名も無き兵士
緊張が解けない。当然か。俺は今、ルーマニア王国の首都、ブカレストを包囲する部隊の先頭に立っている。敵にとどめをさす、一番槍だ。
俺の読みは当たっていた。彼女はーー、俺の上官はやっぱり凄い人なのだ。俺の無理強いを承諾すると、ーーおそらくマッケンゼン将軍に願い出たのであろうーー俺をブカレスト包囲軍の先頭に加えてくれた。彼女はやはり今回も後方で待機している。だが今の俺には、もうわかる。彼女が命欲しさに安全な場所にいるわけではないことぐらい。きっと、前方の俺たちが円滑に敵を撃滅できるように作戦を練っているのだろう。
これほどまでに興奮するのはいつ以来だろうか。開戦以来か、いやそれ以上かもしれない。彼女についてきたのは間違いではなかった。
「ふう……、よし!!」
俺はゆっくりと息を吐いて心を落ち着かせようとする。敵は最後まで頑強に抵抗してくるとの情報が入っている。もしかしたら、ここで討死するのかもしれない。
「みんな! 行くぞ!!」
12月1日、俺はマッケンゼン軍の先陣としてルーマニア軍と激突したーー。
後がないというのは、時に大きな力を与えるものなのか。ルーマニア兵たちの抵抗は凄まじい。兵力で言えば、確かに俺たちの方が優勢だ。敵の首都を落とすこと自体は造作もないだろう。だが、少しでも俺たちの兵力を削ろうと、奴らめ、躍起になっている。
「くそ!」
俺は、建物の影に隠れてコソコソと銃を撃ってくる奴らを炙り出そうと、手榴弾を投擲する。
ーーヒュンッ!!ーー
「!?」
振りかぶった俺の腕を、銃弾が掠めた。俺は驚いて思わず手榴弾をその場に落としてしまう。
「う! まずい!?」
俺はしゃがんで拾うよりもすぐに蹴り飛ばした。蹴り飛ばされた手榴弾は空中で炸裂した。
(進めない……)
俺は焦燥感に駆られた。俺なら何かを変えられるかもしれない、あるいはやっと回ってきた好機なのだと躍起になったのが事の誤りであったかもしれない。俺は、首都を背に必死に抵抗するルーマニア軍に手こずり続けた。
「手、貸そうか?」
「ああ?」
俺は突然のことに思わず声を荒げて振り返った。そして、目を見開いた。
「あなた……、こんなところで何をしているんですか!!?」
「様子を見にきた」
娘がいた。銃弾が飛び交う最前線に、あの小娘がいる。曇天の下、髪の毛が靡いている。
「せめてヘルムを装着してください!!」
「嫌だ」
「ーー!!」
馬鹿なのか!? 脳天を撃ち抜かれにでも来たというのか!! 俺は、上官の手を引いて敵の銃弾が飛んでこない物陰に移動し、しゃがんだ。
「何をしに来たんですか!?」
「だから、手伝いに来たのよ」
「手伝い?」
「いつまで経ってもルーマニア軍を打ち破れないと聞いて、ここに来た」
「……」
情けないことに、俺はこの小娘に心配されたらしい。はやる気持ちに心を任せて、一番槍を願い出たのに結果はこれだ。事実、俺はルーマニア軍を突破できる自信がなくなっていた。
「どうするのー?」
だが、なんだろう。この自尊心を傷つけられるような妙な感覚は。俺は、体を左右に揺らしながら、見下すように俺のことを見る目の前の上官に腹が立った。
ーーやってやろうじゃないか。
「お」
俺は黙って立ち上がると、背を向けて言い放った。
「俺だけで十分です」
それから娘の顔を見ることなく元の位置に戻ったーー。
ハアーー ハアーー
最高の気持ちだ。一国の首都を攻め落とすというのはこれほどまでに達成感に満ち溢れるというのか。
俺は今、ブカレストを落とした。我が国の旗を持って、堂々と首都を行軍する。沿道には、ルーマニア王国の民が集い、俺たちの様子を不安そうに見つめる。俺の後ろには、多くの兵士が連なり、俺こそがこの軍の大将であるかのように感じられた。
俺は恍惚とした表情をやめられなかった。西部戦線で文字通り、泥沼の中を戦って、憂鬱だったあの日とはまるで違い、俺は今、最高の気持ちだ。
(上官殿を連れてこないとな……)
俺は、敵の首都での凱旋行進を終えた後、すぐに自分の上官を探した。
(一緒に凱旋すればよかったのに……)
俺は自慢したいと思っていた。あの小娘に。俺はやり切ったぞ、と。だが、あの人のことだ。そんな俺の態度を察して、わざわざ後方にいたのだろう。
俺は、周りの兵士たちに尋ねて、上官娘のことを探した。だが、妙に素性を隠したがるせいで、なかなか見つからなかった。
俺は、まだ死体の処理が済んでいない戦場にまで足を運んだ。
(疲れた……)
俺は、一息吐こうとした。と、ちょうどその時、あの娘がいた。一人で何をしているのだろう。とにかく、俺は声をかけるため、近寄ろうとした。
その時、死んだように見せかけて銃を構える敵兵の姿が視界に映った。その銃口は、娘を捉えているーー。
パンッ!!!
