094:天に臨む者
霊峰オルトスク、その頂上付近に存在する聖職者たちの里。
中央に聳え立つ大神殿は、精霊教会の総本山であり――その全てを束ねる、『天眼の聖女』が座す場所でもあった。
中央大神殿、その最も高い場所。全世界の教会を束ねる者が住まう場所としては、あまりにも小さな聖堂。
その部屋の中で、一人の女性が手を組み、祭壇へと祈りを捧げていた。
「……到着したのですね」
涼やかな声が、誰もいない聖堂の中に響き渡る。
僅かに緑色がかった黄金の髪は床にまで広がり、波打つように揺れている。
しかし、その表情は、顔を覆い隠す白いヴェールによって窺い知ることはできない。
ただ、僅かに覗く口元だけが、彼女が好意的な感情を抱いていることを示していた。
「異世界からの召喚者、我らに希望をもたらした旅人たち。そして……」
『天眼の聖女』は、僅かに顔を上げる。
ヴェールに隠された視線の向かう先は、祭壇――否、その向こう側にある扉だった。
彼女は、その向こう側へと声をかけるように、涼やかな音を響かせる。
「――彼の者の、後継者」
その声を聞く者は、この場には誰もいない。
誰一人として知らぬままに、世界を見通す目を持つ聖女は、ほんの僅かに声を弾ませながら告げる。
誰もいない筈の、その空間へと。
「……貴方は、歓ぶでしょうか。或いは――いえ、無意味な問いですね」
『天眼の聖女』は、僅かに顎を引き、視線を落とす。
その声音は、どこか懐かしむような色を交えながら――どこまでも透明な声で、彼女は呟く。
「■■■■、貴方の為した奇跡は、今も実を結んでいます。そして、この世界に希望をもたらし続けてくれている。貴方の献身への感謝を忘れた日などありません。故に――貴方の友の後継者は、誠心誠意、歓迎すると致しましょう」
その声を聞き届ける者はいない。
何者も知り得ない、彼女だけの祈り。
だからこそ――霊峰オルトスクで交錯しようとする思惑は、より複雑な様相を示そうとしていた。
* * * * *
「ここから先は、やっぱり馬車は無理っぽそうですね」
霊峰オルトスクの麓に到達し、その山道を見上げて、本郷はそう断言した。
そこまで険しくはないとはいえ、山道は山道。馬車で――それも連結馬車で登っていくのは難しいだろう。
現代の車ならともかく、馬に山道で引かせるのは流石に困難だ。
「まあ、それを想定して馬車の預り所はあるようだし、ここからは徒歩で行くとしようか」
「やっぱりそうなりますよねぇ」
残念ながら、ここから先は楽をするというわけにはいかないらしい。
とはいえ、ここまで十分に楽はさせて貰ったし、霊峰オルトスクへと向かう巡礼の山道は人の通る場所であるため、道はそれなりに整えられている。
登るのにそこまで苦労するということは無いだろう。
「クロエルさん、一応先導をお願いできますか」
「あいよー。まあ、霊峰の中だったらそこまで警戒もいらないと思うけどねぇ。獰猛な魔物もいないし」
「精霊教会の本拠地ってだけあって、安全な場所なんですね」
「ええ、本当に……いかなる奇跡であるのか、実に素晴らしい場所です」
手を組んで祈りを捧げながら感嘆の声を上げるエルセナさんだが、クロエルさんは最早完全にスルーしているようだった。
とはいえ、仕事はきっちりと行う人だ。手早くパーティに指示を出したクロエルさんは、自分とエルセナさんが先導する形で山道を進み始めた。
関所のようになっている最初の入り口から、緩やかな勾配の続く坂道へ。
所々に階段状の段差もあるけれど、見通す限りでは進むのに困難な場所は無さそうだった。
「六錠さん、蓮杖君。君たちはあまり身体強化に慣れていないだろうから、ペースには気を付けて」
「大丈夫ですよ、箱崎先生! 新聞記者は足が命ですから!」
「オカルト記事作りであちこち走り回っている甲斐があったようだね……はぁ、ぼくは、ペース配分には十分注意します」
ハイキング程度の山道とはいえ、普通であればもっとしっかりと準備をしたうえでの挑戦になるだろう。
