第141話 パルスティア識別網
ハルド・レイスから受け取った地下搬入口の情報は、旧地球時代のものだった。
地図は古い。
距離表記も、現在の帝国標準とは違う。
だが、そこには帝国の管理端末には残っていない通路が記されていた。
山岳地帯の地下に残された旧造船施設。
かつてアース・ネメシス防衛軍が軌道防衛艦を修復していた場所。
帝国による統合後、その施設は接収され、補助整備ドックとして再利用されている。
表向きは、哨戒艦とGD搬送機の整備施設。
だが、ハルドは言っていた。
あそこには、この星が負けた理由も残っている。
カイト達は、旧市街から離れた山岳外縁部へ移動していた。
都市中心部とは違い、周囲に人影は少ない。
整備された高速輸送路のさらに外側。
古い岩盤の下に、封鎖された搬入口が隠れている。
入口の前には帝国式の警告表示があった。
――非稼働区画。
――保守権限者以外立入禁止。
――無許可接近者は自動通報対象。
レータが端末を確認しながら言う。
「旧搬入口は生きています。ですが、帝国側の封鎖コードが重ねられています」
セラが周囲を見回した。
「罠の可能性は?」
「あります。ですが、旧構造そのものはハルドの情報と一致しています」
ユイは黙って封鎖扉を見つめていた。
その表情は硬い。
彼女の隣に立つカナデが、携帯型の診断端末を起動する。
ネオジェネシスで得た補助診断ツールを、ルクス側の医療班が調整したものだ。
生体反応、神経負荷、同期波形、精神的圧迫の兆候。
特にパルスティア達が帝国式認証網に触れる場合、通常の医療計測だけでは足りない。
カナデはユイ、セラ、レータの反応を順に確認する。
「今のところ、三人とも大きな異常はありません。ただ、ユイさんの反応が少し上がっています」
「大丈夫」
ユイは短く答えた。
だが、その声にはわずかな緊張が混じっていた。
カナデは無理に問い詰めない。
ただ、端末の表示を見ながら静かに言う。
「大丈夫かどうかは、本人の感覚だけで判断しません。今日は私が止める必要があると思ったら、止めます」
ユイは一瞬だけカナデを見る。
それから、小さく頷いた。
「うん。お願い」
そのやり取りを、通信越しにアシュが聞いていた。
『それでいい』
クロウヴェイル・ノアから低出力通信が入る。
アシュの声は相変わらず冷静だった。
『帝国式認証に近づくなら、本人の意思と外部監視の両方が必要だ。どちらか一つでは足りない』
カイトは小型通信端末を握り直した。
「アシュ、そっちから施設内部は見えるか?」
『浅い層だけならな。旧ドックの外郭、搬入口、補助整備区画までは旧式回線が残っている。問題はその奥だ』
「奥?」
『帝国が追加した管理層がある。艦艇整備用の管制中枢に見えるが、信号の一部が生体認証系に繋がっている』
レータの表情が変わる。
「生体認証系……」
セラが小さく息を呑んだ。
「それって、まさか」
『可能性は高い』
アシュは短く答える。
『パルスティア識別網だ』
その言葉が、地下搬入口の前に重く落ちた。
パルスティア識別網。
帝国占領地で、パルスティアやGD操縦適性者を検出し、分類し、管理するための仕組み。
単なる認証システムではない。
人を、適性を、役割を見つけ出す網。
そして、ユイ達のような存在にとっては、過去そのものにつながる仕組みでもある。
レータは端末を操作しながら言う。
「帝国が統合地球に識別網を置くのは自然です。占領地の住民から有用な適性者を見つけ出し、軍や研究機関へ振り分けるためです」
「つまり、人材探しってことか?」
カイトが尋ねる。
「帝国の言葉では、適性保護と能力配置です」
「実際は?」
「分類と回収です」
レータの声は低かった。
セラが視線を落とす。
「私達みたいなものを、探すための網……」
「正確には、私達だけではありません」
レータは続ける。
「高いGD操縦適性を持つ者、術式層への感応が強い者、命令系統との同期耐性がある者。そういった人間も検出対象です」
「帝国にとって使える人間を見つける仕組みか」
カイトの声に、怒りが滲む。
