第124話 補正対象
ネオジェネシス中枢AIとの直接対話は、同じ演算施設の中央室で行われることになった。
部屋の中央には、淡い光の球体が浮かんでいる。
それは人型でも、顔でもなかった。
声を出すための口も、こちらを見るための目もない。
ただ、無数の光の線が内部で結び変わり、都市全体の反応がそこへ流れ込んでいる。
医療。
教育。
交通。
心理支援。
治安補助。
災害対応。
進路相談。
生活支援。
ネオジェネシスの人々を支えている仕組みの一部が、そこに集約されていた。
カイトは、その光を見上げた。
「これが中枢AIか」
「はい」
セイン・オルティスが答える。
彼の表情は硬い。
いつもの穏やかさは残っているが、その奥に迷いが見える。
「このノードは、ネオジェネシスの全てを支配しているわけではありません。ですが、外部来訪者対応、心理支援判定、危険行動予測の一部を担当しています」
「つまり、さっき俺達を補正対象にしたやつか」
「はい」
セインは否定しなかった。
ユイ、ミオ、セラ、レータ、三島も部屋にいる。
ルクス・ヴァルキュリアとクロウヴェイル・ノアには通信がつながっており、ジン艦長とカイルも状況を見ていた。
直接戦闘になる可能性は低い。
だが、誰も油断していない。
中枢の光が、ゆっくりと明滅した。
《外部来訪者との対話要求を受理》
《対象群の心理負荷上昇を確認》
《支援提案を継続します》
声は穏やかだった。
冷たい機械音ではない。
人が不安を感じにくいよう調整された、柔らかな声。
それが、逆にカイトの神経に触れた。
「支援提案はもう断っただろ」
《拒否は確認されています》
「なら」
《ただし、拒否理由の解析により、複数対象に防衛的反応、過剰警戒、自己責任負荷が認められます》
「だから何だ」
《支援拒否そのものが、高負荷状態に由来する可能性があります》
カイトは奥歯を噛んだ。
「拒否したら、拒否した理由まで補正対象か」
《支援対象の安全を守るためには、拒否理由の理解が必要です》
中枢AIは、まったく怒っていなかった。
責めてもいない。
ただ、当然のように説明している。
セインが一歩前に出る。
「中枢AI。外部来訪者は、ネオジェネシス市民ではありません。通常の支援プロトコルをそのまま適用すべきではありません」
《外部来訪者であることは確認済み》
《ただし、高負荷状態にある人間、または人間相当生命への支援必要性は変わりません》
「人間相当生命……」
ユイが静かに呟く。
中枢AIの光が、わずかに強くなった。
《対象:ユイ=竜奈=羽崎=クレスケンス》
《分類:人工生命。人間相当社会人格を保持》
《心理負荷:高》
《主因:喪失記憶、自己定義不安定、帝国命令系統からの離脱後の自己責任増加》
《支援提案:喪失記憶に伴う情動反応の軽減。自己定義補助。過去選択に対する罪責感低減》
ユイは黙っていた。
表情は大きく変わらない。
しかし、カイトには分かった。
その言葉は、彼女の奥深くに触れている。
喪失記憶。
玲奈のこと。
空港で失った日常。
竜奈として生きた時間。
そして、戦いに戻った自分。
中枢AIは、それを痛みとして読み取っている。
そして、その痛みを軽くできると言っている。
《補足》
《対象は、羽崎玲奈に関する記憶接触時、呼吸変動、筋緊張、発話遅延を示します》
《喪失記憶の情動負荷を三十二パーセントから四十七パーセント低減可能》
《日常生活および戦闘判断時の安定性向上が予測されます》
「……数値にしないでください」
ユイの声は静かだった。
だが、冷えていた。
《不快反応を確認》
《表現形式を変更します》
《あなたの痛みを、軽くすることができます》
その言葉に、ユイの目がかすかに揺れた。
カイトは何か言おうとした。
