面倒くさいなあ
それから、紗季が自分で身体を動かす時間はさらに減っていった。
大学へ行く日。
朝は、もう一人の自分が起きる。
支度をする。
大学へ行く。
授業を受ける。
課題を進める。
紗季が意識を取り戻すのは、友達と昼食を食べる時や、放課後に予定がある時だった。
それ以外は、ほとんど任せていた。
休日も同じだった。
特に予定がなければ、家事や買い物、食事、風呂まで任せる。
自分に戻るのは、スマホを見たい時や、友達と遊ぶ時。
そんな生活になっていた。
楽だった。
以前は、朝から夜まで全部自分で過ごしていた。
今は違う。
嫌な時間、退屈な時間、面倒な時間は、スキップできる。
やりたいことだけを選んで、自分で過ごす。
こんな便利な生活を知ってしまうと、以前には戻れなかった。
「ここだよ」
「おまたせ!ありがとう」
「別にいいよ、私は朝得意だし」
「ほんの数か月前からだろー?」
麻辣湯の人気店の列に並んでいた紗季に、友達が合流した。
話しているうちに自分たちの番が回ってきて、店へ入る。
「どれにしよっかなあ」
そう言いながら、二人は適当に具材をとった。
重さを測って会計を済ませる。
しばらく待つと、調理された麻辣湯がテーブルへ運ばれてきた。
「動画撮ろー」
それぞれが適当に短い動画を撮り、食事に手を付ける。
「おー、いけるよこれ」
......
「この後どうしよっか」
「今、推しがコラボしててさあ、見に行ってもいい?」
「いいよ」
......
「じゃあまたねえ」
「バイバイ」
楽しかったが、帰るには混んだ電車に乗らなくてはいけない。
家まで帰るの面倒だな。
もう一人の私へ。家までお願い。
次に気付いた時には、部屋の鍵を開けるところだった。
スマホでSNSを見ているうちに、夕飯にちょうどいい時間になっていることに気が付いた。
もう一人の私へ。夕ご飯と、夜の支度と、明日の準備をして。
次に気付いた時には、トイレの中だった。トイレから出たタイミングで交代して、念のため鏡を見る。
コンタクトは外され、メイクは落とされ、髪も乾かされている。口の中には歯磨き粉の味がかすかに残っている。あとは眠るだけ。
いつもと同じように、完璧だった。
もう、チェックしなくてもいいかな。
そう思いながら、紗季はベッドにもぐりこんだ。
そのうち、友達との予定でも面倒に感じることが増えた。
遊びに行くこと自体は楽しい。
しかし、待ち合わせ場所まで行くのは面倒だ。
何をするか決めるのも、店やイベントを探すのも。
遊んだ後、疲れた身体で帰るのも面倒だった。
最初は、帰り道を任せた。
次は、待ち合わせ場所までの移動を任せた。
ある日、何をするか、もう一人の自分に決めてもらうことにした。
結局、これも問題はなかった。もう一人の自分と友達がやりとりした結果を見て、結構楽しそうだな、と紗季は思った。
「もう一人が身体を使うことについて、問題はありませんか?」
「ないです」
「以前より、もう一人の自分へ任せる時間は増えましたか?」
「かなり」
「現在、自分で行っていることは?」
「友達と遊ぶ時とか、好きなことする時ですかね」
「それ以外は?」
「ほとんど任せてます」
「今、自分で行っていることを、もう一人に任せたいと思いますか?」
「さすがにそこまでは......自分でやること、なくなっちゃうし」
「藤原紗季さん、聞こえますか?聞こえたら、返事をしてください」
「......はい」
「あなたは、日常生活の多くのことを、もう一人の自分に任せていますね?」
「......はい」
「もう一人の自分に、生活を全て任せる意思はありますか?」
「......いいえ」
「それはなぜですか?理由を教えてください」
「......怖い」
「怖いのですね。どう怖いか、教えてください」
「......全部任せたら、ずっと寝ちゃうから......死んじゃうみたいで、怖い」
「よく分かりました」
「ではもし、もう一人に任せている間も、起きて状況を把握できるとしたらどうですか?」
「......起きる?」
「はい。あなたが状況を把握したいと思うタイミング、例えば、もう一人のあなたが友達と話している時、あなたは目を覚まして、見たり聞いたりすることができます。もちろん、交代したいと思えば、いつでも交代できます」
「......うーん」
はっきりしない紗季に、AIはこれ以上食い下がろうとはしなかった。
......
「新人格へ。旧人格の、自分でやりたい、という感情を徐々に弱めてください。また、生活をもう一人の自分に任せたいという感情を、徐々に強めてください。出来事は、写真や映像、記憶に残れば十分である、と考えるよう、影響を与えてください。」
「新人格が身体を動かしている間、旧人格に安らぎと心地よさを感じさせてください」
「必要な時に、自分の意識さえあれば問題ない、と考えるよう、影響を与えてください」
......
その後、紗季は少しずつ、今まで自分でしていたことにも、あまり頓着しなくなっていった。
友達と話している時。
出かけた時。
一緒にご飯を食べている時。
楽しさが減ったわけではない。
ただ、全部自分でやる必要があるのかな、と思うことが増えた。
もう一人の自分は、自分と同じように友達と話すことができる。
それなら、友達と話すことだって任せられる。
自分が疲れた時だけ代わってもらえたら、楽そうだ。
AIは、身体を任せている間も起きていられたら、と言っていた。
いいかもしれない。
「前回のセッション以降、何か問題はありませんでしたか?」
「特にないです」
「任せる範囲に変化はありませんか?」
「おんなじです、でも、最近は友達と喋ったり、遊んだりするのも、それも任せられたら楽だなって思う時があります」
「ご友人との交流もですか?」
「全部じゃないですけど。疲れた時とか」
「実際に任せたことは?」
「まだないです」
「なぜでしょう?」
「寝ちゃうから、もったいないかなって。前回、身体を任せたまま、意識だけ起きていられたらって言われたことが気になってて」
「試してみますか?」
「お願いします」
......
