108:影の中で
蓮杖君が結界を解除すると共に、ローデリヒ大司教はゆっくりとこちらへ向かって歩いて来る。
確かに、先程魔法を上空へと打ち上げたため、教会側が異常に気が付くのも仕方のないことではあるだろう。
しかしながら、立場のあるローデリヒ大司教がここに到着するには、少々早すぎる。
果たして彼は、どうやってここまでやって来たというのだろうか。
その疑問は、どうやらグレゴールの中にもあるようだった。
「何故、貴方がここに……」
「声が、聞こえてきたのですよ。いかなる仕組みかはわかりませんでしたが……何者かが、この場の戦いの声を届けてくれたようです」
ローデリヒ大司教の言葉に、俺はちらりとフォルトさんに視線を向ける。
彼は納得した表情で周囲を見渡していたが、恐らくはクロエルさんを探していたのだろう。
これは恐らく彼女の仕業だ。裕也のゴーレムを使って、直接大司教に声を届けていたのだと考えられる。
グレゴールを始め、今回の事件の首謀者はローデリヒ大司教の信者だ。つまりは彼こそが、最大の弱点であるとも言えるのだろう。
とはいえ、それを成したと思われる当人の姿は、どこにも発見することはできなかったけれど。
「貴方は、私のことを想い、世界を憂いて、このようなことを行ったのですね」
「……その通りです」
地に倒れ、拘束されたまま、グレゴールは噛み締めるようにそう口にする。
後悔は無いのだろう。彼は、己の信念に従って行動を起こした。
けれど、それでも――自らの主に対する後ろめたさだけは、どうしても拭い切ることはできなかったらしい。
「俺は……世界の状況をこのまま座視するべきではないと、そう思うのです」
「千年の膠着。ただ傷つき、疲弊するばかりの人々。それを憂うこと自体を、否定することはありません。仕方ないと諦めることでもないのです。けれど、貴方たちの行いは、決して許されることではない」
ローデリヒ大司教の言葉は、グレゴールの考えそのものを否定することは無かった。
彼自身、考えることはあるのだろう。魔族との戦いがいつまでも終わることのない、この世界のことを。
けれど、それでも。大司教は、精霊教会を掌握してことを起こそうとは考えていなかった。
それは、野心のなさが故なのか。或いは、『天眼の聖女』に対しての忠誠心のようなものなのだろうか。
どちらにしても、最初に考えていた通り、ローデリヒ大司教の考えとグレゴールの理想は離れたところにあるようだった。
それを改めて実感したのか、グレゴールは悔しげに歯を食いしばり、絞り出すように声を上げる。
「何故ですか、ローデリヒ様。今を憂いていながら、何故――」
「貴方は……そしてヘンディは、聖女様がただ見ているだけだと、そう感じてしまったのですね」
「……!」
「ですが、それは違う。違うのですよ、グレゴール。あの方が存在するおかげで、この世は辛うじて保たれているのです」
ローデリヒ大司教は、聖女様の秘密について、何か知っているということなのだろうか。
裕也ですら知ることのできなかった、神域検閲によって隠された知識。
精霊教会のトップに近しい彼ならば、その秘密の一端を知っていたとしてもおかしくはないだろう。
果たして、彼は何を知っているのか。そして、『天眼の聖女』はこれまで何をしてきたのか。
残念ながら、神域検閲に引っかかる以上、ローデリヒ大司教はそれ以上のことを口にするつもりはないようだった。
「私は、あの方を押しのけるつもりなどありません。それは、世界を破滅へと向かわせる道です」
「そんなことが、ある筈が……!」
「あるのですよ。私自身が、そう確信しています。それを、信じることはできませんか?」
「ッ……!」
自らの敬愛する、ローデリヒ大司教の言葉まで否定することはできなかったのだろう。
グレゴールは、それ以上声を上げることはできず――ただ、力を抜いて沈黙したのだった。
その様子を見下ろし、ローデリヒ大司教は深く息を零す。
そして改めて、彼はこちらへと向き直った。
「ご迷惑をおかけしました、皆さん。正式に、謝罪いたします」
その言葉に、俺たちは顔を見合わせる。
あれこれと言いたいところであるのは事実だけど、相手が相手であることもまた事実。
対処に困る、というのが正直なところだった。
そんな中で、前へと進み出た箱崎先生が、頭を下げるローデリヒ大司教へと向けて声を上げる。
「流石に、我々を強引に従わせようとしたことについては、流すことはできません。こちらについては、王国に持ち帰り、後程正式に抗議させていただきます」
「ええ、そうなさるのが良いでしょう。この場で急ぎ、処分の結論を出す話でもありますまい」
「ローデリヒ様、これは、我々が独断でやったことで――」
「けれど、君たちの長は私なのだ。私が頭を下げるのは、当然のことなのだよ」
自らの行いが、ローデリヒ大司教に不利益をもたらしてしまった。
その事実に、グレゴールは愕然とした表情で目を見開く。
ことが公になれば、そうなるのも当然のことであったとは思うのだけど、それを上から握り潰すような算段もあったのだろうか。
「さて、後はヘンディについてだが、彼はどこに?」
「いえ……どこにいるかまでは」
グレゴールは庇っている様子ではなく、どうやら純粋に居場所がわからないらしい。
話を聞く限り、ヘンディという人物も大司教派の重鎮なのだろう。
或いは、その人物が今回の件の首謀者なのかもしれない。
ともあれ、そうして名前が出てくる人物であるならば、捕まえておいた方がよさそうだけど――
(この状況を察知されていない筈もない、か。追いかけるのは、ちょっと厳しいか?)
