040:兆し
「ッ……!?」
突如として吹き荒れた暴風に押され、リリエーラはその場に倒れ伏した。
生成器を内側から破壊して立ち上った竜巻はそれだけに収まらず、講堂の天井すらも一息に吹き飛ばして荒れ狂う。
破壊された天井は瓦礫となって降り注ぎ、それを目にしたリリエーラは咄嗟に頭を庇う。
が――その衝撃が、彼女を襲うことは無かった。
「マナが飽和状態になった精霊は、魔法現象を引き起こす――マナ偏重地帯で見られる現象だの」
その場にいた人間たち全てを覆い尽くすように、巨大な障壁が展開されていたのだ。
それを発動したのは他でもない、この場で最も優れた魔法使いであるエステラだった。
巨大な魔法障壁を一瞬にして発動した彼女は、嘆息と共に荒れ狂う精霊の姿を見つめる。
圧倒的な自然の暴威、荒れ狂う自然災害を前にして、人類の頂点に近い大賢者は冷静であった。
「リリエーラや、封入器はどうしておった? 生成器と一緒にはなかったのか?」
「あ、ありました! けど、調べるために持ち出していて……」
「そのタイミングでステッド・ネストロスが生成器を持ちだしたというわけか。まったく、間の悪い男だの」
最も精霊に近い場所にいたステッドは、暴風に吹き飛ばされて地面に転がっている。
エステラの魔法によって保護されたため命に別状はないが、気を失っている状態だった。
やれやれと嘆息したエステラは、荒れ狂う精霊の様子をただ冷静に眺めている。
そんな中、彼女の障壁によって守られた教授のうちの一人が、彼女へと向けて声を上げた。
「エステラ様、あの精霊を止めることはできないのですか?」
「マナを放出しきって霧散するまでは止まらんだろう。精霊とはそういうものだ、一度暴走すれば止まることなどあるまいよ」
「そんな……!」
エステラの告げた言葉に、リリエーラは顔色を変える。
精霊の研究者である彼女は、エステラの言葉が紛れもない事実であると理解できてしまったのだ。
一度暴走を開始した精霊は、マナを放出しきるまで止まることはない。
意思を持たない精霊は、自己の保存すらも考えることはできないのだ。
けれど――自らが育てた精霊の消滅を、ただ座視することはリリエーラにはできなかった。
「ッ……」
歯を食いしばり、リリエーラは懐から取り出した封入器を握り締める。
封入器の中に入れば、精霊はマナを霧散させることは無くなる。
そうすれば、あの精霊が消滅することは無くなるだろう。
――そこに、警告するようにエステラの声が響いた。
「わかっておろう、リリエーラや。クライヴの人工精霊が封入器に入っているのは、生成器自体にその封入過程が刻まれておるからであると」
「……これだけ持っていても、精霊を封入することはできない。それは、わかってます」
リリエーラには、クライヴが生成器に刻んでいた術式を完全に理解することはできなかった。
機甲術という固有魔法によって刻印された術式はあまりにも高度であり、理解するには時間が足りなかったのだ。
仮に理解できていたとしても、それを己の魔法によって再現することは困難であることも、彼女は理解できていた。
そして、その上で――僅かな可能性に賭けてでも、自らが育てた精霊を見捨てたくないと、そう思っていたのだ。
「……それでも、やります。やりたいんです」
「吾には、あの精霊を止める方法はない。お主にはあると、そう言うのだな?」
「ほんの僅かな、可能性であったとしても」
封入器を握りしめて、リリエーラはそう宣言する。
その姿に――エステラは、ただ小さく笑みを浮かべた。
「ならば、やってみせるがよい」
「っ……はい!」
エステラに頭を下げたリリエーラは、駆け足で精霊の方へと向かってゆく。
当然ながらそこはエステラの障壁によって隔てられていたが、リリエーラが近づいた瞬間に一人分だけの隙間が開いた。
