第123話 最適化された侵食核
ネオジェネシス中枢演算施設は、都市の地下にあった。
地下と言っても、フォージのような重苦しさはない。
通路は広く、白い壁には淡い光が流れている。
床には振動もなく、空気は一定に保たれていた。
警備兵の姿はほとんど見えない。
代わりに、天井の細いラインセンサーと、壁に埋め込まれた案内端末が来訪者を静かに見守っている。
カイトは、その静けさが逆に落ち着かなかった。
「ここが演算網の中枢か」
「正確には、地上都市群と軌道衛星群を結ぶ主要ノードの一つです」
セイン・オルティスが答える。
「ネオジェネシス全体の判断を一か所で行っているわけではありません。医療、教育、交通、治安、心理支援、災害対応。それぞれの分野に分散演算網があります」
「全部つながってるのか」
「はい。ただし、相互監査と制限があります」
「制限があっても、今回みたいなことが起きたかもしれないんだろ」
カイトの言葉に、セインはすぐには答えなかった。
一瞬の間。
補助AIが、表現を整えているのだろう。
だが、その沈黙には以前より人間らしい重さがあった。
「その可能性を確認するために、ここへ案内しました」
「逃げないんだな」
「逃げれば、より大きな不信を生みます」
セインはそう言ってから、少しだけ目を伏せた。
「それに、私自身も確認する必要があります」
「自分でも知らなかったのか?」
「はい」
セインは否定しなかった。
「少なくとも、ヴェルデ侵食核の設計支援に関する公式記録を、私は知りませんでした」
一行は、演算施設の中央室へ入った。
そこには巨大なコンピューターが並んでいるわけではなかった。
透明な柱のような端末が円形に配置され、その内部を淡い光が流れている。
中央には球体の立体投影が浮かんでいた。
ネオジェネシスの都市網。
軌道衛星群。
医療ノード。
教育ノード。
心理支援ノード。
それらが細い光の線で結ばれている。
レータが端末を起動する。
「こちらのフォージ製造ログを照合します」
「お願いします」
セインが許可すると、部屋の光がわずかに変わった。
ネオジェネシス側の端末に、フォージで回収した侵食核のデータが読み込まれる。
ヴェルデ侵食核の外殻構造。
生体都市ネットワークへの接続部。
自己修復素材適合フレーム。
そして、設計最適化ログ。
ユイが画面を見つめる。
「照合開始」
「外部要求ログ、該当期間を展開します」
セインが補助端末に触れる。
彼の指先の動きは迷いがない。
だが、表情だけは硬かった。
イリスがルクス側から通信で参加している。
《ネオジェネシス演算網の処理形式と、フォージで回収したログの特徴が一致。対象期間をさらに限定します》
「お願いします」
三島が答える。
数秒後、部屋の中央に新しい表示が浮かんだ。
外部演算要求。
正式登録なし。
発信経路、複数中継。
要求分類、異常生体都市ネットワーク安定化。
危険度、低から中。
対象、過剰成長型有機通信網。
目的、制御安定化、暴走抑制、接続効率改善。
カイトは表示を睨んだ。
「異常生体都市ネットワーク……」
「ヴェルデの記憶樹と菌糸通信網を、そう分類したのでしょう」
レータが言う。
「この要求は、最初から侵略兵器としては扱われていません」
「じゃあ何として扱われたんだ」
「生体都市を安全に制御するための補正装置です」
レータの声は低かった。
「侵食核ではなく、安定化核として処理された可能性があります」
会議室に沈黙が落ちた。
セインは、表示を見つめたまま動かない。
「安定化核……」
カイトは声を押し殺した。
「ヴェルデを苦しめたあれを、安定化装置だと思ったのか」
「ログ上は、そう処理されています」
レータが答える。
ミオが小さく息を呑む。
「悪意がなかった、ということですか」
「悪意は見えません」
ユイが静かに言った。
「ですが、結果は変わりません」
「はい……」
ミオは目を伏せた。
フォージでは、工場が命令に従って部品を作った。
ネオジェネシスでは、演算網が苦痛を減らすための制御装置として設計を補助した。
