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ブラッディ・ドール  作者: 伊川有子
番外編
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誇り(後編)

仕事がひと段落してノルディの墓標へ来れたのは、ルークが即位して一年以上経ってからのことだった。


廃れて古い建物には既に天井がない。壁もほとんど崩れてしまっていてずいぶんと開けていた。そこはお墓と呼ぶにはあまりにも物悲しい場所だ。

ルークも眉をひそめてネネに尋ねる。


「本当にここか」


「はい。・・・間違いありません」


ネネは一番に建物の中に駆け寄り辺りを見回した。

ルークはゆっくりとマイペースで中に入ると、きょろきょろと忙しなく動くネネの頭を掴む。


「落ち着け。今更墓が飛んで行ったりしねえよ」


「・・・はい」


はしゃいでしまったのが少し恥ずかしかったのか、ネネは頬を赤く染めて照れ笑いをした。さっとルークの腕を抱きしめてすり寄れば、暖かくて撫でるような優しい風が吹く。


確かに何もないところではあるが、広い丘と草原の中にあるこの場所はなかなか心地良い場所だ。


「・・・ここに眠っているんですね。あっ・・・」


ネネは唐突に忘れ物に気が付いた。墓前に供えようと思っていた花束を馬車に置いてきてしまったらしい。

ここから馬車までは少し距離がある。


「取ってくる」


ルークが言うとすぐにネネは首を横に振った。忘れたのは自分なのに彼の手を煩わせるのは申し訳ない。

しかし彼女の足はいささか遅い。自分で行った方が早いとわかっていたルークは、何も言わずネネの頭を撫でて建物の中から出ていった。


1人取り残され、無言で佇むネネ。

しばらく床に描かれた絵画を眺めていたが、やがて取り囲むように人の気配があることに気づいて顔を上げた。


思わぬ人物の登場に息を飲む。


「ジェルダ・・・さん」


「魔女風情が、この神聖な場所に足を踏み入れるなど・・・」


許されるものか。そう吐き捨てられた言葉には憎悪が込められていた。


ネネは取り囲まれている人々から厳しい視線を受けて、不安と恐怖に肩を縮こまらせる。知らない顔もあったが、知っている人物はどれも過激派と呼ばれていた政治家たちだ。


「どうしてここに・・・」


「それはこちらの台詞だ」


「何故ここへ来た、ドローシャの犬め」


「ベルガラ王族の墓を穢すな」


口々に悪意ある言葉を投げかけられてネネはますます身体を小さくした。


しかし同時に理解した。なぜルークが政治に関わらせようとしなかったのかが。彼らはネネのことを魔女だと思っているのだ。

魔女とはドローシャにしか現れない、ドローシャの国宝とも呼べる人材。ドローシャと敵対していたベルガラ人にとっては憎い敵でしかないだろう。その魔女がベルガラの王妃になるなど、ベルガラ人としてのプライドが高い彼らが許容できるはずがない。


このままではルークの足枷になってしまう。


ネネはその瞬間、迷いや恐怖が消え去った。


「私は魔女ではない」


明らかに先ほどとは異なる声色に一瞬だけ男たちが怯む。


「嘘をつくな!魔術を使うならば魔女に違いない!」


「私は人形に女王の血と悪魔の魂を入れて出来たもの。本来はこの世にあるはずのない存在。だから魔女とは正反対のイキモノ」


服の中から身体をくねらせて現れた蛇に、男たちは警戒して剣を抜いた。空から降りて来たカラスがネネの小さな肩にとまり、細く白い指先には大きな蜘蛛。


飼っているペットたちにほらみろと彼らは息を荒くする。


「魔術を使っているじゃないか。魔術の力でその蛇たちを操ってるんだろう?」


「この子たちはイキモノじゃない。死んでる。ただ魂を入れた器にすぎない。

私たちみんな、神から見放されて世界から追放された」


ネネが腕を前に出すと、男たちは剣を構えながら一歩後ずさった。


「この子はツェペシュ。敵や反逆者を串刺しにして晒し者にし、領民を焼いた」


え、と誰かが声を漏らす。


「この子はケンチュウ、虐殺を趣味とした殺人鬼。皆殺し、家族も他人も関係なく」


カーと大きな声で啼くカラス。羽を広げて威嚇するポーズをとると、彼らの額には脂汗が滲み出た。


「そしてこの子がバートリ。処女の生き血を飲んだり浴びたりして若さを得ようとしたの」


気分が悪くなってきたのか、皆一様に顔色が悪い。


「魔女が神の意志なら、私は神の敵。魔女がドローシャの誇りならば、私はドローシャの恥。だからあなたたちの言うようなドローシャの犬とは違う。それはルーク様も同じ」


わかる?とネネが問うが、ジェルダはすぐに首を横に振った。


「納得いかねえな」


「ジェルダさんだって知ってるでしょ。ルーク様が誰かに従うような人ではないこと」


ジェルダは鷹のように鋭い目をさらに細め、唇を噛んで苦い顔をした。

ルークと共にスラムに居た時間は長くはないが短くもない。彼の自尊心と我の強さは知っている。何があっても、他人に頭を下げるような人物でないことも。


「おい、てめえら邪魔だ」


唸るような低い声に、一同は身体を震わせて現れた人物を注視する。


ネネは戻って来たルークに一目散に駆け寄り、その大きな身体に飛び込むようにして抱き着いた。いつの間にかペットたちの姿はなく、ルークはネネの様子がおかしいことに気づいて男たちを睨みつける。