アシュが割り込んだ。
『怒るのは後にしろ。問題は、施設の奥へ進むにはその識別網に触れる必要があることだ』
「避けられないのか?」
『完全には無理だ。旧搬入口から入れば外部監視は避けられる。だが、ドック中枢のデータを抜くには帝国管理層へ入る必要がある。そこにパルスティア識別網が絡んでいる』
ユイが口を開いた。
「私が行く」
カイトがすぐに振り向く。
「ユイ」
「認証反応が必要なら、私が一番通しやすい。ノクス・リリス系統のデータがあるなら、私が触れた方が早い」
セラも一歩前に出る。
「私も行く。識別網が射撃型や戦術補助型の反応を分けているなら、ユイだけじゃ足りないかもしれない」
レータも頷く。
「私も必要です。指揮系統、命令階層、管理分類の読み解きには、私の反応が使える可能性があります」
三人の言葉は正しい。
効率だけを考えれば、それが最短だった。
ユイ、セラ、レータ。
帝国が作り、帝国の分類に組み込まれていた存在。
彼女達なら、帝国式認証網の深い層へ入り込めるかもしれない。
だが、その瞬間、通信越しのアシュの声が鋭くなった。
『駄目だ』
ユイ達が黙る。
アシュは淡々と続けた。
『直接つなぐな。これは鍵穴じゃない。首輪だ』
その言葉に、空気が冷えた。
カナデの端末に、ユイの反応上昇が表示される。
カナデはすぐにユイの横へ立った。
「ユイさん、呼吸をゆっくり」
「……分かってる」
ユイは目を伏せる。
アシュの声は容赦がなかった。
『帝国式認証を、扉を開けるための鍵だと思うな。あれは誰がどこにいて、何に使えるかを確認するための仕組みだ。お前達が自分から反応を差し出せば、向こうは喜んで分類する』
セラが唇を噛む。
「でも、入らないと情報は取れない」
『だから外側から削る』
「外側?」
『俺が中継層を作る。ユイ達の認証反応をそのまま流すんじゃない。必要な波形だけを模写して、識別網に偽の輪郭を見せる』
レータが驚いたように通信端末を見る。
「そんなことが可能なのですか?」
『不完全なら可能だ。完全に騙すのは無理だが、短時間だけなら反応をぼかせる』
「危険は?」
カナデが尋ねる。
『ある。識別網が深層照合に入れば、偽装は剥がれる。その前に必要な情報を抜く』
「本人達への負荷は?」
『直接接続よりは低い。ただし、波形を取るために浅い同期は必要だ』
カナデは端末を見る。
「浅い同期でも、精神負荷は出ます。特にユイさんはノクス・リリス系統と関連する反応があれば、記憶や感情が引っ張られる可能性があります」
『だからお前が必要だ』
アシュの言葉に、カナデは静かに頷いた。
「分かりました。同期深度は私が監視します。危険域に入ったら、強制遮断します」
「強制遮断……」
ユイが小さく呟く。
カナデはユイの目を見る。
「ユイさん。これは命令ではありません。あなたを守るための確認です」
その言葉に、ユイは少しだけ表情を緩めた。
帝国の認証網。
帝国の命令系統。
帝国の分類。
それらに近づくほど、ユイ達は過去へ引き戻される。
だからこそ、カナデの言葉は必要だった。
命令ではない。
本人の意思を守るための制御。
「私は、私の意思でやる」
ユイは静かに言った。
「でも、危ない時は止めて」
「はい」
カナデは頷く。
セラも息を吐いた。
「私も同じ。命令じゃなく、自分で決めて行く」
レータは二人を見てから、少しだけ目を伏せた。
「私もです。帝国式の分類を読むためではなく、そこから抜けるために使います」
アシュが短く言う。
『なら、始めるぞ』
旧搬入口の封鎖扉が開いた。
内部は広い整備通路になっていた。
壁面には旧地球時代の配管が残り、その上から帝国式の白銀パネルが貼られている。
古い構造の上に、新しい管理層が重ねられている。
これまで見てきた記録館や街と同じだった。
カイト達は慎重に奥へ進む。
途中、旧防衛軍の表示板が壁に残っていた。
だが、その上には帝国語で新しい区画番号が刻まれている。
旧主力艦ドック。
その文字は薄く削られ、今は補助整備区画という表示に置き換えられていた。
