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第143話 ノクス・リリス旧データ

 エルマ・ディクセンとの接触から、時間はほとんど残されていなかった。

 こちらの正確な位置までは特定されていない。

 だが、アース・ネメシス内にユイ、セラ、レータがいることは、ほぼ把握された。

 次に動くのは、現地総督府か。

 それとも、エルマ直属の管理系統か。

 どちらにしても、猶予は短い。

 カイト達は廃棄整備区画を離れ、旧ドック地下のさらに奥へ向かっていた。

 先頭にレータ。

 その後ろにユイ、カイト、カナデ。

 離れた場所にセラがつき、周囲を警戒している。

 アシュとリンはクロウヴェイル・ノアから遠隔支援。

 そしてルクス・ヴァルキュリア側では、リクトとイリスが受信データの解析準備を進めていた。

『もう一度言う』

 通信越しに、アシュの声が響く。

『今回の目的は、ノクス・リリス旧データの完全回収じゃない。所在タグから断片を抜くことだけだ』

「分かってる」

 カイトは答えた。

『分かっているなら、ユイを直接つなぐな。前回以上に危険だ』

 その声は、普段以上に厳しかった。

 ユイは黙って聞いている。

 カナデが隣で診断端末を確認しながら言った。

「ユイさんの負荷は、今のところ安全域です。ただし、エルマとの接触後から反応が少し不安定です。ノクス・リリス関連の信号に触れた場合、急上昇する可能性があります」

「大丈夫」

 ユイは短く言った。

 カナデは首を横に振る。

「その言葉だけでは進めません」

 ユイは少しだけ苦笑する。

「うん。分かってる。危なくなったら止めて」

「はい」

 そのやり取りを聞いていたアシュが、短く息を吐いた。

『今回は、ユイの反応を使うとしても、照合波形の確認だけだ。記録層へ直接入るのは俺とリンでやる。データ整理はイリス。術式層の判定はリクトだ』

『任せて』

 リンの声が入る。

『旧ドックの管制規格を迂回して、ノクス関連の保管層だけを引っかける。ただ、これ……艦艇用の制御系とも繋がってる』

「艦艇用?」

 カイトが聞き返す。

『うん。ノクス・リリスの中核操縦系って、単独機用のデータだけじゃない。レクイエム級と接続する前提の補助規格が混じってる。たぶん、後から追加されたもの』

 リクトの声が、ルクス側から通信に乗る。

『術式層の反応も確認した。通常のGD制御より深い。機体制御というより、出力構造そのものにパイロットの反応を噛ませる設計だ』

「それって、危ないんですか?」

 カイトが尋ねる。

『危ない』

 リクトは即答した。

『ただし、使い方を間違えなければ、ネメシス・レクイエムの暴走を抑える鍵にもなる。問題は、帝国式命令系統がそのまま残っていることだ』

 ユイの足が一瞬止まる。

「命令系統……」

『そうだ』

 アシュが引き継ぐ。

『このまま使えば、ノクス・レクイエムはユイの意思で動く機体じゃなくなる。帝国の認証網に引っかかった瞬間、主制御を奪われる可能性がある』

 カイトの表情が険しくなる。

「それじゃ意味がない」

『だから、今回必要なのは完成図じゃない。切り離し方だ』

 通路の奥に、古い隔壁が見えてきた。

 旧地球時代の厚い金属扉。

 その中央には、帝国式の認証端末が埋め込まれている。

 古い扉の上に、新しい首輪が取り付けられているようだった。

 レータが端末を確認する。

「ここが、所在タグの示した保管区画です。表向きは旧ドック管制補助記録。ですが、内部に隠し分類があります」

「隠し分類?」

「パルスティア系統旧記録。ノクス・リリス。レクイエム級連結試験。そういう断片が見えます」

 ユイの顔がわずかに強張る。

 カナデの端末が反応した。

「ユイさん、負荷が上がっています」

「まだ、大丈夫」

「深呼吸してください」

 ユイは言われた通り、ゆっくり息を吸った。

 セラが後方から言う。

