065:潜む者
山の中に足を踏み入れ、まず感じたのは違和感だった。
マナが濃いという状態は、空気が濃いような錯覚を覚える。
圧倒的な存在感によって包み込まれているような、そんな錯覚。
思わず息苦しさすら覚えるほどの感覚に、俺たちは圧倒されながらもラヴィニアさんの後ろを付いて行った。
「あの、ラヴィニアさん。この辺りにいる霊獣って、どんなものなんですか?」
「えーと……確か、鹿だったかな。種族名は忘れたけど。特に保護してるわけでもない霊獣だから、影が薄いんだよね」
しかし、そんな空気すらまるで気にしていないように、ラヴィニアさんは鏡花ちゃんの質問に答えつつ、軽い足取りで山の中を進んでいく。
ちらりとカイトさんを見ると息苦しそうにしている辺り、これを意に介していないのはラヴィニアさんだけのようだ。
流石に、探索者の頂点となるとこの程度は大したこともないということなのだろうか。
「江崎、どういう状況になっているか、見通せるかい?」
「うーん……今のところは、何とも。マナが濃すぎて、正直よく見づらいんだ」
俺の質問に対し、江崎は周囲を見回しながらそう返す。
近づいたら何かわかるかとも思っていたのだが、そう簡単にはいかないようだ。
このマナの濃さが通常状態であるとするなら、今のところは異常を発見することはできていない。
しかし、その中でもラヴィニアさんは僅かながらに鋭い気配を漂わせていた。
彼女は、この異常に魔族が関わっていると、そう判断しているのだろうか。
そう考えながらラヴィニアさんの背中を見つめていた、ちょうどその時――彼女はおもむろに手を挙げて、俺たちを制止した。
「待って、何か来るわ」
「っ、魔物ですか?」
「いいえ、この領域に魔物は生息していない。となると――」
その言葉の直後、前方の茂みががさがさと揺れ始める。
それと共に姿を現したのは――大きな、白い毛並みを持つ一頭の鹿であった。
白い毛皮と緑色の角という見たことのないカラーリングをしているが、それ以上に目を引くのは馬にほぼ匹敵するその体格だ。
俺の知る鹿の三倍以上はあるであろう体格に、思わず息を飲む。
「これが、この辺りに生息してる霊獣よ。警戒心は強いとはいえ温厚だから、こちらから手出しをしなければ襲ってくるようなことは無い……筈なんだけどね」
「何か、めっちゃ睨まれてません?」
前足で地面を掻き、頭を低くするその仕草。
警戒どころか、明確に敵意すら向けられているこの状況に、ラヴィニアさんは困惑した様子で拳を握る。
だが――それを制止するように、江崎の声が響き渡った。
「そいつ、何かの魔法で操られてます!」
「魔法? 霊獣に対して? それは……」
ラヴィニアさんが江崎に対して確認をしようとしたその瞬間、霊獣は一気に彼女へと向けて突進した。
緩やかとはいえ山道、普通には走りづらいであろうその場所を、軽やかに駆け抜けてくる白い霊獣。
――瞬間、その体を、輝く光の鎖が拘束していた。
「栗原先生!」
「とりあえず、ミカにお願いして止めて貰いましたけど……」
「ナイス、ありがとう。解析術の子、その術式は解除できそう?」
「えっと、ちょっと待ってください」
このままいくとラヴィニアさんに殴り飛ばされそうだったからか、栗原先生が鹿のことを止めてくれた。
鎖で拘束された霊獣は、必死に暴れてそこから逃げ出そうとしているが、仮にも顕霊の魔法を振り払うには至らないようだ。
その間に江崎はじっと霊獣の姿を見つめ――眉根を寄せながら声を上げた。
「恐らく、ですけど……解除だけなら、聖さんの固有魔法でできると思う。ただ、この術式の本体は別の場所にあって、そこから伸びてきているから……解除しても、またすぐに操られることになる」
「江崎、もう一度操られるのを防ぐ方法は無いのか?」
「だいぶ無茶なことを言うね、天堂君……うん。他の術式によって最初から支配されている状態なら、それ以上の干渉を防ぐことができると思う」
江崎の回答に、俺たちは思わず顔を見合わせた。
理屈はわかるものの、霊獣を支配しておく手段というものが思いつかない。
