第203話 セレスティア
レオン隊との戦闘から、ルクス・ヴァルキュリアは一度距離を取っていた。
帝国外縁防衛線を完全に突破したわけではない。
だが、グラトンとエリシオンの戦線は後退し、ルクス側もノクス・レクイエム初実戦後の負荷確認を優先していた。
巨大艦は、外縁宙域の端を慎重に進む。
前方にはまだ、帝国支配圏の影がある。
後方には、戻ってきた太陽系の地球が遠ざかっている。
その中間で、ルクス・ヴァルキュリアは次の航路を探っていた。
「前方宙域、通常航路ではありません。帝国側の哨戒記録にない空白帯です」
イリスが観測席で言う。
「空白帯?」
カイトが聞き返す。
「記録上は巡回頻度が低い宙域。ですが、意図的に記録から外された可能性もあります」
ミオが支援管制を開きながら頷いた。
「帝国側の監視を避けるには使えます。でも、逆に待ち伏せにも向いていますね」
ジンは戦術表示を見つめる。
「クロウヴェイル・ノアを先行させるか」
カイルの通信が入る。
『それでもいいが、相手がレオンの後に何を出すか分からない。先行した先で囲まれると面倒だ』
「同感だ。ルクス本体で索敵しながら進む」
黒瀬が端末を確認する。
「ノクス・レクイエムは引き続き限定待機。再出撃は、カナデさんとリクトさんの再確認後です」
ユイは静かに頷いた。
「了解しています」
カイトは横からユイを見る。
前回の戦闘後、ユイの疲労はまだ残っている。
表情は普段通りに見えるが、反応がわずかに遅い。
ノクス・レクイエムは止まれた。
だが、その代償は軽くない。
「今回は俺達、出ないで済むといいな」
カイトが小さく言う。
「はい」
ユイは答えた。
「でも、帝国がそうしてくれるとは限りません」
その言葉の直後、警告音が鳴った。
『前方宙域に敵性反応』
『小規模艦隊』
『GD輸送艦一、護衛艦三』
『機動兵器反応、複数』
ジンが即座に指示を出す。
「全区画、戦闘警戒。敵規模は」
ミオが表示を読む。
「グラトン隊ではありません。ドレッドノート級反応なし。ドールキャリア級も確認できません。小規模支援部隊です」
イリスが補足する。
「機動兵器は通常GD中心。ですが、後方に特殊反応あり。出力は高くありません」
「罠か?」
カイルの声が低くなる。
『正面火力ではなさそうだな。嫌な感じだ』
帝国側の小規模艦隊から、GD部隊が発進した。
数は多くない。
通常GD数機。
その後方に、ノクターン・ジャマーに似た支援機が数機。
正面から押し潰す戦力ではなかった。
「迎撃隊、出ます」
ミオが支援リンクを開く。
「私が管制します。セラ、レイ、レータ、前衛をお願いします」
『了解』
セラの声。
『出る』
レイの短い応答。
『はいはい、また帝国式の嫌な配置ですね』
レータの声が続く。
カイルもレイヴン・ハウルで側面警戒に出る。
『今回も外側を見ておく。ヘルメスみたいなのが来ないとも限らん』
ルクス側の迎撃隊が発進する。
だが、戦闘開始直後、違和感が走った。
「……あれ?」
ミオが眉をひそめた。
支援表示が、ほんの少しだけずれている。
通信は切れていない。
ノイズも大きくない。
前回のノクターン・ジャマーのような明確な電子妨害ではない。
それなのに、ミオが送った支援補正が、味方機へ届く直前にわずかに形を変えていた。
「ミオ?」
カイトが声をかける。
「通信妨害ではありません。でも、支援がずれています」
『ずれてる?』
セラが射撃姿勢を取りながら聞き返す。
「はい。射撃補正を送っていますが、セラの照準感覚と噛み合う前に、半拍だけ遅れています」
『確かに、気持ち悪い』
フェンリオン・リサイトが射撃を放つ。
敵GDの肩部を狙ったはずの弾が、わずかに外装を掠めるだけで終わった。
『外したわけじゃない。でも、狙った場所と違う』
レイのヴァナルガンドも前へ出る。
通常GDを近接で押し込もうとした瞬間、支援表示にわずかな遅れが出た。
『補助が邪魔』
レイが短く言った。
ミオが顔を強張らせる。
「ごめんなさい。今、補正を切ります」
『違う。ミオのせいじゃない』
レイは敵機を弾き飛ばしながら答える。
『誰かが、間に入ってる』
イリスが観測値を確認する。
「通常の電子戦ではありません」
その言葉に、管制室の空気が変わった。
