血は水より濃いって
「あら、やだ。そんなに警戒しないで?大丈夫、何にも怖くないわ。簡単なお手伝いをして欲しいだけなの」
子猫を護る親猫のように、自身とアルスの間に割って入ってみせたグレンに、心外だとばかりに頬を膨らませたフィア。
ニコニコと笑い、大丈夫という言葉を重ねて安心させようと試みるが、グレンとアルスの表情は硬く強張るばかりだった。
「本当に簡単よ?この店に溜まってる依頼の品をね、ある人に届けるってだけの、本当に簡単な仕事よ。店長御指名で、そうでなければ受け取らないっていう面倒臭くてしょうがないの。溜まっていく一方なのよねぇ。届けられないのに、次から次へと依頼してくるから。あぁ、ちゃんと前払いしてくれるから、代金の方は問題ないのよ?でもね、邪魔なの、邪魔。皺とか無いように置いておくだけでも場所はとるしそれに催促は鬱陶しいし」
店長は絶対に行きたがらないし。
ねめつけるように、横目でゲイルを見たフィア。
あの手この手、時にはライナやヒルトを巻き込んで、呼び出しに応じることが無かったのだと、フィアは言う。
もう後頭部の痛みは消えていたものの、そんな視線とそれに釣られて向けられる二人の目に、顔を上げることをゲイルは避けた。
「…そんな怪しい人の所に、アルスを向かわせようっていうわけ?」
「叔父さんじゃないと駄目なら、僕が行っても駄目でしょ?」
「大丈夫、そんなに怪しい人じゃないわ。家柄も、本人の経歴も、素晴らしいものよ?それに、君なら、大丈夫なの。絶対に、受け取って貰えるわ」
ねぇ、本当にお願い。
御褒美も弾んじゃう。
じりじりと、グレンはアルスを背中で押しながら、フィアから段々と離れていく。
それをまた、じりじりと追いかけるフィア。
どうあっても、その仕事をアルスに押し付けようという気概が彼女からは放たれている。
フィアの言葉のどこに、安心出来る要素があるというのか。
グレンも、アルスも、そう表情で訴えるが、フィアはニコニコと悪意の一切見えない笑顔でそれを跳ね返してしまう。
「とっても困っているのよ。助けると思って、ね?」
「「嫌!」」
「またまたぁ」
しっかり、はっきり、叫ぶようにして断るのだが、フィアはそんな声を聞き届けてはくれそうにない。
はぁ
「フィア」
溜息の音が一つとゲイルの声。
これまで黙っていたゲイルが、フィアを止めた。
「それは駄目だ。そうするくらいなら、俺が行った方がマシだ」
それまで背けていた顔に真剣な面差しを浮かべ、特にフィアを鋭い目で諌めていた。
「叔父さん」
カミングアウトによって暴落していた叔父への好意が、その凛々しくも見える姿に持ち直して…。なんてこともなく、アルスの冷たい声がぽつりと溢れる。
「遅い」
それは彼の声に動きと声を、不満そうな顔を浮かべながらも、止めたフィアを睨み付けながら発せられた。
「うん。遅いわ。遅過ぎる。すぐに止めろよ」
グレンも同じ、冷たく言い捨てる。
「じゃあ、今すぐ行ってきたらどうですか?」
さっさと行け、と笑顔でフィアが言い放つ。
「アルス君。お小遣いが欲しくなったら、何時でも言って頂戴ね?君が此処に居るとなると、この人だともう行っても役に立たないだろうし」
「役に立たないって、おいっ!」
「役に立つ、とでも?」
フィアの追い撃ちに、ゲイルは黙る。
何の話なのか。
グレンにも、アルスにも、理解は出来ない。
ただ、どうせ、ろくでもない話なのだと言うことだけは確かだと分かる。
あぁ、濃い一日だった。
言い争うゲイルとフィアを見て、アルスがぽつり。
それにはグレンも大いに同意する、するしかない。
思いがけずに始まった、懐かしい血族、家族との再会の一日。
祖父母、伯父に会うことは出来なかったが、それでもどうしているかは知ることが出来た。
普通に辺境の町に溶け込んで傭兵をしたり…、な自分達も大概、普通の一般的なイメージの貴族には有り得ないその後を過ごしてきたとは思っていたが、その考えはまだまだ甘かったと知った。
どう考えても、自分達の方がマトモな生活を送っている、
