第190話 太陽系への帰還
ルクス・ヴァルキュリアは、太陽系へ帰還した。
長い航行の末、艦橋の正面モニターに青い惑星が映し出される。
地球。
カイト達にとっての出発点。
最初に守ろうとした場所。
そして、いくつもの“地球”を巡った後でも、なお帰る場所と呼べる星だった。
艦橋にいた者達は、しばらく言葉を失っていた。
アース・ネメシスのように、帝国規格で整えられた世界ではない。
アース・エデンのように、調和と支援が社会全体に満ちた世界でもない。
アース・アンノウンのように、記録も名前も定まらない境界でもない。
そこに映っているのは、見慣れたはずの太陽系の地球だった。
けれど、カイトにはそれが少しだけ違って見えた。
「……帰ってきたんだな」
思わず呟く。
その声は、自分でも驚くほど小さかった。
隣にいたユイが、静かに頷く。
「はい」
ユイもまた、モニターの地球を見つめていた。
彼女にとって、この星は複雑な場所だ。
帝国から逃れ、竜奈として過ごした場所。
カイトと出会った場所。
人として暮らすことを覚えた場所。
そして今は、ノクス・レクイエム初期型を抱えて戻ってくる場所でもある。
カイトは地球を見て、確かに安心していた。
でも、それだけではなかった。
前にこの地球を見ていた自分とは、もう違う。
ただの学生だった頃。
何も知らず、戦争の全体像も、帝国の仕組みも、パルスティアの過去も知らなかった頃。
あの頃の自分は、もうここにはいない。
カイトはそれを、強く感じていた。
ジン艦長が艦長席で指示を出す。
「太陽系防衛管制へ通信。ルクス・ヴァルキュリア、帰還報告を送れ」
「了解。通信回線を開きます」
通信士が操作すると、地球統合軍の管制回線が開いた。
数秒の認証の後、通信画面に管制官が映る。
『こちら太陽系防衛管制。ルクス・ヴァルキュリア、識別信号を確認。帰還を確認しました』
ジンは静かに頷く。
「こちらルクス・ヴァルキュリア。修理、補給、監査報告、および戦力再編成のため、太陽系圏へ帰還した」
『了解しました。帰還予定は受信済みです。ただし、追加報告項目が多いと聞いています』
「その通りだ」
ジンの声は重い。
「各“地球”訪問の結果、帝国関連技術、アース・アンノウン境界観測記録、ならびに新規改修機体について、正式報告が必要になる」
管制官の表情がわずかに硬くなる。
『新規改修機体とは、ノクス・レクイエム初期型のことですね』
その名が出た瞬間、艦橋の空気が少し変わった。
ユイは小さく息を止める。
カイトはそれに気づいた。
ノクス・レクイエム。
ルクス艦内では、ようやくユイの機体として登録された。
制限付き完成機。
全出力禁止。
本人意思認証必須。
レクイエム・ベント優先。
命令層監視必須。
安全条件を何重にも重ねた機体。
それでも、地球統合軍側から見れば、別の見え方をする。
帝国製巨大GDの残骸を基にした改修機。
ノクス・リリス旧データを隔離参照する危険機。
ネメシス・レクイエムの外殻と出力構造を持つ機体。
つまり、味方の艦が帝国製の危険な巨大兵器を持ち帰った、ということだ。
ジンはそれを隠さなかった。
「そうだ。ノクス・レクイエム初期型は、制限付き完成機として起動試験に成功した。ただし、完全機ではない。安全条件、監査記録、運用制限を含めて報告する」
『承知しました。地球統合軍本部より、正式報告会の設定を求められています』
「準備は進めている。三島監査官を中心に、報告資料を提出する」
通信が一度切れる。
艦橋には、静かな緊張だけが残った。
三島はすでに端末を開いていた。
彼女の画面には、膨大な監査記録が並んでいる。
アース・デッドエンド。
アース・ヴェルデ。
アース・フォージ。
アース・ネオジェネシス。
アース・カタストロフ。
アース・ネメシス。
アース・エデン。
アース・アンノウン。
ルクス・ヴァルキュリア改造。
クロウヴェイル・ノア運用。
ノクス・レクイエム初期型。
アルタイル・ノヴァ・ブレイス案。
レイヴン・ハウル・リコール案。
その全てを、地球側へ説明しなければならない。
カイトが三島を見る。
「三島さん、資料……かなり多いですよね」
「報告対象は、直近三件だけではありません。これまで接触・観測した各“地球”すべてです。特に、デッドエンド、ヴェルデ、フォージ、ネオジェネシス、カタストロフは、直接ノクス・レクイエムに関わらない部分もありますが、太陽系地球の防衛・復興・技術運用に関わる重要情報です」
三島は淡々と答えた。
