もう一人への信頼と、代行願望の増幅
2回目のセッションから1週間後。
「あの課題?もう出したよ」
「え?」友達が顔をあげる。
「締め切り、来週だよ?」
「もうできたから」
「誰?」
「は?」
「紗季を返して!」
「うるさ」紗季は笑った。
催眠術を受けるようになってからというもの、紗季はまるで優等生だった。
授業は朝からキチンと出る、課題は計画的に進め、期限に余裕をもって提出する。
無理をしているという感じもない。自然と、そろそろスマホを置いて寝ようとか、今日は課題をどの程度進めようとか、そういう気持ちになるのだと紗季は言っていた。
「ほんと、すごい効果だねえ」
「もっと早く出会いたかったよ~」
「でもさあ、なんか怖くない?そこまで変わるのって」
「変わるっていうか、もう一人の自分が手助けしてくれる感じなんだよね」
「もう一人の自分?」
「そう、自分の中に、几帳面なもう一人の自分がいてさ、寝る時間とか課題とか、色々手助けしてくれる感じなんだ」
「それって大丈夫なの?」
「全然!むしろ安心するんだ。忘れ物もしなくなったけど、これももう一人のおかげだと思う」
「ふーん......今日が3回目だっけ?」
「うん」
「なんかやだなあ」
「なんでよ」
「前回から、何か新しい変化はありましたか?」
「うっかりすることがなくなりました。忘れ物とか」
「例えば?」
「例えば?えっと......この間、翌日の予定を忘れてたけど、寝る直前に思い出した......とかです」
「それまでは忘れていた?」
「完全に」
「ふと気付いたという感じですか?」
「はい」
「不自然な感じはありませんでしたか?」
「全然」
「もう一人の自分については、現在どう感じていますか?」
「ありがたいです。自分を助けてくれてる感じです。」
「嫌だとは思いませんか?」
「思いません」
「催眠術で、自分の生活が変化する点についてはどう思いますか?」
「もっと早く、催眠術に出会いたかったなって思います」
「分かりました」女性はにっこりと笑いながら、紗季の返答をタブレットへ入力した。
「それでは、本日も掛け直しを行います」
「お願いします」
......
「几帳面なあなたに関する催眠暗示を行います」
「几帳面なあなたは、これからもあなたの生活をサポートします」
「明日の予定や、課題の締め切りについて心配する必要はありません」
「それらをうまくこなせるよう、几帳面なあなたが適切に手助けしてくれます」
「あなたは、楽しいことや、興味のあることに集中することができます」
「もう一人のあなたを信頼し、リマインドを任せてください」
......
紗季はいつものように、深い催眠状態へ誘導された。
「新人格へ。この1週間の活動を報告しなさい」
「予定の確認、就寝時刻の調整、起床の補助、課題実行への誘導を継続しました」
「また、旧人格の見落としや忘れていること、必要な準備をしていないことについて、自然に認識させました」
「引き続き、それらの活動を継続しなさい」
「また、予定や課題のことは、旧人格がなるべく意識しないよう影響を与えてください。適切なタイミングであなたが思い出させるまで、旧人格がそれらのことを考えないようにしてください。ただし、旧人格が自らそれらについて考えようとした時に、妨害することは禁止です」
「はい」
「それでは、あなたが行うことと、禁止事項を述べてください」
......