今この状況から、顔も知らないような相手を追いかけるのは難しい。
残念だが、俺たちの手でそのヘンディという人物を捕まえるのは困難だろう。
どちらにしても――今晩の騒動については、これで区切りとなったようだった。
* * * * *
「まさか、グレゴールが敗れるなど……!」
ヘンディ・グレイス――精霊教会、大司教派閥の重鎮の一人。
今回の騒動の全体像を描いた人物である彼は、急ぎ大神殿を離れて逃げ出そうとしていた。
戦闘に及んだグレゴール・マクスは、探索者で表現するなら黄金級上位の実力を有する人物。
固有魔法を持つとはいえ、経験の浅い召喚者が勝てるような相手ではなかった筈なのだ。
言葉巧みに丸め込み、人々を扇動したヘンディも、召喚者たちの実力がそれほどまでに達していることを把握できていなかった。
「私が、ローデリヒ様の立場を揺らがせてしまうなど……どうする、どうするべきだ……!」
「そんなの、あんたが全ての責任を負うのが一番丸く収まるんじゃないの? ま、あのお優しい大司教様が認めてくれるかは知らないけどさぁ。しっしっし」
ふと――夜の闇の中から、声が響く。
咄嗟に足を止めたヘンディは周囲を見渡すも、その声の主を捉えることはできなかった。
「何者だ、姿を見せよ!」
「逆に聞くけどさぁ。この状況で、顔を見せるバカっている?」
どこからともなく響く声に、ヘンディは言葉を詰まらせる。
同じ状況であれば、彼も一切姿を見せぬままに対処していたであろうが故に。
違う点があるとすれば、声すらかけることなく処理していたであろう、という一点だけだった。
「召喚者の呼び出しからあれこれと絵を描いてくれてたみたいだけどさぁ……おかげで、王国は精霊教会に優位な立場を手に入れた。ありがとねぇ」
「貴様……!」
「特に、第一王子なんて喜んでるだろうねぇ。何もしてないのに、対抗馬の第一王女の発言力が弱まるんだから」
ヘンディの企みが成功していれば、事態は大きく動いていたことだろう。
しかし、その企みは未然に防がれることとなった。
結果として残ったのは、現在の勢力が力を強めたという事実だけ。
「貴様、王国の暗部の――」
その正体を察し、声を上げようとして――ぐらりと、その膝が崩れる。
片膝をつき、目を見開いて、ヘンディは己に生じている異常を理解した。
「闇属性……いつの、間に……」
「光のマナに満たされているとはいえ、夜になればあーしらの世界。そのまま眠って、ご主人様のところに帰ろうねぇ」
精神干渉による、睡眠の魔法。
いつ術式が紡がれたのかもわからないようなそれに、ヘンディは抗うこともできずその場に崩れ落ちたのだった。
そんな彼の姿を近くの建物の上から見下ろしながら――アメジストの瞳を輝かせ、クロエルは告げる。
「成程ねぇ……ボスって、こういうのが好きなんだ」
『まあ、そういう役回りも結構楽しいだろう?』
「しっしっし、確かにそうかも。でもまぁ、結局本当の黒幕は正体を見せず、ボスは影も捉えられないまま事件を終わらせる、と。そっちもそっちで楽しんでたでしょ?」
『まあ、否定はしないよ。ともあれ、今回の件はこれでおおよそ終わり。帰還を楽しみにしてるよ、クロエル』
それだけを告げて、ゴーレム越しの通信は切れる。
夜の闇に姿を紛れさせたクロエルの口元には、確かな愉悦の笑みが浮かべられていたのだった。




