098:精霊教会の要望
「巫女、ですか?」
ローデリヒ大司教から告げられた、その要望。
その内容に、栗原先生は怪訝そうな表情でそう問い返していた。
単語としての意味は何となく理解できるものの、それが具体的に何を示しているのかわからなかったのだ。
対し、ローデリヒ大司教はゆっくりと頷きながら続けた。
「左様……本来であれば聖女と呼ぶのが順当なのでしょうが、我らにとってその呼び名は特別なものであります故、ここでは巫女と呼ばせていただいております」
「それは、どういった役割なんでしょうか?」
「単純に言うなら、精霊との交信を行う役割です。それに類する固有魔法を持った者が、過去にもこの役割を負っておりました」
固有魔法の効果は人それぞれ、千差万別だ。
その中でも、確かに精霊とのやり取りを行えるような魔法も確かに存在しており――属性が限定されるものの、栗原先生の魔法はその筆頭だと言えるだろう。
精霊を身に宿し、その力を行使する魔法。精霊との交信といえば、その通りだろう。
「しかし現在、精霊教会にこの役割を負った者は存在しません。それだけ、固有魔法は……それも、精霊への干渉が可能な術式は貴重なのです」
「わたしの固有魔法は、効果も限定的な術式ですけど……」
「しかし、事実として宿した精霊に干渉し、更には顕霊にまで成長させている。我々精霊教会は、その力をお貸ししてほしいのです」
言わんとすることは――そして何故このような形で栗原先生を呼び出したのか、その直接的な理由は理解できた。
全部を語っているのかどうかはわからないけど、要望自体は理解できる範疇だ。
そしてその上で、彼らの要望を受け入れられるのかどうか。
栗原先生は、ちらりと箱崎先生の方に視線を向け――その上で、前を向いてはっきりと声を上げた。
「申し訳ありませんが、お断りさせてください」
「ふむ……理由を、お聞かせ願えますか?」
精霊教会からの要望を拒む、その言葉。
正直、ファレンジア王国側としては口に出しづらい内容だっただろう。
けれど、それでも――栗原先生は、自分自身の意思として、それを口にする。
「わたしは……彼らの、教師です。まだ見習いではありますが、教師としての責任を背負ってここまで来ました。わたしには、今他の責任を背負うことはできません」
思わず、息を飲む。
栗原先生は、どちらかといえば巻き込まれてしまった側だ。
俺たちのクラスに教育実習に来ていなければ、この世界まで連れてこられることは無かった筈だ。
けれど、それでも――栗原先生は、俺たちのことを背負って、そう口にしてくれているのだ。
何よりもその事実に、俺は胸が熱くなるような、そんな感覚を覚えていた。
「この子たちを、無事に親御さんの元まで送り届ける。それが、わたしのやらなければならないことなのです。だから……ごめんなさい、それ以外の役割を担うことはできません」
「……そうですか」
栗原先生の言葉に、ローデリヒ大司教は静かにそう声を上げる。
しばし、顔を伏せて目を閉じ――そして、再びゆっくりと顔を上げる。
その視線は栗原先生を捉えながら、しかし変わることなく穏やかな笑みを浮かべていた。
「残念ではありますが、致し方ありませんな」
「……よろしいの、ですか?」
「ええ、無論です。子供たちを導く教師という聖職。それを迷いなく全うされようとしているのですから、口を挟むことこそ野暮というものでしょう」
その口調も、先程までと変わりはない。
ローデリヒ大司教はあくまでも穏やかに、栗原先生の主張をあっさりと受け入れてくれた。
そんな簡単に引き下がれるような内容だったということは、緊急性のある話ではなかったということか。
――けれど、ローデリヒ大司教の話はそこでは終わらなかった。
「それでは……せめて、こちらを受け取ってはいただけませんかな?」
そういって、彼が側仕えに言って取り出したのは、細い鎖のついたペンダントのような代物だった。
ただ、そのチャームは結構大きく、掌にちょうど収まるようなサイズ感。
盾のような形状に、精霊教会の紋章である星とY字が意匠として刻まれた、精緻な一品だった。
「それは、いったい?」
「これは、精霊教会が貴方の身分を証明する、身分証明の紋章です。探索者たちのタグに近いものですな」
「ええと、それはわたしが精霊教会に所属するということでしょうか?」
「いえ、単に貴方の身分を我々が保証するというだけの証であり、貴方自身の所属を示すようなものではありませぬ」
何か魔法的な効果があるようにも見えない、ただのチャーム。
栗原先生の身分を精霊教会が保証するという、ただそれだけの物。
何かの強制力があるわけでもない以上、先生の活動を阻害するような代物ではないということなのだろう。
それでも、本当に受け取っていいのかどうかという不安はあったが――流石に、先の要望を断った手前、ただそれだけの道具を受け取り拒否するのは難しかった。
「……わかりました、頂戴いたします」
「おお、それは良かった。では、こちらをどうぞ」
ローデリヒ大司教は、いったんそのチャームを下げると側仕えの持った箱に収め、それを栗原先生へと渡してくる。
その丁寧な扱いに腰が引けた様子ながら、栗原先生は困惑交じりにそれを受け取った。
本当に受け入れてしまって大丈夫なのかという不安はあるものの、こうして近くで見ても魔法による痕跡は感じ取れない。
どこからどう見ても、ただの装飾品に過ぎなかった。
「長々と話してしまいましたな。今宵は、ささやかながら歓迎の宴を用意しております。是非、ごゆるりとお楽しみくだされ」
「あ、ありがとうございます」
とりあえず、これで用件は済んだということなのか、ローデリヒ大司教は側仕えを呼んで立ち上がる。
それに続く形で、俺たちもまたこの応接室を退出することとなったのだった。
* * * * *
「んー……わっかんね、何だそりゃって感じ」
聖職者たちが礼拝に訪れる大聖堂、その片隅。
目立たぬ位置で壁に背を預けて立ち尽くしていたクロエルは、ため息交じりにそう呟いた。
召喚者たちと共に大神殿内部に入り込むことに成功し、持ち込んできた小型のゴーレムたちは既に建物内に放っている。
それによってもたらされた情報は、大司教ローデリヒに関する内容を正確に示していた。
(遠隔だから感情は読めないけど、嘘は言ってないなぁ……)
先ほどの会議で示されたローデリヒからの話について、口に出していた言葉自体は本当だとクロエルは結論付ける。
巫女という役職、そしてその代わりとして示された身分証。
精霊教会としては、どちらもでっち上げられたものではなく、事実として存在するものだ。
だが、しかし――
(それ、遠路はるばる呼び出してまでやるような話?)
その二点が目的であるならば、召喚者たちを霊峰オルトスクまで呼び出す必要は無いのではないか。
クロエルが抱いた最大の疑問は、そこにあった。
何故精霊教会は、召喚者たちをわざわざここまで呼び出して、そのような話をしたのか。
あの身分証を渡すことが目標であったとしても、呼び出しまでする必要があったのかどうか――そこが、納得できなかったのである。
「……とりあえず、ボスの情報待ちかな」
ディークとフォルトは大神殿の外に出て、先程の話を裕也に共有している。
現場で調べられる範囲には限りがある。そして同時に、現場でしか見られないものも確かにある。
ならば次は――その情報を元にして、調査を進めるべきだろう。
「しっしっし、複雑になってきたじゃん」
混迷する状況に、クロエルは小さく笑みを零す。
その困難に挑む姿勢こそが、彼女が探索者という存在に抱いた理想であった。