「ですが、必要です。ここで省略すれば、後で危険性だけが独り歩きします」
カイトは頷いた。
危険性だけが独り歩きする。
それは、今のノクス・レクイエムには特に当てはまる言葉だった。
三島は続ける。
「ノクス・レクイエムは、危険な機体です。それは否定しません。だからこそ、何が危険で、何を禁止し、誰が止めるのかを明確にします」
ユイは静かに聞いていた。
カナデがその横に立つ。
「ユイさん」
「はい」
「不安ですか」
ユイは少し迷った。
だが、嘘はつかなかった。
「不安です」
「何が一番不安ですか」
「私が、ノクス・レクイエムと一緒に危険なものとして見られることです」
その言葉に、カイトは胸が痛んだ。
ユイは続ける。
「ノクス・レクイエムは危険です。それは分かっています。でも、私も一緒に帝国の兵器みたいに見られたら……少し、怖いです」
カナデは静かに頷いた。
「それも、報告の中で分けて説明します」
「分ける?」
「はい。機体の危険性と、ユイさん本人を同一視しないこと。これは重要です」
三島も端末を見ながら言った。
「監査報告にも明記します。ノクス・レクイエムの運用は厳重に制限されるべきですが、ユイさん本人を危険物として扱うことは監査上も不適切です」
ユイは三島を見る。
三島はいつも通り、表情を大きく変えなかった。
だが、その言葉ははっきりしていた。
「危険を記録することと、人を危険そのものとして扱うことは違います」
ユイは小さく頷いた。
「ありがとうございます」
艦橋の別画面に、クロウヴェイル・ノアからの通信が入る。
カイルが映った。
『太陽系か』
彼はモニターの向こうで、地球を見ているようだった。
カイトが声をかける。
「カイルさん、どうですか。太陽系の地球は」
『綺麗だな』
カイルは率直に言った。
『だが、俺の帰る場所ではない』
その言葉に、艦橋の空気が少し静かになる。
カイルは続けた。
『誤解するな。悪い意味じゃない。ここはお前達の故郷だ。守る意味も分かる。だが、ラスト・オーダーにとっては寄港地であって、母港ではない』
ジンが頷く。
「その距離感で構わない」
『助かる』
カイルは小さく笑った。
『地球統合軍の命令下に入れと言われると、少し困るからな』
三島がすぐに言う。
「その点も、報告会で整理が必要です。クロウヴェイル・ノアおよびラスト・オーダーは、ルクス・ヴァルキュリアと協力関係にありますが、地球統合軍所属部隊ではありません」
『それをはっきりさせてもらえるならありがたい』
カイルの声は軽いが、その内容は重要だった。
彼らは味方だ。
だが、地球軍ではない。
命令下に組み込むのではなく、同じ方向を見る協力者として扱う必要がある。
ジンは頷いた。
「その点も正式に扱う。クロウヴェイル・ノアの先行偵察能力と帰還支援機能は、今後も重要になる」
『なら、こっちも補給と整備を受けたい。レイヴン・ハウル・リコールの改修案もあるしな』
グリッドが通信に割り込む。
「地球側の工廠を使えるなら助かる。こっちの整備班だけでは手が足りん」
リクトも頷いた。
「アルタイル・ノヴァ・ブレイスの支援パックも、地球側技術者と連携できれば早く進められます」
三島は記録する。
「補給、修理、機体再編成、地球側工廠との連携。報告会後の議題に追加します」
ジンは艦橋正面の地球を見つめる。
「まずは帰還手続きを済ませる。ルクス・ヴァルキュリアは指定待機軌道へ移動。クロウヴェイル・ノアは後方で待機。ノクス・レクイエム関連区画は、地球側監査受け入れまで封鎖状態を維持する」
「了解」
艦内に指示が流れていく。
ルクス・ヴァルキュリアは、ゆっくりと太陽系の地球の待機軌道へ向かった。
その巨大な艦影が、青い惑星の光を受ける。
ノア・ドックにはクロウヴェイル・ノアが収まり、格納区画にはノクス・レクイエム初期型が静かに固定されている。
アルタイル・ノヴァは、ブレイス改修前の姿で待機している。
レイヴン・ハウルもまた、リコール改修を待っている。
艦も、機体も、人も、次の段階へ進む前の準備に入っていた。
その後、カイトとユイは展望区画へ向かった。
地球がよく見える場所だった。
カイトは、窓の向こうの青い星を見つめる。
「やっぱり、帰ってくると変な感じがするな」
ユイが隣で尋ねる。
「変、ですか」
「安心する。でも、前と同じには見えない」
「それは、カイトが変わったからですか」
「たぶん」
カイトは少しだけ笑う。
「前は、地球ってただの日常だったんだと思う。学校があって、家があって、いつもの街があって。それが普通だった」