追われた王都で堂々と、名前も顔も売って生きているような叔父叔母に比べたら、可愛らしいものだ。
「たっだいまぁ」
「ただいま」
二年前、グレンが王都で暮らし学園に通う為に、とセンシル辺境伯が用意してくれた屋敷は、とある貴族の邸宅だった建物。訳あって手放されたばかりのその邸宅は、元の持ち主が高位貴族であったこともあり、とても素晴らしく華々しい雰囲気を放つところだった。
中古とはいえ、購入するには大分掛かっただろうも見てとれるその屋敷をフォスターはポンッと購入した。
学園には遠方からの生徒の為にと寮があるのだが、グレンはグレースという少女として通うのだ。寮に入ることなど、出来る訳はない。後々にも色々と使えるから、と言い含められグレンはこの屋敷に住んでいる。
屋敷に仕えている使用人は一応の体裁を保つだけの最小限、全て辺境伯領から派遣されてきた、気心の知れた者達ばかりだった。
「おかえりなさいませ、ずいぶんと予定より遅いご帰宅でしたね」
執事として、屋敷の中をしっかりと取り仕切ってくれているのは、辺境伯の屋敷で長年仕え、年を取ったと子供に跡を継がせて引退していた元・辺境伯の執事だった老人。背中を丸める様子もなく、真っ白な髪を撫で付けるように整えて、年よりも確実に若く見える。
貫禄さえ放つ辺境伯でさえ、何時まで経っても、愛らしい子供を見るように温かな眼差しを向けている老執事からすれば、世話を頼まれたグレンとアルスなど赤子のようなもの。厳しくも、甘く、自分の孫・曾孫のように見守っている。
「ちょっと、色々寄ってきたんだ」
「遅くなって、ごめんなさい」
グレンとアルス、そして辺境伯領に残っているエリスにとっても、遠い記憶の中の実の祖父母達よりも、この老執事こそが祖父のような存在で慕っている。
話題の劇を観るだけで帰ってくるという予定から、大幅に遅くなって事を注意する音が匂わされた老執事の言葉に、二人は自分達の非を素直に認めて謝った。
「御二人がこんなことをなさるのは初めてですね。何が御座いましたか?」
う、うぅん…。
グレンとアルス、二人で老執事にこの濃かった出来事を話していった、
時には感情に訴えるような、整理もなにもない話し方をしたりとしたが、老執事はうんうんと頷きながら、静かに聞いてくれた。
「そうですか。それならば、連絡が無かったことをお叱りする訳にはいきませんな」
あの方々の所を回ってきたのなら、それはもう濃厚な時間だったことでしょう。
お疲れでしょう。老執事は苦笑を浮かべ、疲れのとれるお茶をすぐにご用意致します、と二人に慰めの言葉をかける。
「知って…教えてくれても良かったのに」
彼らの存在を知っていた、だが、それを一言足りとも自分達に教えてくれていなかったのだということが、老執事の言葉に知ることが出来た。教えていてくれれば、あそこまで驚かずに済んだのに。不貞腐れた顔でアルスは老執事を見上げた。
その思いは、アルスよりもグレンの方が大きい。
まだ王都に来たばかりのアルスよりも、二年も前から王都で暮らしているグレンの方が、知らなかったことへの衝撃は大きい。
勿論、教えられるのではなく、自分で気づくことも出来た筈だ。三人が三人とも、隠れようなんて思っても居らず、自身の名や存在をどんどんと王都の目立つ場所で売っていたのだ。だから、教えてくれなかった、とアルスのように不貞腐れることも、老執事に八つ当たりすることも出来ない。
情報を集めること、それらを用いて判断・予測をすること、これらは何よりも大切なことだと父親達から学んでというのに、それを疎かにした自分が悪い。
グレンはそう自分の長野モヤモヤを鎮めようとするが、それでも、と口先を尖らせて老執事を見上げてしまう、そんな子供っぽさを露にしたのだった。
「自分達で気づくまで教えるな、との旦那様、ハルト様の御指示でしたので」
仕える者としての態度を崩さないものの、内心では孫のように思っている二人の拗ねた顔に、老執事は困り顔を浮かべることになったが、それでも最も従うべき主人達からの命令だったのだと詫びるしかない。勿論、それを伝えても構わないという許しを得ているからこその、告白だった。