「無理するなよ。あんたが倒れたら、データ取れても意味ないから」

「分かってる」

 ユイは振り返らずに答えた。

「今度は、一人で行かない」

 その言葉に、カイトは少しだけ安心した。

 以前のユイなら、自分の過去に関わるものを見つけた瞬間、周囲を置いてでも進もうとしたかもしれない。

 だが今は違う。

 彼女は自分の意思で進む。

 同時に、止めてもらうことも選んでいる。

『隔壁に触れるな』

 アシュの声が飛ぶ。

『リン、認証端末の外部層を見ろ。レータ、帝国式分類だけ読み上げろ。ユイは三歩下がれ』

 ユイは一瞬だけ隔壁を見つめ、それから素直に下がった。

 リンが通信越しに端末へ侵入する。

『外部層、取得。うわ、嫌な作り。艦艇ドックの管制記録に見せかけて、深部に個体認証の照合層が噛んでる』

「つまり?」

『ノクス・リリスのデータを見ようとすると、ユイの反応を要求する。で、反応を出したら識別網に通知される』

 カイトは顔をしかめる。

「本当に首輪だな」

『そういうこと』

 アシュが低く言う。

『だが、外部層に残ったキャッシュなら拾える。完全な記録じゃないが、断片は取れるはずだ』

 イリスの声が通信に入る。

『受信準備完了。分類ごとに整理します。欠損部は欠損として記録。推測で埋めません』

「頼む」

 カイトが言う。

 リクトも続けた。

『術式層の波形が来たらこちらで解析する。ノクス・リリス本体由来か、レクイエム級側の追加層かを分ける』

 アシュが短く告げる。

『始める』

 旧隔壁の端末に、かすかな光が走った。

 直接開くのではなく、表層に残された記録の残滓を削り取る。

 リンが管制層を迂回し、アシュが識別網へ流れる照合信号を遮断する。

 イリスが断片を分類し、リクトが術式層を解析する。

 ユイはただ、少し離れた場所からその光を見つめていた。

 それでも、胸の奥がざわつく。

 ノクス・リリス。

 かつての自分の機体。

 帝国にいた頃の自分を知るもの。

 戦うために与えられたもの。

 逃げるために使ったもの。

 そして今、ネメシス・レクイエムを作り替えるための中核候補になっているもの。

「……聞こえる」

 ユイが小さく呟いた。

 カナデがすぐに反応を見る。

「何が聞こえますか?」

「声じゃない。記録の残り香みたいなもの。ノクス・リリスの操縦系が、まだ私を覚えてる」

 カイトは何も言わなかった。

 簡単に慰めることもできなかった。

 ユイは続ける。

「でも、違う。これは今の私を呼んでるんじゃない。帝国にいた頃の私を探してる」

 アシュの声が入る。

『近づくな。記録は過去の照合反応を探しているだけだ。今のユイを見ているわけじゃない』

「分かってる」

 ユイは目を閉じる。

「だから、近づかない」

 隔壁端末から、最初のデータ断片が流れ込む。

 イリスが読み上げる。

『第一断片。ノクス・リリス中核操縦系。分類、旧個体認証補助。内容、操縦者反応と機体中枢の同期補正。欠損率、四十二パーセント』

 リクトが続ける。

『術式層は浅い。これはノクス・リリス本体由来だ。ユイの反応に合わせて機体側が追従する構造だな』

「使えるのか?」

 カイトが尋ねる。

『一部は使える。ただし、そのままだと帝国式の個体認証に依存する。別の認証基盤に置き換える必要がある』

 アシュが言う。

『本人認証を外部命令じゃなく、本人意思へ再定義する必要がある。そうしないと、帝国側から認証を奪われる』

 ユイが目を開けた。

「本人意思への再定義……」

 イリスが次の断片を整理する。

『第二断片。レクイエム級制御構造。内容、出力安定化補助、変形構造同期、感情反応変換層。欠損率、六十八パーセント』

 リクトの声が少し低くなる。

『これは危ないな』

「何が?」

『感情反応を、出力制御の補正に使っている。エルマが言っていたことと一致する。怒り、恐怖、保護欲、罪悪感。そういう強い反応を、機体出力の安定や上昇に転用できる』

