第201話 戦闘報告
ノクス・レクイエムが帰投した時、隔離格納庫の空気は重かった。
戦闘は終わった。
撃墜されたわけではない。
暴走もしていない。
レオンのエリシオンを押し切るだけの出力を見せ、そして撃ち切らずに止まった。
結果だけを見れば、初実戦は成功だった。
だが、格納庫にいた誰も、それを単純な成功とは呼ばなかった。
『ノクス・レクイエム、固定完了』
『中核部接続、安定』
『命令層反応、隔離維持』
『レクイエム・ベント、低出力排出後の残留反応あり』
リンが整備端末を確認しながら、眉を寄せた。
「ベント排出翼、表面焼けあり。想定範囲だけど、連続使用は無理」
アシュが足場の上から機体を見上げる。
「想定よりましだな。だが、楽観はできない」
ノクス・レクイエムの外殻には、戦闘による大きな損傷はなかった。
しかし、背部の術式排出部には、薄い紫の残光が残っている。
撃たなかった分を逃がした跡だった。
ユイは搭乗席から降りると、足元を一瞬だけふらつかせた。
「ユイ!」
カイトが駆け寄る。
ユイは壁に手をつき、すぐに体勢を立て直した。
「大丈夫です」
「大丈夫に見えない」
「……少し、疲れただけです」
その言葉は、先ほどよりもさらに細かった。
カナデがすぐに近づき、簡易診断端末をユイの腕に当てる。
「少し、で済ませる数値ではありません。精神負荷、同期疲労、神経反応の遅延。どれも戦闘前より明確に上がっています」
「でも、戻れました」
「それは評価します。ですが、戻れたことと、負荷が軽いことは別です」
ユイは小さく頷いた。
「はい」
カイトも、アルタイル・ノヴァ・ブレイスから降りた直後、肩で息をしていた。
機体に被害はない。
それでも、支援リンクを通してノクス・レクイエムの出力変動を見続けた負荷は、想像以上だった。
タツヤがカイトの様子を見て、顔をしかめる。
「お前もだ。顔色悪いぞ」
「俺は操縦してただけです」
「普通の操縦ならな。今回は違うだろ」
リクトが支援リンクの記録を開く。
「カイト君の機体側にも負荷が残っている。アルタイル・ノヴァ・ブレイスはノクス・レクイエムの出力を受け止めたわけじゃない。だが、ユイ本人の停止判断を支えるために、危険域の情報をずっと返し続けていた」
「つまり?」
「ずっと崖の縁を見ながら、『ここから先は落ちる』と伝え続けていたようなものだ」
カイトは少しだけ苦笑した。
「分かりやすいけど、嫌な例えですね」
「実際、嫌な状態だったんだ」
リクトの声は真面目だった。
「初実戦としては成功だ。けど、安全とは言えない。今回はレオンが正面から受けた。グラトンも撃たなかった。もし別の相手が、ユイの出力が上がった瞬間に刺激を重ねていたら、結果は変わっていた可能性がある」
その言葉に、格納庫の空気が沈む。
ユイはノクス・レクイエムを見上げた。
「レオンは、撃たせませんでした」
「だからこそ危ない」
アシュが言った。
「次も同じとは限らない」
ミオとイリスは、管制室で戦闘記録を確認していた。
表示には、帝国側のGD部隊の動きが重ねられている。
グラディウス・ブレイクの突撃角度。
ヴェス・シュトルムの散開軌道。
ノクターン・ジャマーの干渉波形。
そして、エリシオン出撃後の部隊再編速度。
ミオは、何度も同じ場面を再生していた。
「やっぱり、エリシオンが出た瞬間に全体が変わっています」
イリスが頷く。
「指揮リンクの再構成を確認。単なる通信ではなく、各GDの行動選択補助に近い」
「ミオの支援と似ている?」
「似ている。でも目的が違う。ミオは味方が戻れるように補助する。エリシオンは、部隊を崩さないために補助する」
ミオは少しだけ目を伏せた。
「同じ支援でも、使い方で全然違いますね」
レータがその横から表示を覗き込む。
「帝国の前線部隊としては、かなり綺麗な動きですね。嫌になるくらい」
セラが腕を組む。
「綺麗、ですか」
「うん。あれは混乱した寄せ集めじゃない。NBで押し潰す戦場とも違う。GDを中心にちゃんと訓練された防衛線です」
レータは、珍しく軽口を挟まずに続けた。
「でも、これでもたぶん一部です」
カイトが管制室に戻ってきて、その言葉を聞いた。
「一部?」
「はい。今回出てきたのは、レオン隊と前線防衛の一部。高速機動試験隊のヘルメスも顔見せ程度でした。帝国が本当に本国戦力をまとめて出してきたら、もっと別の部隊が来ます」
ユイが静かに言う。
「砲撃制圧、情報封鎖、回収処分。本国には、前線軍とは違う目的の部隊があります」
ミオが表情を曇らせる。
「つまり、次はレオンのように止めてくれる相手とは限らない」
「はい」
ユイは頷いた。
「レオンは、戦場を見ていました。オルフェンは、記録を見ていました。次に来る相手は、たぶんもっと別のものを見ます」
その言葉に、誰もすぐには返せなかった。
ルクス側では、ノクス・レクイエムが止まれた意味を確認していた。
しかし同時に、それが次の危険を呼ぶことも理解していた。
帝国側も、同じ戦闘を見ていた。
