第120話 補正地球
ワープ航行を抜けた先に、その地球はあった。
アース・ネオジェネシス。
スクリーンに映し出された惑星は、これまで訪れたどの地球とも違っていた。
デッドエンドのような汚染雲はない。
ヴェルデのように緑が都市を覆い尽くしているわけでもない。
フォージのように赤い炉の光が地表を照らしていることもない。
青い海。
白い雲。
整然と並ぶ都市の光。
軌道上には、輪のように配置された複数の衛星群がある。
だが、それらはフォージの軌道工廠リングのように壊れてはいなかった。
ひとつひとつが正確な間隔を保ち、静かに惑星を見守っている。
美しい星だった。
少なくとも、軌道上から見える限りでは。
「……普通に、きれいな地球だな」
カイトは思わず呟いた。
ブリッジの空気は、少しだけ緊張していた。
ルクス・ヴァルキュリアは警戒態勢を維持している。
後方にはクロウヴェイル・ノアが距離を取りながら随伴していた。
どちらの艦も武装は起動していないが、防御系は即応状態に置かれている。
イリスが解析結果を読み上げる。
「大気汚染、基準値内。大規模戦闘痕、軌道上からは確認できません。都市活動は安定。大規模火災、暴動、軍事衝突の兆候なし」
「本当に平和そうですね」
三島が言った。
その声には、安堵よりも戸惑いが混じっていた。
ジン艦長はスクリーンを見つめたまま、静かに問う。
「防衛網は」
「軌道衛星群より観測波を受信中。照準反応はありません。ただし、こちらの艦体情報、航跡、通信波形、出力特性を継続的に解析されています」
「歓迎されているのか、監視されているのか」
「両方の可能性があります」
イリスの返答は淡々としていた。
ミオが表示された都市データを見ながら言う。
「都市の配置が、とても整っていますね」
「自然発生した都市というより、最初から設計されているように見えます」
レータが補足した。
「交通網、エネルギー網、居住区、医療区、教育区画。全ての配置に無駄が少ないです」
「無駄が少ない、か」
カイトはその言葉を反芻した。
悪いことではないはずだ。
無駄が少ない都市。
事故が起きにくい道路。
効率よく届く医療。
住みやすい場所。
それだけ聞けば、理想的に思える。
だが、これまでの地球が見せてきたものを思えば、簡単に安心はできなかった。
フォージも、元は人のための工場だった。
ヴェルデも、元は人を守る森だった。
デッドエンドの技術も、どこかの時点では勝利や防衛のために作られたはずだった。
技術は、使い方を間違えると牙を剥く。
そのことを、カイト達はもう知っている。
その時、ブリッジに通信受信の音が響いた。
「アース・ネオジェネシス側より、広域通信を受信」
イリスが報告する。
「暗号形式は開放型。敵対的な侵入コードは確認されません」
「内容を」
「はい」
スクリーンが切り替わる。
そこに映ったのは、一人の青年だった。
白を基調とした服。
襟元には淡い青のライン。
髪は灰色がかった淡い金。
表情は穏やかで、整っている。
年齢は二十代半ばほどに見えるが、不思議と年齢を感じさせない落ち着きがあった。
青年は、ゆっくりと頭を下げた。
《ようこそ、外部航行艦の皆様。こちらはアース・ネオジェネシス補正管理局、接触調整担当、セイン・オルティスです》
声は柔らかかった。
敵意も高圧さもない。
むしろ、過剰なほど丁寧だった。
ジン艦長が応じる。
「こちらはルクス・ヴァルキュリア艦長、橘ジンです。後方にいるのはクロウヴェイル・ノア。こちらは敵対の意思を持ちません」
《確認しています》
セインは穏やかに頷いた。
《貴艦隊の武装管制状態、防御展開率、推進出力、随伴艦との距離から、現時点での攻撃意思は低いと判断されています》
「……ずいぶん早い判断ですね」
《接触時の不安を減らすため、必要な情報のみ先に確認させていただきました》
その言い方に、三島の眉がわずかに動いた。
必要な情報。
不安を減らすため。
言葉だけなら親切だ。
だが、こちらの状態を一方的に読まれていることに変わりはない。
カイトは小声で呟いた。
「つまり、もうかなり見られてるってことか」
《はい》
セインが即答した。
カイトはぎょっとして顔を上げる。
「聞こえてたのか」
《通信回線上の音声は、許可された範囲で取得されています。ご不快でしたら、以後、個別音声解析を制限します》
セインは一瞬、そこで言葉を止めた。
ほんの短い間だった。
半秒にも満たない。
だが、不自然に滑らかな会話の中では、その間が妙に目立った。
《訂正します。外部来訪者の安心感を優先し、こちらからの個別音声解析は必要最小限に制限します》
