22-3
店を出たあとも、二人はそのまま人混みの中を並んで歩いていた。昼の賑わいはまだ通りに残っていて、焼き菓子の甘い匂いや、露店から流れてくる香辛料の匂いが、風に混じっている。
「さっきの店の料理、結構美味しかったよな」
「ええ、また食べに行きましょう」
セレナがそう答えると、エインはすぐに次の言葉を返した。
「じゃあ次はいつ行く?」
あまりに間髪のない問いかけに、セレナは目を丸くする。それから、少しだけ楽しそうに笑った。
「あらまぁ、随分気が早いんですのね。それより、次は私のお買い物に付き合ってくれませんか?」
「いいけど、何買うの?」
「お菓子の材料です。砂糖が少なくなってきたので、買い足そうと思ってるんです」
「おお、そりゃいいねぇ。早く行こう!」
言うなり、エインはセレナの手を取って駆け出した。
「あっ、待ってください!」
人の波を縫うようにして、二人は通りを進んでいく。セレナも最初の一歩だけは驚いた顔をしたが、すぐに足並みを合わせた。陽の下を走る二人の姿は、ただ市場へ急いでいるだけにしては、どうにも楽しげだった。
だが、その勢いは長くは続かなかった。
いくつか角を曲がり、大通りから少し外れた小さな広場まで来たところで、エインの足が目に見えて鈍る。広場の端には木陰のベンチがあり、エインはそこへ吸い寄せられるように腰を下ろした。
「はぁ、はぁ……セレナ、ちょっと待って……。休憩しよう」
肩で息をしながらそう言うと、セレナは隣で立ち止まり、少しだけ呆れたように、けれど面白がるように目を細めた。
「エインさんって、意外と体力ないんですね。ふふ、弱点見つけちゃいました」
「ほら、食べた直後にいきなり走るのって良くないから」
いかにも苦しい言い訳だったが、エインは真面目な顔で言い切った。
セレナはとうとう小さく吹き出す。
「はいはい。ほら、市場まではもうすぐですよ。歩けますか?」
そう言って、今度はセレナの方から手を差し出した。
エインは一瞬だけその手を見上げた。先ほど自分が引いた時と同じように、今度は彼女の方が当然のように手を伸ばしている。
少しだけ息を整えると、エインは素直にその手を取った。
「そういや俺、市場の場所ちゃんと知らないんだった。案内お願い」
「ええ、お任せください」
セレナはくすりと笑って、そのまま軽く引く。立ち上がったエインはまだ少しだけ足元が頼りなかったが、引かれるまま歩き出すと、すぐに元の調子を取り戻した。
やがて二人は市場へ着き、砂糖や小麦粉、乾燥果実に香辛料といった材料を一通り買い揃えた。昼を過ぎた市場は賑やかで、店主たちの張りのある声があちこちから飛んでくる。
買い物を終えた頃には、セレナの手に提げた紙袋が小さく膨らんでいた。
「無事に買えました。ありがとうございます」
「いいんだよ。またお茶会やるんでしょ? 今度は何のお菓子を作るの?」
セレナは紙袋を抱え直しながら、少しだけ考えるように視線を上げた。
「エインさんの好きなものを作ろうと思います。何が食べたいですか?」
「うーん、セレナが作るお菓子なら何でもおいしいでしょ。任せるよ」
「そう言われても、なんでも、というのが一番考えるのが大変なんですよ」
「それじゃあ、あれは? こないだのパーティで出てた、見た目だけはきれいなお菓子。ほら、ちょうどあの店に飾ってあるやつ」
エインが指さした先には、通りに面した大きなガラス窓の菓子店があった。王都でも名の知れた高級店らしく、磨き上げられた硝子の向こうには、宝石みたいに艶やかな菓子が並んでいる。
その中でもひときわ目を引くのが、花や鳥をかたどった色鮮やかな細工菓子だった。
セレナもそちらに目を向ける。
「あぁ、マジパンのことですね。ただ、あれは高級な砂糖をたくさん使うので、作った経験がなくて……。それに、甘すぎてエインさんのお口には合わないと思いますが……」
