恩
忘れてはならぬものは恩義。
近藤勇(1834-1868)
「ケリーを、解放してもらおうか」
物凄い目力だ。戦争で数多くの死地を越えてきた者の顔というのは恐ろしいほど迫力がある。ラインハルトは部屋の中にいる者たち一人一人を睨みつける。ラインハルトに睨まれた者は思わず背筋が凍る。彼の視線から外れているケリーでさえ、戦慄した。
ラインハルトはケリーを見て、問う。
「ケリー、怪我はない?何もされていない?」
「ええ、大丈夫!」
ラインハルトは胸を撫で下ろした。この場においてケリーの無事こそが何よりも重要であった。
ラインハルトは部屋の人間たちが襲ってこないか警戒しながらケリーのそばに寄る。
メガネの男は口を開いた。
「あ、あなたは?」
ラインハルトは睨みながら返す。
「あなた方が連れ去った、この娘の友人です」
「そ、そうでしたか……。それは大変なご無礼を……」
「今さら謝っても遅いぞ!!」
ラインハルトは怒鳴りつける。その場にいた者全員が体をびくつかせた。
ビヤホールにいた男の一人が、メガネの男に告げる。
「同志、あいつは軍人らしいです」
「軍人……」
睨み合いが続くが、メガネの男は穏便にすませようと慎重に話し始めた。
「いや、本当に申し訳ない。実はですね、あなたのご友人を連れ去ったのは、とんだ手違いなのです」
「ほう、どのような手違いかな?」
「私は彼女が、我々の勧誘に乗ってここまでやってきたものだと思っていたのですよ。しかしながら、我が同志が無理矢理連れてきてしまったということで、私も大変驚いております」
ラインハルトはすくっと立ち上がる。
「ならば、あなたは仲間の責任だから自分は許してほしいとでも言いたいのか?」
「滅相もございません。同志の失敗は私の失敗。責任は共に取ります。私が申し上げたいのは、我々は危険な組織ではないということです」
ラインハルトは腕を組んで聞いている。
「それで?」
「我々は現下の国の体制について、懐疑的なのです。果たして今のドイツ国民は真に幸福を獲得できているのかということです」
「ほう」
「そこのお嬢さんを誘拐してしまったことは大変申し訳ありませんがしかし、せっかく来ていただいたのですから、我々としても、彼女と考えを共有したかったのです!」
ラインハルトは目を閉じて、少し黙った後に言った。
「お前たちの言動やこの施設……、社会主義団体だな?」
「あ、えっと……」
「今さら隠すこともないだろう?むしろ、自分からバラしているようなものだ。僕は社会主義者とか愛国主義者とかはどうでもいい。だが、こんな手荒な真似をしといていい度胸だな?今は国が一丸となって戦うのが道理なんだろう?お前たちの居場所がどうなっても、僕は知らないぞ?」
一同は再び戦慄した。そして、選ぶ相手を間違えたとも思った。
だが、メガネの男は怯まない。
「弾圧、とでも言いたいのですか?そんなビスマルク時代のような古いことを……。今は時代が変わったのです。我々労働者階級も力を持てる時代なのです!!」
「ほう、ならば具体的にどうやって力を持つんだい?よもや、『革命』だなんて言いはしないだろうね?」
メガネの男は煽られて思わず頭にきたのか、叫んだ。
「馬鹿にするなよ!!労働者の力は底知れないんだ!!今に見ていろ!!必ずや……」
「そこまでにしておきなさい」
一同は一斉にドアの方を見る。そこにはいつの間にかラインハルトにここの居場所を教えたあの男が立っていた。
「あ、あなたは……」
「ふむ、お嬢さんが無事そうで何よりだ」
謎の男の後ろからは、数人が急いで部屋に入るなり、メガネの男に言った。
「すみません、さっきから侵入者を入れてしまい……。こいつ、無視するんですもん」
だが、メガネの男は謎の男の顔を見て、顔面蒼白となる。謎の男はさらに部屋の中心まで進むと、メガネの男に言った。
「同志よ、仲間を増やしたいのはわかるが手荒な真似は良くない。共通の敵はもっと他にいる。さあ、彼らを解放しなさい」
「も、もちろんです!!同志・レー……」
「おっと、彼らの前でそれはなしで頼む」
謎の男はメガネの男の言葉を遮った。そして、ラインハルトとケリーの方に近づいた。
「君たちはもう、解放された。安心して帰りなさい。ただ、今回の出来事は内密にしてくれないか?お願いだ」
男は首を垂れて懇願した。
さっきまでの剣幕は消え失せ、ラインハルトの顔は優しい穏やかな表情に戻っていた。
「ええ、わかりました。あなたのおかげで話が早く済みました。ありがとうございます」
「いや、こちらこそありがとう。さあ、ビヤホールで君の付き人が待っているのだろう?行ってあげなさい」
「はい。あ、その前に、僕はラインハルト・シュライザーと言います。こっちはケリー・パウバル。あなたの名を聞いてもよろしいですか?」
男はふっと笑ってから告げた。
「私は名もなき流浪人だよ。さあ、行きなさい」
ラインハルトはこの男の名前を知りたかったが、詮索はしないことにした。
「この恩は忘れません」 「ありがとうございます」
二人は立ち上がって、出て行こうとした。すると、男が最後に一言付け加えた。
「ラインハルト君!君にはいつか恩を返してもらうことになるかもしれない。どうかよろしく頼む!」
ラインハルトは笑顔で「わかりました!」と返し、退出した。
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