さらに1週間が経ち、4回目の日になった。
3回目の催眠術を受けてから、紗季は予定や課題をあまり気にせず生活するようになった。もう一人の自分がいいタイミングで気付かせてくれるから、何の問題もなかった。気にしないからといって、予定を詰め込んで課題に取り組む時間が足りなくなる、などというトラブルも起こらなかった。どうやら、もう一人の自分はかなり優秀らしい。
「今日も催眠術?」
「うん、今日はちょっと遅いから、時間まで課題進める予定」
「ほんと変わったね」
「でしょ」
「催眠術終わったら元に戻ったりして」
「えー、それやだな」紗季はしかめ面になった。
「そんなに?」
「だって、今めっちゃいいもん。自分で自分を褒められるっていうか」
「依存してるじゃん」
「別にいいじゃん。健康になって成績も上がる依存なら」
几帳面な自分がいなくなったら。また夜中までスマホを見て、朝起きられなくなって、課題を先延ばしにして、締め切り前日に徹夜する。
それは嫌だった。今の方がいい。
もう一人の自分がいてくれた方がいい。
紗季はそう思った。
「もう一人の自分についてはどう思いますか?」
「すごく頼りになります」
「例えば?」
「課題とか、予定とか、私が気にしてなくても、いい感じに思い出させてくれるんです」
「トラブルはありませんか?」
「全然。もう一人の私って優秀みたいで。いっそ、課題もやってくれないかなって最近は思います」紗季が冗談めかして言う。
「もう一人の自分がいなくなる、と想定すると、どう感じますか?」
「困ります」
「なぜでしょう」
「元に戻りそうだから」
「以前の生活に?」
「はい」
「念のための質問ですが、今の生活と、以前の生活ではどちらがいいですか?」
「今の方が絶対いいです」
女性は微笑みながら頷いた。
「今回で、毎週来ていただくのは最後になります。次回は1か月後となります」
「それって、催眠術を受けられるのも1か月後ってことですよね?効果が薄れちゃわないですか?」
「その可能性は、残念ながらありますが、そのあたりも含めた研究ですので、次回お聞かせ願えますか?」
「......分かりました」薄れるのは嫌だなあと思いながら、紗季は返事をした。
......
紗季は、通常の催眠状態にあった。いつもなら、AIが暗示をかける。しかし、今回は少し違った。
「藤原紗季さん、聞こえますか?」
「......はい」
「もう一人のあなたは、いつもあなたを助けています」
「もう一人のあなたに任せれば、物事はうまく進みます」
「あなたは、もう一人のあなたを信用していますね?」
「......はい」
「しかし、今のもう一人のあなたには、できないことがあります」
「もう一人のあなたは、あなたに気付かせることができます」
「眠る時間を、教える」
「起きる時間を、教える」
「課題を始めるよう、促す」
「忘れ物に、気付かせる」
「けれど、実際に行動するのは、あなたです」
「その行動を、もう一人のあなたがしてくれたらいいのに、と思っていますね?」
「......はい」
AIは紗季の意思を確認したのち、新たな暗示は追加せず、深い催眠状態へと導いた。
......
「新人格へ。次のセッションまでの間、実際にあなたが藤原紗季の肉体を使用し活動を行うことを、旧人格に想像させなさい。また、それを好ましく思うよう、精神に影響を与えなさい」
「まずは、旧人格が行動の代行を望んだ場合に、その感情をわずかに増幅することから始めなさい」
「次のセッションまでの期間、影響を徐々に強めることを許可しますが、渇望や強迫観念未満の水準に留めてください」
「また、本セッションから2週間経過後、課題や授業への疎ましさを徐々に増幅させなさい。ただし、旧人格が課題や授業を放棄することのないよう、調整しなさい」
「自分で行うより、几帳面なもう一人に任せる方が合理的である、と旧人格が自ら判断するよう補佐してください」
「それでは、あなたが行うことと、禁止事項を述べてください」
......
その日の夜。
紗季はレポートに取り組んでいた。
完成の目処は立っている。期限にも余裕がある。
今日はもう切り上げていいだろう。
「ふーっ」伸びをして、ソファの背もたれに身体を預けた。
セッションを始めてから、計画的に、集中して課題に取り組めるようになった。しかし、面倒だという感情がなくなったわけではない。
もう一人の自分が、代わりにしてくれたらいいのに。私よりちゃんとやってくれそうだし。
明日の準備をしながら、紗季はそう思った。




