第197話 グラトン
帝国外縁防衛線。
そこは、帝国本国から見れば辺境だった。
だが、辺境であるからこそ、常に戦場に近い。
未制圧宙域。
管理外文明圏。
帝国から逃れた輸送船。
捨てられた植民地。
そして、帝国がまだ完全には支配できていない航路。
そうしたものが流れ着く境界線に、ドレッドノート級殲滅艦『グラトン』は展開していた。
黒鉄色の艦体は、周囲の光を鈍く飲み込んでいる。
艦首に備えられた大型主砲は、ただそこにあるだけで、敵艦へ圧力をかけるほどの存在感を持っていた。
殲滅艦。
その名の通り、本来なら敵艦隊や拠点を遠距離から粉砕するための艦である。
だが、その艦橋に立つレオンは、主砲の照準表示ではなく、防衛線全体の配置図を見ていた。
「ルクス・ヴァルキュリア、予定航路を維持。外縁防衛線までの到達予測、現行速度なら標準時間で一・八」
副官クラウス・ベルガーが、戦術卓に情報を重ねる。
「随伴艦反応は一。クロウヴェイル・ノアと推定。ルクス本体の外部接続、または半格納運用の可能性があります」
「機動艦を抱えたまま来たか」
「はい。大型艦単独での接近ではなく、小型行動用の艦を保持したままの進行です。ルクス本体で圧をかけ、必要に応じてクロウヴェイル・ノアを切り離す構えと見てよいかと」
クラウスは淡々と続ける。
その声には、焦りも怒りもない。
外縁方面軍の副官として、必要な情報だけを整理し、レオンへ渡していた。
「高出力機動兵器反応は」
「複数。アルタイル・ノヴァ、ヴァナルガンド、ルナ・スケイル系、フェンリオン系、ヴァルクレイド系と思われる反応を確認。ただし、識別は完全ではありません」
「ノクス・レクイエムは」
レオンが短く尋ねる。
クラウスは、別の表示を開いた。
そこに映る反応は、他の機体とは明らかに違っていた。
強い。
だが、抑えられている。
「反応はあります。ですが、出力は低い。待機状態、もしくは隔離区画内での限定起動と推定されます。完全な戦闘態勢ではありません」
「出せるが、出したくはない。あるいは、出せる状態まで持ってきたが、まだ信じ切れていない」
レオンは静かに言った。
その言葉に、艦橋の後方から薄い笑い声が聞こえた。
「信じる必要などありませんよ、閣下。あれは信頼する対象ではなく、観測する対象です」
オルフェン・グラードだった。
帝国本国から派遣された監察官。
外縁方面軍の将兵とは違う、整った軍服を着ている。
戦場の埃も、艦橋の緊張も、彼の周囲だけには届いていないように見えた。
オルフェンは、手元の記録端末を軽く掲げる。
「本国からの命令を再確認します。ルクス・ヴァルキュリアの進行阻止。クロウヴェイル・ノアの戦力評価。ノクス・レクイエムの起動反応確認。そして、ユイ個体の精神反応、命令層遮断状態、出力制御時の感情変動記録」
クラウスの指が、わずかに止まった。
レオンは振り返らない。
「読まなくても分かっている」
「ならば話が早い。今回の戦闘で重要なのは勝敗だけではありません。むしろ、勝敗よりもデータです。ノクス・レクイエムがどの程度まで起動するか。ユイ個体がどの条件で出力を上げるか。誰の声に反応するか。どの段階で停止するか。それを本国は求めています」
「ここは実験場ではない」
レオンの声が低く響いた。
艦橋の空気が張り詰める。
クラウスは何も言わず、戦術卓へ視線を戻した。
オルフェンは、わずかに口元を歪める。
「戦場と実験場は、しばしば同じ場所になります。特に、対象が兵器である場合は」
「ユイは兵器ではない」
「帝国が作った個体です」
「だが、今は戦場に立つ敵だ」
「それは同じことでは?」
「違う」
レオンは、ここで初めてオルフェンを見た。
「敵ならば、正面から相手をする。兵器ならば、数値を見る。俺は前者を選ぶ」
オルフェンの目が細くなる。
「それで本国が納得すると?」
「納得させるために戦うわけではない。外縁防衛線を守るために戦う」
「閣下のそういうところは、評価が分かれるでしょうね」
「好きに書け」
レオンは視線を戻した。
「ただし、俺の戦場で勝手な命令を出すな。観測記録は許可する。だが、ユイを引きずり出すために民間航路や避難区域を巻き込むような策は認めない」
「外縁に民間など」
「いる」
レオンは遮った。
「帝国の記録に存在しないだけだ」
オルフェンは答えなかった。
クラウスが、空気を切り替えるように報告を続ける。
「第七機動戦隊、展開準備完了。ドールキャリア級二隻、GD輸送艦四隻、護衛艦隊、配置完了。通常GD部隊、第一波発進準備中。カスタムGD部隊は待機」
「メルクリウス隊は」
「外側航路で待機中です。リュカ・ヴァレンより通信。『退屈なので、呼ぶなら早めに』とのことです」
レオンの眉がわずかに動いた。
「相変わらずだな」
「返答は」
「待機継続。勝手に前に出るな、と伝えろ」
「了解」
クラウスが通信士へ指示を送る。