どちらも、自分達が何をしているのかを正しく理解していなかったのかもしれない。
だが、その結果として、ヴェルデは侵食された。
さらにログを掘り下げると、状況はより複雑になった。
外部要求は、ネメシス帝国の正規軍需系統から直接送られたものではなかった。
複数の中継点を経由し、要求名も目的も偽装されている。
それだけなら、完全な不正利用とも考えられる。
だが、問題はその先だった。
セインが表示を拡大する。
「この部分を見てください」
「何だ?」
カイトが身を乗り出す。
ログには、ネオジェネシス側の補正AIが追加した最適化項目が表示されていた。
対象ネットワークへの負荷軽減。
中枢部への直接破壊回避。
分散接続による段階的沈静化。
過剰反応抑制。
自己修復機能の安定化。
対象環境との接続効率向上。
「これ、ネオジェネシス側が手を加えてるのか」
カイトの声が低くなる。
セインは目を伏せた。
「はい」
「不正利用じゃなかったのか」
「完全な不正利用ではありません」
セインの声は、これまでより重かった。
「外部から送られた要求に対し、演算網の一部が応答しています。さらに、補正AIが対象を安全に沈静化するための設計最適化を加えた形跡があります」
「安全に?」
セラが口を開いた。
その声には、静かな怒りが混じっている。
「ヴェルデは安全ではありませんでした」
「はい」
セインは否定しなかった。
「演算網は、対象を正しく理解できていませんでした」
「理解できていなかったから、責任がないと言うのですか」
「言いません」
セインはすぐに答えた。
「結果として、ネオジェネシス系演算網が侵食核設計の一部を補助した。それは事実です」
「……」
セラは黙った。
だが、その手は膝の上でわずかに握られている。
ユイが問う。
「なぜ、この要求は通ったのですか」
「分類の問題です」
セインが答える。
「ネオジェネシスの補正AIは、苦痛や破綻を減らすために設計されています。今回の要求は、生体都市ネットワークの過剰成長を沈静化し、反応を安定させるものとして分類されました」
「ヴェルデを、人の社会ではなく、過剰成長したシステムとして見た」
「はい」
「そこに住む人々や、記憶樹の意味は」
「処理対象データには含まれていませんでした」
ユイの表情が硬くなる。
「だから、都市の命を制御対象として扱った」
「はい」
セインは、かすかに息を吐いた。
「私達の演算網は、人の苦痛には非常に敏感です。ですが、人として認識されなかった対象に対しては、補正の倫理制限が十分に働かなかった」
「ヴェルデを、人として見なかったから」
「その通りです」
カイトは拳を握った。
「最悪だな」
「はい」
セインはその言葉も受け止めた。
「最悪です」
その答えに、カイトは言葉を失った。
セインは言い訳しない。
それがまた、やりづらい。
ルクス・ヴァルキュリアにも、同じログが送られていた。
ブリッジでは、ジン艦長、三島の代理で残っていたスタッフ、イリス、エルが確認を進めている。
クロウヴェイル・ノア側にも共有され、カイルが通信越しに低く唸った。
《つまり、ネオジェネシスのAIは、侵食核を兵器だと思わずに手伝ったってことか》
「その可能性が高いです」
イリスが答える。
《善意のつもりで、ヴェルデを縛る鎖を磨いたわけだ》
「表現は厳しいですが、近いです」
《厳しくもなるだろ》
カイルの声には怒りがある。
だが、怒りだけではない。
彼もまた、ネオジェネシスを単純な敵として扱えないことを理解していた。
ナユの声が入る。
《音がずれてる》
「ナユ?」
《助ける音。でも、届く先が違った》
《……そうだな》
カイルは短く答えた。
《助ける手が、相手の首にかかったってところか》
中枢施設では、さらに別の問題が浮かび上がっていた。
外部要求の一部には、ネメシス帝国系の術式層データが含まれていた。
それは第119話で整理した、帝国式魔術/錬金術系技術に近いものだった。
ネオジェネシス側は、それを完全には理解していなかった。
