第202話 PT-A01
白い天井だった。
帝国本国直属の医療管理区画は、どこまでも清潔だった。
汚れはない。
余計な音もない。
空気は一定で、光量も一定で、温度も一定。
そこにいる者の感情だけが、一定ではなかった。
アミィは、検査用の椅子に座っていた。
両腕には細い接続端子がつながれ、首元には同期反応を測定するための薄いリングが巻かれている。
身体に痛みはない。
不快感も、記録上は軽微。
検査環境としては適切。
そう判断できる。
だが、アミィはすぐに応答できなかった。
『PT-A01、応答確認』
管理官の声が、透明な隔壁の向こうから届く。
アミィは少し遅れて顔を上げた。
「応答、可能です」
『遅延〇・八秒。前回より増加』
管理官は、感情を込めずに記録する。
その声に怒りはない。
焦りもない。
ただ、異常値を異常値として扱うだけだった。
『PT-A01、自己識別』
「PT-A01。アミィ」
『所属』
「ネメシス帝国、パルスティア運用管理系統」
『役割』
アミィは答えようとした。
コマンダータイプ。
支援。
制御。
戦域補助。
皇帝思想に最も近い調整個体。
レータ不在後の補完個体。
登録された答えは、すぐに出せるはずだった。
だが、別の光景が先に浮かんだ。
ナユがいた。
命令を待つだけの量産型ではなく、誰かの隣で静かに座っていた。
何かを見ていた。
誰かと話していた。
怯えていなかった。
リンがいた。
警戒していた。
けれど、武器を向けるだけではなかった。
自分の判断で、誰かを止めようとしていた。
レータがいた。
アミィを見て、処分対象とも、欠損の補填とも呼ばなかった。
ただ、食事をしているかと尋ねた。
それは、記録上の優先度では低い問いだった。
けれど、アミィの中に残っている。
アイナがいた。
戦場ではなく、絵を描いていた。
役割ではなく、手を動かしていた。
誰かに命令されたわけではなく、ただ何かを描いていた。
あの光景は、何だったのか。
処分されていないPT。
壊されていないPT。
怯えていないPT。
命令を待たずに、そこにいるPT。
それらは、帝国の記録に照合しづらい。
『PT-A01、役割応答』
管理官の声が強くなる。
アミィは瞬きをした。
「役割。戦域支援、感応制御、指揮補助、PT系統反応観測」
『遅延一・四秒』
「……修正します。応答に、外部記憶の混入がありました」
『混入内容は』
アミィは黙った。
答えられる。
ナユ。
リン。
レータ。
アイナ。
ルクス・ヴァルキュリア内部で確認した、PT関連個体群の非戦闘行動記録。
そう言えば済む。
けれど、それを言葉にすると、何かが違う気がした。
「分類不能です」
『分類不能?』
「はい。戦闘記録ではありません。命令記録でもありません。ですが、消去対象として扱うには、重要度が未確定です」
隔壁の向こうで、管理官が別の端末を操作した。
『やはり揺らぎが残っている』
その声は、アミィへ向けたものではなかった。
同席している別の本国側要員への報告だった。
『グラン・ネメシス崩壊後の接触記録、ルクス内PT群の影響、レータ系列との反応残差。どれも命令応答を鈍らせています』
『運用に支障は』
別の声が問う。
『通常任務なら問題はありません。ただし、PT関連対象との接触時、判断遅延が発生する可能性があります』
『ならば今回の任務には適している』
アミィは、その言葉にわずかに目を動かした。
「適している、とは」
管理官がこちらを見る。
『質問許可は出していない』
「命令内容の確認です。任務目的が不明確な場合、支援行動の最適化が遅れます」
管理官は少しだけ黙った。
それから、端末へ視線を戻す。
『任務は、ルクス・ヴァルキュリア所属PT群およびノクス・レクイエム支援リンクの反応確認。GD-PT-A01『セレスティア』による戦域支援、感応干渉、リンク揺動試験を行う』
「対象はユイですか」
『対象にはユイ個体を含む』
「破壊ですか」
『状況による』
「回収ですか」
『状況による』
「再教育ですか」
その問いの後だけ、返答が遅れた。
アミィは、隔壁の向こうの管理官を見つめる。
「目的が曖昧です。破壊、回収、再教育では、必要な支援干渉が異なります」
『PT-A01』
「はい」
『任務目的は、対象の反応記録である。破壊、回収、再教育は上位判断により決定される。お前は記録に必要な条件を作ればよい』
「条件を作る」
『そうだ』
「対象が停止できなくなる条件も含まれますか」
『必要であれば』
アミィは、そこで黙った。
停止できなくなる条件。
出力が上がる条件。
戻れなくなる条件。
それを作る。
記録する。
評価する。
帝国では、正しい手順だった。
アミィも、それを理解している。
けれど、どこかで別の問いが生まれていた。
停止できるなら、なぜ止めないのか。
戻れるなら、なぜ戻さないのか。
その問いは、登録された役割の中に存在しない。
『PT-A01、再同期準備へ移行』
管理官が命じた。
アミィの腕につながれた端子が外される。
首元のリングが淡く光り、次の区画への移動指示が表示された。
白い床に、アミィの足音だけが響く。
通路の先に、格納区画があった。
そこには、一機のGDが眠っていた。
GD-PT-A01『セレスティア』。
白金の装甲。
淡桃と淡金の発光ライン。
浮遊感のある背部ユニット。
戦場を切り裂くための鋭さではなく、戦場全体に薄く広がるための機体。
美しい機体だった。
その美しさが、アミィには少しだけ怖かった。
『セレスティア、再同期準備』
『PT-A01搭乗確認待ち』
『感応支援層、待機』
『戦域補助系、待機』
『リンク干渉試験、承認』
アミィは、機体を見上げる。
かつてなら、すぐに乗っていた。
命令を受け、役割を確認し、最適な支援を行う。
それだけでよかった。
だが今は、余計なものがある。
ナユがいた。
リンがいた。
レータがいた。
アイナがいた。
ユイがいた。
そして、その誰もが、ただの記録項目ではなかった。
『PT-A01、搭乗を』
管理官の声。
アミィは一歩進む。
「命令を理解しました」
『ならば搭乗しろ』
「はい」
だが、その返答もわずかに遅れた。
アミィはセレスティアの搭乗席へ入る。
白金の機体の内部に、淡い光が満ちていく。
接続端子が背中へ触れた。
感応支援層が開く。
戦域補助系が、アミィの思考へ薄く接続される。
以前なら、そこに違和感はなかった。
今は、違和感を記録できる。
『PT-A01、同期開始』
『セレスティア、主制御接続』
『精神反応、揺らぎあり』
『命令応答、遅延あり』
『運用許容範囲内』
管理官が淡々と告げる。
『GD-PT-A01『セレスティア』、起動』
白金の機体の瞳に、淡い光が灯った。
アミィは、その光の中で静かに目を開く。
「セレスティア、起動確認」
声はまだ、命令に従う声だった。
けれど、その奥で、小さな問いが消えずに残っていた。
私は、何を記録するために戦場へ行くのか。
そして。
私は、何を見てしまったのか。