ジンが問う。
「どういうことだ」
「通信波形に大規模な妨害はありません。データリンクの遮断も確認できません。ですが、PT支援系、感応補助系、操縦補正の一部に干渉が入っています」
ミオが息を呑む。
「私の支援リンクを直接邪魔している?」
「近い。でも電子戦ではない」
イリスは淡々と、しかし確かに警戒した声で続けた。
「PT感応に近い領域です」
その瞬間、カイトの機体にも異常が走った。
アルタイル・ノヴァ・ブレイスの支援リンク待機表示に、細かなノイズが混じる。
ノクス・レクイエムは出撃していない。
それなのに、ユイとの支援補助回線に、誰かが触れたような感覚があった。
「なんだ、これ」
カイトは思わず端末を見る。
ユイも、同時に顔を上げていた。
「カイトとの支援リンクに、外部干渉」
リクトが解析画面を開く。
「ノクス・レクイエムは出していない。なのに、ブレイス側の支援回線にノイズが入っている。敵は、こっちの支援構造を探っている」
カナデがユイを見る。
「ユイ、何か感じますか」
ユイはすぐに答えなかった。
聞こえたわけではない。
通信が入ったわけでもない。
けれど、戦場の奥に、知っている気配があった。
冷たい。
整っている。
感情が薄い。
でも、完全に空ではない。
ユイの指先が、わずかに震えた。
「……PT反応」
イリスの表示が、それを裏付けるように変化した。
『敵後方にPT系反応』
『識別不能』
『支援機反応、上昇』
『GD-PT系統の可能性』
ミオが敵艦隊後方の映像を拡大する。
そこに、一機の機体がいた。
白金の装甲。
淡桃と淡金の発光ライン。
背部に浮遊するような支援ユニット。
通常GDのような重い武装は見えない。
だが、その機体を中心に、戦場の支援情報が静かに歪んでいる。
GD-PT-A01『セレスティア』。
その名は、まだルクス側の多くには知られていなかった。
「新型GD?」
カイトが呟く。
ミオは首を振る。
「違います。あれは、ただのGDではありません。PT用の機体です」
「PT用……?」
セラが戦場から通信を入れる。
『誰が乗っている』
レータも声を低くした。
『この反応、普通じゃないですね。というか……妙に、近い』
イリスが解析を進める。
「識別信号、隠蔽されています。ただし、PT-A系列に近い反応を検出」
「A系列?」
カイトには分からなかった。
ユイだけが、画面を見つめたまま固まっていた。
セレスティアは、前へ出てこない。
敵後方に位置したまま、支援干渉を続けている。
通常GDの動きが少しずつ良くなり、ルクス側の支援だけが微妙に噛み合わなくなる。
まるで、味方同士の呼吸を少しずつずらされているようだった。
レイが敵を押し返しながら言う。
『火力は大したことない。でも、やりにくい』
セラも続ける。
『照準補助を切った方が撃ちやすいくらい』
ミオは悔しそうに支援設定を切り替える。
「支援を最小限にします。各機、自前の判断を優先してください」
『それ、ミオが一番嫌なやつじゃないですか』
レータが言う。
「嫌です。でも、このまま中途半端に干渉される方が危険です」
イリスが静かに頷く。
「正解。相手は支援そのものを壊しているのではなく、支援を信用できない状態にしている」
カイトはユイを見る。
ユイはまだ、セレスティアから目を離さない。
「ユイ?」
返事がない。
ユイの視界には、過去の光景が重なっていた。
グラン・ネメシス。
白い通路。
冷たい視線。
感情の薄い赤い瞳。
ユイを、名前ではなく識別で呼んだ少女。
Y-01。
修正。
矯正。
非効率。
命令。
そして、揺らぎ。
ルクスで見たPT達の姿を前に、一瞬だけ止まったあの子。
ユイは、かすれた声で言った。
「アミィ……」
管制室の中で、カイトが振り返る。
「アミィ?」
その名前を、カイトは知らない。
ミオも、レータも、セラも、すぐには反応できなかった。
知っているのは、ユイだけだった。
あるいは、アルベルトやレオニスのように帝国の奥を知る者だけ。
戦場の後方で、セレスティアの光が淡く揺れる。
カイトは、ユイの横顔を見た。
「ユイ、知っているのか」
ユイは答えなかった。
ただ、セレスティアを見つめたまま、静かに息を呑んでいた。