「…それにしても、三人が三人、特にライナ叔母さんなんてあんなに有名になってるのに。どうして、此処に来るまで少しも噂を聞かなかったんだろう?」
老執事に謝られようとまだまだ納得はいかないところもある。だが、ここでより騒いでは馬鹿みたい、子供みたいだ、と老執事や父親達からすると子供でしかないグレンとアルスは、納得したように振舞うことにした。そして、口にしたのは一つの疑問。
他の二人は王都に根付く店であるのだから、その話を辺境伯領で聞くことが無かったのも、まだ納得出来る。だが、最近では海外でも公演しているという劇団の顔となっているライナの話が、聞こえてこないのは可笑しい。
「そういった情報が皆様の御耳に入らないよう、旦那様が配慮しておりましたから」
これもまた、自分達で気づき問い掛けてきたのなら、と許しを得ていた事だった。
辺境伯領にて捨て去った過去の何もかもを忘れ、生きていこうとしていたセリンサ達がくだらない噂話などに苛まれないように、苦しまずにあれるようにと、センシル辺境伯領の領主であるフォスターは心を砕き、出来るう対処をした結果だった。
「また、皆様の情報が辺境伯領以外には漏れ出さぬよう、旦那様は徹底した指示を出しておりました」
「ライナ叔母さんも、そう言ってたね」
ライナだけではない、考えるのも嫌な二つの家も、アルス達のその後を知る事は出来なかったと。お金が無駄になったと怒っていたが、あのライナならば妥協など許さずに、腕のある人間に依頼したのだと思う。それで駄目だったのだから、フォスターがどれだけ力を尽くしてくれたのかが分かる。
「本当、感謝してもし足りないな」
「うん」
お礼の手紙でも書こうか?
何も聞こえてこなかった、誰も関わることなかった、そんな環境だったからこそ七年で新しい生活、環境に慣れて親しむことが出来た。そう思うからこそ、グレンもアルスも何の陰りもない感謝を感じる。
顔を見合わせ、お互いがほぼ同時に考えたことを口にして、そうしようと頷き合う。
「それは旦那様も大変お喜びになるでしょうな。あぁそうでした。先程、お二人に手紙が届いておりますよ」手紙を書くのはそれを読んでからではいかがでしょうか。
老執事に言われ、二人は居間へと移動した。
勧められるがままにソファーに腰掛け、まずは老執事の指示によって侍女が運んできたお茶を飲んで、ゆっくりと体を落ち着かせる。
そこに老執事が手紙を手に戻ってきた。
「こちらから旦那様、奥様、エリス様、イスト様。そして、こちらの箱がハルト様からとなっております」
旦那様、奥様-センシル辺境伯フォスターとその妻から二人へ一通ずつ。妹エリスと弟イストからは、二人へとそれぞれ、計四通。そして何故か一人だけ手紙ではなく大人の頭程もある箱が二つはハルト-名を変えたグレンの父ハンス-から。
「ありがとう。でも、これは横に置いておいて」
老執事に礼を言いながらも、グレンは腰掛けるソファーの出来るだけ遠い端に、父親からの箱だけは押しやった。なぁとグレンに声を掛けられるまでもなく、アルスもそれに続いた。
父親・叔父からの、大きな箱の届け物。何だか嫌な予感がしたのだ。
その光景を苦笑を漏らしながら止めもしなかった老執事から、手紙だけを受け取った。
「差し出がましいかとは思うのですが、この奥様からの手紙を始めにお読みになってはいかがでしょうか」
そんな事を滅多なことで言う人ではない。それを知っているからこそ、二人はそれぞれ手にしていた、グレンはフォスターからの、アルスはエリスからの、手紙を開ける行為を一端止め、首を傾げながら老執事を見上げた。
好々爺の笑みの中に浮かんだ目は、優しくも含みのある色が浮かんでいる。
何があるんだろうか、悪戯心のようなものを隠しもしない老執事に言われるがままに、手にしていた手紙を置き、早く読んでみろと言わんばかりに差し出してきたその手紙を手にした。
「…何だろう?」
「…せぇの、で見るぞ?」
優しく柔らかな、書いた人物が女性であり、その気質が感じ取れる文字で『アルス、グレースへ』と書かれている封筒からまず、二つ折りにされた状態の紙を二枚、取り出した。
