046:栗原穂美香と宿った光
栗原穂美香は、教育実習生だ。
教師という仕事に憧れ、教職課程のカリキュラムを経て、教育実習生という形で高校へとやって来た。
自らが高校生の頃、抱いていた悩みに真摯に向き合ってくれた恩師。その姿に憧れたからこそ、彼女は教師となる道を選んだのだ。
穂美香には、自らが選んだ進路に対する後悔はない。異世界に飛ばされるなどという、人生設計には存在しなかった状況に直面したとしても、教師になるという目標自体に変化はなかった。
だが、それはかつてのように、恩師の背中を目指しているが故のものではない。
「はぁ……箱崎先生」
――もう一人、憧れる人物に出会うことができたが故であった。
自室のベッドで寝転がり、ランタンの明かりに照らされた天井をぼんやりと眺めつつ、穂美香は小さく呟く。
脳裏を占めているのは説明するまでもない、彼女が今口にした通り、亘に関する内容だった。
「……しばらく、会えなくなるなんて」
穂美香にとって、箱崎亘という教師は衝撃の一言であった。
かつての高校時代の恩師が最高の教師であると信じていた穂美香であったが、亘の在り方を目にしたことで、考えには変化が生じていた。
恩師が素晴らしい教師であることは間違いない。だが、教師としての理想像は、亘の物に塗り替えられていたのだ。
彼の姿は、穂美香が思い描く『自分がなりたい教師』の姿そのものだった。
三十人近い生徒、その誰もから、信頼と敬意を集めるその姿。それは、恩師を含めて誰も成し得なかった奇跡であったが故に。
だからこそ、穂美香は亘へと問いかけたことがある。どうやって、生徒たちと向き合っているのかと。
その答えは、とても真っすぐで――
『年齢も、立場も関係なく、彼らをただ一人の対等な人間として接すること。彼らの見ているものを知ろうとすること――結局は、きちんと話すことだよ』
――誰にでもできるわけではない、そんな偉業であった。
一人相手であれば、穂美香でもできると言えるだろう。だが、全ての生徒を相手にそうすることは不可能だと、彼女はそう確信していた。
だが、亘は当たり前のようにそれを成し、今も生徒たちに向き合っている。
このような、異常事態に直面したとしても。強い力を得ることができなかったとしても。それは、何一つ変わることは無かったのだ。
故にこそ、穂美香が彼に対して憧れを抱くのは当然のことであり。
その憧れが、淡い思いへと変化していくのも、無理からぬことであった。
「一ヶ月近くになるなんて、そんなの無理……」
王国から依頼された仕事、それをこなさなければならないことは、穂美香も十分に理解している。
だが、北の国へと移動しなければならないというその点については、どうしても許容し難かったのだ。
交通技術が発達していないこの世界では、その距離の移動にはかなりの時間をかけることとなる。
しかも、今回は王国の人間として動くわけにはいかないため、交通手段の支援を受けることも難しい。
馬車を利用こそするものの、高速で目的地まで到達することは不可能だった。
「でも、行って欲しくないなんて言えるわけがないし、わたしが一緒に行くのだって……」
本当ならば、自身も一緒に付いて行きたかった。
けれど、残る生徒たちのことを頼まれている以上、そんな我がままを言うわけにはいかない。
穂美香の憧れた教師たちは、責任を放り投げるような真似は絶対にしないのだから。
避けることのできない、理性と感情の板挟み。その狭間で、穂美香は尽きることのない自問自答を繰り返していた。
――どうして、苦しいの?
「……箱崎先生と、長い間離れ離れになってしまう」
穂美香は、わかり切っている自分の思いを整理する。
その感情の名前が何であるかなど、自分自身でわかっている。
――どうして離れ離れになると苦しいの?
「わたしが……先生と、一緒にいたいから」
避けるべきだと、形にするべきではないと思っていた想い。
けれど、異世界という異常事態に直面して、その想いはさらに募るばかりだった。
――どうして、一緒にいたいの?
「わたしが……先生に、箱崎亘さんに、恋をしてるから」
だからこそ、目を逸らすことはできず――穂美香は、その想いの名前を口にした。
今更、己の感情に嘘を吐くことはできない。
否定しようとしたところで、内に秘めた想いはただただ強くなるばかりだ。
だからこそ、認めた。認めるしかなかった。その感情の名前が、何であるかと。
――恋。穂美香の、この感情は、恋というのね?