「目、覚めた?」
俺は、はっきりとしない意識の中、ゆっくりと瞼を開いた。背もたれに木がある。脚を伸ばして体を木に預けている体勢か。
「……」
「なんでこんなところにいるのよ」
柄にもなく、どこか寂しそうな表情をするじゃないか。
「……、あなたを探しに来たからです」
「なんで?」
なんで、か。そりゃあ。
「…………俺が首都を凱旋するのを見せてやろうと思ったからですよ」
「へえ、言うようになったじゃない」
確かに。今なら、この人に言いたいことを全部言い切れる気がした。
「……あなた、頑張ったじゃない」
「……」
「……褒めてあげる」
ここにきてようやく褒めてくれるのか、この人は。遅すぎるぜ。
「俺は……、死ぬんですか……?」
彼女は何も言わない。
「やっぱり……。当たりどころが悪かったですし……」
「……ばか。あなたがこんなところに来なければ、死ぬのは私で済んだのに……」
……心外だ。そんなことを言う人だったか。
「あなたは……、死んではならない人だ」
彼女は俺の方をじっと見る。
「俺、……疎いんですよ。『砲撃王』の噂は、俺もよく知っていました。でも、もう一人、俺たちの軍をざわつかせる存在がいるのを俺は知らなかった……」
そう。本当に知らなかったんだ。
「……」
「『アグネス・フォーゲル』。『砲撃王』と行動を共にし、東西両方の戦線で活躍する少女。東西を股にかけるその行動はまさに、鳥の如し。ドイツに生まれた『ジャンヌ・ダルク』と……」
「はっ、何それ、面白い。脚色だらけじゃない」
脚色……か。
彼女は乾いた笑いをした。
「私は、あの人の足を引っ張り、多くの味方を死なせて、そして嫌われて……、自分でも、もうどうすればいいのかわからなくなった、哀れな人間よ……」
「落ち込んでいるんですか……?」
「そんな感情、もう捨てた……」
「泣いてます」
「泣いてない!!」
顔を逸らしても、俺にはわかる。
「……私、ラインハルトのことが好きで兵士になったの」
驚いた。ラインハルト・シュライザーのことだろう。憧れだったのか?
「そうなんですか?」
「うん。だから、あの人のそばで一緒に戦えるのが幸せで、あの人のためになろうと頑張った」
「……」
「でも、自分の力だけだと上手くいかなくなって、仲間もいっぱい失って……。それに、ほとんどの人は国のために戦っていた。でも、私はただ、愛する人のそばにいたいだけで……。こんなんじゃ、嫌われると思って、でもそれは嫌だから、ラインハルトのために……、ラインハルトのために……」
「フォーゲルさん……」
「……だから、私、思ったの。兵士なんてみんな、統計上の数字でしかないって。戦場で消えていく兵士の数は、統計上の減少でしかない。ラインハルトのためになるなら、味方の犠牲は、いくらあっても等価値だって。そう考えれば、みんなを失っても、もう辛いなんて思わない……」
「……」
「……嘘だったよ。全部、嘘だったよ。辛くなる一方だった。みんな、私を人の心がない化け物のように思い始めた。みんなが私を遠ざけた。ラインハルトも……」
「……」
「さっき、私を狙っていた兵士のこと、私、気付いていたんだよ。でも、わざと撃たせようとしたんだ。もう、いいやって。ここで、死のうって……」
「はあ……、じゃあ俺は撃たれ損ってやつですか……」
「はは……、そうかもね……」
なんだよ、それ……。
「……あんたはどこまで人を馬鹿にすれば気が済むんですか? 人の心がない? 死にたかった? ふざけないでくださいよ。この戦争、どこの部隊に配属されたって、大抵の上官は人の心がないどころか、平気で俺たちに突撃を命令するような奴らばっかりだ。それに比べたら、あんたの命令は大したことがなかった。辛かったといえば、あんたが俺を小馬鹿にするような態度だったのを耐えることぐらいだった」
そうだ。思えば、この人が下す命令なんか、西部戦線にいた頃のものに比べれば、屁だった。少なくとも、俺にとってはな。
「愛する人のために戦うことの何がいけないって言うんだ。前線の兵士は、みんな家族や恋人を思って戦っている。あんたが『砲撃王』のそばにいたいなら、そうすればいいじゃないか。誰も止めはしない。あんたは選ばれた存在なんだから」
そうだ。国のためを想って戦う奴よりよっぽどこっちの方が多いに決まっている。
「なんだかんだ言って、俺はあなたの下で働くのが楽しかった。色褪せていた人生に花が咲いたようだった。死ぬ前にいい夢を見ることができた」
そうだ。いい夢を見られた。いい夢だったさ。
「……ねえ、あなたはなんて言うの? 名前」
名前……。ここまで、俺も俺で、どうして名乗ってこなかったのだろうか。
「……俺の名前ですか? 俺の名は……。いや、やめます」
「なんでよ?」
「俺は、あなたの下で戦うことができて、なんだか自分には大した能力があるから、天に選ばれた存在だからって思うことができたんです。でも、やっぱり違った。俺は名も無き兵士だ。俺の名は、歴史に刻まれるべきじゃない……」
「……」
「……お願いです。俺のことは、名前のないただの兵士として、あなたの記憶の中に留めさせてください。真に名を残すべき人の記憶の中にいることができるだけで十分です…………」
「……かっこつけちゃって」
ーーこの人は、どこか寂しそうだ。でも、大丈夫。きっと、また愛される。人のために流す涙を持った人間なら、またきっと愛される。
「…………ありがとう」
アグネス・フォーゲルは、俺のヘルムを取って去っていったーー。




