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第183話 繋がない統合

 ルクス・ヴァルキュリアの統合準備区画は、以前よりも静かだった。

 ネメシス・レクイエムの残骸。

 ノクス・リリス旧データ端末。

 レクイエム・ベント試験ユニット。

 その三つは、同じ区画に並んでいる。

 だが、繋がってはいない。

 制御線も、術式流路も、認証回線も、どれも独立遮断層を挟んで分けられている。

 今から行われるのは、ノクス・レクイエム本体の組立ではない。

 統合でもない。

 接続ですらない。

 過去の記録を、主制御へ混ぜずに参照できるか。

 そのための初めての試験だった。

 区画外の管制室には、カイト、ユイ、カナデ、リクト、アシュ、リン、三島が集まっていた。

 グリッドは整備班と共に物理隔壁の状態を確認している。

 イリスは記録系の管理を担当していた。

 ジンは通信越しに全体を見ている。

 カナデは、最初に今日の方針を説明した。

「今日の試験で一番大事なことは、ユイさんの過去名を一つに統合しないことです」

 ユイは静かに聞いていた。

 カナデは画面を切り替える。

 そこには、四つの名前が並んでいた。

 ユイ。

 竜奈。

 クレスケンス。

 ノクス・リリス。

 それぞれの横には、記録の種類が表示されている。

 現在の本人意思。

 地球で過ごした生活記録。

 帝国側に残る旧識別名。

 機体接続名と中核操縦系データ。

 カイトはその画面を見て、少しだけ息を詰めた。

 名前が並んでいるだけなのに、重い。

 ユイにとっては、それぞれがただの呼び名ではない。

 生き方であり、役割であり、命令であり、記憶でもある。

 カナデは続けた。

「これまでは、ノクス・レクイエムを作るために、これらの記録をどう統合するかを考えてきました。でも、アンノウン境界で得た非固定保存方式から、別の考え方が見えました」

 リクトが説明を引き継ぐ。

「無理に一つへ統合しない。矛盾や差異を消さない。主制御へ直接混ぜず、必要な時だけ隔離された状態で参照する」

 画面上で、四つの記録が一つの制御核へ流れ込む図が消えた。

 代わりに、四つの記録が独立した小さな保管領域へ分けられる。

 中央には、現在のユイ本人意思認証だけが置かれていた。

 リクトはその図を指す。

「主制御に置くのは、現在のユイ本人の意思だ。過去記録は、そこへ混ぜない。消さない。けれど、命令にも使わせない」

 アシュが低く言った。

「過去記録を主制御へ混ぜるな」

 その声は、いつも以上に硬かった。

「ノクス・リリス旧データは、帝国式命令層の足場になる可能性がある。クレスケンスの識別名も同じだ。懐かしい記録に見えても、帝国式から見れば入口になる」

 ユイの表情が少しだけ強張る。

 カナデがすぐに気づいた。

「ユイさん」

「大丈夫です」

 ユイは一度そう答え、すぐに言い直した。

「少し嫌です。でも、聞けます」

 カナデは頷く。

「その言い方で大丈夫です」

 三島は端末へ記録する。

「本人申告。軽度不快感あり。継続可能。ただし、負荷上昇時は即時中断」

 リンは別の画面を見ていた。

 ノクス・リリス旧データ端末の識別名領域。

 帝国式命令層の微弱反応。

 過去の機体接続ログ。

 それらを黙って確認していた彼女が、短く言う。

「旧データは、まだ命令層を探す」

 ユイがリンを見る。

 リンは画面から目を離さない。

「強くはない。でも、探してる。繋がる場所を」

 アシュが頷く。

「だから、繋げない」

 リクトも言う。

「今日の試験は、接続ではなく参照だ。ノクス・リリス旧データへ触れず、隔離領域越しに記録の輪郭だけを見る」

 三島が確認する。

「本日の作業目的を記録します。ノクス・レクイエム本体組立ではありません。ノクス・リリス旧データとの接続でもありません。非固定保存方式を利用した、過去記録の隔離参照試験です」