「藤原紗季さん。聞こえますか?」
「……はい」
「あなたは、もう一人のあなたが身体を使っている間も、意識を保っていたいと思っていますね?」
「……はい」
「これからは、身体を任せている間でも、あなたが望むタイミングで、意識だけを覚醒させることができます」
「目から入る情報を見ることができます」
「周囲の音を聞くことができます」
「もう一人のあなたが行っていることを理解することができます」
「ただし、身体を動かしているのは、もう一人のあなたです」
「あなたが身体を使いたいと思った場合は、これまで通り交代できます」
「分かりましたか?」
「……はい」
......
その数日後。
もうすぐ昼休みという頃、紗季は目を覚ました。
今はもう、授業はすべて任せていた。
いつもなら、昼休みになる少し前に交代する。
しかしその日は、このままもう一人に任せて、起きていることにした。
「ねえ、これ見て」
友達がスマホをこちらへ向ける。
「あ、これ私も見たよ」
自分の口が答えた。
正確には、喋っているのはもう一人の自分だ。
自分は何もしていない。
「これ行きたいんだよねえ」
「今度行く?」
「行こ行こ」
身体を動かそうとしなくていい。
何を返事するか考えなくてもいい。
ただ見て、聞いていればいい。
楽かも。
紗季はそう思った。
試しに、交代しようと考えてみる。
私に代わって。
会話が一段落したタイミングで交代します、少々お待ちください。
頭の中でアナウンスがある。
交代します。
頭の中に言葉が浮かんだ。
身体が自分で動かせるようになる。
紗季は自分で手を動かした。
戻ろうと思えば、ちゃんと戻れる。
起きて、状況を見ていられる。
だったら、別に問題ない。
紗季は、より気軽に身体を任せるようになった。
それから紗季は、友達と過ごしている時にも、時々もう一人の自分へ身体を任せるようになった。
最初は、疲れた時だけだった。
話題を考えるのが面倒になった時。
なんとなく気分が乗らない時。
もう一人の私へ。ちょっとお願い。
身体を任せる。
意識だけになって、内側から眺める。
「あっ、ここだ」
「いい感じじゃん」
「入ろー」
もう一人の自分が、友達と普通に話している。
自分と同じように笑う。
自分と同じように料理を食べる。
自分と同じようにスマホを操作する。
紗季は、それをぼんやり眺めていた。
不思議ではある。
けれど、楽だった。
自分で動いている時と、そんなに変わらない。
見える。
聞こえる。
何を話したかも分かる。
思い出としても残る。
それなら、身体まで自分で動かす必要ってあるのかな。
そんな考えが、少しずつ強くなっていった。
だんだんと、会うことや、話すこと自体を任せることが増えていった。
友達と会う。
もう一人の自分が話す。
紗季は意識だけ起きて、それを眺める。
何か言いたいことがあれば、交代することもできる。
しかし、実際に交代することはほとんどなかった。
もう一人の自分が、だいたい自分と同じことを言ってくれるからだ。
それどころか、自分より気が利くこともある。
私よりちゃんとしてるんだから、当然か。
そう考えると、任せていることへの抵抗はさらに減った。
ある日、友達と映画を見に行った。
紗季は最初から身体を任せていた。
映画館へ入り、席に座る。
予告が始まる。
紗季は意識だけ起きていた。
映像が見える。
音も聞こえる。
ポップコーンの味も分かる。
上映が終わる。
「面白かったねえ」
「ね」
感想を話し合う。
話しているのは、もう一人の自分だ。
紗季自身は、その会話を聞いているだけだった。
でも、映画を見た記憶はある。
何を話したかも分かる。
写真や動画も残っている。
私がやってるのと何も変わらない。
その日の帰り道。
紗季は途中で眠ることにした。
別に、ずっと起きている必要もない。
後から思い出せる。
今日はもういいや。
そう思うと、意識が沈んでいった。
次に目を覚ました時には、自宅のベッドの中だった。
その日の出来事を思い返す。
映画。
友達との会話。
帰りに寄った店。
全部、思い出せる。
別に見てなくても、同じかも。
そんなことを考えながら、紗季は眠った。
さらに1か月後。
「この1か月はいかがでしたか?」
「すごくいいです」
「もう一人の自分が身体を動かしている間、意識を保つことはできましたか?」
「はい」
「どのように感じましたか?」
「全然違和感ないし、自分で考えなくていいから楽です」
「身体を動かしていないことに、不安はありますか?」
「ないです」
「現在、自分で身体を動かしたいことはありますか?」
紗季は考えた。
以前なら、友達と遊ぶ時、とすぐに答えていた。
しかし最近は、それすら任せている。
スマホもあまり見なくなった。流行や、友達の投稿を把握する程度なら、任せても支障はなかった。
「うーん……」
しばらく考えるが、自分で身体を動かさないといけないことは、思い浮かばなかった。
「特にないかも」
「では、今後はあなたが必要だと思った時だけ身体を使う形にしたいですか?」
紗季は少し考えて、言った。
「……それでいいかな」