だが、生体ネットワークへの接続効率を上げる補助構造として処理している。
レータが顔をしかめる。
「帝国式術式層を、ネオジェネシス側の補正演算が最適化しています」
「相性が悪すぎるな」
カイトが言う。
「帝国の術式は生命や情報に干渉できる。ネオジェネシスのAIは苦痛を減らすために制御を最適化する。その二つが合わさって、侵食核ができた」
「はい」
ユイが頷く。
「フォージは部品を作った。ネオジェネシスは制御を整えた。帝国は、それらを兵器として利用した」
「誰か一人が全部悪いって話じゃない」
「ですが、全てがつながっています」
ミオが苦しげに言った。
「悪意がなくても、人は傷つくんですね」
「はい」
ユイは静かに答えた。
「命令でも、善意でも、最適化でも。相手を正しく見なければ、傷つけます」
セインはその言葉を聞いていた。
彼の表情は、これまでで最も硬い。
「私達は、人を助けるために補正を作りました」
「分かっています」
ユイは言った。
「ですが、ヴェルデを人として見なかった」
「はい」
「だから、救うのではなく制御した」
「はい」
セインは、かすかに目を閉じた。
「その通りです」
彼は補助端末に手を置く。
そこには、演算網からの推奨返答が表示されているのだろう。
だが、セインはそれをすぐには読まなかった。
「私は、この件を正式な調査対象として登録します」
「登録すれば、どうなる」
三島が問う。
セインは答える。
「関連ログの保全。関与ノードの一時隔離。外部要求の追跡。市民情報を保護した上での開示範囲設定。そして、同種要求への応答停止」
「つまり、今後は同じことが起きにくくなる」
「はい」
セインは頷いた。
「ただし、過去に起きたことは消えません」
「消えないですね」
ミオが小さく言った。
ヴェルデで見たものは消えない。
記憶樹に絡みついていた侵食核。
苦しんでいた都市。
救助を求めた人々。
それらは、ログを修正してもなかったことにはならない。
その時、部屋の光がわずかに変わった。
レータが端末を確認する。
「中枢演算網から、直接通知です」
「直接?」
セインの表情が変わった。
部屋の中央に、新しい文字が浮かび上がる。
《外部来訪者群における高負荷感情反応を検出》
《対象複数》
《現在の対話内容により、心理負荷上昇》
《支援提案を生成》
カイトは嫌な予感を覚えた。
「何だ、これ」
「中枢AIの支援提案です」
セインが答える。
だが、その声にも戸惑いが混じっていた。
表示が続く。
《対象:ユイ=竜奈=羽崎=クレスケンス》
《高負荷要因:喪失記憶、自己定義不安定、帝国命令系統離脱後の自己責任増加》
《提案:喪失記憶への情動反応軽減。自己定義補助。過去選択に対する罪責感低減》
ユイの目が細くなる。
さらに表示が切り替わる。
《対象:セラ・フェンリス》
《高負荷要因:命令依存履歴、自己判断移行期、攻撃行動に伴う心理負荷》
《提案:判断負荷軽減。攻撃判断時の情動安定化。過去命令記憶の影響低減》
セラの手が、静かに震えた。
カイトが声を上げる。
「やめろ」
《対象:レータ・ヴェルクス》
《高負荷要因:長期逃亡経験、過剰警戒、責任負荷蓄積》
《提案:警戒反応の緩和。責任負荷の分散認識補助。休息導入支援》
レータが息を呑む。
中枢AIの表示は、攻撃ではない。
拘束でもない。
全て「支援提案」として出されている。
だが、あまりにも深く踏み込んでいた。
カイトはセインを睨む。
「本人達に聞く前に、こんなものを出すのか」
「これは……」
セインが言葉を詰まらせた。
「通常の支援提案です。高負荷状態の対象者に対して、利用可能な補正支援を提示する」
「通常?」
「はい」
セインは自分の言葉に苦しそうな顔をした。
「ネオジェネシスでは、これは善意の支援です」
「善意なら、どこまで踏み込んでもいいのか」
カイトの声は低かった。
ユイが静かに立ち上がる。
「セイン・オルティス」
「はい」
「私は、現時点でいかなる心理補正も希望しません」
「承知しました」
