第200話 止まる機体
隔離格納庫のハッチが開いた。
ルクス・ヴァルキュリアの内部から、黒灰の巨影がゆっくりと姿を現す。
通常のLFでもGDでもない。
通常の機動兵器より一回りも二回りも大きい、異質な存在。
LF-GD-YR01『ノクス・レクイエム』。
黒灰の外殻。
白銀のフレーム。
紅紫の制御光。
そして、薄紫白の本人意思認証光。
それは、かつて帝国が作った巨大GD『ネメシス・レクイエム』の残骸を抱えた機体だった。
だが、同じものではない。
暴走のためではない。
命令のためでもない。
撃つためだけの機体でもない。
ユイが、自分の意思で止まるための機体だった。
『ノクス・レクイエム、限定出撃』
ユイの声が、ルクスの管制室に響く。
その横を、白と蒼青の機体が並ぶ。
LF-X04B『アルタイル・ノヴァ・ブレイス』。
カイトの機体は、ノクス・レクイエムより小さい。
火力も、装甲も、圧力もまるで違う。
だが、その淡白銀の支援ラインは、ノクス・レクイエムの本人意思認証光と細くつながっていた。
「支援リンク、接続維持」
カイトは操縦席で息を整えた。
「ユイ、聞こえるか」
『聞こえています』
「無理に勝とうとするな」
『はい』
「止まれなくなったら、俺が呼ぶ」
『……お願いします』
その返答は、短かった。
けれど、以前のユイなら言わなかった言葉だった。
ノクス・レクイエムが戦場へ出た瞬間、空気が変わった。
帝国GD部隊の動きが、一瞬だけ止まる。
ルクス側の機体も、反射的に距離を取った。
それは、単なる大きさのためではない。
装甲の厚さでも、出力反応の高さでもない。
戦場にいた者達の記憶に、別の影を呼び起こす圧力。
かつてのネメシス・レクイエム。
帝国の暴走兵器。
巨大な黒い機械の竜。
その残響が、ノクス・レクイエムの外殻に宿っていた。
『敵GD部隊、反応低下』
『味方機にも一部警戒反応』
『ノクス・レクイエム周辺、出力場変動』
ミオが急いで表示を整理する。
「ユイ、出力は上げすぎないでください。現在値でも十分に周囲へ圧が出ています」
『了解』
イリスが観測値を読み上げる。
「命令層反応、隔離内。主制御混入なし。本人意思認証、継続中」
カナデも続ける。
「精神負荷、上昇しています。ただし急激ではありません。カイト君との支援リンク、安定しています」
アシュが短く言った。
「まだ食われてない」
リンが整備表示を見る。
「ベント、待機排出可能。中核部固定、問題なし」
ジンは正面の表示から目を離さない。
「ユイ、カイト。エリシオンの前に出るなら、こちらの支援範囲から外れるな」
「了解」
カイトはアルタイル・ノヴァ・ブレイスをノクス・レクイエムの斜め後方へつける。
前に出すぎない。
押さえ込まない。
ただ、戻るための線をつなぐ。
戦場の中央で、GD-NM-03『エリシオン』が盾を構えた。
レオンは、操縦席の中でノクス・レクイエムを見据えていた。
「来たか」
クラウスから通信が入る。
『ノクス・レクイエム出撃を確認。出力は限定的ですが、反応規模は通常GDを大きく上回ります。グラトン主砲、照準可能』
別の通信士が続ける。
『主砲、照準線を合わせますか』
グラトンの艦首主砲が、わずかに角度を変えた。
巨大な砲口が、ノクス・レクイエムのいる宙域へ向く。
オルフェンの声が、興奮を隠しきれずに割り込んだ。
『閣下、照準だけでなく威嚇射撃を。対象がどう反応するか、貴重な記録になります』
「撃つな」
レオンは即答した。
『しかし』
「撃つなと言った」
艦橋の空気が凍る。
レオンはエリシオンの盾を構え直した。
「あれを呼んだのは俺だ。グラトンの主砲ではない」
オルフェンが不満げに沈黙する。
クラウスは短く応答した。
『グラトン主砲、照準待機。射撃許可なし』
レオンはノクス・レクイエムへ通信を開いた。
『ユイ』
ユイはノクス・レクイエムの操縦席で、静かに応答した。
「聞こえています」
『それが、お前の選んだ機体か』
「はい」
『帝国から逃げるためか』
「違います」
『帝国へ戻るためか』
「違います」