「――え?」
ふと、穂美香は我に返る。
今、自分は何と会話をしていたのかと。
ベッドから起き上がり、周りを見渡して――その刹那、目の前で暖かな光が弾けた。
『――もっと、それを知りたいの』
そして、その声と共に、穂美香の意識は暗転したのだった。
* * * * *
『マスター、報告があります』
「ん、何かあった?」
夜も更け、そろそろ寝る時間。
歯を磨きつつ就寝の準備に入ろうとしていたちょうどその時、アイからの声がかかった。
特に緊急で動かしている案件もないし、何か起こるようなタイミングではなかったと思うのだけど、果たして何があったのか。
その疑問に対する答えは、とても端的に告げられた。
『顕霊の発生を検知しました』
「へぇ、顕霊を……はぁッ!?」
感じ始めていた眠気も吹き飛び、アイの表示した画面へと嚙り付く。
そこには、淡い光を帯びながら夢遊病のように廊下を歩く、栗原先生の姿が映し出されていた。
「まさか、栗原先生に?」
『肯定します。彼女の宿している精霊が、顕霊へと進化しています』
「ッ……リシーは」
「ユウ、顕霊が発生したってどういうこと!?」
「リシーちゃんが慌てて来たんだけど、何かあったの?」
どうやら、僕が指示を出すまでもなく、アイはこの件をリシーに伝えていたらしい。
今日も夜更かしをしていたらしいリシーは、普段と変わらない姿のまま工房へと駆け込んできた。
野次馬しに来たらしいエリちゃんはともかく、今回の件については彼女の意見も欲しかったところだ。
慌てた様子で駆けてきたリシーは、画面に映っている栗原先生の姿を見てメモを取り出す。
「それで、どういう状況なの?」
「栗原先生に宿っている精霊が顕霊化した。彼女の固有魔法は煌霊術……光の精霊を身に宿し、精霊の力を行使する術だ」
栗原先生の固有魔法は、精霊の力によって高出力の光魔法を行使する非常に強力なものだ。
ただその反面、精霊の力を行使することになるため、出力の調整が非常に難しい。
単純な破壊力で見れば随一なのだが、その制御に難がある魔法であった。
「精霊干渉系の固有魔法……光の精霊と接触していたなんて、幸運ね」
「この世界に来た時には、既に宿っていたみたいだけどね。まあ、それはともかく――問題は、その精霊がどうして顕霊化したのかだ」
僕の言葉に、リシーはこくりと頷く。
それこそが、僕らの探し求めている疑問なのだから。
顕霊の発生サンプルなんて、どれだけあっても困ることは無い。
「で、ユウ君。その顕霊が、栗原先生を乗っ取ってるの?」
「状況を見るに、その様子だね……どうしたものか」
何故、顕霊が栗原先生を乗っ取るような真似をしたのかがわからない。
今、その顕霊は何をしているのか。何処に向かおうとしているのか。栗原先生に体を返す気はあるのか。外部から元に戻すことはできるのか。
疑問は尽きないが、判断しかねている間にも顕霊は夜の建物内を光りながら進み――やがて、一つの部屋の前で足を止めた。
「……先生の部屋?」
「あ、扉をこじ開けてる……パワーおかしくない?」
「魔力を纏ってるわ。身体能力まで強化してるのね」
箱崎先生の部屋へと到達した顕霊は、一切の躊躇いなくドアノブを引き千切るように開き、部屋の内部へと侵入した。
夜とはいえ、その物音には気づいたのか、先生もベッドから跳び起きる。
そんな先生へと向け、顕霊はふらふらとした足取りのままゆっくりと接近していった。
(流石に止めないと拙いか? けど、顕霊を止めるような戦力は流石に……光が相手だとエリちゃんも相性が悪い)
いくつか拘束の手段をピックアップしながら、アイへと声を掛けようとして――それとほぼ同時に、部屋に仕込んでいたゴーレムが顕霊の声を拾った。
『センセイ……教えて』
『く、栗原さん? いや、君は一体……?』
顕霊の纏っている光が、徐々に変化を始める。
背中へと収束する光は、僅かに桃色を帯びて――大きく、一対の翼として形を成した。
そして、箱崎先生へと向けられているその瞳の中には、同じ色の光が輪を描き、輝きながら揺れている。
それはまるで、天使の光輪が浮かび上がったかのように。
『ふわふわして、暖かくて、でも苦しくなって、締め付けるような……恋という、想い。穂美香は、それが知りたいの』
ゆっくりと、にじり寄るように、顕霊は箱崎先生に接近する。
どうやら、危害を加えるつもりで来たわけではないらしいのだけど――この話、聞いていいのだろうか。
そんな思いを抱きながらちらりと視線を横に向けたが、エリちゃんは好奇心で、リシーは知識欲で目を爛々と輝かせていた。
これは止められそうにない。心の中で先生たちに謝りつつ、ベッドの上にまで接近してきた顕霊の様子を観察する。
ほぼ抱き合うような距離感で、顕霊は箱崎先生の瞳を覗き込み――ピタリと、動きを止めた。
『待って、穂美香は――』
『……栗原さん?』
それと共に、彼女の背中で輝いていた光の翼が舞い散るように霧散する。
纏っていた光も収まり、そこにいたのは普段通りの栗原先生だった。
ほぼキスするような距離感で見つめ合っていた先生たちだったが、次の瞬間には薄暗い部屋ですらわかるほどに顔を紅潮させ――
『わ、わっ……忘れてくださいいいいいいッ!』
――栗原先生はベッドから転げ落ちるように逃げ出して、部屋を去っていったのだった。
ぽかんとしたままその姿を見送った箱崎先生は、破壊された扉を含めて途方に暮れた様子だけど――まあ、そこは一旦置いておこう。
「……リシー、何かわかった?」
「まだ何とも。でも、重大なヒントだわ。情報をまとめてくるから、また後でね……アイ、映像と音声の資料はこっちに回して!」
『承知いたしました』
そそくさと人工精霊のラボへと戻っていくリシーを見送って、小さく溜息を吐き出す。
顕霊の出現、そのヒントになるような光景。
それを紐解くことができれば、人工顕霊の実現にも近づくことだろう。
不完全燃焼に終わって不満げなエリちゃんを宥めつつ、僕もまたリシーと同じように、考察を巡らせていたのだった。