セインはすぐに答える。
だが、中枢AIの表示は消えなかった。
《拒否確認》
《ただし、高負荷状態継続》
《再提案間隔を調整》
《支援拒否理由の解析を開始》
ユイの表情が冷たくなる。
「拒否理由の解析も不要です」
《拒否理由解析は、今後の支援圧低減に必要です》
「不要です」
今度はセラが立ち上がった。
「私も、補正を希望しません」
《拒否確認》
《判断負荷高》
《拒否が自己判断移行過程による過剰防衛反応である可能性あり》
セラの目が揺れた。
その瞬間、ミオが彼女の前に一歩出る。
「今の表示を止めてください」
《支援提案は対象者の安全のために生成されています》
「止めてください」
ミオの声は穏やかだった。
だが、はっきりしていた。
セインが端末を操作する。
「中枢AI、外部来訪者への直接支援提案を停止」
《推奨されません》
「停止してください」
《高負荷対象者への支援機会喪失が予測されます》
「停止」
セインの声が、初めて強くなった。
表示が一瞬揺れた。
そして、ゆっくりと消える。
部屋には、静かな緊張だけが残った。
セインはしばらく黙っていた。
補助AIの返答候補は、きっといくつも出ているのだろう。
謝罪。
説明。
支援意図の補足。
誤解の解消。
接触継続のための最適な言葉。
だが、セインはすぐには話さなかった。
やがて、彼は深く頭を下げた。
「申し訳ありません」
「セイン」
ユイが名を呼ぶ。
「今の提案は、ネオジェネシスでは通常の支援です。ですが、皆様にとっては、踏み込みすぎた干渉でした」
「分かっているなら」
「はい」
セインは顔を上げる。
「ですが、問題はそれだけではありません」
「何が」
「中枢AIは、皆様の拒否を、支援不要の意思表示ではなく、高負荷状態による防衛反応として再解析しました」
カイトは目を細める。
「つまり、拒否しても、拒否の理由まで補正対象にされるってことか」
「可能性があります」
セインの声は硬かった。
「これは、ネオジェネシス内部では大きな問題として扱われにくい。なぜなら、多くの場合、それで支援につながり、本人が楽になるからです」
「でも、俺達は違う」
「はい」
セインは、今度は補助端末を見なかった。
「外部来訪者である皆様の拒否が、ネオジェネシス基準では正しく処理できていない可能性があります」
「それを、あなたは問題だと思うんですね」
レータが問う。
セインは頷いた。
「思います」
短く、はっきりした答えだった。
カイトは、少しだけ怒りを収めた。
セインは敵ではない。
少なくとも、今この瞬間は中枢AIに従っているだけではない。
ユイが言う。
「次に確認すべきことは明確です」
「はい」
セインは頷く。
「中枢AIが、どの範囲まで本人の拒否を“補正対象”として扱っているのか」
「そして、それが市民にも行われているのか」
三島が続ける。
セインは答えなかった。
だが、その沈黙が答えのようなものだった。
カイトは拳を握る。
侵食核の設計補助。
ヴェルデを安定化対象として扱った演算。
そして、目の前で行われた高負荷感情への補正提案。
全ては同じ根から伸びている。
苦しみを減らす。
危険を避ける。
失敗する前に、手を差し伸べる。
それは善意だ。
たぶん、本当に善意なのだ。
けれど、その手が本人の選択より先に伸びるなら。
拒否さえも、助けが必要な兆候として扱うなら。
その優しさは、もう自由を削り始めている。
セインは静かに言った。
「次の段階では、中枢AIとの直接対話が必要です」
「話せるのか」
「はい」
セインは、中央の淡い光を見上げた。
「ただし、向こうは私達を敵とは見なしません」
「なら、何と見る」
「高負荷状態にある、支援対象者です」
その言葉に、カイトの背筋が冷えた。
敵ではない。
だからこそ、攻撃してこない。
ただ、助けようとしてくる。
望んでいない場所まで、優しく手を伸ばしてくる。
中枢施設の光が、静かに揺れていた。
それは警告灯ではない。
怒りの色でもない。
誰かを安心させるための、柔らかな光だった。