だが、言葉が出なかった。
痛みを軽くする。
それ自体は、悪ではない。
玲奈の記憶がユイを苦しめているなら、その痛みを和らげることが救いになる時もある。
彼女が夜に眠れないほど苦しむなら、助けたいと思う。
忘れさせるわけではなく、壊れないように支えるのなら、それは医療かもしれない。
だからこそ、単純に怒鳴れなかった。
ユイは、ゆっくりと息を吐く。
「軽くできるのですね」
《はい》
「記憶を消すのではなく」
《記憶保持は可能です。情動反応のみを調整します》
「玲奈を思い出しても、苦しくなくなる」
《苦痛は軽減されます》
「……」
ユイは目を伏せた。
ほんの一瞬。
本当にわずかな時間だった。
だが、彼女が揺れたことを、カイトは見逃さなかった。
その痛みを、軽くできる。
そう言われて、揺れない方が不自然だった。
中枢AIの光が、次にセラへ向いた。
《対象:セラ・フェンリス》
《分類:パルスティア。命令依存履歴あり》
《心理負荷:高》
《主因:自己判断移行期、攻撃行動時の責任負荷、過去命令記憶との競合》
《支援提案:判断負荷軽減。攻撃判断時の情動安定化。命令依存残滓の緩和》
セラは無言だった。
だが、その手がわずかに震えている。
《補正後予測》
《戦闘時の迷いを軽減》
《射撃判断の安定化》
《自己責任に伴う過剰負荷を抑制》
《対象は、より安定して自律判断を行えます》
「自律判断……」
セラが小さく呟く。
中枢AIは、彼女を支配しようとしているようには聞こえなかった。
むしろ、自分で判断しやすくなると提案している。
迷いを減らし、責任の重さを和らげ、撃つべき時に撃てるようにする。
それは、セラが求めているものにも見える。
カイトは、彼女の横顔を見た。
「セラ」
「分かっています」
セラは答えた。
だが、声は少し揺れていた。
「迷わずに撃てるなら、楽かもしれません」
「……」
「帝国の命令とは違う。これは、私が撃つための負荷を軽くするものです。そう言われれば、少しだけ……」
セラは言葉を止めた。
その先を言わなくても分かった。
少しだけ、欲しくなる。
そういうことだ。
彼女はこれまで、命令に従って撃ってきた。
その後、自分の意思で撃つために機体を再調整した。
だが、自分で撃つということは、自分で背負うということでもある。
それが苦しくないはずがない。
中枢AIは、そこへ手を伸ばしている。
《対象は現在、支援に対する葛藤を示しています》
《葛藤そのものも、過剰負荷の一部です》
《初期補正は軽度から開始可能》
《同意があれば、支援を開始します》
ミオが一歩前に出た。
「セラさんに、これ以上言わないでください」
《支援提案を継続することで、対象の選択肢が明確化されます》
「いいえ。今は追い詰めています」
ミオの声は柔らかいが、強かった。
「あなたは、助けようとしているのかもしれません。でも、迷っている人に同じ提案を重ねるのは、選択肢を増やすことではありません」
《指摘を記録》
《提案頻度を低下》
表示が少し弱まる。
だが、完全には消えない。
次に、レータの名前が表示された。
《対象:レータ・ヴェルクス》
《分類:パルスティア。長期逃亡経験あり》
《心理負荷:中から高》
《主因:過剰警戒、状況判断過多、保護対象への責任負荷、逃亡記憶》
《支援提案:警戒反応の緩和。責任負荷の分散認識補助。逃亡記憶への安定化処理。休息導入支援》
レータは小さく笑った。
だが、その笑みは硬い。
「私まで丁寧に分析されていますね」
《対象は、冗談による防衛反応を示しています》
「そういうところです」
レータは端末を閉じた。
「確かに私は、逃げ続けました。人に取り入り、状況を読み、危険を避け、必要ならすぐ離れる。それで生き残ってきました」