 ジンの通信が入る。

『その条件で許可する。ユイ本人の中断申告、カナデの負荷判断、アシュの遮断判断、リンの命令層警告、グリッドの物理停止判断を有効とする』

 グリッドが管制室の端から答えた。

「物理隔壁、遮断層、パージ系統、全部待機状態だ。危ないと思ったら止める」

 ユイは小さく頷いた。

 そして、管制室中央の椅子に座る。

 直接接続はしない。

 操縦席にも入らない。

 ただ、隔離された記録を、低出力の参照形式で見る。

 カナデがセンサーを取り付ける。

「ユイさん。今日の合図を確認します。嫌なら『止める』。続けられるけれど負荷があるなら『近い』。分からない時は『分からない』で大丈夫です」

「はい」

「全部、正しい反応です」

 ユイは少しだけ息を吐いた。

「分かりました」

 イリスが記録系を起動する。

「隔離参照試験、開始します」

 最初に表示されたのは、ユイの現在記録だった。

 ルクス・ヴァルキュリアでの生活。

 カイト達との会話。

 戦闘記録。

 ノクス・レクイエム計画に対する本人意思。

 そこには、現在のユイがいる。

 命令ではなく、自分で選ぶ存在として。

 カナデが確認する。

「負荷は?」

 ユイは答える。

「大丈夫です。これは、今の私です」

 次に表示されたのは、竜奈としての記録だった。

 地球で過ごした時間。

 拾われた日。

 日常生活。

 学校。

 人として暮らすために覚えたこと。

 帝国の命令から離れた時間。

 ユイの表情が少しだけ柔らかくなった。

「懐かしいです」

 カイトはその言葉を聞いて、少し安心した。

 だが、カナデは油断しない。

「負荷は?」

「少しあります。でも、嫌ではありません」

 イリスが記録する。

「竜奈記録、軽度情動反応。拒否反応なし」

 三番目に表示されたのは、クレスケンスの識別名だった。

 帝国側に残る旧識別情報。

 分類。

 適性。

 制御実験の記録断片。

 出撃前後の命令ログ。

 その表示が出た瞬間、ユイの指がわずかに動いた。

 カナデがすぐに言う。

「ユイさん」

「近いです」

 ユイは目を閉じた。

「これは、少し近い」

 リンが端末を見る。

「命令層、薄く反応」

 アシュが遮断層に指を置く。

「切るか」

 カナデがユイを見る。

「止めますか?」

 ユイは呼吸を整えた。

「まだ、見られます。でも、近づけないでください」

 リクトがすぐに操作する。

「クレスケンス記録を隔離距離維持。主制御への参照なし。輪郭表示だけにする」

 画面上で、クレスケンスの詳細記録が一段階ぼかされる。

 識別番号や命令ログの細部は見えなくなり、記録の存在だけが残る。

 ユイの呼吸が少し落ち着いた。

「これなら、大丈夫です」

 カナデが頷く。

「詳細を見る必要はありません。存在を確認できれば十分です」

 三島が記録する。

「過去識別名クレスケンス、詳細参照で負荷上昇。輪郭表示へ切り替え後、負荷低下。主制御への混入なし」

 アシュが低く言う。

「それでいい。過去は見える場所に置く。操縦桿には触らせるな」

 最後に表示されたのは、ノクス・リリス旧データだった。

 機体接続名。

 中核操縦系。

 旧出撃記録。

 帝国式認証。

 それらは、他の記録よりも明らかに重かった。

 画面に表示された瞬間、区画内のセンサーが反応する。

 リンがすぐに声を出した。

「命令層、反応。強くはない。でも探してる」

 リクトが表示を絞る。

「詳細を出すな。輪郭だけ」

 ノクス・リリス旧データは、完全には表示されなかった。

 黒い影のような輪郭。

 機体だったもの。

 ユイと繋がっていたもの。

 帝国の命令を通していたもの。

 けれど、今は隔離された記録。

 ユイはそれを見た。

 怖い。

 その感覚は確かにある。

 だが、前ほど飲み込まれる感じはなかった。

 なぜなら、それは主制御へ混ざっていない。

 現在のユイ本人意思とは、別の場所に置かれている。

 カナデが静かに尋ねた。

「ユイさん、言葉にできますか」

「怖いです」

「はい」

「でも、これは今の私ではありません」

「はい」

「消したいわけでもありません」

 管制室が静かになる。

 ユイはゆっくりと続けた。

「でも、繋がれたくもありません」

 カナデは優しく頷いた。

「大事な判断です」

 ユイは画面を見つめる。

「どれか一つにされないなら、見られます」

 その言葉に、カイトは胸の奥が熱くなるのを感じた。

 どれか一つにされないなら、見られる。

 それは、ユイが自分の過去と向き合うために必要だった条件なのだろう。

 イリスが記録する。

「本人申告。どれか一つにされないなら、見られる」

 三島も監査記録に同じ言葉を残した。

 リクトは技術画面を確認する。

「非固定保存方式、反応安定。現在ユイ本人意思を主制御仮想核として保持。竜奈記録、情動記録として隔離参照。クレスケンス記録、輪郭表示のみ。ノクス・リリス旧データ、輪郭表示のみ。命令層反応は隔離内に留まっている」