だが、そこに一人、挙手する人物が存在していた。
「な、なあ……たぶんだけど、俺ならできると思う」
「本郷? お前の固有魔法は乗り物の強化だろ? どうやってやるつもりだよ?」
「そう、乗騎術で強化できるのは乗り物だけだ。だから……聖が術式を解除した後、俺があの鹿の背に乗って固有魔法を使うんだよ」
剛志の言葉に、自分自身が半信半疑といった調子で、本郷はそう声を上げる。
だが、固有魔法の感覚というものは、そうそう馬鹿にはできないものだ。
直感的に得ている感覚が正しいことは、これまでにも何度もあったのだから。
ともあれ――
「よし、本郷をアイツの背中に乗せればいいんだな!?」
「即決かよ! いや、自分で言ったんだけどさ!」
「えっと……まずは聖さんの魔法で術式の解除、その直後に本郷君が乗って、干渉を防ぐ感じで」
「オッケー、わかったわ。本郷君、心の準備はいい?」
「即決だなぁ、そっちも! ああいいよ、やってやる!」
俺も、何か起こった時にすぐ対応できるよう術式を準備しながら待ち構え――それとほぼ同時に、鏡花ちゃんが手に持った杖を地面に打ち付けた。
溢れ出る白い光は、まるで抱きしめるように白い鹿の体を包み込み、浄化の力を与えていく。
「〈清浄なる慈悲〉――剛志君!」
「あいよ! 本郷、行くぜ!」
鏡花ちゃんの声と共に、剛志は本郷を抱えたまま力強く跳躍する。
そして霊獣の傍まで到達した剛志は、その背中へと向けて本郷の体を放り投げた。
大きな馬ほどのサイズもある霊獣の背中へ、本郷は何とか必死にしがみつきながら声を上げる。
「投げ方が雑! ああもう、〈ライダースタンス〉!」
そして、口では文句を言いつつも編み上げていた固有魔法を発動――緑色の光が、まるで手綱を形成するように霊獣の体へと絡みついた。
それまでは栗原先生の拘束から逃れようと暴れていた霊獣だったが、本郷の魔法が完成すると共にその動きも停止する。
数秒ほど、その様子を全員で眺め――もう襲い掛かってくる様子がないことに、揃って安堵の吐息を吐き出した。
「……とりあえず、成功したみたいね。殺すしかないかと思ってたんだけど、これだけ固有魔法使いがいると手札も増えるってことかぁ」
「けどさ、ラヴィニアさん。結局、これができるのは一頭だけだぜ? しかも、俺はずっと乗ってないといけないから、さっさと元を断たないと解決しないぞ」
「この分だと、他の霊獣も操られていそうだし……速攻でその大本を何とかしないといけないね」
眉根を寄せながら、ラヴィニアさんはそう呟く。
こうして目論見通りに成功した以上、支配の解除については再現性があるだろう。
だが、本郷の固有魔法が効果を発揮するためには、彼が乗っている状態の必要がある。
他の霊獣を、同じ方法で助けることはできないのだ。
故に――
「江崎、霊獣を操ってた術式だけど、辿ることはできるか?」
「うん、今も見えてる。これを辿っていけば、その大本に辿り着けるはずだ」
「その大本がどんなものかっていうのは?」
「流石にそれは、直接見ないことにはね……この霊獣と何らかの繋がりがあるものだとは思うけど」
「いや、そこまでわかるなら十分だ」
全ての情報を看破できたわけではないが、江崎の解析術は十分すぎる情報をもたらしてくれた。
これだけ情報があれば、ある程度は行動の方針を立てることもできるだろう。
「ラヴィニアさん、ここから先は――」
「ええ、まずはそれを辿って術式の大本に到達、それから解除の方法を探して――その間、私が皆の護衛をする。それで行きましょうか」
暴れる霊獣、そしているかもしれない魔族――それらから俺たち全員を護ると、ラヴィニアさんは豪語する。
普通に考えれば無茶もいいところだが、彼女はこの大陸トップクラスの実力者。
その実力は、十分に期待することができる筈だ。
「それじゃあ行きましょうか。この面倒な仕事も、これで終わればいいんだけどね」
江崎が示した方向へ、ラヴィニアさんは歩き出す。
けれど、先程までとは明確に異なり、その背中には確かな戦意が燻っていた。