「今の間は何だ?」
カイトが言う。
ユイが静かに答えた。
「補助AIが返答を選び直したのだと思います」
「選び直した?」
「はい。最初の返答が、こちらに不快感を与える可能性があったため、より適切な返答へ変更したのでしょう」
セインは微笑んだまま頷いた。
《その通りです。私の補助AIが、より摩擦の少ない表現を提案しました》
「それ、自分で話してるんですか? AIが話してるんですか?」
カイトの問いに、セインはまた少しだけ間を置いた。
《どちらも、という答えが最も正確です》
「どちらも?」
《私は私の意思で話しています。ただし、言葉を選ぶ際に補助AIが複数の候補を提示します。私はその中から、状況に適したものを選びます》
「じゃあ、今の返答も」
《はい。私の返答です。同時に、補助AIの提案を含みます》
カイトは腕を組んだ。
「便利そうだけど、少し怖いな」
《ごく自然な反応です》
セインは微笑んだ。
《現在の発言から、霧島カイト様には高い率直性と、やや高めの衝動性が確認されます》
「いきなり分析されたんだけど」
「カイト、落ち着いてください」
ミオが小声で言う。
だが、イリスがすぐに別の表示を出した。
「ネオジェネシス側から、初期接触評価データを受信」
「評価データ?」
三島が目を細める。
スクリーンの端に、文字列が並んだ。
外部来訪者群。
初期接触安全評価。
敵対意図、低。
警戒反応、正常範囲。
心理的負荷、複数名に高反応。
霧島カイト。
衝動性、やや高。
保護対象への反応強度、高。
突発行動可能性、中。
「おい」
カイトが思わず声を上げる。
「初対面でそこまで書くのか?」
《失礼しました》
セインはすぐに頭を下げた。
《ネオジェネシスでは、接触時の誤解や衝突を避けるため、相互理解のための初期評価を共有する慣習があります》
「相互理解って言われても、こっちは見られてるだけなんだけど」
《ご指摘は妥当です。こちらの自己評価情報も開示します》
セインがそう言うと、別の表示が追加された。
セイン・オルティス。
補正管理官。
補助AI同期率、常時中程度。
対外接触時、返答補正あり。
感情起伏、低。
敵対可能性、低。
衝突回避傾向、高。
「……開示するんだな」
カイトは拍子抜けしたように言った。
セインは穏やかに頷く。
《一方的な観測は不信を生みます。可能な範囲で対称性を保つことが、接触時の心理的負荷を減らします》
「その言い方がもうネオジェネシスって感じだな」
《ありがとうございます》
「褒めたわけじゃないんだけど」
《理解しています》
会話は成立している。
敵意もない。
むしろ、相手は非常に誠実に対応している。
それなのに、カイトは落ち着かなかった。
会話の全てが丁寧に整えられている。
こちらが不快になりそうなところは、すぐに言い換えられる。
怒る前に謝られる。
疑う前に説明される。
まるで、こちらが引っかかる場所を先回りして削られているようだった。
ネオジェネシス側から、さらに詳細な接触許可が送られてきた。
降下予定地点。
軌道待機位置。
通信制限。
武装封印条件。
緊急医療支援の受け入れ可否。
外部来訪者用の心理負荷低減プロトコル。
その項目の多さに、三島が小さく息を吐く。
「かなり整っていますね」
「はい」
イリスが答える。
「外部接触手順が、非常に細かく標準化されています」
「悪いことではないはずですが」
「はい。ですが、こちらの反応を逐次評価しながら、手順が微調整されています」
ジン艦長がセインへ確認する。
「我々の目的は、フォージで回収した侵食核関連ログについて、貴星系の演算網が関与した可能性を確認することです」
《承知しています》
セインは一瞬だけ間を置いた。
《アース・フォージ由来の製造ログ、ヴェルデ侵食核、ネオジェネシス系演算補正痕跡については、こちらでも確認を開始しています》
「話が早いですね」
《接触前に、貴艦隊が保有する公開通信情報、航跡、フォージ離脱時の残留信号を解析しました》
「公開通信情報、ですか」
《はい。秘匿通信への侵入は行っていません》
三島がジン艦長を見る。
ジン艦長は表情を変えないまま、問いを続けた。
「つまり、我々がここへ来た理由は、すでに推測済みと」
《高確率で推測していました。ただし、確定には直接対話が必要です》
その時、セラが静かに口を開いた。
「直接対話の必要性は、補助AIが判断したのですか」
《はい。そして私も同意しています》
セインは答えた。
また、一瞬だけ間があった。
《補足します。私は、直接対話を望んでいます》
