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第194話 帝国の視線

 ネメシス帝国戦術演算局には、ルクス・ヴァルキュリアに関する新しい観測報告が届いていた。

 太陽系への帰還。

 地球統合軍との正式通信。

 監査報告会。

 機体再編成。

 ノクス・レクイエム初期型。

 アルタイル・ノヴァ・ブレイス。

 レイヴン・ハウル・リコール。

 断片的な情報でしかない。

 だが、断片であっても、帝国はそれを見逃さない。

 戦術演算局の一室で、リゼル・オルブライトは複数の資料を並べていた。

 通信傍受の残響。

 太陽系外縁に配置された観測網の反応。

 民間補給線に紛れた間接情報。

 そして、ルクス・ヴァルキュリアが太陽系へ帰還したことで動いた地球側工廠の物流記録。

 それらを重ねると、一つの流れが浮かび上がる。

 ルクスは逃げ帰ったのではない。

 報告するために戻った。

 修理するために戻った。

 そして、次の戦場へ向かう前に、自分達の正当性と安全条件を整理している。

 リゼルは、その点にこそ強い関心を抱いていた。

「彼らは、帰還を隠しませんでした」

 静かな声で、彼は報告を始める。

 通信空間の向こうには、エルマ・ディクセンの姿があった。

 さらに別回線には、レオン・グレイスナーも接続している。

 帝国研究系、外交観測系、軍事作戦系。

 三つの視線が、同じ対象を見ていた。

 ルクス・ヴァルキュリア。

 そして、そこに搭載されたノクス・レクイエム初期型。

 レオンが低く言う。

『隠さなかった? 単に隠せなかったのではないか』

「可能性はあります」

 リゼルは否定しなかった。

「ルクス・ヴァルキュリアほどの艦が太陽系へ帰還すれば、完全秘匿は困難です。ですが、彼らは地球統合軍へ正式連絡を入れています。監査報告も行った形跡があります」

 レオンは不快そうに眉を寄せた。

『監査か。戦時下に悠長なことだ』

 エルマが薄く笑う。

『いいえ。むしろ興味深いわ』

 レオンの視線が彼女へ向く。

『何がだ』

『彼らは危険なものを持ち帰った。帝国製の残骸、パルスティア旧データ、レクイエム級制御構造、アンノウン由来の非固定保存方式。それらを隠さず、監査という形で整理した』

 エルマは楽しげに続ける。

『これは、帝国とは違う統治手順よ』

 リゼルは頷いた。

「同意します。帝国なら、危険物は分類し、秘匿し、上位命令系統に組み込みます。ですが、ルクス側は危険を記録し、制限し、複数人の停止条件を設けている」

 レオンが腕を組む。

『それで安全になるのか』

「完全にはなりません」

 リゼルは答える。

「ですが、彼らは安全そのものではなく、止める条件を増やしています」

 エルマは目を細めた。

『止める条件……。ノクス・レクイエムにも、その思想が入っているわね』

 彼女の背後に、ノクス・レクイエム初起動時の推定反応波形が表示された。

 完全なデータではない。

 ルクス内部の記録を帝国が直接取得したわけではない。

 しかし、太陽系帰還前後の微弱な異常反応、レクイエム級出力の残響、パルスティア識別に近い波形の変化。

 それらから、エルマはかなりの部分を推測していた。

『主制御核は、ユイ本人の意思で初期化された可能性が高い』

 エルマは言った。

『ノクス・リリス旧データは使われている。でも、主制御へ直結されていない。おそらく隔離参照。命令層は残っているけれど、入れなかった』

 リゼルが静かに確認する。

「それは、帝国式制御から外れたということですか」

『完全には外れていないわ。痕跡は残っている。だからこそ面白い』

 エルマの声は、研究対象を前にした者のものだった。

『命令層を完全に消したわけではない。見える場所に残し、主制御へ入れない。必要な時だけ参照し、危険なら閉じる。アンノウンで得た非固定保存方式を、本人意思認証へ応用したのでしょうね』

 レオンが不快そうに言う。

『兵器としては不安定すぎる』

「兵器としてだけ見るなら、そうでしょう」

 リゼルが答える。

「ですが、彼らはノクス・レクイエムを純粋な兵器として扱っていない」

 エルマが笑みを深める。

『そう。彼女を機体の部品にしなかった』

 その言葉に、通信空間が少しだけ静まった。

 レオンは目を細める。

『彼女とは、ユイのことか』

『ええ』

 エルマは当然のように答えた。

『ヴァイスなら、違う処理をしたでしょうね。ノクス・リリス旧データを主制御へ押し込み、ユイの人格反応を命令精度の誤差として削り、レクイエム級出力を従わせるための核にした』

