第184話 隔離された接続
統合準備区画の中央には、レクイエム・ベント試験ユニットが置かれていた。
黒灰色の外部フレーム。
周囲に浮かぶ淡い術式環。
まだノクス・レクイエムの一部ではない。
ネメシス・レクイエムの残骸とも、ノクス・リリス旧データとも、直接は繋がっていない。
だが、今日の試験では、その位置づけが少しだけ変わる。
レクイエム・ベント試験ユニットと、ユイ本人意思認証を仮接続する。
ノクス・リリス旧データは、隔離領域越しに短時間だけ参照する。
ネメシス・レクイエム残骸は、まだ物理接続しない。
つまり、これは本体組立ではない。
完成試験でもない。
ユイ本人の意思を中心に置いたまま、過去の記録が主制御へ混ざらないかを確かめるための初期接続試験だった。
管制室には、カイト、ユイ、カナデ、リクト、アシュ、リン、三島がいた。
グリッドは整備班と共に、物理隔壁と緊急パージ機構を確認している。
イリスは記録系を担当し、試験ログを非固定保存方式で保持する準備をしていた。
ジンは通信越しに、全体を見ている。
リクトが試験内容を表示した。
「今日の接続は三段階だ」
画面に、簡略化された図が浮かぶ。
中央に、ユイ本人意思認証。
その外側に、レクイエム・ベント試験ユニット。
さらに外側に、隔離領域。
その奥に、ノクス・リリス旧データ。
ネメシス・レクイエム残骸は、図の端に置かれているだけで、線は繋がっていない。
「第一段階。ユイ本人意思認証とレクイエム・ベント試験ユニットを仮接続する」
リクトは次の線を示した。
「第二段階。ノクス・リリス旧データを隔離領域越しに参照する。ただし、主制御へは混ぜない」
さらに、ネメシス・レクイエム残骸の表示が淡くなる。
「第三段階。ネメシス・レクイエム残骸は反応監視のみ。物理接続、術式接続、認証接続、全て禁止」
グリッドが通信越しに言った。
『残骸側は固定済みだ。動かない。繋がらない。勝手に触らせない』
アシュは低く確認する。
「旧データが命令層を探した場合は?」
リンが端末を見ながら答えた。
「前回より早く見えるはず。探し始めたら、すぐ分かる」
「分かった時点で切る」
「切る前に隔離できるなら隔離。無理なら切る」
アシュは頷いた。
「それでいい」
三島が端末を開き、試験条件を読み上げる。
「本日の試験は、ノクス・レクイエム本体組立ではありません。ノクス・リリス旧データとの直接接続でもありません。レクイエム・ベント試験ユニットと本人意思認証の仮接続、および旧データの隔離参照試験です」
彼女はユイを見る。
「ユイさん本人の中断申告は、最優先で有効。カナデさんの精神負荷判断、アシュさんの遮断判断、リンさんの命令層警告、グリッドさんの物理停止判断も、それぞれ即時中断理由になります」
ユイは頷いた。
「分かりました」
カナデは、ユイの手首と首元にセンサーを付けていく。
「今日の合図も同じです。嫌なら『止める』。近いと思ったら『近い』。判断できない時は『分からない』。どれも正しい反応です」
「はい」
「それと、今日は前回より少し踏み込みます」
カナデの声は穏やかだったが、曖昧ではなかった。
「疲れたら、成功していても止めます」
「成功していても?」
「はい。成功中に負荷を見落とすのが一番危険です」
ユイは少しだけ目を伏せ、そして頷いた。
「分かりました」
カイトは少し離れた位置に立っていた。
試験には直接関われない。
それでも、ここにいる意味はある。
ユイが戻る場所を見失わないように。
それだけは、今も変わらない。
イリスが記録系を起動する。
「非固定保存方式、待機。主記録、隔離記録、本人申告記録、監査記録を分離保存します」
リクトが深く息を吸った。
「第一段階、開始」
レクイエム・ベント試験ユニットの術式環が、ゆっくりと回転を始めた。
淡い光が、ユイ本人意思認証の仮想核へ伸びる。
接続と言っても、操縦系ではない。
命令回線でもない。
ユイが「止める」と判断した時に、それをベント側が認識できるか。
そのための細い確認線だった。
カナデが波形を見る。
「精神負荷、軽度上昇。危険域ではありません」
リクトが確認する。
「本人意思認証、安定。ベント側、待機反応あり」
アシュが遮断層を見る。
「外部命令なし」
リンも短く言う。