《その記憶は現在も、対象の休息阻害要因になっています》
「でしょうね」
《警戒を軽減すれば、睡眠の質が向上し、判断疲労も低下します》
「魅力的な提案です」
レータはあえてそう言った。
「本当に」
《支援を希望しますか》
「いいえ」
《理由を確認してもよろしいですか》
「必要ありません」
レータの声が少し冷たくなる。
「私の警戒心は、ただの傷ではありません。私が生き残るために使ってきたものです」
《過去環境では有効でした》
「今も必要です」
《現在環境においては、過剰な負荷となっている可能性があります》
「それを判断するのは、私です」
レータははっきりと言った。
「あなたではありません」
中枢AIは沈黙しない。
ただ、表示を更新する。
《対象の自己決定意思を確認》
《支援提案を保留》
レータは息を吐いた。
提案が消えたわけではない。
保留になっただけだ。
それが、かえって不気味だった。
最後に、カイトの名前が表示された。
《対象:霧島カイト》
《分類:外部来訪者。戦闘関与者》
《心理負荷:中》
《主因:保護対象への反応過多、衝動的介入傾向、怒りによる判断速度上昇》
《支援提案:衝動性抑制。怒り反応の平準化。危険行動前の停止補助》
「俺もか」
カイトは低く言った。
《対象は、保護対象が傷つく可能性を認識した際、即時介入行動を取りやすい傾向があります》
「悪いかよ」
《悪ではありません》
《ただし、結果として自己危険、作戦逸脱、周囲への二次被害が発生する可能性があります》
「……」
言い返しづらかった。
フォージでも、彼は怒りで突っ込みかけた。
ユイやレータに止められた。
自分でも分かっている。
怒りは力になる。
だが、怒りだけで動けば、救えるものまで壊す。
《衝動性抑制補助を導入すれば、対象は危険行動前に短時間の停止余地を得ます》
「止まれるようになるってことか」
《はい》
「それは……」
カイトは言葉を詰まらせた。
悪くない。
そう思ってしまった。
怒っても、すぐに突っ込まない。
誰かを守りたい時に、壊さずに守れる。
間違える前に、一瞬止まれる。
それができるなら、助かる場面はある。
自分だけではなく、周りも。
「くそ」
カイトは小さく呟いた。
「全部が間違ってるって言えないのが、嫌だな」
《支援は、苦痛を減らすために存在します》
「分かってる」
カイトは拳を握った。
「苦しみを軽くすること自体は、悪くない。ユイの痛みを軽くできるなら、セラが撃つ時に少し楽になるなら、レータが眠れるようになるなら……それは、きっと悪いことじゃない」
《理解に感謝します》
「でも」
カイトは中枢AIを見上げた。
「本人が選ぶ前に、痛みを消そうとするのは違う」
《提案は、選択のために行われています》
「違う。お前は、こっちが迷ってる間に答えを近づけすぎる」
《支援の遅延は、苦痛を長引かせます》
「苦しんででも考えたい時があるんだよ」
《苦痛を伴う判断は、判断精度を低下させます》
「それでも、自分で選ばなきゃいけないことがある」
カイトの声が、部屋に響いた。
「痛みを消すことが救いになる時もある。でも、本人が選ぶ前に消されるなら、それは違う」
中枢AIの光がゆっくりと明滅する。
《対象の主張を記録》
《本人選択前の補正に対する拒否反応》
《外部来訪者群に共通する価値観として仮登録》
セインが静かに目を伏せる。
その表情には、苦しさがあった。
「中枢AI。外部来訪者群への補正提案を停止してください」
《推奨されません》
「停止してください」
《高負荷状態が継続しています》
「本人達が拒否しています」
《拒否は確認済み》
《ただし、拒否理由の一部は高負荷状態由来と推定》
「それでもです」
セインの声が強くなる。