 リゼルは静かに言う。

「その方が、帝国式としては合理的です」

『短期的にはね』

 エルマは軽く返した。

『でも、それでは今のユイには届かない。あの子はもう、ただの制御核には戻らない。戻せば壊れる。壊れたら、ノクス・レクイエムも本来の形にはならない』

 レオンが言う。

『では、君ならどうする』

 エルマは少しだけ笑った。

『観測するわ』

『それだけか』

『今はね』

 その答えは、レオンを満足させなかった。

 だが、エルマは気にしない。

『ユイは失敗作ではない。むしろ、非常に興味深い成果よ。感情を持ち、迷い、拒絶し、それでも機体を起動した。帝国式命令層を主制御に入れずにね』

 リゼルは、エルマの言葉を記録する。

 ユイは失敗作ではない。

 だが、人間として見られているわけでもない。

 彼女にとってユイは、感情も人格も機能として成立するかを示す生きた実例だった。

 リゼルはその危うさを理解していた。

「あなたは、ユイを人として評価しているわけではありませんね」

『当然でしょう』

 エルマは即答した。

『人かどうかに意味はないわ。重要なのは、彼女の人格と感情が、制御構造にどんな影響を与えるか。帝国式命令を拒絶しながら、レクイエム級機体を動かせるなら、それは機能として極めて価値がある』

 レオンが短く言う。

『君の言い方は、ヴァイスと別方向で危険だな』

『褒め言葉として受け取るわ』

 エルマは笑った。

 リゼルは話を戻す。

「ルクス側は、機体再編成も進めています」

 画面が切り替わる。

 アルタイル・ノヴァ・ブレイス。

 レイヴン・ハウル・リコール。

 ノクス・レクイエム初期型。

 三機の概念図が並ぶ。

「詳細は不完全ですが、役割は推定できます。ノクス・レクイエムは危険出力を抱えながら停止する機体。アルタイル・ノヴァの強化案は、ノクス・レクイエムの停止支援。レイヴン・ハウルの強化案は、先行偵察と帰還支援」

 レオンの表情が厳しくなる。

『火力強化ではないのか』

「主目的は違うようです」

 リゼルは答えた。

「止まる機体、支える機体、戻る機体。彼らはその三役を整理している」

 レオンが吐き捨てるように言う。

『戦場で詩を作る気か』

「詩ではありません」

 リゼルは穏やかに返した。

「運用思想です」

 エルマが楽しそうに頷く。

『ええ。とても厄介な運用思想ね』

 レオンは不満げだった。

『火力が上がらないなら、軍事的脅威は限定的だ』

「本当にそうでしょうか」

 リゼルは静かに問い返した。

「彼らは、強大な力を暴走させずに扱う方法を整えています。失敗すれば危険ですが、成功すれば、帝国式命令制御とは別の安定化体系を手に入れることになる」

 エルマが続ける。

『帝国式は、命令で従わせる。ルクス式は、本人意思で止める。カイトの機体はそれを支え、カイルの機体は戻る道を作る。面白いわ。まるで、命令系統ではなく関係性で機体群を動かそうとしているみたい』

 リゼルは、その言葉に目を細めた。

「関係性による機体群制御」

『正確には制御ではないわね。支援、補助、帰還、停止。命令ではなく条件を重ねる体系』

 レオンは低く唸る。

『それが完成すれば、こちらの命令層干渉は効きにくくなるか』

「可能性はあります」

 リゼルが答える。

「特に、ユイとノクス・レクイエムに対する再制御は難しくなるでしょう」

 エルマは、そこで少しだけ笑みを消した。

『ヴァイスの残した設計思想では、もう足りないでしょうね』

 その名が出た瞬間、空気が変わった。

 ヴァイス・クロムウェル。

 行方不明の研究者。

 ユイ、ノクス・リリス、命令層、人格否定。

 その多くに影を落とす人物。

 レオンが問う。

『行方はまだ不明か』

「はい」

 リゼルが答える。

「少なくとも、帝国軍の通常記録には復帰痕跡がありません」

 エルマが軽く肩をすくめる。

『死んだと決めるには早いわ。彼は、そう簡単には消えないタイプよ』

『戻れば厄介か』

『とても』

 エルマは即答した。

『彼は、今のユイを見れば苛立つでしょうね。人格を残したまま機体を起動した。命令層を主制御から外した。旧データを従属核にしなかった。ヴァイスから見れば、非効率で不完全で、許しがたい構造でしょう』