『なら、何のためだ』
ユイは少しだけ沈黙した。
その間にも、ノクス・レクイエムの中で紅紫の制御光が脈打っている。
ノクス・リリス旧データ。
レクイエム外殻。
帝国式命令層。
封じたはずのものが、表面に浮かぼうとする。
だが、薄紫白の光がそれを押し戻す。
ユイ本人の意思認証。
「止まるためです」
ユイは答えた。
「撃てる力を、撃つだけで終わらせないために」
レオンの目が細くなる。
『なら、見せてみろ』
エリシオンが前へ出た。
盾を構えたまま、ノクス・レクイエムへ向かう。
通常ならば、巨大機へ正面から近づくのは危険すぎる。
だが、エリシオンは指揮防御型特殊GDだ。
単独で突撃する機体ではない。
周囲のGD部隊と盾の防御場を重ねながら、戦場そのものを前へ押し出す。
グラディウス・ブレイクが左右に展開。
ヴェス・シュトルムが回り込みを警戒。
ノクターン・ジャマーが支援リンクへ干渉波を重ねる。
その中心に、エリシオンがいる。
ミオがすぐに補正をかけた。
「カイト、ノクス・レクイエムの右側に干渉が入っています。支援リンク、補正します」
「了解」
カイトは機体を少しだけ移動させる。
アルタイル・ノヴァ・ブレイスの支援ラインが、ノクス・レクイエムの背部へ淡く伸びた。
「ユイ、右側の反応が遅れてる」
『分かっています。補正、受け取ります』
ノクス・レクイエムが腕を上げた。
その動きだけで、戦場の表示が乱れる。
出力はまだ低い。
だが、機体規模とレクイエム由来の外殻が、通常機とは違う圧を生んでいた。
エリシオンは退かない。
レオンは盾を構え、真正面から受ける体勢を取った。
『来い』
ノクス・レクイエムの腕部に、紅紫の光が集まる。
砲撃ではない。
近接用の出力集中でもない。
ただ、力が形を持つ前の圧力。
それだけで、エリシオン周辺のGDがわずかに後退した。
ユイの視界に、複数の表示が重なる。
『レクイエム級出力反応、上昇』
『アンカー未接続』
『ベント待機』
『命令層反応、微弱』
『本人意思認証、継続』
リクトの声が入る。
『ユイ、上げすぎるな。アンカーなしで撃てる出力じゃない』
カナデも言う。
『今の負荷ならまだ戻れます。でも、このまま上げ続けると危険です』
オルフェンの声が、帝国側記録回線で響く。
『出力上昇を確認。さらに圧をかければ、対象は』
レオンはその声を遮った。
「黙って記録していろ」
エリシオンが盾を前へ突き出す。
ノクス・レクイエムの出力圧と、エリシオンの防御場が正面からぶつかった。
光が歪む。
金色の防御光が、紅紫の出力に押される。
エリシオンの盾が軋み、機体全体が後方へ滑る。
それでも、レオンは受けた。
『重いな』
レオンの声が低く響く。
『だが、まだお前の力ではない。機体が持っているだけだ』
ユイの瞳が揺れた。
その言葉は、挑発ではなかった。
事実を突きつける声だった。
ノクス・レクイエムの出力がさらに上がる。
エリシオンの盾に亀裂が走った。
カイトが叫ぶ。
「ユイ、そこまでだ!」
支援リンクが強く光る。
アルタイル・ノヴァ・ブレイスが、ノクス・レクイエムの横へ入りすぎない距離で並ぶ。
カイトは機体を押さえようとはしない。
その代わり、支援リンクを通して、ノクス・レクイエムの出力表示をユイへ返した。
今、どれだけ上がっているのか。
どこからが危険なのか。
どこで止められるのか。
それを、ユイが見える形にする。
「撃てるかどうかじゃない!」
カイトの声が、ユイの耳に届く。
「撃つかどうかは、ユイが決めるんだろ!」
ユイは、操縦桿を握る手に力を込めた。
撃てる。
今なら、エリシオンの盾を砕ける。
防御場を抜ける。
レオンの機体を押し潰せる。
ノクス・レクイエムの中で、何かがそれを求める。
敵を破壊しろ。
障害を排除しろ。
出力を上げろ。
だが、それはユイの声ではない。
ユイは目を閉じかけ、すぐに開いた。
「違う」
薄紫白の本人意思認証光が強くなる。
「私は、撃つためだけにここへ来たんじゃない」
ノクス・レクイエムの腕に集まっていた紅紫の光が、わずかに乱れる。
