第189話 支える機体、戻る機体
ノクス・レクイエム初期型の初起動成功は、ルクス・ヴァルキュリア全体に静かな衝撃を与えていた。
派手な戦闘試験ではない。
全出力を見せたわけでもない。
レクイエム級の力を振るったわけでもない。
それでも、あの機体は起動した。
ユイ本人の意思で主制御核を初期化し、命令層を主制御へ入れず、レクイエム・ベントの低出力排出にも成功した。
そして、ユイ自身の意思で停止した。
その事実は大きかった。
ノクス・レクイエム初期型は、制限付き完成機として登録された。
全出力は禁止。
長時間戦闘は禁止。
単独長距離出撃も禁止。
それでも、ユイにはついに後半機と呼べる機体が与えられた。
だからこそ、次の会議で出た議題は避けられないものだった。
ルクス・ヴァルキュリアの会議室。
中央には、三機の機体情報が並んでいた。
ノクス・レクイエム初期型。
アルタイル・ノヴァ。
レイヴン・ハウル。
ジンはその表示を見つめ、静かに言った。
「ノクス・レクイエム初期型の起動成功により、戦力バランスが変わった」
カイトは、少しだけ背筋を伸ばした。
ユイは彼の隣に座っている。
まだ試験後の休息期間中だが、会議への同席は許可されていた。
カイルはクロウヴェイル・ノアから通信参加している。
リクト、グリッド、アシュ、リン、三島、カナデ、イリスも同席していた。
ジンは続ける。
「ただし、これはユイだけを前に出すためのものではない。ノクス・レクイエムは危険を抱えた制限付き完成機だ。支える機体、戻す機体、止める機体が必要になる」
リクトが画面を切り替えた。
最初に表示されたのは、アルタイル・ノヴァだった。
カイトの主機。
地球側のLF系統を基礎とし、これまで何度も戦線を支えてきた機体。
だが、ノクス・レクイエムの隣に立つには、いくつか足りないものがある。
リクトは説明を始めた。
「アルタイル・ノヴァの現行仕様は、単独戦闘と前線対応力に優れています。ただし、ノクス・レクイエムの支援機として見ると、外部停止補助、負荷誘導、ベント排出方向の補正機能が不足しています」
カイトは表示を見つめる。
「つまり、ノクス・レクイエムが危なくなった時に、俺の機体では止めにくいってことですか」
「現状では、直接止めるには危険が大きいです」
リクトは正直に答えた。
「ノクス・レクイエムは、機体そのものが高出力反応を抱えています。暴走ではなくても、レクイエム・ベントが緊急排出に入った場合、近くの機体には大きな負荷がかかります」
アシュが低く言った。
「近づくだけで巻き込まれる可能性がある」
カイトは表情を引き締める。
「なら、離れて見てるしかないんですか」
「いいえ」
リクトは画面を切り替えた。
アルタイル・ノヴァの背部と腕部に、追加装備の仮案が表示される。
「強化方針は、ノクス・レクイエムの前に立つことではありません。横で支えることです」
画面に名称案が表示された。
アルタイル・ノヴァ強化案。
仮称、アルタイル・ノヴァ・ブレイス。
カイトはその名を見た。
「ブレイス……」
リクトが頷く。
「支える、補強するという意味合いです。ノクス・レクイエムの暴走を力で押さえ込むのではなく、レクイエム・ベントの排出方向を補正し、外部から停止判断を支援する機体にします」
グリッドが続ける。
「強化内容は大きく三つだ」
画面に項目が並ぶ。
一つ。
ハーモニア式負荷分散を応用した支援リンク。
二つ。
レクイエム・ベント排出方向誘導用の外部補助装備。
三つ。
ノクス・レクイエム緊急停止時の外部姿勢制御補助。
グリッドは説明を続ける。
「アルタイル・ノヴァを重くしすぎると、カイトの戦い方が死ぬ。だから大型装備ではなく、背部支援パックと腕部補助ユニットを追加する方向だ」
リクトが補足する。
「ノクス・レクイエムがベントを使う時、排出方向が不安定になる可能性があります。アルタイル・ノヴァ・ブレイスは、その方向を外部から補正する。言い換えるなら、危険な力を受け止めるのではなく、逃げ道を整える機体です」
カイトはゆっくりと頷いた。
「俺が止めるんじゃなくて、ユイが止めるのを支える」
カナデが静かに言う。
「その方が、ユイさん本人意思認証にも合っています」
ユイはカイトを見る。
「カイトの機体が、私を命令で止めるのではなく、私が止まるのを支えるんですね」
「そうみたいだな」
カイトは少しだけ笑った。
「俺らしいかもしれない」
アシュが短く言った。
「前に出すぎるな」
「分かってます」
「本当に分かっているか?」
「たぶん」
「そこは断言しろ」
会議室に小さな笑いが生まれる。
だが、アシュの警告は本気だった。