「帝国式認証反応なし」
ユイは目を閉じ、ゆっくりと呼吸した。
「これは……怖くないです」
カナデが尋ねる。
「どう感じますか」
「戻れる線、みたいです」
リクトが小さく頷いた。
「第一段階、安定」
次に、第二段階へ入る。
ノクス・リリス旧データの隔離領域が開かれた。
もちろん、直接接続はしない。
主制御にも触れない。
ただ、隔離された過去記録の輪郭を、ベント試験ユニット側が参照できるかを確認する。
イリスが表示を切り替える。
ノクス・リリス旧データ。
中核操縦系。
旧出撃記録。
帝国式認証。
機体接続名。
ただし、その詳細はぼかされている。
輪郭だけが表示された。
ユイの指がわずかに動く。
カナデがすぐに声をかける。
「ユイさん」
「近いです」
「止めますか?」
「まだ見られます。でも、近いです」
リンが端末を見つめる。
「命令層、反応。前回より早く見えた」
アシュがすぐに指を動かす。
「隔離できるか」
リンが答える。
「できる。まだ浅い」
リクトが隔離領域の外側に、小さな遮断帯を追加する。
命令層になりかけた反応が、主制御へ向かう前に止まった。
それは、以前より早かった。
見えない首輪ではない。
見える位置に出た、命令の芽だった。
アシュが言う。
「主制御へ入れるな」
リクトが答える。
「入れていない」
リンが短く続ける。
「探してる。でも、入れない」
ユイは息を吐いた。
怖い。
だが、前とは違う。
その反応は、自分を動かすものではない。
見える場所に隔離されている。
ユイはゆっくりと言った。
「これは、私を動かすものじゃない」
カナデが彼女を見る。
ユイは画面の輪郭を見つめたまま続ける。
「私が止めるために見るものです」
管制室が静かになる。
カイトはその言葉を聞いて、胸の奥が熱くなった。
ノクス・リリス旧データは、ユイを縛るためのものではない。
もう一度、帝国の操縦席へ戻すためのものでもない。
危険を見つけるために見る。
止めるために見る。
そう言えたことが、大きかった。
カナデは穏やかに頷いた。
「重要な認識です。記録します」
イリスが即座に入力する。
「本人認識。ノクス・リリス旧データは、本人を動かすものではなく、停止判断のために参照するもの」
三島も監査記録に同じ内容を残した。
リクトは試験数値を確認する。
「ベント側が、旧データ由来の命令層反応を主制御へ混ぜずに検知できている。仮接続は維持」
アシュが低く言う。
「長く続けるな」
「分かっている」
リクトは第三段階へ進む前に、全員へ確認した。
「ネメシス・レクイエム残骸は、反応監視のみ。物理接続はしない」
グリッドが答える。
『残骸側、固定状態。術式流路なし。認証回線なし』
リンが画面を見る。
「残骸側、微弱反応あり。でも旧データとは繋がってない」
ユイの表情が少しだけ強張る。
カナデがすぐに問う。
「ユイさん、状態は?」
「少し嫌です。でも、大丈夫です」
「近いですか?」
「ノクス・リリスよりは遠いです。でも、重いです」
リクトが頷く。
「残骸側の反応は、見るだけにする。ベント側へは渡さない」
ネメシス・レクイエム残骸の黒い外殻が、画面に映る。
傷だらけの装甲。
焼け焦げた術式回路。
まだ眠っている危険。
ノクス・レクイエムの素材になるかもしれないもの。
だが、今日はまだ触れない。
ユイはそれを見た。
過去ではない。
自分のものでもない。
だが、未来に関わるかもしれないもの。
カナデが確認する。
「言葉にできますか?」
「これは……まだ遠いです」
「はい」
「今は、繋げなくていいです」
グリッドが通信越しに言う。
『繋げる気はない。今日は見るだけだ』
ユイは小さく頷いた。
「はい」
その時、リンが短く声を出した。
「旧データ側、もう一度反応」
アシュがすぐに遮断層へ指を置く。
「強さは」
「浅い。でも、さっきより速い。命令層が、ベント側の確認線を探した」
リクトが反応を拡大する。
「本人意思認証には届いていない」
「隔離します」
リンが操作し、命令層反応を隔離領域の端へ寄せる。
リクトがハーモニア式の小さな負荷分散流路を開く。
反応は主制御へ向かわず、外側へ逃がされた。
カナデがユイを見る。
「ユイさん、負荷が上がっています」
「分かります」
「止めますか?」