 カイトはユイを見る。

「それって……」

『使い方によっては、ユイの意思を機体が補助する。でも誤れば、機体がユイの感情を燃料みたいに扱う』

 通信の向こうで、リクトが息を吐いた。

『比喩じゃ済まないかもしれない』

 ユイは黙って聞いていた。

 エルマの言葉が脳裏をよぎる。

 あなたの意思は主制御ではなく、燃料になる。

 あの言葉は脅しではなかった。

 少なくとも、技術的には事実に近かった。

 セラが苛立ったように言う。

「やっぱり帝国の技術って最悪」

『最悪だが、完全に捨てるには惜しい』

 アシュが答える。

『感情反応を燃料にするのではなく、意思決定の確認に使う形へ変えればいい。出力上昇ではなく、拒否権にする』

「拒否権?」

 ユイが聞き返す。

『そうだ。帝国式だと、強い感情反応は出力補正や命令優先度に変換される。俺達は逆に使う。本人の意思と感情が一致しなければ、主制御を通さない』

 カナデが顔を上げる。

「つまり、ユイさんが望んでいない命令では、機体が動かないようにする?」

『理想はな』

 アシュは短く答える。

『ただし、理想と実装は別だ。今は理論の断片しかない』

 イリスが第三断片を読み上げる。

『第三断片。帝国式術式層遮断方法。内容、命令伝達層の一時分離、外部認証遮断、管制網切断時の自律補助。欠損率、五十三パーセント』

 リンの声が明るくなる。

『これは大きい。艦艇側にも応用できるかも』

「艦艇側?」

『うん。ルクスやクロウヴェイル・ノアに帝国式の術式層安定器を組み込むなら、認証網から切り離す技術が必要になる。これ、その基礎になる』

 カイトはようやく、今回得ているものの大きさを理解し始めた。

 ノクス・レクイエムだけではない。

 戦艦改造にもつながる。

 帝国技術を使うには、帝国の管理網から切り離す必要がある。

 そのための理論が、今ここにある。

 断片ではあるが、確かにある。

 イリスはさらに整理を続ける。

『第四断片。命令系統分離理論。内容、主制御と外部命令の優先順位再設定。パルスティア本人認証の内部化。欠損率、七十一パーセント』

 レータが息を呑む。

「本人認証の内部化……」

 アシュが低く言う。

『これが一番重要だ』

「どういう意味ですか?」

 カイトが尋ねる。

『帝国式のパルスティア認証は、外部から個体を識別し、命令権限を確認する。つまり、誰が命令できるかを外側が決める』

 ユイは静かに聞いていた。

『内部化は、その逆だ。本人の意思を主認証にする。外部命令ではなく、本人が自分を自分だと認める反応を中核に置く』

 カナデが小さく言う。

「だから、本人の意思が必要なんですね」

『そうだ。形だけ真似ても意味がない。ユイが自分の意思で動かす機体でなければ、ノクス・レクイエムは成立しない』

 ユイは拳を握った。

 ノクス・リリスは、かつて帝国の中で与えられた機体だった。

 ネメシス・レクイエムは、帝国が作った危険な兵器だった。

 その二つを組み合わせるなら、過去のままではいけない。

 帝国の命令で動く機体ではなく、自分の意思で動かす機体に変えなければならない。

「……少し、見えた気がする」

 ユイが言った。

 カイトが彼女を見る。

「何が?」

「ノクス・レクイエムは、ただネメシス・レクイエムを私用に改造するだけじゃ駄目なんだと思う」

 ユイは隔壁端末を見つめる。

「ノクス・リリスを入れるのも、操縦しやすくするためだけじゃない。私が、私の意思であれを止められるようにするためなんだ」

 通信の向こうで、リクトが頷く気配があった。

『その理解でいい。完成には遠いけど、方向性は見えた』

 リンが続ける。

『ただし、問題もあるよ。これ、艦と機体を接続する時の規格がかなり危ない』

「危ない?」

『ノクス・レクイエムをルクス側のドックで整備したり、クロウヴェイル・ノアの支援管制に繋げたりする場合、帝国式の整備規格を使うと認証網の名残が反応する可能性がある』