「はい」
「でも今は、守る場所なんだって感じる。あと、戻ってくる場所でもある」
ユイは地球を見つめた。
「私は、ここに戻ってきてもいいんでしょうか」
カイトは彼女を見る。
ユイは視線を地球から離さない。
「ノクス・レクイエムを持ってきました。帝国製の残骸を使った機体です。私も、元は帝国で作られたパルスティアです」
「ユイ」
「分かっています。カイト達がそう見ていないことは。でも、地球側の全員がそう思ってくれるとは限りません」
カイトはすぐには答えなかった。
簡単に「大丈夫」と言いたくなかった。
ユイの不安は、ただの思い込みではない。
地球側にとって、ノクス・レクイエムは危険だ。
ユイの出自を不安視する者もいるだろう。
それを無視して安心させるのは違う。
カイトは少し考えてから言った。
「全員がすぐに受け入れてくれるとは限らないと思う」
ユイは静かに頷いた。
「はい」
「でも、ちゃんと説明する。三島さんが記録して、カナデさんがユイのことを見て、リクト達が安全条件を出して、ジン艦長が責任を持って報告する」
「……はい」
「それに、俺も言う」
ユイがカイトを見る。
「何をですか」
「ユイは、帝国の兵器じゃないって。ノクス・レクイエムも、帝国の命令で動く機体じゃないって」
カイトは少し照れたように目を逸らした。
「まあ、俺が言ってどこまで通じるかは分からないけど」
ユイはしばらく彼を見ていた。
そして、小さく笑った。
「それでも、嬉しいです」
「なら、言う」
「はい」
二人は並んで地球を見つめた。
帰ってきた。
でも、ただの帰還ではない。
ここから、報告が始まる。
監査が始まる。
地球側との認識合わせが始まる。
そして、その先には帝国本国方面への戦いが待っている。
同じ頃、三島は会議室で監査報告資料を整理していた。
カナデ、リクト、グリッドも同席している。
画面には、報告項目が次々と並んでいた。
アース・ネメシス。
アース・エデン。
アース・アンノウン。
ノクス・レクイエム初期型。
アルタイル・ノヴァ・ブレイス案。
レイヴン・ハウル・リコール案。
ルクス・ヴァルキュリア改造。
クロウヴェイル・ノア運用。
カナデが言う。
「ノクス・レクイエムの報告では、ユイさん本人と機体の危険性を分ける必要があります」
三島は頷いた。
「分けます。機体は危険です。ですが、本人を危険物として扱う表現は避けます」
リクトが続ける。
「技術面では、制限付き完成機であることを強調しましょう。全出力は禁止。レクイエム・ベントは安全機構。アンカーは未完成。旧データは隔離参照」
グリッドも言う。
「整備面では、主制御核がユイ本人意思で初期化されていること、帝国式命令回線を物理的に切っていることを示す必要がある」
三島はそれらをすべて記録する。
「分かりました。報告の基本方針はこうします」
彼女は画面に一文を入力した。
危険は存在する。
だからこそ、隠さず記録し、止める条件を明確にする。
カナデはその一文を見て、静かに頷いた。
「それが一番いいと思います」
三島は端末を閉じない。
まだ資料は終わっていない。
だが、報告の軸は定まった。
太陽系の地球へ戻ったことは、休息だけを意味しない。
ここで、これまでの旅の成果と危険を、正面から説明しなければならない。
その夜、ルクス・ヴァルキュリアは地球待機軌道へ入った。
艦内には、久しぶりの帰還に安堵する者もいた。
地球を見て涙ぐむ者もいた。
補給を喜ぶ整備員もいた。
だが、同時に緊張もあった。
ノクス・レクイエム初期型。
帝国由来技術。
アンノウン記録。
ラスト・オーダーとの協力関係。
その全てを、地球側へ報告しなければならない。
カイトは展望区画で、もう一度地球を見た。
青い星は、変わらずそこにある。
けれど、自分達は変わった。
守るべきものも、背負っているものも、増えた。
ユイは隣で静かに言った。
「帰ってきたのに、これからまた始まるんですね」
カイトは頷いた。
「ああ」
「少し怖いです」
「俺も」
そう答えると、ユイは少しだけ安心したように笑った。
地球は、帰る場所だった。
だが、そこに戻ったからといって、全てが終わるわけではない。
むしろ、ここから次の戦いへ進むために、彼らは帰ってきたのだ。
翌日、地球統合軍への正式な監査報告会が開かれる。
ルクス・ヴァルキュリアが持ち帰ったもの。
得たもの。
危険なもの。
そして、これからどう進むのか。
その全てを、説明する時が来ていた。