「こいつに何した。返答次第じゃ殺す」


「なにも・・・しておりません」


「怯えてるじゃねえか」


ここで戦ったとしてもルーク相手では勝ち目がない。尋常ではない殺気に戦いた者たちは散り散りに距離をとった。ルークの腕に抱かれているネネは、そんな彼らに大きく舌を出して可愛らしい威嚇をしている。


「こいつに手を出したら命はねえと思え」


「しかし・・・その娘は・・・」


「あ″あ!?」


怒鳴り声だけでジェルダを黙らせてしまう。もともとルークは己に対する反論すら許さない質だ。

本来ならばほとんどの者がここで口を噤んでしまうが、ルークの為人を知っているジェルダは話を続けた。


「我々はただ、誇りを取り戻したいだけなのです」


「じゃあてめえらの言う誇りはなんだよ」


「ベルガラ王家の血とその穢れなき心」


「ふざけんな。結局てめえらは全部人任せじゃねえか。他力本願のてめえこそベルガラの“恥”だろ」


男たちは顔を真っ赤に染め上げて小さく首を横に振った。恥と言われて黙ったままではいられない。


「そんな・・・、我々は王家に尽くしてきた!恥などっ・・・!」


「尽くす?こいつは俺に命を捧げ、俺の命令には一言一句違わない。例えそれが本意じゃなくてもだ。それを尽くすっていうんだろ。

てめらはただドローシャが憎いという感情ひとつで俺を裏切っている。都合が悪くなったからって反抗してんだ、それは尽くすとは言わねえだろ」


自分の意のままに操りたいのならば、尽くしていたのではなくベルガラ王家を利用していたことになる。


男たちは全ての言葉を無くして口を閉ざした。彼らの顔は青く、ルークに向けられる視線は敵意ではなく困惑。


「男なら最後まで志を貫け。適当に誇りだとか理由をつけて勝手なことをすんじゃねえ」


去れ。


そう言い放ったルークの一言は彼らを圧倒し、その声の力に逆らうことのできなかった男たちはすぐにその場を辞した。


周りを囲んでいた者たちが消えて安心したネネは、小さくため息を吐いてルークを見上げる。ルークも同じくネネを見下ろしていたが、彼の表情はどこか怒っているように見えて唇をきゅっと引き結んだ。


「余計なことはするんじゃねえ」


ネネとジェルダたちの会話の一部を聞いていたのだろうか。ごめんなさい、とネネは眉を寄せて謝る。


「役に、立ちたくて」


「お前は十分役に立ってる」


しかしネネには王妃という立場でありながら名前しか与えられていない。もっとできることはあるはずなのに。


ネネの小さな不満はルークにも届いた。深くため息を吐いて段差に座ったルークは、その膝の上にネネを乗せる。


「お前は俺に尽くし、従い、ついてこい。誰にも惑わされず、何があっても疑わず、どこにいようと迷うな。

それがお前の役目だろう。それができるのも――――お前だけだ」


お前だけだと言われたネネは黒目を大きくして息を飲んだ。このようなことを言われたのは初めてだったから。


心臓がどくどくと大きく鳴り響いて、掴んでいるルークの服をもっときつく握りしめる。


「本当は王なんて面倒なものに興味はない。ただ受け入れたのは、お前がいたからだろう」


ネネの“異質さ”を誰よりも理解していたルーク。彼が王になったのは他でもない、ネネのため。ネネに居場所をいうものを与えてやるためだ。

長く王家を失っていたベルガラは、ルークが即位していなければ未だに他国が統治していたかもしれない。ネネがいたからこそ、ベルガラは“ベルガラ王家”という誇りを取り戻したのだ。役に立っているでは足りない、彼女がいなければ今のベルガラはなかった。


「ネネ、俺だけを見ていろ」


「はいっ」


ネネの頬に大粒の丸い涙が零れ落ちる。ぼたぼたと音を立てて、次々と出てくるそれはルークの固い衣服に吸い込まれていく。


こんなに熱く心を揺さぶるのはルーク以外にいない。頬を撫でる無骨な手も、身体を抱き留める大きな身体も、ルーク以外にはあり得ない。ネネという存在を本当に受け入れてくれるのはルークだけ。


ネネは急に幸せというものを切に実感した。


「ありがとうございます」


返答はない。しかしルークを見上げると、その顔はどこか優しく、どこか柔らかな表情だった。





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