ユイは少しだけ迷った。
画面には、四つの領域がある。
現在のユイ本人意思。
竜奈の生活記録。
クレスケンスの識別名。
ノクス・リリス旧データ。
そして、遠くに置かれたネメシス・レクイエム残骸。
それらは繋がっていない。
混ざっていない。
それでも、見続ければ疲れる。
ユイはゆっくり息を吐いた。
「止めます」
カナデはすぐに頷いた。
「試験終了」
リクトが仮接続を解除する。
レクイエム・ベント試験ユニットの術式環が停止し、ノクス・リリス旧データの隔離参照領域が閉じられる。
アシュが遮断層を閉じる。
リンが命令層反応の残滓を確認する。
グリッドが物理隔壁を維持し、イリスが各記録を分離保存した。
三島が終了時刻を記録する。
「隔離参照方式による初期接続試験、終了。本人申告により中断。レクイエム・ベント試験ユニットと本人意思認証の仮接続は成功。ノクス・リリス旧データは隔離領域越しに短時間参照。命令層反応は発生したが、主制御への混入なし。ネメシス・レクイエム残骸との物理接続なし」
リクトは深く息を吐いた。
「成功だ。ただし、まだ初期段階だ」
アシュが即座に言う。
「成功させすぎるな」
「分かっている」
リクトは頷いた。
「旧データはまだ命令層を探す。命令層反応も消えたわけではない。ただ、前より早く見つけて、隔離できた」
リンが短く付け加える。
「見えたから止められた」
カナデがユイのセンサーを外しながら言う。
「ユイさんの負荷は中度手前です。今日はここで休息に入ります」
ユイは少し疲れた表情で頷いた。
「はい」
カイトは近づき、声をかける。
「お疲れ」
「疲れました」
「だろうな」
「でも、前より怖くなかったです」
ユイは少しだけ笑った。
「命令が、見える場所にありました。だから、止められました」
カイトは頷く。
「見えないより、ずっといいな」
「はい」
試験終了後、統合準備区画の各機材は再び完全隔離された。
レクイエム・ベント試験ユニットは待機状態へ。
ノクス・リリス旧データは隔離領域へ。
ネメシス・レクイエム残骸は固定架台へ。
どれも繋がっていない。
だが、今日初めて、ユイ本人意思認証とレクイエム・ベントは、短時間だけ同じ判断線を共有した。
それは小さな接続だった。
そして、危険な接続でもあった。
だからこそ、すぐに閉じた。
三島は監査記録の最後に、こう記した。
初期接続試験は成功。
ただし、本体組立条件は未達。
次段階へ進む前に、命令層反応の再隔離条件、本人負荷回復速度、過去記録参照時間の上限を再設定すること。
ジンはその記録を確認し、短く言った。
『今日はここまでだ。全員、休息を優先しろ』
グリッドが整備班へ解散を指示し、リクトは術式ログを保存し、アシュは最後まで遮断層の残留反応を確認していた。
リンは、ノクス・リリス旧データの命令層反応が完全に隔離されたことを見届けてから、ようやく端末を閉じた。
カナデはユイを医療区画へ連れていく。
カイトも、その少し後ろを歩いた。
通路を歩きながら、ユイは小さく言った。
「今日は、過去を操縦席の外に置けた気がします」
カイトは隣を見る。
「操縦席の外?」
「はい。前は、ノクス・リリス旧データを見ると、中に戻される感じがしました。でも今日は違いました。見える場所に置いて、必要なら閉じられました」
「それは、大きいな」
「はい」
ユイは疲れていた。
それでも、表情は少しだけ穏やかだった。
「まだ怖いです。でも、見えるなら止められます」
カイトは頷いた。
「なら、今日はちゃんと進んだんだな」
「はい」
ノクス・レクイエムは、まだ組まれない。
ネメシス・レクイエムの残骸も、ノクス・リリス旧データも、まだ直接は繋がっていない。
レクイエム・ベントも、実戦で使える段階ではない。
だが、ユイは初めて、過去を主制御の外に置いたまま、それを見ることができた。
それは完成ではない。
成功しすぎてもいない。
けれど、確かな一歩だった。
ノクス・リリス旧データは、まだ危険だった。
命令層は、まだ主制御へ戻ろうとしていた。
だが、それはもう、見えない首輪ではなかった。
見える場所に隔離し、必要な時だけ参照し、危険なら閉じる。
ノクス・レクイエムは、まだ組まれない。
けれど、ユイは初めて、過去を操縦席の外に置くことができた。