リクトが叫ぶ。
『ベント、開ける! 低出力排出だ!』
アシュがすぐに安全装置を入れる。
『排出方向、味方機なし。行け』
リンが確認する。
『排出翼、展開』
ノクス・レクイエムの背部に、薄い術式リングのような光が開いた。
紅紫の出力の一部が、砲撃としてではなく、外へ逃がされる。
荒く、まだ不安定な排出。
だが、それは確かに撃たないための動作だった。
レクイエム・ベント。
余剰出力が、戦場の上方へ逃がされる。
光が尾を引き、暗い宇宙に薄い紫の痕跡を残した。
エリシオンへの圧力が落ちる。
レオンは、その瞬間を見逃さなかった。
攻め込もうと思えば、できた。
だが、彼は動かなかった。
エリシオンの盾を構えたまま、レオンはノクス・レクイエムを見た。
『……止めたか』
ユイは息を吐いた。
「はい」
『撃てたはずだ』
「撃てました」
『なら、なぜ撃たなかった』
ユイはまっすぐに答えた。
「必要なかったからです」
短い言葉だった。
だが、それで十分だった。
レオンは沈黙した。
その間に、エリシオンの損傷表示が赤く染まっていく。
盾は限界に近い。
防御場も一部不安定。
周囲のGD部隊も、ノクス・レクイエムの圧力とベント排出の余波で隊列を崩していた。
グラトン艦橋では、クラウスが状況を読み上げる。
『エリシオン防盾、大破寸前。防御場出力低下。前線GD部隊、再編に時間を要します。グラトン主砲は照準維持可能。射撃すれば、ノクス・レクイエムの追撃を阻止できます』
オルフェンが即座に言った。
『撃つべきです。対象は今、ベント排出直後で反応が乱れています。追加刺激を与えれば、さらに有用な反応が』
「クラウス」
『はい』
「撤退準備」
オルフェンの声が鋭くなる。
『撤退? ここで? まだ記録は』
「十分だ」
『十分ではありません。ユイ個体は明らかに出力を抑制しました。なぜ抑制できたのか、さらに追えば』
「それが分かった」
レオンは静かに言った。
「ユイは、帝国から逃げただけではない」
エリシオンの操縦席で、レオンはノクス・レクイエムを見つめる。
「あいつは、自分の意思で戦場を選んだ」
その声は、オルフェンへ向けたものではなかった。
クラウスにも、帝国本国にも、記録にも向いていない。
ただ、レオン自身が理解したことを口にしただけだった。
オルフェンは不満を隠さない。
『閣下の主観にすぎません』
「なら、そう記録しろ」
レオンはエリシオンを後退させる。
「外縁防衛線、第一戦闘を終了。損傷機を回収。グラトンは戦線を維持しつつ後退。メルクリウス隊は追撃阻止に回せ。ただし、ノクス・レクイエムへ接近するな」
クラウスがすぐに命令を伝える。
『了解。全艦、後退準備。損傷機回収。主砲照準解除せず、射撃待機のみ継続』
グラトンの艦体が、ゆっくりと後退を始める。
装甲には、ルクス側の反撃と戦場余波による損傷が走っていた。
だが、殲滅艦はまだ沈んでいない。
前線を維持し、損傷機を拾いながら退く。
敗走ではない。
撤退だった。
ルクス側も追わなかった。
ノクス・レクイエムは、戦場の中央で静かに出力を落としている。
ベント排出後の薄紫の光が、背部に淡く残っていた。
カイトは支援リンクを維持したまま、声をかけた。
「ユイ、大丈夫か」
『大丈夫です』
「本当に?」
少し間があった。
『……少し、疲れました』
「戻ろう」
『はい』
ノクス・レクイエムがゆっくりと反転する。
エリシオンもまた、グラトンへ向けて後退していく。
一度も完全にはぶつかり切らなかった。
撃てる力を、撃ち切らなかった。
それでも、戦場には確かな結果が残っていた。
ユイは、ノクス・レクイエムを動かした。
そして、止めた。
レオンは、それを見た。
オルフェンは、不満とともに記録を持ち帰る。
グラトンは傷を負いながら、外縁防衛線の奥へ下がっていく。
帝国の前線は、崩れてはいない。
ルクスもまた、突破してはいない。
だが、この戦いで一つだけ明らかになった。
ノクス・レクイエムは、ただの暴走兵器ではない。
そしてユイは、もう命令で撃つ兵器ではなかった。