封筒には誰が見てもいいように宛名が書かれていたが、二つ折りの手紙の一枚目を少しだけずらして折り畳まれた内側を見ると、その紙の一番上の行には『グレンへ』とあった。二枚目も同じようにずらすと、そこには『アルスへ』とある。
それぞれの名前が記された紙を手に、「せぇの」という言葉で二つ折りとなった紙を広げようと決めた。
「せぇの!」
声を上げたのは、グレン。
その声で打ち合わせ通り、ほぼ同時に紙を広げた二人。
その後は声を出すわけでもなく、ただ黙々と目を紙の上から下へと滑らせ、書かれている文字を追っていくだけだ。
読みやすいようにという気遣いを感じる、優しい手の文字で綴られていく、それぞれへの心配と気遣い、頑張ってという応援の言葉。辺境伯領での近況にも触れられているその文は、グレンとアルスともにそう変わらない内容のようだ。読む早さも同じなようで、ほぼ同じタイミングで顔色が変わっていき、読み終わる頃には目を見開いて、口をパクパクと動かしながら顔を上げた。
お互いに、その表情のままに顔を見合わせて固まった二人に、老執事は満足げに笑うのだった。
「便箋をお持ち致します」
二人が思う存分、思う事を言い合えるように。そう配慮して、老執事は部屋を出ていった。
「…なんて言えばいいのかな?」
「いや、うん。まぁ、こうなるのは普通といえば普通なことだし」
「…フィアさんの言ってた仕事、してみようかな」
「はぁ?」
手紙に書いてあった事に、どんな言葉を口にすればいいのか分からず、二人は表情にもありありと出して微妙な思いにかられた。
喜びはある。いや、慶びと表す方があっている、そんな思いが確かに殆どを占めている。ただ、アルスの胸中にはほんの少しだけだが、微妙に揺れ動く思いが燻った。これはグレンより、アルスの方が大きい。それを理解しているからこそ、グレンは自分も微妙な表情を浮かべながらも、アルスに気遣いを向ける。
そんな視線を浴びる中、もう一度、手紙へと目を落としていたアルスは静かに、呟くようにグレンが驚く発言をしたのだ。
グレンが驚き、戸惑う声を大きく出してしまったのは、仕方無いことだろう。
ゲイルさえもが止めた、フィア提案の怪しい仕事。
突然、これまでにそんな素振り一つ見せなかったというのに、それを受けようと言ったのだから。
「ちょ、アルス!?何言って」
「いや…手紙になんて書けばいいか分からないから」
自分の思いを表現した物を購入して、贈ろう。
その為の購入資金を稼ぎたい。
アルスの、素直にグレンへと明かした考えは、そういったものだった。
「いや、それは良い考えだとは思うけど…。でも、なぁ」
その考えには賛同出来る。だが、グレンにはその仕事に関しては怪しい、危険という以上に、思うところがあった。その予想に間違いが無いとするのなら、アルスがするというには受け入れがたいものがあった。
フィアに言われている最中、直後に辿り着けなかった予想なのだが、あれから考えれば考える程、ある可能性の大きな予想が浮かんできたのだ。
「うん。僕も分かってるよ。多分、フィアさんの言っていたのは、あそこ、あの人だって」
実は、その予想にはアルスも辿り着いていた。
だからこそ、とアルスは笑う。
「でも、決着をつけるにはいい時でしょ?」
ぴらぴらと手紙を揺らして、アルスの顔はすでに覚悟を決めた者のそれになっていた。
「たくっ。分かった。でも、フォスターさんには手紙で伝えておけよ。今のお前は、センシル辺境伯の子供なんだからな」
「うん」
フィアの仕事を受けて危ない目に合ったとしても、親であると公になっている辺境伯に伝えておいてさえいれば、アルスをすぐさまに助ける事が出来るだろう。
タイミングを見計らって戻ってきた老執事から便箋とペンを浮け取ると、アルスはまずフォスターへと向けて、許しを請う手紙を書いた。
それを実施するのは返事が来てから、となる。
アルスはその時を待ち遠しく思いながら、エリスやイスト達の手紙に目を通していき、その返事も丁寧に認めていった。