「それはそうなんだけどさ、セレナなら初めてだとしても、あの店よりよっぽど美味しく作れるでしょ? 俺も手伝うよ」
あまりにあっさりとした口調だったので、セレナは思わずエインの方を見る。
その時だった。
「おいおい、随分なこと言ってくれるじゃないか」
低く太い声が横から割り込んできて、二人は揃って振り向いた。
「あっ、店長!」
店先に立っていたのは、白いコック帽に口髭の男だった。腕を組み、いかにも面白くなさそうな顔でこちらを見ている。
「うちより美味く作れるだって? いくらなんでも恋人の欲目が過ぎるんじゃないか?」
「は? 本当のことを言っただけだが? セレナのお菓子は世界一うまいんだが?」
店長は一瞬ぽかんとした顔をして、それから鼻で笑った。
「ハハハ、威勢だけは結構だが、彼女さんに恥をかかせる前に、ほどほどにしておくんだな。王都随一の腕前を持つ俺より、うまいお菓子が作れる奴がいるものか」
その言葉に、セレナの表情がぴたりと止まる。
ほんの一拍の沈黙のあと、彼女は真っ直ぐに店長を見返した。
「……出来ますっ!」
「いま、なんて言った?」
「貴方よりももっとおいしいお菓子を作れるって言ったんです!」
店長の眉が面白そうに持ち上がる。
「こりゃあ面白いお嬢さんだぜ」
「セレナ、強がりなんか勝手に言わせときゃいいじゃんか。これ以上は相手にしなくていいって」
「そうはいかないぜ、坊や」
店長はにやりと笑って、店の中を親指で示した。
「大勢のお客さんの前でケチを付けられたんだ」
ちょうどその時、店内にいた客たちの何人かが、気配を察したようにこちらを見ていた。通りを歩いていた人間も、面白い揉め事の匂いを嗅ぎつけたのか、店先に足を止め始めている。
「こりゃあどうしても、うちよりうまいお菓子を作ってもらわねえとな」
「「え!! ここよりもうまいお菓子を!?」」
◆
「皆さんこんにちは、口上師のジョン・カベイラです! ここ王都屈指の名店、金砂糖亭にて、ただいま前代未聞のお菓子作り対決が勃発しました! はたして勝つのは店の誇りか、それとも無名の挑戦者か! 解説は、王都随一の美食家との呼び声高いキタザワ・ストロンガーさんです。よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします」
「さあ、選手をご紹介しましょう。まず青コーナー、金砂糖亭の総責任者、グスタフ氏! 王都でも名の知れた名職人!」
「そして赤コーナー! 飛び入りの挑戦者、謎の少女! その隣には補佐の少年も控えている! 果たして名店の誇りを崩せるか!」
「いやあ、これは見ものですね」
「ところでキタザワさん。今回勝負するお菓子は『マジパン』とのことですが、そもそもどんなお菓子なんでしょうか」
「名前にパンとありますが、パンではありません。砂糖とアーモンドを練り合わせて作る、高級な練り菓子ですね」
「なるほど、甘くて贅沢なお菓子、と」
「ええ。高価な砂糖をたっぷり使いますから、貴族の宴では飾り菓子として出されることも多い」
「しかし挑戦者のお二人は、先ほど“甘すぎる”と、ずいぶんな言いっぷりでした」
「それも無理はありません。あの二人が口にしたのは、金砂糖亭が宴のために特注で仕立てた装飾用の『マジパン細工』でしょう。サトルティとも呼ばれますが、あれは長時間造形を維持するために、砂糖の比率をかなり高くしている。言ってしまえば、食べるためというより、見せるための菓子です」
「つまり、彼らが食べたものと、いま勝負するものは全くの別物だと?」
「ええ、そう考えていいでしょう。今回求められているのは、見世物ではなく、食べ物ですからね。普段から金砂糖亭で出しているマジパンも、甘みは抑えられていて、きちんと食べておいしい仕上がりですよ」
「おっと、どうやら話している間に、両者とも準備が整ったようです! それでは──対決開始ィィィ!」
