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23-1 ロマンスの神様はサイコロを振らない

 王都の中心部、白い石畳を敷き詰めた広場には、大きな噴水がある。

 待ち合わせの名所らしく、昼になっても人の流れは途切れない。買い物帰りの婦人、荷車を押す商人、はしゃぎながら駆けていく子供たち。広場は、絶えず誰かの声で満ちていた。


 その中で、ひとりの少女が噴水のそばに立っている。

 通り過ぎる人々が、ちらりと目を向ける。陽を受けた銀の髪が、淡く光っていた。飾り立てた様子はない。それでも、ただそこにいるだけで、妙に目を引く。


 少女は噴水の縁へ視線を落とし、水の流れを眺めていた。吹き上がる飛沫が陽にきらめき、そのたびに銀髪の輪郭がかすかに揺れる。

 待ちくたびれた様子はない。むしろ、何かを待つ時間そのものを、静かに楽しんでいるように見えた。

 少女は振り向きもしない。ただ噴水を見ていた。


 やがて、広場の向こうから一人の少年が現れた。

 目的地しか見ていない歩き方で、人混みを縫ってまっすぐ進んでくる。そして、そのまま少女の前で足を止めた。


「やぁ、待たせちゃった?」


 少女が顔を上げる。


「私も、さっき着いたばかりです」


 それだけの、短いやり取りだった。


 少年が歩き出すと、少女はそれで十分だったらしく、ごく自然にその隣へ並んだ。どこへ向かうのかを確かめることもなく、二人はそのまま人の流れの中へ溶けていく。


 僕──フレッドは、広場の物陰からその後ろ姿を眺めていた。


「殿下を待たせるとは……やはり許しがたい……」


 物騒な声が、すぐ隣から聞こえた。


 イレーネさん。セレナ王女の護衛だ。

 褐色の肌に長い黒髪、すらりと背が高い。全体に冷たい印象の美人で、従者としてのメイド服も妙に様になっている。

 その彼女が、二人の後ろ姿を見つめたまま言った。


「フレッド。何をしているのですか。あなたも追ってください」


「いや、何で僕がそんなことを……」


 故郷の件で学校を飛び出して、道中でも色々あった。村でも色々あった。戻ってきた学校では、さらに色々あった。ようやく全部片づいて、今日こそ何もせず部屋で休める──はずだったのに、気づけば僕は広場の物陰に立たされている。