ノクス・レクイエムを支える機体は、危険な距離に近づくことになる。
無茶をすれば、アルタイル・ノヴァごと巻き込まれる。
三島が記録を取る。
「アルタイル・ノヴァ強化方針。仮称、アルタイル・ノヴァ・ブレイス。目的は、ノクス・レクイエムの外部停止補助、ベント排出方向補正、姿勢制御支援。直接制圧ではなく支援連携」
ジンは頷いた。
「カイト。君の意思も確認しておく」
「はい」
「この強化は、君自身の火力を上げるためのものではない。ノクス・レクイエムを支えるための強化だ。役割が増える分、危険も増える」
カイトは少しだけユイを見た。
そして、正面を向く。
「やります」
答えは早かった。
「ユイだけを危ない機体に乗せるわけにはいきません。それに、俺はノクス・レクイエムを止めるんじゃなくて、ユイが止めるのを支える。なら、俺がやるべきだと思います」
ユイは小さく息を呑んだ。
カナデはその反応を見て、少しだけ微笑む。
ジンは静かに頷いた。
「分かった。アルタイル・ノヴァ・ブレイス案、検討開始を許可する」
三島が正式に記録した。
続いて、画面にはレイヴン・ハウルが表示された。
カイルの表情が少しだけ引き締まる。
レイヴン・ハウルは、クロウヴェイル・ノアの主力機であり、カイル自身の機体でもある。
これまでは機動力と突破力、近接戦闘能力を軸に運用されてきた。
だが、アース・アンノウン境界での経験により、レイヴン側にも新しい役割が求められていた。
戻るための機体。
回収し、離脱し、記録を持ち帰るための機体。
イリスが説明を始める。
「レイヴン・ハウルについては、アンノウン境界観測時のデータを踏まえた強化案があります」
画面に仮称が表示される。
レイヴン・ハウル強化案。
仮称、レイヴン・ハウル・リコール。
カイルがその名を見て、少しだけ眉を上げた。
『リコール、か』
イリスが頷く。
「帰還、呼び戻し、記録の回収を意識した名称です」
カイルは少し考えてから笑った。
『悪くない』
グリッドが説明を引き継ぐ。
「レイヴン・ハウル・リコールの強化方針は、火力強化じゃない。先行偵察、回収、離脱支援、記録保全だ」
項目が表示される。
一つ。
クロウヴェイル・ノアとの帰還リンク強化。
二つ。
記録ブイ展開・回収補助ユニット。
三つ。
高速離脱用ブースター。
四つ。
分岐記録検知用センサー。
五つ。
損傷機体や小型端末を安全に抱えて帰還するための拘束フィールド。
カイルは画面を見ながら言った。
『戦う機体というより、戻るための機体になるな』
リクトが答える。
「レイヴン・ハウルの戦闘能力を落とすわけではありません。ただ、これからの役割を考えると、前線で倒すだけでは不十分です」
イリスが続ける。
「アース・アンノウン境界では、クロウヴェイル・ノア本体だけでなく、機体単位でも記録差異が起きる可能性があります。レイヴン・ハウル・リコールには、自己記録と母艦記録を分離保存する機能を追加したいです」
三島が記録する。
「自己記録、母艦記録、外部ブイ記録の分離保持。アンノウン由来の分岐対策として有効」
アシュが低く言う。
「記録を信用しすぎるな」
イリスは頷いた。
「はい。だから複数保持します」
カイルは少しだけ笑った。
『俺の機体も、記録を持って帰る役になるわけか』
ジンが言う。
「カイル。クロウヴェイル・ノアは今後も先行偵察艦として動くことが増える。レイヴン・ハウルには、ただ戦うだけでなく、戻る判断を支える機能が必要だ」
『分かっている』
カイルは真剣な顔で頷いた。
『アンノウン境界でよく分かった。入れるかどうかじゃない。戻れるかどうかだ』
その言葉は、会議室の全員に重く響いた。
アース・アンノウン編で得た答え。
それは機体強化にも反映される。
レイヴン・ハウルは、ただ敵陣へ切り込む機体ではなくなる。
戻るための機体。
持ち帰るための機体。
その方向へ強化される。
三島が正式に記録する。
「レイヴン・ハウル強化方針。仮称、レイヴン・ハウル・リコール。目的は先行偵察、記録保全、回収支援、高速離脱、クロウヴェイル・ノアとの帰還リンク強化」
カイルは静かに頷いた。
『その案で進めてくれ』
ジンは全体を見渡す。
「これで三機の役割が整理された」
画面に三機の簡易比較が表示される。
ノクス・レクイエム初期型。
危険出力を抱える制限付き完成機。
本人意思認証とレクイエム・ベントを中心に、自分で止まる機体。
アルタイル・ノヴァ・ブレイス案。
ノクス・レクイエムを外部から支え、ベント排出方向と姿勢制御を補助する機体。
レイヴン・ハウル・リコール案。
先行偵察と帰還支援、記録保全と回収を担う機体。