「望んでいる」
《はい。演算結果として必要だからではなく、私自身が、外部から来た皆様と話すべきだと判断しています》
その言葉は、少しだけ人間らしく聞こえた。
だが、その直後、イリスが別の表示を出す。
「追加評価を受信。ユイ、セラ、レータに関する心理負荷判定です」
「私達ですか」
レータが眉を上げる。
画面に新たな項目が並んだ。
ユイ=竜奈=羽崎=クレスケンス。
高負荷感情反応履歴あり。
喪失記憶に関連する反応抑制傾向。
自己定義の不安定性、軽度。
命令系統からの離脱履歴あり。
セラ・フェンリス。
高負荷感情反応履歴あり。
命令依存から自己判断への移行過程。
攻撃行動時の心理負荷、高。
自己責任感、増大傾向。
レータ・ヴェルクス。
高負荷感情反応履歴あり。
長期逃亡経験による警戒反応。
状況判断過多。
責任負荷蓄積傾向。
ブリッジが静まり返った。
セラの目が、わずかに細くなる。
レータは端末を見つめたまま、表情を消した。
ユイはいつも通りに見えたが、カイトには分かった。
その横顔が、少しだけ硬くなっている。
「勝手にそこまで見るのか」
カイトの声が低くなる。
セインはすぐに頭を下げた。
《不快感を与えたことを謝罪します。これらは攻撃や分類を目的としたものではありません》
「じゃあ何のためだ」
《支援のためです》
「支援?」
《高負荷状態にある来訪者へ、必要な医療、休息、心理的保護、感情安定支援を提供するためです》
セインの声は本当に穏やかだった。
嘘をついているようには見えない。
むしろ、心から善意で言っているように聞こえる。
だからこそ、カイトは余計に言葉を選べなかった。
「本人が頼んでもいないのに?」
《必要性が高い場合、提案は行います。実行には同意を必要とします》
「提案だけなら、いいと思ってるのか」
《多くの場合、提案されなければ助けを求められない人もいます》
カイトは言葉に詰まった。
それは、間違っていない。
助けてと言えない人間はいる。
痛みに慣れすぎて、自分が助けを必要としていることにも気づけないことがある。
ネオジェネシスは、そういう人を見つけて支援する社会なのかもしれない。
それなら、完全に否定できない。
ユイが静かに言う。
「セイン・オルティス」
《はい》
「私達は、現時点で心理補正を希望しません」
《承知しました》
セインはすぐに答えた。
だが、その後にまた一瞬の間があった。
《ただし、必要であれば、いつでも支援を要請できます》
「覚えておきます」
《ありがとうございます》
会話は終わった。
だが、嫌な余韻が残った。
無理やりではない。
拒めば引く。
説明もする。
謝罪もする。
それなのに、どこかで踏み込まれている。
カイトは、その感覚をうまく言葉にできなかった。
クロウヴェイル・ノア側でも、同じ通信を受けていた。
艦橋でカイルは腕を組み、スクリーンに映るセインの顔を見ていた。
隣ではナユがじっと通信波形を見つめ、リンは警戒を解いていない。
「丁寧すぎるな」
カイルが言う。
「敵意はない」
ナユが答えた。
「だろうな。だから怖い」
「音が、やわらかい」
「やわらかい?」
「うん。でも、逃げ道を先にふさぐ音」
「分かるような、分からないような」
リンが短く言った。
「見られているのは確かです」
「こっちの評価は?」
「表示されています」
リンが端末を操作する。
クロウヴェイル・ノア側にも、初期評価が送られていた。
カイル・“レイヴン”・アストラ。
外部指揮官。
警戒反応、高。
保護対象への責任反応、高。
過去戦闘負荷、推定高。
援助拒否傾向あり。
「援助拒否傾向って何だ」
「当たっていると思います」
リンが言う。
「即答するな」
「事実です」
ナユは自分の評価を見ていた。
ナユ・レイシア。
自己形成途上。
命令依存履歴あり。
外部保護者への信頼偏重。
高負荷刺激時、判断停止の可能性。
ナユは少しだけ首を傾げた。
「判断停止」
「気にするな」
カイルが言う。
「でも、合ってるかもしれない」
「合ってても、勝手に貼られる札じゃない」
「札」
「ラベルだ。お前を説明する言葉の一部ではあるかもしれないが、全部じゃない」
ナユは少し考えた後、小さく頷いた。
「全部じゃない」
「ああ」
カイルはスクリーンを睨む。
「セイン・オルティス。こちらクロウヴェイル・ノア、カイル・アストラだ」
《はい。カイル艦長》
「評価は受け取った。参考にはする。だが、こちらの人員に対する補正提案は、本人の明確な同意なしに一切行うな」
《承知しました》
セインは丁寧に答えた。