 半分どころか、ほとんど全部が拉致だった。裁判の時に助けてもらった手前、強く断りきれなかったのがいけない。


「本日は殿下の護衛が目的です。普段なら私一人で十分ですが……」


 そこで、彼女はほんのわずかに眉を寄せた。


「あの男が相手となると、話は別です」


 視線の先では、エイン君とセレナ殿下が並んで歩いている。少なくとも今のところは、どう見ても穏やかに王都を散策しているだけだった。


「奴は何をしでかすかわからない。行動原理も、判断基準も、常人のそれではない。ですから、最もよく奴を知るであろうあなたを連れてきました」

「まあ、それは……わかりましたよ。でも僕に何をしろと」

「もし不審な動きがあれば、私が殿下を保護します。あなたはあの男を抹殺してください」

「当然みたいに言わないでください!?」


 思わず声が裏返った。慌てて口を押さえる。幸い、前を行く二人はこちらに気づいた様子もない。


「できるわけないじゃないですか。親友ですよ」

「では、無力化でも構いません」

「そういう問題じゃないです」


 僕は小さくため息をついた。


「大体、エイン君と一緒に遊びに出たことなら何回かありますけど、別に大きな問題は起きませんでしたよ」


「本当に?」


 彼女が、すっとこちらを見る。


「……あのエインですよ?」


「……普通にしていれば、大丈夫だと思います」


 問題は、エイン君の「普通」がまるで当てにならないことなのだが。


    ◆


 噴水広場を離れたあと、エインとセレナは人通りの多い大通りを並んで歩いていた。


「王都って、いつ来ても人が多いな」


 行き交う人を眺めながら、エインが言った。


「そうですか? 私には普通に見えますが」

「村には全然いなかったからなぁ。俺が引きこもりだった、ってのもあるけど」

「引きこもり、ですか?」

「そう。村って娯楽があんまりないから、いつも部屋に籠もって魔法の研究ばっかりやってたんだよ。セレナはどうなの? 都会育ちなら、色々遊び方知ってるんじゃないの?」


 セレナは少し考えてから、小さく首を振った。


「……いえ、私も王宮からあまり出ないように言われていましたので、そういうのはあまり」


「なんだあ、セレナも俺と同じ元引きこもりだったのか。良かったぁ」


「えっ?」


「ほら、引きこもりって世間体悪いじゃない。でも王女様もそうだったのなら、全然恥ずかしくないじゃん。セレナは引きこもりの王女! 引きこもりの希望!」

「ふふっ、そうかもしれませんね」


 人通りの多い通りを歩いているのに、不思議と二人の歩調は乱れなかった。並べば自然に揃ってしまう、そんな歩き方だった。


「でも、エインさんも、私も、もう引きこもってはいません。ほら、こうして二人で外を歩いていますもの」

「でも、いつまでもそうじゃないだろ?」

「どういうことですか?」


「だってそのうち村に戻らないといけないからな。卒業したら、母さんのところに戻らないと」


 言いながら、エインは少しだけ遠くを見るような顔をした。


「エインさんのお母様は、どんな方なんですか?」


「すごく優しい人だよ。俺のことをいつも心配してる。そろそろ帰省したほうがいいのかなぁ」


 そう言いながら、エインはそのままの調子で訊き返した。


「セレナの母さんは、どんな人なの?」


 セレナの足取りが、わずかに鈍った。


「私の母は、物心つく前に亡くなってしまいました。ですから……記憶も、あまり」


 エインは特に足を止めなかった。立ち止まりもせず、表情も変えず、ただ同じ歩調のまま続けた。


「それはご愁傷さまだねぇ。寂しくないの?」


 あまりに気負いのない調子だったので、セレナは一瞬だけ目を丸くする。けれどすぐ、少しだけやわらかく笑った。


「ええ、大丈夫です。イレーネがずっと一緒にいてくれましたし……それに、今日はエインさんがいますし」


「そっかぁ」


 エインは素直に頷いた。


 少しだけ間があいて、セレナは改めてエインの姿を見た。


「……そういえば」

「うん?」

「今日のお召し物、ちょっと気になります。エインさんは、いつも制服なのですか?」

「うん、そうだけど。これが手持ちで一番上等な服だし」

「ですが、せっかく遊びに出ているのに、制服というのは風情が足りませんこと?」

「そういうもんなの?」

「ええ、そういうものです。ほら、私もこうして、少しだけおしゃれをしています」


 そう言って、セレナはワンピースの裾をつまんでみせた。


 淡い色合いで、飾り気は強くない。けれど普段の制服姿よりずっとやわらかく見える。今日のために、少しだけ特別を選んできたのだと、それだけでわかった。


「ああ、ほんとだ。今日のセレナ、かわいいと思ってたけど、そういうことだったのね」