「ここも、名前を変えられてる」
セラが呟く。
ユイは何も言わなかった。
通路の先に、制御室があった。
そこには、旧式の管制卓と帝国式の認証柱が並んでいる。
中央には、円形の接続端子。
その上に、淡い光の網が浮かび上がっていた。
カナデの端末が警告音を鳴らす。
「反応が出ています。ユイさん、セラさん、レータさんに微弱な照合波が来ています」
レータが端末を見る。
「これは……通常の入退室認証ではありません。個体反応を確認しています」
「やっぱり識別網か」
カイトが言う。
アシュの声が低くなる。
『全員、距離を取れ。ユイ、セラ、レータは認証柱から三メートル以上離れろ。カナデ、同期監視開始。俺が外部中継を作る』
「了解」
カナデが診断ツールを接続する。
ユイ、セラ、レータの首元に小型センサーが貼られる。
それは帝国の首輪ではない。
彼女達の意思を守るための、安全装置だった。
アシュが遠隔で制御卓へ侵入する。
リンが旧中継ステーション経由で信号の迂回路を確保している。
レータは帝国式分類コードを読み、セラは照合波の変化を感覚で伝え、ユイは最小限の認証反応を出す。
それぞれが必要だった。
だが、誰か一人を直接つなぐことはしない。
『浅い同期を開始する』
アシュの声。
次の瞬間、認証柱に光が走った。
ユイの肩がわずかに震える。
カナデが即座に反応を見る。
「ユイさん、同期深度一。まだ安全域です」
「……大丈夫」
ユイは目を閉じていた。
彼女の意識に、遠い声のようなものが触れる。
命令ではない。
だが、命令に似た形をしている。
分類。
照合。
認証。
適性確認。
ユイ型。
近似反応。
離反個体。
その言葉が、光の奥でかすかに揺れた。
「ユイ型……」
ユイが小さく呟く。
カイトが一歩近づこうとしたが、カナデが手で制した。
「まだ大丈夫です。でも近づきすぎないでください」
セラの方にも反応が出る。
「射撃補助系……戦術適応反応……嫌な分類」
セラは顔をしかめた。
レータは自分の反応を冷静に読み取ろうとしていたが、その声はわずかに硬い。
「指揮補助、命令伝達、群制御適性……帝国は、私をそう分類している」
アシュが短く言う。
『分類を受け入れるな。読め。だが、飲まれるな』
「分かっています」
レータは深く息を吸う。
彼女達の反応をもとに、アシュは偽の輪郭を作っていく。
識別網はそれを本物と判断しきれず、しかし完全な異物とも見なせず、照合を続けた。
そのわずかな隙間に、リンがデータを抜き始める。
『艦艇ドックの管制規格、取得開始。術式層安定器の配置データもある。これ、ルクス側で使えるかもしれない』
「戦艦改造用か」
カイトが言う。
『まだ断片だけどね。あと、GD中枢制御の補助規格も見えてる』
アシュが続ける。
『パルスティア識別網の中核には入るな。外周だけ削れ。ノクス関連のタグがあれば拾う』
「ノクス……」
ユイの反応が上がった。
カナデの端末が警告を出す。
「ユイさん、負荷上昇。同期深度二に近づいています」
ユイの閉じた瞼が震える。
光の奥に、別の文字列が浮かんだ。
ノクス・リリス。
旧個体認証。
中核操縦系。
凍結記録。
そして、さらに奥に別の単語があった。
レクイエム級制御構造。
「見えた……」
ユイが呟く。
「ノクス・リリスの記録が、ある」
カイトの表情が変わる。
「本当か?」
アシュが即座に言う。
『追うな』
ユイの意識が、光の奥へ引かれかける。
カナデの声が強くなった。
「ユイさん、戻ってください。今は追わないで」
「でも、そこに……」
「今は追わない」
カナデははっきりと言った。
「あなたが戻れなくなる可能性があります」
その言葉に、ユイの指が震えた。
帝国の命令ではない。
けれど、止める言葉。
違うのは、そこに彼女の意思を守ろうとする意図があることだった。
カイトも声をかける。
「ユイ、今じゃなくていい。場所が分かったなら、次に取りに行ける」
セラが歯を食いしばる。
「ユイ、戻って。あんた一人で行くな」
レータも続ける。