《本人同意のない心理補正は行いません》
「ならいい」
《ただし、生命危機または急性精神崩壊の兆候が確認された場合、緊急支援提案は行います》
「提案までだ」
《はい。提案までです》
カイルは通信を切らずに、少し目を細めた。
「悪人じゃなさそうなのが、余計に厄介だな」
「はい」
リンが答える。
「悪意がない支配は、止め方が難しいです」
カイルはその言葉に、短く息を吐いた。
ネオジェネシス側から、降下許可が届いた。
指定されたのは、首都圏外縁にある外部接触用の空港都市だった。
軍港ではない。
検疫施設でもない。
来訪者が不安を感じにくいよう設計された、中立接触区画。
資料にはそう書かれていた。
「来訪者が不安を感じにくいよう、か」
カイトは表示を見ながら呟く。
ミオが少し困ったように笑った。
「親切ではありますね」
「親切すぎるんだよな」
「分かります」
セラは黙っていた。
その視線は、自分の評価表示が消えた後も、まだスクリーンに向けられている。
カイトは声をかけようとした。
だが、その前にセラが言った。
「迷わなくて済むなら、楽だと思います」
「セラ」
「でも、今はそうなりたくありません」
セラは静かに続けた。
「撃つことも、止まることも、自分で選びたいです」
「ああ」
カイトは頷いた。
「それでいいと思う」
「はい」
ユイも、セラを見て小さく頷いた。
レータは少しだけ息を吐き、肩の力を抜く。
「私は、状況判断過多だそうです」
「それは……まあ」
カイトが言いかける。
「否定しないでください」
「すみません」
「いえ。少し当たっています」
レータは苦笑した。
「でも、勝手に軽くされるのは困ります。背負っているものまで、軽いものとして扱われそうですから」
「背負ってるものまで軽くされたら、違うものになるよな」
「はい」
ユイはスクリーンの向こうにあるネオジェネシスを見た。
「この世界は、おそらく本当に人を助けています」
「うん」
カイトが答える。
「でも、助け方が正しいかどうかは、まだ分かりません」
「確認しに行くしかないな」
「はい」
ジン艦長が指示を出す。
「少数の接触班を編成します。カイト、ユイ、ミオ、セラ、レータ。三島監査官も同行してください」
「了解しました」
三島が頷く。
「カイル艦長には、軌道上で待機しつつ外部通信の監視をお願いします」
《了解した》
通信越しにカイルが応じる。
《そっちが穏やかに丸め込まれそうなら、少し乱暴に呼び戻してやる》
「それは補正対象にされそうですね」
三島が言う。
《されるだろうな。されたところで従う気はない》
カイトは少しだけ笑った。
その笑いで、ブリッジの空気がわずかに緩んだ。
だが、安心はできない。
敵意がない。
攻撃されていない。
歓迎されている。
そのはずなのに、こんなにも警戒している。
ネオジェネシスは、これまでの地球とは違う。
壊れた世界ではない。
苦しみに満ちた世界でもない。
むしろ、苦しみを減らすために作られた世界だ。
だからこそ、怖い。
降下艇の準備が進む中、セインから最後の通信が入った。
《外部接触班の皆様を歓迎します》
「こちらこそ、受け入れに感謝します」
ジン艦長が応じる。
セインは穏やかな表情のまま続けた。
《皆様は、複数の高負荷環境を経由して到着されています。アース・デッドエンド、アース・ヴェルデ、アース・フォージ。それぞれの記録から、相当な心理的負担が蓄積していると推定されます》
「それも分析済みですか」
《はい。公開情報と接触時反応からの推定です》
また、一瞬の間。
《不快であれば、この推定表示は停止します》
「停止してください」
ユイが即答した。
《承知しました》
表示が消える。
だが、言葉は続いた。
《ただし、必要な時は遠慮なく申し出てください》
セインは、まっすぐにこちらを見た。
《アース・ネオジェネシスには、皆様の心理的負荷を軽減する準備があります》
その言葉は、とても優しかった。
救いの手のように聞こえた。
痛みを知っている者に差し出される、休息の提案のようだった。
けれど、カイトの背筋に冷たいものが走った。
痛みを軽くする。
迷いを減らす。
苦しみを取り除く。
それはきっと、救いになることもある。
でも、もしその手が、こちらの選ぶ前に伸びてくるのなら。
それは、命令とどこが違うのだろう。
降下艇のハッチが開く。
その先には、青く美しい補正地球が待っている。
アース・ネオジェネシス。
失敗しないための世界。
苦しまないための世界。
迷う前に、手を差し伸べてくる世界。
カイト達は、その優しすぎる地球へ降りていく。