「ええ、そういうことです」


 その声は、ほんの少しだけ弾んでいた。


「エインさんも、おしゃれしてみたらいかがですか?」

「えぇ~、でも俺、そういうのわからないしなぁ」

「ご心配なく。私が選んで差し上げます」


 その返答には、ためらいがなかった。


「さあ、お洋服を買いに行きましょう」


    ◆


「ここが、私がお世話になっている服飾店です」


 二人が入っていったのは、通り沿いのこぢんまりした店だった。

 僕とイレーネさんは少し離れたところで足を止め、入口の向こうをうかがう。


「フレッド、私たちも行きますよ」

「えっ、僕たちも店に入ったらバレるでしょう!」

「バレないために店に入るのですよ。ちょうどいいですから、ここで変装用の服も調達してしまいましょう」

「えぇ……」


 イレーネさんに押し込まれるように、僕も店の中へ入った。


 店内は思ったより手狭で、棚に服がところ狭しと並んでいる。少し窮屈だが、そのぶん死角は多い。見張るには悪くない。


 奥では、セレナ王女が次々と服を手に取り、そのたびにエイン君へ向き直っていた。


「こちらのお洋服はどうですか?」

「どうって言われても、わからんなぁ。セレナが選んだやつならなんでもいいよ」

「まあ、張り合いがありませんわね!」


 今日に限って妙に素直だ。あのエイン君が、文句ひとつ言わずされるがままになっている。


「フレッド」


 突如後ろから声をかけられて振り向くと、イレーネさんが包みを差し出していた。

 いつの間に用意したんだ、それ。


「お前の変装用の服を購入しておいた。私が監視しているうちに、あそこの試着室で早く着替えてこい」


「はぁ……」


 断る間もなく、僕は試着室へ押し込まれる。

 包みを開けて──中身を見た瞬間、閉じて帰りたくなった。


 僕が葛藤している間にも、試着室の向こうから声が聞こえてくる。


「これ! この服がぴったりです!」

「そうだね。サイズはピッタリだね」


 声だけ聞いていると、エイン君は文句も言わず付き合っているらしい。


 その間にどうにか変装を終えると、イレーネさんは入れ替わるように試着室へ入った。

 それから、ほとんど間を置かずに声がした。


「今戻った」

「うわびっくりした!」


 早い。早すぎる。

 いつの間にか、真後ろに立っていた。着替える速さも気配の消し方も、心臓に悪い。


「静かに。声を出すと気づかれてしまいます」

「いや、イレーネさん……」


 だが、僕はそれどころではなかった。


「何だ」


「……なんで僕、こんな格好してるんですか」


「言っただろう、変装のためだと」

「いや、それは分かってるんですけど、そのための服がですね」

「そのメイド服がどうした? まさか不満なのか?」

「そうですよ!」


 そう、僕はなぜかメイド服に、おまけで長髪のウィッグまで着せられていた。

 慣れないスカートは落ち着かないし、肩にかかる髪も妙にむず痒い。自分の格好だというのに、鏡を見るたび知らない誰かを見せられている気分になる。


 一方のイレーネさんは、長い髪を後ろでまとめ、男性用の礼服を着ていた。ちょうど僕と元の服装を丸ごと入れ替えたみたいな格好だ。しかも異様に似合っているのが腹立たしい。


「何で僕がこんな格好しないといけないんですか!」

「変装のためだと言っているだろう。いいか、今日の我々は地方貴族とその侍女だ。私はイレオン。お前はフリーダ。そういうことにしておけ」

「偽名まであるんですか!?」

「当然だ。姿だけ変えても甘い。名と立場まで整えてこそ変装は完成する」

「だとしても、何で女装までしなきゃならないんですか!」

「見た目の性別を変えれば、まずバレることはないからだ。案ずることはない。お前はかわいい顔をしているからな。フフ、よく似合っているぞ」

「そこを褒められても嬉しくないですよ……」


「ご購入ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」

「ええ、また来ますわ」

「もうこないからねー」


 僕が文句を言っている間に、二人はもう店の外へ出ていた。


「大体、女装するにしても、こんなフリフリの格好はいやですよ。もっと地味な服とかなかったんですか?」

「買い物が終わったようだな。私たちも行くぞ」

「話聞けっての」


 反論している間に、イレーネさんはさっさと出口へ向かってしまう。

 僕はスカートの裾を押さえながら、慌ててそのあとを追った。


 店を出るとき、店員さんと目が合った。

 何か言いたげだったが、考えないことにした。

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