カイトはそれを見て、ようやく全体像が見えた気がした。
ユイだけが強くなるのではない。
ノクス・レクイエムを中心に、周囲が支える。
そして、クロウヴェイル・ノアとレイヴン・ハウルは、未知へ向かい、戻るための役割を強める。
それぞれが別の方向へ進化する。
リクトが言った。
「今回の強化は、単純な火力強化ではありません。ノクス・レクイエムが生まれたことで、周囲の機体にも新しい役割が必要になった。その対応です」
アシュが短く言う。
「火力だけ上げると死ぬ」
グリッドが頷く。
「まったくだ。今必要なのは、撃つ力より戻す力だ」
セラが待機席からぽつりと言った。
「止める力も必要」
ミオが続ける。
「守る力もですね」
レイが静かに頷く。
「そして、帰る力だ」
会議室に短い沈黙が落ちた。
それぞれの言葉が、今回の強化方針をよく表していた。
ジンは結論を出した。
「アルタイル・ノヴァ・ブレイス案、レイヴン・ハウル・リコール案、正式に検討開始。詳細設計はリクト、グリッド、イリス、アシュ、リンを中心に進める。三島は監査記録を管理。カナデは、ノクス・レクイエム支援時のカイトおよびユイの精神負荷も確認する」
カナデが頷いた。
「了解しました」
三島も端末に記録する。
「機体強化方針決定。目的は戦力突出の是正ではなく、相互支援・帰還能力・安全機構の強化」
会議が終わった後、カイトとユイは格納区画へ向かった。
ノクス・レクイエムは固定フレームに収まっている。
少し離れた場所に、アルタイル・ノヴァが立っていた。
まだブレイス装備はない。
だが、近いうちに新しい支援パックが取り付けられることになる。
カイトはアルタイル・ノヴァを見上げた。
「俺の機体も、変わるんだな」
ユイは隣で頷く。
「はい。私を支えるために」
「そう言われると、ちょっと重いな」
「嫌ですか?」
「いや」
カイトはすぐに首を横に振った。
「むしろ、分かりやすい。俺が何をすればいいか」
ユイはノクス・レクイエムを見る。
「私は、止まれる機体に乗ります」
「うん」
「カイトは、私が止まるのを支える機体に乗る」
「そうなるな」
「なら、私は安心できます」
カイトは少しだけ照れたように笑った。
「そう言われると、頑張るしかないな」
「お願いします」
二人が並んで機体を見上げていると、通信画面にカイルが映った。
『こっちも、レイヴン・ハウルが変わるらしい』
カイトが画面を見る。
「リコール、でしたっけ」
『ああ。戻る機体だそうだ』
「カイルさんらしいですね」
『褒めてるのか?』
「もちろんです」
カイルは少しだけ笑った。
『なら受け取っておく。俺達は前に出る。だが、戻る。お前達は、支えて止める。役割がはっきりしてきたな』
カイトは頷いた。
「はい」
ユイも静かに言う。
「一人で強くなるわけじゃないんですね」
『そうだ』
カイルは答えた。
『強い機体が一機あれば勝てるなら、艦隊はいらない。戻る場所も、支える仲間も、全部いらなくなる。でも実際は違う』
ユイはその言葉を受け止めた。
ノクス・レクイエムは強い。
危険なほどに。
だが、それだけでは足りない。
支える機体がいる。
戻る機体がいる。
記録する者がいる。
止める者がいる。
見守る者がいる。
それがルクスの戦い方だった。
カイルとの通信が切れた後、カイトはアルタイル・ノヴァを見上げた。
「ブレイスか」
ユイが隣で言う。
「似合っていると思います」
「そうかな」
「はい。カイトは、支える人ですから」
カイトは少し困ったように笑った。
「それ、褒めてる?」
「もちろんです」
「なら受け取っておく」
二人は少し笑った。
その先には、ノクス・レクイエムが静かに立っている。
そして、その隣でアルタイル・ノヴァもまた、新しい役割を待っていた。
一方、クロウヴェイル・ノアの格納区画では、レイヴン・ハウルが整備台に固定されていた。
カイルはその機体を見上げる。
リコール。
戻るための名。
かつては、前に出ることばかりを考えていた。
だが今は違う。
戻ることも、持ち帰ることも、誰かを連れて帰ることも、戦いの一部だと分かっている。
カイルは静かに言った。
「次は、ちゃんと帰るために強くなるか」
レイヴン・ハウルは、答えない。
だが、その黒い機体は、まるで次の改修を待っているように静かに立っていた。
ノクス・レクイエム初期型の完成は、終わりではなかった。
それは、周囲の機体にも新しい役割を与える始まりだった。
止まる機体。
支える機体。
戻る機体。
三つの役割が定まった時、ルクス・ヴァルキュリアの戦い方もまた、一段先へ進もうとしていた。