 アシュが補足する。

『このまま使えば、帝国の認証網に引っかかる。機体単体だけの問題じゃない。艦ごと識別される可能性がある』

 カイトの顔色が変わる。

「それはまずい」

『だから、戦艦改造とノクス・レクイエム制御は別々に進められない』

 アシュの声は重かった。

『艦の整備規格、術式層安定器、機体の中核操縦系、本人認証。この四つを同時に設計し直す必要がある』

「完成はまだ先、か」

『当然だ』

 アシュは即答した。

『今日取れたのは目途だ。完成図じゃない。ここで分かった気になるな』

 カイトは苦笑した。

「分かってる」

「でも」

 ユイが口を開く。

「作れるかもしれないんだよね」

 少しだけ、声に希望が混じっていた。

 アシュはしばらく黙った。

 そして、短く答える。

『可能性は出た』

 その言葉だけで、十分だった。

 ユイは静かに息を吐く。

 ノクス・リリスの過去。

 ネメシス・レクイエムの残骸。

 帝国の命令系統。

 エルマの管理。

 その全てが危険で、重く、簡単には扱えない。

 それでも、完全な闇ではなかった。

 自分の意思を中心に置く。

 外部命令ではなく、本人認証を内部化する。

 感情を燃料にするのではなく、拒否権にする。

 その方向が見えた。

 イリスが最後のデータを整理する。

『取得可能な断片は以上です。これ以上は深層照合が必要になります』

 アシュが即座に言う。

『やらない。撤収だ』

「まだ奥があるんですよね?」

 カイトが尋ねる。

『ある。だが今触れれば、エルマに首輪を差し出すことになる』

 ユイは頷いた。

「撤収しよう」

 その返答に、カイトは少しだけ驚いた。

 ユイは隔壁を見つめたまま続ける。

「ここに全部があるわけじゃない。無理に取れば、私達も艦も危なくなる。今は、持ち帰って考える」

 カナデが安堵したように息を吐いた。

「その判断ができるなら、まだ大丈夫です」

 ユイは少し笑った。

「カナデのおかげ」

「私は確認しただけです。決めたのはユイさんです」

 その言葉に、ユイは小さく頷いた。

 アシュが通信越しに言う。

『いい判断だ。リン、ログ消去。イリス、取得データを分割保存しろ。一か所にまとめるな』

『了解。三系統に分散保存します』

 イリスが答える。

『一つは技術断片。一つは術式層解析。一つはパルスティア本人認証関連。相互参照には手動承認を必要とする形にします』

『それでいい』

 リンも続ける。

『旧ドック側のログは消してる。でも、完全には無理。ここに誰かが入った痕跡は残ると思う』

「どのくらいで見つかる?」

『早ければ一時間以内。遅くても、次の監査でばれる』

 カイトは頷く。

「なら急ごう」

 隔壁端末の光が消える。

 旧ドックの奥に眠っていたノクス・リリスの記録は、完全には取り戻せなかった。

 だが、断片は手に入った。

 中核操縦系。

 レクイエム級制御構造。

 術式層遮断。

 命令系統分離。

 本人意思による再認証。

 それらは、まだ不完全な欠片にすぎない。

 けれど、ノクス・レクイエムへ続く最初の道標だった。

 通路を戻りながら、ユイは一度だけ後ろを振り返る。

 そこには、古い扉が沈黙している。

 かつての自分を探すような、冷たい記録の気配はもう薄れていた。

「私は、戻らない」

 ユイは小さく呟いた。

 カイトが隣で聞いていた。

 ユイは続ける。

「でも、捨てもしない。ノクス・リリスも、あの頃の私も、全部持っていく」

 カイトは静かに頷いた。

「それでいいと思う」

 ユイは少しだけ笑った。

 その笑みは、まだ弱い。

 けれど、確かに前を向いていた。

 ノクス・レクイエムは、まだ完成していない。

 制御も、改修も、これからだ。

 だが、目途は立った。

 帝国の首輪としてではなく、ユイ自身の意思で動く機体にする。

 そのための最初の断片を抱え、カイト達は旧ドックを後にした。

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