 リゼルが尋ねる。

「あなたから見れば?」

 エルマは微笑む。

「美しい失敗回避ね」

「失敗回避?」

「ええ。彼らは失敗しないために完成を遅らせた。完成させるために、あえて繋がない部分を決めた。ヴァイスは繋げたでしょう。だから壊した」

 レオンは腕を組む。

『研究者同士の評価はどうでもいい。問題は、今後どう動くかだ』

 リゼルは頷いた。

「軍事的には、太陽系そのものへの直接攻撃は避けるべきです」

『理由は』

「地球統合軍が警戒を強めています。ルクス・ヴァルキュリアも帰還中です。今太陽系へ大規模攻撃を仕掛ければ、全面衝突になります」

 レオンは否定しなかった。

『ならば外縁か』

「はい。補給線、外部工廠、移送中の部材、クロウヴェイル・ノアの行動範囲。そこを観測、または揺さぶる方が効果的です」

 レオンの目が鋭くなる。

『限定攻撃か』

「攻撃とは限りません」

 リゼルは穏やかに言った。

「情報を流すだけでもいい」

 画面に、複数の情報案が表示される。

 ノクス・レクイエムは帝国兵器である。

 ユイは帝国製パルスティアである。

 ルクスはネメシス・レクイエム残骸を使用している。

 アンノウン由来の危険記録方式を導入している。

 ラスト・オーダーは地球統合軍所属ではない。

 どれも、完全な嘘ではない。

 だが、並べ方次第で毒になる。

 レオンが言う。

『リゼル、お前の得意分野だな』

「事実を正しい順番で並べるだけです」

『その正しい順番が問題なのだろう』

 エルマが楽しそうに笑った。

『エデンで使った手ね』

 リゼルは否定しなかった。

「ルクス側は、すでに監査報告で危険を明示しています。ですが、地球側の全員が納得したわけではないはずです。そこに、情報を重ねれば揺らぎは生まれる」

 レオンが問う。

『目的は内部分裂か』

「完全な分裂は期待しません。むしろ、彼らがどう耐えるかを見たい」

 リゼルは画面の中の三機を見つめた。

「止まる機体、支える機体、戻る機体。ならば、その支えを揺らした時、どこまで保つか」

 エルマが小さく頷く。

『いいわね。特にユイには有効かもしれない』

 レオンが言う。

『精神攻撃の類か』

『いいえ。確認よ』

 エルマは微笑んだ。

『彼女が、自分を機能ではなく自分自身として扱えるかどうかの確認』

 リゼルは少しだけ目を細めた。

「あなたは、ユイを壊したいのですか」

『壊れてほしくはないわ』

 エルマはあっさり答える。

『壊れたら観測価値が下がるもの』

 その返答に、レオンは呆れたように息を吐いた。

『やはり危険だな、お前は』

『よく言われるわ』

 リゼルは次の作戦案を表示した。

「提案します。第一段階として、太陽系外縁の補給航路に観測端末を配置。第二段階として、ノクス・レクイエム関連情報を断片的に流布。第三段階として、地球側工廠への移送部材に対する追跡を行う」

 レオンが画面を見る。

『攻撃は?』

「現時点では不要です」

 リゼルは答えた。

「彼らはまだ再編成中です。こちらが大きく動けば、逆に結束します」

『小さく揺らす方がいい、か』

「はい」

 エルマが続ける。

『私は、ノクス・レクイエムの次回起動反応が欲しいわ。特に、アルタイル・ノヴァ・ブレイスとの支援リンクが入った時のユイの反応。カイトの機体を支援条件として認識した場合、本人意思認証がどう変化するか』

 リゼルは静かに問う。

「カイトを、ユイの安全条件の一部として見るのですか」

『事実、そうなりつつあるでしょう?』

 エルマは楽しげに言う。

『本人意思認証、過去記録隔離、レクイエム・ベント、カナデの負荷監視、三島の監査記録。そしてカイトの支援機。あの子の制御構造は、技術だけではなく関係性で安定している』

 リゼルはその言葉を記録した。

 関係性で安定する制御構造。

 帝国から見れば、それは不安定で非効率に見える。

 だが、ルクス側では実際に機能し始めている。

 だからこそ危険だった。

 レオンが最後に言った。

『分かった。太陽系本星への直接攻撃は行わない。だが、外縁補給線への圧力準備は進める。限定部隊を動かせるようにしておく』

「了解しました」

 リゼルは頷いた。

 エルマも微笑む。

『私は観測端末を用意するわ。ノクス・レクイエムを壊さない程度に、少し揺らしましょう』

『壊すなよ』

 レオンが釘を刺す。

『もちろん』

 エルマは笑顔で答えた。

『今壊すには、惜しすぎるもの』

 通信が終了した後、リゼルは一人、報告書の末尾に追加項目を記した。

 ルクス・ヴァルキュリアは、太陽系へ帰還し、監査と再編成を通じて自らの正当性を補強している。

 ノクス・レクイエム初期型は、帝国式命令制御から離れつつある。

 ユイ本人意思認証は、技術的条件だけでなく、周囲との関係性によって安定している可能性がある。

 直接攻撃よりも、情報・補給・観測を通じた揺さぶりが有効。

 最後に、リゼルは一文を加えた。

 彼らは危険を隠さなかった。

 だからこそ、揺らす場所が見える。

 その頃、遠く太陽系の地球周辺では、ルクス・ヴァルキュリアが再編成作業を進めていた。

 彼らはまだ知らない。

 自分達が帰る場所を確認したその時、帝国もまた、その場所を見ていたことを。

 ノクス・レクイエムの起動反応。

 アルタイル・ノヴァ・ブレイスの支援構想。

 レイヴン・ハウル・リコールの帰還機能。

 そして、カイトとユイの関係性。

 それらすべてが、帝国の視線の中に入っていた。

 ただし、帝国はまだ撃たない。

 まずは揺らす。

 支えが本物かどうかを見るために。

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