食事を終えて市場に向かったはずなのに、どうして僕たちはお菓子作り対決の開幕を見届ける羽目になっているのだろう。
何かやらかすとしたらエイン君の方だと思っていた。まさかセレナ王女の方が、売り言葉に買い言葉で受けて立つとは思わなかった。
「フハハハハ! マジパンづくりの肝は、いかにアーモンドを細かく砕き、なめらかなペーストに仕上げるかだ! この骨の折れる下拵え、ジャリ共には堪えまい!」
「それはどうかな? 【食材粉砕】!」
「なにィーっ!? 何だその魔法は! アーモンドが一瞬で粉々に!?」
開幕早々、あの二人は店先の注目を一身にさらっていた。
どうせしばらくは対決の方に釘づけで、こちらにまで気を回す余裕はないだろう。
護衛という意味では、今がいちばん手の空く時間だ。ちょうどいい機会だったので、さっきから気になっていたことを、僕はイレーネさんに聞いてみることにした。
「……あの、イレーネさんとセレナ殿下って、実際どういう関係なんですか?」
ただの主従、と言うには近すぎる。
イレーネさんは少しだけ目を細め、調理場の方を見たまま答えた。
「……私は元は孤児です。王国に拾われ、幼い頃から暗部の一員として育てられました。ですがある時、命令が下りました。王女殿下の従者として、護衛として、幼い殿下の傍に付け、と」
「それで、ずっと一緒に」
「ええ。あとはご想像の通りです。……結局、情が移りました」
その言い方は淡々としていたけれど、視線だけはずっとセレナ王女を追っていた。
「生地が出来ました!」
「それで満足したつもりか? 俺のお菓子は味だけではないわっ! 見よ! この美しき形を!」
「【塑形変質】!」
「なにィーっ! 生地がひとりでに形を変えていく!? 砂糖の比率を下げているのに、どうやってあんな細やかな造形を!?」
僕はさらに声を潜めた。
「……それで、あんなにエイン君を警戒してたんですね」
「……いえ」
イレーネさんは短く首を振った。
「正しく言うなら、嫉妬、でしょうね」
「嫉妬?」
「私にとって殿下は、仕える主である以上に、大切な家族です。……妹のようなもの、と言った方が近いでしょうか」
その一言だけで、あの過剰な警戒心の理由が少しわかった気がした。
「殿下には幸せになってほしい。自由に生きてほしい。ずっと、そう願ってきました」
イレーネさんの声は淡々としていた。けれど、その静けさの奥に、長い時間をかけて積もったものがあるように聞こえた。
「幸せにすることはできました。少なくとも、不自由の中で不幸にはしないよう努めてきたつもりです。……あの夜も、最悪の形になる前に止める手は打っていました」
そこで、彼女の声がほんのわずかに低くなる。
「それでも、自由にはしてやれなかった。……いえ、自由にしてやる覚悟が持てなかったのでしょうね」
「ですが、エインはそれを平然とやってのける。殿下を外へ連れ出し、ああして当たり前みたいに自由にしている」
イレーネさんはそこで一度、視線を落とした。
「それが、嬉しくて……悔しい」
「最後に仕上げをして……これで完成です!」
「俺も完成だ! そっちは見てくれだけは整えたようだが、菓子でいちばん物を言うのは味なのだよ!」
「あら、言いましたわよね? 貴方のお店より、もっとおいしいお菓子を作れるって。貴方もご賞味なさいな!」
「むっ! 何だこのマジパンは!? むちゃくちゃうまい! こ、これは……俺の負けだ……! そのレシピ、俺にも教えてくれ……」
僕は少しだけ肩の力を抜いた。
「でも、それだけ大切に思ってるってことですよね」
イレーネさんは否定しなかった。
代わりに、こちらを見もせず言う。
「……あなたも大概でしょう。あの男に甘すぎます」
「えっ、それはどういう──」
「……殿下たちが店を出ます。私たちも行きますよ」
「ちょっと待ってください! あっ、スカート踏ん──」