けど、魔法によって身体能力を強化できる今の俺たちにとっては、ほとんど散歩と変わらないようなものだ。
ミカを宿していて圧倒的なフィジカルのある栗原先生は言わずもがな、他のメンバーも殆どが身体強化を習熟している。
尤も――
「……これは流石に、憂鬱ですね」
「大丈夫ですか、リーベルさん?」
「ええ、これも仕事ですから。私も注意して進みますよ」
嫌そうに溜息を吐いたのは、ファレンジア王国の紋章が付いた服を纏う、四角い眼鏡の男性だった。
彼は、ガーランド宰相の方から派遣された、ファレンジア王国の文官だ。
先生の補佐をする形でやって来た彼は、ここに至るまでに結構先生と交流を重ねていた。
あれだけ箱崎先生と話をしたなら、すっかり仲良くなっていることだろう。先生は、そういうのが得意だからね。
そんな彼らの様子に内心で苦笑しつつ、俺は大きな段差を登って鏡花ちゃんへと手を差し出した。
「はい、鏡花ちゃん」
「……そういうところだよ晃司君」
鏡花ちゃんはそんなことを口にしつつも、俺の手を取って段差を登る。
それをにやにやと笑いながら、剛志は一歩で飛び越えてしまった。
相変わらず、身体強化の練度については剛志が一番のようだ。
「私もここに来てから結構調子がいいし、そこまで気にしなくても大丈夫だよ」
「ん……鏡花ちゃんも? 俺も調子がいいんだけど……」
「そうか? 俺は普段と変わらねぇけどな」
俺と鏡花ちゃんの感覚は、どうやら剛志には共通していない様子だった。
とはいえ、確実に気のせいではない。間違いなく、力がみなぎっているような感覚があった。
どういうことだろうかと首を傾げ――そこに、横から声がかかる。
「それは恐らく、マナの属性による影響だと思いますよ。ミカが、この辺りは光のマナが強いって言ってますから」
「栗原先生。俺と鏡花ちゃんは光の属性が強いから、それだけ魔力を取り込みやすいってことですか?」
「それ、正解だね。だから逆に、あーしはちょっと圧力感じてるわ」
栗原先生の説明に、横からクロエルさんが口を挟む。
キャスケット帽を目深に被る彼女は、言う通りあまり調子は良くなさそうだった。
クロエルさんは確かに闇属性。光属性のマナとは相性があまりよくないだろう。
そういう意味では、この場所は彼女にとって鬼門であるとも言える。
けれど、それでも彼女は仕事に対して手を抜くようなことはしていなかった。
「大丈夫ですか、クロエルさん?」
「まあ、それはどうとでもなるから。正直、この辺で戦うようなこともないだろうから、マナの相性が悪くても問題は無いしねぇ」
誤魔化すような口調ではなく、彼女は事実そう考えているらしい。
多少の不安はあるものの、ひとまずは問題ないということなのだろう。
顕霊である彼女にとって、果たしてマナの相性というものはどのような影響をもたらしているのか。
今はいいけれど、今後何かあった時に、注意しておくべきかもしれない。
しかし、そんな俺の視線に、彼女は手をひらひらと振って告げた。
「あーしのことより、自分たちのことを気にしてなって。特にあんた、教会に呼ばれてる張本人でしょ?」
「あはは、まあそうなんですが……」
「……栗原先生、吹っ切れたみたいですね」
出発当初は思いつめた表情をしていた栗原先生だったけど、今の表情は明るい。
まあ、緊張が無いわけではなさそうだけど、それでも出発したころと比べれば随分と吹っ切れた様子だった。
「とりあえず、話を聞いてみないことには……それに、わたしのしたいことは決まっていますから」
「ふーん……ま、いいけどね。そっちのことはそっちに任せるよ」
ちらりと、一瞬だけ俺の方に視線を向けて、クロエルさんはそう答える。
彼女には――そして裕也には、独自に行おうとしている目的があるのだろう。
果たしてそれが何なのか、今の時点ではわからない。けれど、それも……この頂上へと辿り着けば、明らかになることだろう。