ドレッドノート級殲滅艦『グラトン』は、外縁防衛線の奥へ後退していた。
損傷したGDを回収し、エリシオンの防盾を交換しながら、艦隊は再編を進めている。
艦橋では、レオンが報告映像を確認していた。
画面には、ノクス・レクイエムがエリシオンを押し込み、しかし撃ち切らず、レクイエム・ベントで出力を逃がす瞬間が映っている。
クラウスが報告書を整理する。
「エリシオンの防盾は大破寸前。防御フィールド発生器にも負荷が残っています。前線GD部隊は再編可能ですが、同条件での再戦は推奨されません」
「ノクス・レクイエムは」
「初期型とは思えない出力です。ただし、制限が多い。戦闘継続時間も短い。ユイ個体と支援機の関係が切れれば、不安定化する可能性があります」
レオンは腕を組んだ。
「暴走兵器ではない」
クラウスが顔を上げる。
「報告書にそのまま記載しますか」
「ああ」
レオンは画面から目を離さない。
「あれは危険だ。だが、暴走しているわけではない。出力はユイ本人の意思で止まっている」
「本国がどう受け取るかは分かりません」
「受け取り方までは、俺の管轄ではない」
クラウスは少しだけ沈黙し、頷いた。
「了解しました」
その時、艦橋後方の通信席でオルフェンが別回線を開いていた。
彼はレオンの報告とは別に、本国へ送る監察記録を作成している。
「ノクス・レクイエム初期型、限定戦闘において高出力反応を確認。ユイ個体はエリシオンとの接触時、出力上昇後に自発的停止を実行。支援機アルタイル・ノヴァ・ブレイスとの外部リンクにより、停止判断が安定化した可能性あり」
オルフェンの声は淡々としていた。
だが、その内容は、レオンの見たものとは違っていた。
「特筆すべきは、感情反応と出力制御の相関です。対象は敵対者であるレオン閣下との対話中に出力を上昇させ、カイト個体からの呼びかけ後に低下。本人意思認証と称される構造は、精神反応制御の応用例と見なせます」
本国側の通信に、複数の声が重なる。
『精神反応制御の有効例か』
『帝国式命令系統ではなく、感情反応を停止条件に利用している?』
『ならば、命令層を外部から再構成するより、反応条件を誘導した方が早い』
オルフェンは、薄く笑った。
「レオン閣下は、ユイ個体が自分の意思で止まったと評価されています」
『武人らしい評価だ』
『詩的すぎるな』
『必要なのは詩ではなく再現性だ』
通信の向こうで、別の声が続いた。
『PT個体の精神反応と機体制御の相関を再検証する必要がある』
『ノクス・レクイエムへ直接圧力をかけるより、PT系支援反応をぶつける方が有効かもしれない』
『ルクス側には複数のPTがいる。ユイ個体単独の反応では不足だ』
オルフェンは記録端末へ視線を落とす。
「本国側に、適合候補は?」
短い沈黙。
それから、通信の向こうで声が返った。
『PT-A01』
別の声が重なる。
『セレスティアはまだ再同期に不安がある』
『だが、ノクス・レクイエムの相手に通常GDだけでは不足する』
『エリシオンは防いだが、止めきれなかった』
『ならば、戦場支援と感応干渉を行える個体が必要だ』
オルフェンの目が細くなる。
「PT-A01の反応には揺らぎが記録されています。以前の接触記録以降、命令応答に遅延があるはずですが」
『だからこそ試す』
その声は冷たかった。
『揺らぎも記録対象だ』
レオンは、離れた位置でその会話の一部を聞いていた。
完全な内容ではない。
だが、何が決まろうとしているのかは分かった。
「オルフェン」
レオンが声をかける。
オルフェンは振り返る。
「何でしょう、閣下」
「今度は何を出すつもりだ」
「本国判断です。私の権限ではありません」
「答えろ」
オルフェンは、わざとらしく少し考えるように間を置いた。
「ノクス・レクイエムが本人意思で止まる機体なら、その意思がどのような条件で揺れるかを確認する必要があります」
「また実験か」
「戦場です」
オルフェンは、レオンの言葉を逆に使った。
「閣下がそうおっしゃった」
レオンの目が鋭くなる。
クラウスが、無言で二人の間に視線を向けた。
通信の向こうで、命令が下る。
『PT-A01を前線待機へ移せ』
『GD-PT-A01、セレスティアの再同期を開始』
『目標は、ルクス・ヴァルキュリア所属PT群およびノクス・レクイエム支援リンクの反応確認』
オルフェンは、静かに敬礼した。
「了解しました。監察記録を継続します」
レオンは何も言わなかった。
ただ、ノクス・レクイエムが撃ち切らなかった戦場を思い出していた。
ユイは止まった。
自分の意思で止まった。
だが、帝国はそれを意思とは呼ばない。
反応と呼ぶ。
制御条件と呼ぶ。
再現可能なデータと呼ぶ。
そして、次の駒を出そうとしている。
遠い帝国側施設の格納区画で、白金と淡い発光を持つ機体の周囲に光が灯り始める。
GD-PT-A01『セレスティア』。
その搭乗者名が、起動準備表示に浮かぶ。
PT-A01。
アミィ。
まだ眠っていたはずのその名前が、再び戦場へ呼び戻されようとしていた。




