囲と敵配置だけ送ります。判断は各機優先で」
『了解』
『それでいい』
『はい、こっちで読みます』
『余計な補助が消えれば動ける』
味方機の動きが、少しだけ戻る。
だが、セレスティアはそれにも対応した。
今度はルクス側の危険警告の表示に、わずかな過剰反応を混ぜてくる。
敵の射線が、実際より半拍早く危険表示される。
前に出るべきタイミングで、警告だけが先に出る。
カイトは思わず声を上げた。
「支援を切っても干渉してくるのか」
イリスが目を細める。
「支援そのものではなく、判断の入口に触れている。厄介です」
レータのヴァルクレイドが、セレスティアへ向かおうとする。
だが、途中で敵GDが絶妙に割り込み、進路を塞ぐ。
『やりにくいですね』
レータの声は、普段より低かった。
『あの子、私の動きに合わせているわけじゃない。私が指示を出す前の癖を読んでいるみたいです』
アルベルトが言う。
『A系列は、L系列の欠点を補正するために作られた。なら、L系列の判断癖も研究されている可能性が高い』
『つまり、私の失敗例を教材にしたってことですか』
『かなり乱暴に言えば、そうだ』
『うわあ、嫌な教材ですね』
軽い言い方だったが、笑えない。
レータは戦場の向こうを見る。
セレスティアは、まだ前に出てこない。
アミィの姿も直接は見えない。
ただ、白金の機体の奥に、自分に近い何かがいる。
違う。
でも、近い。
重装の圧ではない。
ヴァルクレイドのような前線統率でもない。
もっと薄く、広く、全体に触れる指揮。
自分が前へ出て部隊を引っ張るなら、あの子は後ろから戦場そのものに手を伸ばす。
レータは、ぞくりとした。
ユイが通信を開く。
「アミィ」
その声は、戦場を越えてセレスティアへ届いた。
白金の機体が、ほんのわずかに反応する。
ミオが表示を見る。
「セレスティアの干渉波形、乱れました」
ユイは続ける。
「聞こえていますか」
すぐに返事はない。
セレスティアの周囲で、淡金の光が揺れる。
敵GDの動きも一瞬だけ鈍った。
それから、冷たい声が通信に入った。
『Y-01、識別』
ユイの表情がわずかに強張る。
『対象名、ユイ。ノクス・レクイエムとの接続反応、現時点では低出力。支援機アルタイル・ノヴァ・ブレイスとの補助回線、確認』
「アミィ」
『任務中です。応答優先度は低い』
声は平坦だった。
しかし、完全な無反応ではない。
ユイの呼びかけに、セレスティアの干渉が確かに乱れている。
それを、イリスも、ミオも、カナデも見ていた。
カナデが静かに言う。
「反応しています」
リクトも頷く。
「完全な命令駆動じゃない。ユイの声で波形が乱れている」
アミィの声が続く。
『ルクス・ヴァルキュリア所属機へ通達。これ以上の接近は、戦域支援干渉の強度を上げます』
セラが低く呟く。
『脅しているのか、警告しているのか分からない』
レイが答える。
『両方』
カイトは通信に割り込もうとして、一瞬止まった。
アミィ。
ユイの妹。
帝国に残ったPT-A01。
カイトは、その子を知らない。
知らない相手に、何を言えばいいのか分からなかった。
ユイは、もう一度だけ言った。
「アミィ。あなたは、何を命令されていますか」
セレスティアの光が、また揺れた。
『任務目的は、ルクス所属PT群およびノクス・レクイエム支援リンクの反応確認』
「破壊ですか」
『状況によります』
「回収ですか」
『状況によります』
「再教育ですか」
その言葉に、アミィの返答が遅れた。
ほんの一秒にも満たない遅れ。
だが、戦場では明確な隙だった。
ミオがすぐに支援方式を切り替える。
「今です。干渉が落ちています」
セラが狙撃を放つ。
敵GDの推進器が撃ち抜かれ、戦列が崩れる。
レイが前へ出る。
ヴァナルガンドが敵の前衛を押し返す。
カイルが外側を回り、敵支援機の逃げ道を塞ぐ。
レータは、その間もセレスティアを見ていた。
白金の機体は、すぐに干渉を立て直す。
だが、一度乱れた波形は完全には戻らない。
アミィは淡々としている。
声も平坦。
命令に従っている。
それでも、ユイの声に反応した。
再教育という言葉に、返答が遅れた。
そして何より。
レータには、その反応の奥が分かってしまった。
それは自分と同じではない。
けれど、完全に別物でもない。
自分が前線で部隊をまとめる時の感覚。
味方の位置、敵の動き、次の一手、全体の流れ。
それを少し歪め、後方支援と感応干渉に作り替えたような気配。
レータは、通信越しにぽつりと言った。
「あの子……私に近い」
その言葉が、ルクス側の通信に静かに残った。