高速巡航母艦『メルクリウス』。
高速機動試験隊の母艦。
そして、GD-NM-01『ヘルメス』の運用艦。
リュカ・ヴァレンの部隊は、正面からぶつかるレオン隊とは性質が違う。
速く、軽く、読みづらい。
敵陣を裂くのではなく、敵の呼吸を乱すための部隊だった。
今はまだ動かさない。
レオンはそう判断した。
最初から戦場を乱しすぎれば、ルクス側はノクス・レクイエムを引っ込める可能性がある。
あるいは、逆に制御できないまま出してくる可能性もある。
どちらも望ましくない。
まず見せるべきは、帝国前線の正面戦力だった。
「グラトンの主砲は」
「充填率四十。いつでも上げられます」
「五十で止めろ」
「殲滅艦としては低すぎます」
クラウスが確認するように言った。
反論ではない。
意図を確認しているだけだ。
「威嚇には十分だ。ルクス・ヴァルキュリアを撃ち抜くつもりなら、最初から全艦隊を呼んでいる」
「了解。主砲充填、五十で固定。先制殲滅射撃なし」
オルフェンが、静かに息を吐いた。
「殲滅艦を盾のように使うのですね」
「盾ではない」
レオンは言った。
「境界線だ」
グラトンは、撃てる。
必要ならば、撃つ。
だが、レオンは最初から無差別に焼き払うつもりはなかった。
外縁防衛線は、帝国の境界である。
そこへ踏み込んできたルクスを止める。
しかし、止めることと壊し尽くすことは同じではない。
「エリシオンの状態は」
レオンが問いかける。
クラウスが格納庫映像を開く。
そこには、一機のGDが固定されていた。
GD-NM-03『エリシオン』。
白灰の装甲。
金のライン。
黒鉄の関節部。
帝国機らしい冷たさを残しながらも、殲滅や奇襲ではなく、指揮と防御を意識した重厚なシルエットを持つ機体だった。
その両肩には、広域指揮用のセンサーユニット。
左腕には大型防盾。
背部には、周辺機との統制リンクを補強するための展開翼が折り畳まれている。
格納庫では、整備兵達が最終確認を進めていた。
機体の周囲に複数の術式表示が浮かび、起動前診断が淡い金色の光となって走る。
「エリシオン、起動前診断九十二%完了。指揮リンク正常。防御フィールド発生器正常。統制翼、展開試験問題なし。搭乗者認証待ちです」
「まだ起動しない」
「了解」
レオンは、格納庫映像を見つめた。
エリシオン。
帝国が用意した、前線指揮官用の特殊GD。
戦場を壊すためではなく、戦場を保つための機体。
だが、それもまた帝国の兵器であることに変わりはない。
レオンは、その矛盾をよく理解していた。
秩序を守るための力は、時に秩序の名で誰かを踏み潰す。
帝国がそれを何度も行ってきたことを、彼は知らないわけではない。
それでも、彼は帝国軍人だった。
外縁を守る。
部下を守る。
境界を越えてくる者を止める。
そのために、ここにいる。
「クラウス」
「はい」
「第一波は通常GDで出す。カスタム機は後ろに置け。ルクス側がどの機体を出すかを見る」
「ノクス・レクイエムを誘うためですか」
「違う」
レオンは短く否定した。
「ルクス側が、何を守るつもりで出てくるかを見る」
クラウスは一拍置いてから頷いた。
「了解しました」
オルフェンは、端末に何かを入力している。
その目は、戦術表示ではなく、記録項目を追っていた。
ユイ個体。
ノクス・レクイエム。
精神反応。
停止条件。
外部支援者。
感情負荷。
彼にとって戦場は、やはり記録の場だった。
レオンはそれ以上、何も言わなかった。
艦橋正面の大型表示に、ルクス・ヴァルキュリアの予測航路が映る。
巨大な艦影。
その中に、いくつもの反応が眠っている。
カイト。
ユイ。
パルスティア達。
ラスト・オーダー。
地球側の者達。
そして、帝国が作り、帝国が失い、今は帝国へ向けられている機体。
ノクス・レクイエム。
「外縁防衛線、全艦へ通達」
レオンの声が、艦橋に響いた。
「敵を侮るな。ルクス・ヴァルキュリアは単なる鹵獲艦ではない。あれは、帝国が捨てたもの、逃がしたもの、壊したものを抱えて進む艦だ」
通信士達が一斉に指示を流す。
「だが、ここは帝国の外縁だ。通す理由はない」
レオンは、グラトンの前方表示を見据えた。
「第一波、発進準備」
『了解。第一波、発進準備』
「主砲、待機維持」
『主砲、待機維持』
「エリシオン、搭乗準備へ移行」
その指示に、クラウスが振り返る。
「閣下」
「まだ起動はしない。だが、俺が出る準備はしておく」
「了解しました」
格納庫の映像が拡大される。
GD-NM-03『エリシオン』の胸部装甲が、低い音を立てて開いていく。
機体内部に、淡い金色の認証光が灯った。
殲滅艦『グラトン』の内部で、帝国外縁方面軍の盾が目を覚まそうとしていた。
そしてその向こうから、ルクス・ヴァルキュリアが近づいてくる。
戦場はまだ始まっていない。
だが、すでに互いの意志は、外縁防衛線の上で向かい合っていた。




