一七〇二年六月十八日十九時 江戸堀部安兵衛宅
「もう待ってはおられぬ」
堀部安兵衛が吼える。
「郡兵衛奴のせいで我ら江戸詰めは立場が弱くなり、結果大石殿の言うなりになってしまってはおるが、そもそも大石殿のお考えは奈辺にあるのか、惣右衛門」
かつては堀部ら江戸急進派を抑えるために大石が江戸に遣わしたが、逆に堀部の説得で江戸急進派に宗旨替えしまった原惣右衛門である。なまじ転向者の方がより過激に、かつ直截的に意を陳べることがままあるが、この時の惣右衛門はその典型であった。
「某にも大石殿の腹の内は分からぬ。爾来お家再興第一と唱えるのみ、あるいは殿様が仇討ちなど微塵にもお考えではござらぬのか……何しろ大石家は千五百石の多禄なれば、これが惜しいと考えても、ゆえ無くはあるまい」
既に、高禄取りの高級藩士はその多くが脱盟してしまっている。そして今のところ残留している進藤源四郎なども恐らくは、お家再興後の再仕官のためだけに大石に従っているところであろう。あるいはその大石ですら本心はそこにあるやもしれぬ。
「お主もそう思うか、惣右衛門。儂も薄々そのように考えておったところよ」
江戸急進派の一人、奥田孫太夫が賛意を表す。流石に筆頭家老を相手に臆したなどと決め付けることの無礼は弁えているが、みな思うところは同じである。
「今となっては最早大石殿など恃むにあらず。いたずらに時を待てば、我らが本懐を遂げる機も永遠にこれを失うこともあろうぞ」
堀部の言にみな一様に首肯する。仇敵の吉良上野介は高齢であり、先年にはついにその家督を世子義周に譲ってしまった。いつ何時病に斃れ、あるいは江戸を辞去して国許に下がるやもしれぬ。今を措いて他に復仇の機なし。みな思いは同様であるが、問題は。
「安兵衛の申す通り、今を失えば我らは永遠に本懐を遂げること能わざるやもしれず。されど吉良屋敷の警戒警護はなかなかに固い様子。我ら江戸詰めの者だけで討ち入ること、ましてや上野介が首を揚げること叶わんか」
奥田の問いは殿様切腹よりこの片、何度も繰り返されてきた懸案である。赤穂藩士が吉良邸に討ち入る。その風聞は未だに市井に根強く、その分堀部らを焦らせもするが、同時に吉良の守りも堅くしている。
「なんの、たとえ返り討ちに遭おうともただいま事を決せねば、我らが武名は末代まで市井の笑いものとなろうぞ」
と堀部が問えば原がこれに応じる。
「されど、返り討ちに遭うては、却って我らが武名を汚すこととなろう。それでは元も子もあるまい。討ち入るならば、確実にこれを為さねばならぬ。そのためには……」
「やはり人数よ……」
奥田の嘆息は、この場にいるみなのそれである。彼らがこれまで費やしてきた溜息の全てを吹かば、溜池の水も干しあがるに相違ない。
「やはり、三人で今一度上方に上り、大石殿に我らが存念を訴えようぞ」
堀部が特に語尾に勢を込めて言う。
「とは申せ、またいつもの堂々巡りであろう。大石殿がただいま意を決するとも思えず」
原の当然の疑問は、無論堀部や奥田も共有しているからこそ、これまで議論の数だけ溜息を数えてきた。しかし今や堀部は新しい決意を抱き、体側に置いた大刀の鞘を左手で引き寄せながら、これをみなに示した。
「その時は…………斬る」
堀部の宣言に一瞬顔を引きつらせた奥田と原ではあるが、やがて意を決したように眼差しを鋭くした。最早それしかあるまい、腹を固めた原が宣する。
「我ら三人上方に上り、まずは大石殿に討ち入りを進言せん。而して大石殿否決の際にはこれを斬り、我らと意を同じくする同士のみを集めて再び江戸へ下り、殿様が仇上野を討たん」
「されど、大石殿を斬った後では同士を集めるにも易くはなかろう。されば先に同士を糾合し、その上で大石殿に迫るが上策と心得るが如何」
奥田の提案はみなの無言の首肯で承認された。六月中に出立し、七月半ばに大石に会う。そう、万一大石を斬ることにでもなれば、無双と名高い不破数右衛門も同道させるに如くはない。久方ぶりに明るい笑顔を取り戻した江戸急進派の面々は、その晩遅くまで酒を酌み交わし談笑した。