「今の接続は危険です。識別網の奥に誘導されています」
ユイは息を吸った。
光の奥で、ノクス・リリスの名が揺れている。
その向こうに、自分の過去がある。
そして、ノクス・レクイエムへつながるかもしれない手がかりもある。
だが、そこへ手を伸ばすことは、帝国の網に自分を差し出すことでもあった。
「……分かった」
ユイは目を開けた。
「戻る」
カナデが遮断操作を行う。
アシュも同時に中継層を切り離した。
認証柱の光が一瞬強くなり、次の瞬間、沈黙する。
制御室に静けさが戻った。
カナデの端末から警告音が消える。
「同期終了。三人とも安全域に戻っています」
ユイは膝に手を置き、ゆっくり息を吐いた。
セラも壁に背を預ける。
レータは平静を保っていたが、その顔色は少し悪い。
カイトは三人を見て、改めて理解した。
彼女達は便利な鍵ではない。
帝国の扉を開けるために使っていい存在ではない。
むしろ、その扉は彼女達をもう一度捕まえるために作られている。
アシュの声が通信から響く。
『だから言った。鍵穴じゃない。首輪だ』
「……悪かった」
カイトは短く言った。
アシュは答えない。
代わりに、リンの声が入る。
『必要なデータは一部取れた。艦艇ドックの管制規格、術式層安定器、GD中枢制御の外周データ。それと……ノクス・リリス関連記録の所在タグ』
ユイが顔を上げる。
「所在タグ?」
『うん。完全なデータは別の深層施設にあるみたい。たぶん、このドックじゃない。統治府管理下の生体認証・適性分類センターか、そのさらに上位』
レータが端末を確認する。
「上位管理者権限が必要です。現地総督府、または帝国本国のパルスティア管理部門」
セラが目を細める。
「それって……」
ユイは静かに言った。
「エルマ・ディクセン」
その名を口にした瞬間、制御室の端末に微弱な信号が走った。
誰も触れていないはずの認証柱に、細い光が戻る。
カナデの端末が再び警告を鳴らした。
「外部照合反応。さっきとは違います」
アシュの声が鋭くなる。
『全員、離れろ。今の接続で何か引っかけた』
認証柱の上に、帝国式の文字列が浮かぶ。
識別反応確認。
ユイ型近似。
セラ型近似。
レータ型近似。
未確定個体反応。
照合保留。
上位管理者へ通知準備。
カイトの背筋に冷たいものが走った。
「まずいのか?」
『非常にまずい』
アシュが即答する。
『完全発見ではない。だが、向こうに痕跡が行く。撤収しろ』
レータが急いでデータを閉じる。
「通路監視が再起動します。時間がありません」
ユイは認証柱を見つめた。
そこにはもう、ノクス・リリスの文字はない。
だが、確かに何かが反応した。
過去へ続く扉。
そして、帝国の首輪。
その両方が、同じ場所にあった。
「行こう」
カイトが言う。
「ここで捕まるわけにはいかない」
セラがユイの腕を軽く引く。
「次は、こっちの準備を整えてから来る。今は撤退」
ユイは頷いた。
「うん」
カナデは三人の反応を確認しながら、全員を誘導する。
「移動しながら監視を続けます。無理に走らないでください。同期後の急激な負荷変動があります」
アシュが通信越しに指示を出す。
『旧搬入口から戻れ。俺が監査ログを数分だけ遅らせる。リン、退路を開け』
『了解。こっちで保守ドローンの巡回をずらす』
制御室を出る直前、ユイは一度だけ振り返った。
認証柱は沈黙している。
だが、その奥で誰かがこちらを見たような気がした。
エルマ・ディクセン。
ユイの過去に関わる名。
帝国の管理者。
まだ声は聞こえない。
姿もない。
けれど、その影だけが、識別網の向こうに立ち上がり始めていた。
カイト達は、旧ドックを後にする。
得たものは大きかった。
戦艦改造につながる管制データ。
術式層安定器の情報。
ノクス・リリス関連記録の所在タグ。
だが同時に、帝国側にも痕跡を残した。
アース・ネメシスの平和な街の下には、人を分類する網が張り巡らされている。
その網は、ユイ達を見つけようとしていた。
そして今、その奥にいる誰かが、ゆっくりと目を開こうとしていた。