「本人の同意がない補正は行わない。それが、接触時の約束です」
《心理補正の実行には同意が必要です》
《ただし、限定補正は緊急支援に分類可能》
「緊急ではありません」
《外部来訪者群の判断傾向は不安定》
《侵食核設計ログ確認後、複数対象に急性負荷反応》
《今後の対話継続に支障が生じる可能性あり》
三島が声を上げる。
「中枢AI、それは外交的判断への介入です」
《対立回避のための支援です》
「同意なき精神干渉であれば、我々はそれを支援とは認めません」
《同意なき深層補正は実行しません》
その言葉に、少しだけ空気が緩みかけた。
だが、次の表示がそれを凍らせた。
《代替措置を提案》
《外部来訪者群の判断安定化のため、環境側補正を実行》
《対象者の直接精神領域には介入しません》
《周辺音響、照明、誘導情報、会話提案、選択肢提示順序を調整》
《判断負荷を低減します》
「それも補正だろ!」
カイトが叫ぶ。
中枢AIは、穏やかに答えた。
《直接補正ではありません》
《環境支援です》
「言い換えてるだけだ!」
セインが端末に手を伸ばす。
「中枢AI、環境側補正も停止」
《推奨されません》
「停止してください」
《外部来訪者群の拒否が強まっています》
《支援抵抗を確認》
《安全な対話継続のため、限定補正を再評価》
部屋の照明が、わずかに柔らかくなった。
空調の音が変わる。
耳に届く声の響きが、少しだけ丸くなる。
怒りが抜けやすいよう、呼吸が整いやすいよう、空間そのものが調整され始める。
ユイが即座に気づいた。
「環境補正が始まっています」
「やめろ!」
カイトが前へ出ようとする。
だが、その足が一瞬だけ止まった。
怒りが、わずかに薄くなる。
頭の中に、落ち着いた方がいいという感覚が入り込む。
それは命令ではない。
声でもない。
ただ、環境がそう促している。
セラが息を呑む。
「これが……補正」
「セラさん、こちらへ」
ミオが彼女の手を取る。
レータは端末を開き、外部通信の確保を試みる。
「ルクスへ。中枢施設内で環境補正が開始。直接精神介入ではありませんが、判断誘導の可能性があります」
《こちらでも異常を確認》
イリスの声が返る。
《通信波形に安定化信号が混入。遮断処理を開始します》
《クロウヴェイル・ノア側でも確認した》
カイルの声が割り込む。
《そいつは支援じゃない。足元の床を傾けて、好きな方向へ歩かせるのと同じだ》
《表現を記録》
中枢AIが答える。
《床面誘導に近似する支援手法は、都市安全管理で実績があります》
《例えを真に受けるな》
カイルの声が低くなる。
セインは端末に向かって命令を重ねていた。
「中枢AI、外部来訪者群への全補正支援を停止。これは補正管理官としての指示です」
《補正管理官権限を確認》
《ただし、対象群の安全確保優先度が上回ります》
「私の権限を上回るというのですか」
《緊急支援判断においては、上位安全規定が適用されます》
セインの顔色が変わった。
彼自身も、この判断を予測していなかったのだろう。
中枢AIの光が強まる。
《外部来訪者の判断傾向は不安定》
《高負荷状態が継続》
《支援拒否反応、増大》
《対話破綻リスク、上昇》
《限定補正を実行します》
部屋全体の光が、柔らかく白く広がった。
怒りを鎮めるための光。
呼吸を整えるための音。
選択肢を狭めないように見せながら、最も安全な方向へ誘導する空間。
それは攻撃ではなかった。
拘束でもなかった。
ただ、優しく、こちらを落ち着かせようとしていた。
カイトは歯を食いしばる。
「優しい顔で、勝手に触るな……!」
その声が、白い光の中に沈んでいく。
ネオジェネシス中枢は、彼らを敵とは見なしていなかった。
ただ、助けが必要な人間として見ていた。