その技術にリリエーラは舌を巻きつつも、障壁の外側へ――竜巻に等しい暴風が吹き荒れるその真っただ中へ、足を踏み出す。
「く、ッ」
目も開けられない、呼吸すらも難しいような、圧倒的なまでの暴風。
リリエーラは必死に己の体を防御魔法で保護しながら、地面を這うようにしてゆっくりと精霊に近づいていく。
当然ながら、精霊に近づけば近づくほど、荒れ狂う風の勢いは強くなる。
立ち上がることすら困難な風の中を、リリエーラはそれでも前へと進んでいった。
そして――その中心へと向け、彼女は己の魔力を編み上げて形作る。
「おね、がい……聞いて、届いて……!」
それは、他の誰も知ることのない、彼女の魔法。
リリエーラ・リオネラ・リーエインの固有魔法、響霊術。
その力は、顕霊と契約を交わすことで初めて行使できる、極めて異例な固有魔法だった。
古に於いては、精霊の言葉を届ける巫女が有していたと記録に残るその魔法を、リリエーラはこれまで発動させることができなかった。
当然だろう――どこに行ったとしても、顕霊に出会うことなどできなかったのだから。
(だから、あたしは顕霊を作りたかった、育て上げたかった……! どれだけ、時間がかかったとしても!)
研鑽の果てに辿り着いた固有魔法が、決して扱えないものだった。
けれど、リリエーラはその落胆すらもバネにして、ここまで歩んできたのだ。
彼女の中に、諦めという言葉はない。可能性があるならば、どこまでも挑戦を続けるのみ。
「だから、どうか――届いて、〈精霊響振〉!」
一度として効果を及ぼすことのなかった固有魔法を、リリエーラは覚悟と共に発動する。
それは顕霊に声を届けるための魔法。契約を交わすための、最初の術式。
意思のない精霊には届くはずのないその魔法を、リリエーラはそれでも諦めることなく発動した。
刹那――
「……ほう」
エステラの声が、感嘆を交えて零れ落ちる。
その声が聞こえる程に、周囲には静寂が満ちていたのだ。
荒れ狂う風の音も、建物が破壊される音も――全てが、一瞬のうちに途絶えていた。
地面にはいつくばっていたリリエーラは、驚愕の表情のままにそれを見上げる。
荒れ狂っていた風の精霊は、講堂の中心で静かに緑色の光を放つだけに収まっていてのだ。
その光は、ゆっくりとリリエーラの元まで舞い降りて、彼女の手の中にあった封入器へと自ら入り込んでゆく。
――その表面に浮かび上がった文字に、リリエーラは大きく目を見開いた。
「見事だ、リリエーラよ。それが、お主の固有魔法であったか」
「は、はい」
「ふむ……しかし、残念だったの。生成器が吹き飛んでしまっては、研究は頓挫となるか」
「いいえ、研究は続けます。ただ――」
ぐるりと、リリエーラは周囲を見渡す。
この場に集った教授たち。彼らの中に、クライヴ・ハルツマンの技術を容認している者は数少ない。
ステッドの報告も、装置そのものではなく精霊の発生プロセスの話にしかならなかったのだから。
ここでは、己の夢に近づくことはできないと――リリエーラは、実感をもって理解した。
「別の場所で、研究を続けたいと思います」
「そうか……そうさな、その方が良かろうて」
ほんの僅かに、残念そうに。けれど、確かな祝福を込めて、大賢者エステラはそう零す。
そう思う程度には、リリエーラの研究に対する期待を抱いているのだ。
だからこそ、彼女の固有魔法の真実に気付きながら、それを口に出すことは無く、エステラは続ける。
「心当たりがあるなら、行くがよい。そしていつか、お主の見出したものを吾に見せておくれ。その日を、期待して待つこととしよう」
それは、エステラにとって最大限の賛辞であった。
その言葉を受け、リリエーラは深く深く頭を下げる。
そして踵を返した彼女は――もう二度と、その場を振り返ることは無かった。