 アシュが確認する。

「主制御への混入は?」

「なし」

 リンも短く言う。

「命令層、探してる。でも入れない」

 グリッドが腕を組む。

「物理系も異常なし。区画側の遮断層は安定」

 カナデがユイを見る。

「続けますか。止めますか」

 ユイは少しだけ考えた。

「止めます」

 カナデはすぐに頷いた。

「分かりました。終了します」

 リクトが参照を停止する。

 イリスが記録を隔離保存する。

 アシュが遮断層を閉じ、リンが命令層反応の残滓を監視する。

 三島が終了時刻を記録した。

「隔離参照試験、終了。本人申告による中断。負荷は中度未満。命令層反応は隔離内。主制御混入なし」

 ユイは深く息を吐いた。

 カイトは近づきすぎない距離で声をかける。

「大丈夫か」

「大丈夫です」

 ユイはそう言いかけ、少し笑った。

「少し疲れました。でも、戻れます」

 カナデが頷く。

「その言い方でいいです」

 リクトは試験結果を見て、静かに言った。

「本体組立前の条件が、一つ進んだ」

 アシュが言う。

「組むにはまだ早い」

「分かっている」

 リクトは頷いた。

「だが、何を繋がないかが見えてきた」

 三島が記録をまとめる。

「本日の結果により、ノクス・レクイエム統合準備は次段階へ進行可能。ただし、本体組立は不可。次回以降も、隔離参照方式を継続」

 ジンが通信越しに言った。

『よくやった。今日はここまでだ』

 ユイは静かに頷いた。

 試験終了後、カイトとユイは統合準備区画の外へ出た。

 中には、まだ三つの要素が並んでいる。

 ネメシス・レクイエム残骸。

 ノクス・リリス旧データ。

 レクイエム・ベント試験ユニット。

 それらは繋がっていない。

 だが、今日初めて、それぞれの距離が少しだけ分かった。

 ユイは隔壁を見つめながら言った。

「見られました」

 カイトは隣で頷く。

「ああ」

「怖かったです。でも、どれか一つにされなかったから、見られました」

「それが大事なんだな」

「はい」

 ユイは胸元に手を当てる。

「ユイも、竜奈も、クレスケンスも、ノクス・リリスも、全部を消す必要はない。でも、全部を一つに混ぜたら、私はまた分からなくなる」

 カイトは静かに聞いていた。

「だから、並べる。見える場所に置く。でも、操縦するのは今の私」

「うん」

 ユイは小さく息を吐いた。

「少しだけ、ノクス・レクイエムが怖くなくなりました」

 その言葉に、カイトは少しだけ笑った。

「少しだけ?」

「少しだけです」

「それで十分だと思う」

「はい」

 遠くでは、整備班が統合準備区画の遮断層を再確認している。

 リクトは非固定保存方式を制御系に落とし込むための設計を続け、カナデは本人意思認証の段階表を書き換えている。

 アシュは過去記録が主制御へ混ざらない条件を追加し、リンはノクス・リリス旧データの命令層反応を監視していた。

 三島は、監査記録の最後にこう記した。

 過去記録を消去せず、統合せず、隔離参照する方式は有効。

 本人意思認証の中心は、現在のユイ本人に置く。

 ノクス・レクイエム本体組立は、なお保留。

 カイトはその記録を見て、ゆっくりと息を吐いた。

 長い遠回りだった。

 アース・ネメシス。

 アース・エデン。

 アース・アンノウン。

 それぞれで得たものが、ようやくユイの機体へつながり始めている。

 いや、正確には、繋がらない形で整えられ始めている。

 ノクス・レクイエムは、まだ組まれない。

 だが、ようやく「何を繋がないか」が決まり始めていた。

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