22-2
回廊に出ると、夜気が流れ込んできた。
会場の喧騒が遠ざかる。音楽も壁越しにくぐもり、波のように揺れるだけだった。シャンデリアの光が届かないこの場所は、ずいぶんと暗い。石畳が月光を鈍く、冷たく反射している。
しばらく、二人とも黙っていた。
けれど、その沈黙は不思議と苦ではなかった。会場にいるより、よほど呼吸が楽だった。セレナは隣に立つ青年を横目で確認する。夜会服はまだ濡れたままだ。このまま放っておけば、本当に風邪をひくだろう。
先に口を開いたのは、ユリウスのほうだった。
「……迷惑をかけてしまいましたね」
「いえ、そんなことは」
内心では、あの窒息しそうな空間から出られたことに安堵していたが、それを口にするのは不謹慎だと思い、黙っておいた。
「先程も申し上げましたけれど、庇うつもりはありませんでしたの」
「貴方がお風邪を引きそうでしたから、お拭きしただけですわ。もし貴方が燃えていらしたら、姉様のように水をかけていましたわ」
「君は……」
続きは来なかった。
代わりに、激しい咳が出た。身を折るような、深い咳だ。抑えようとした手のひらに、はっきりと赤いものが滲む。
ユリウスはそれを素早く上着で拭った。
見なかったことにするつもりらしい。その動作は、ひどく自然だった。何度もそうしてきた人間の動き方だった。
「お体の具合がよろしくないのですか?」
ユリウスは咳を抑えながら、わずかに身を引こうとした。
「あなたには関係のないことです。とにかく、失礼させていただきます」
冷たい声だった。
けれどそこには、セレナを巻き込むまいとする気遣いが滲んでいた。
「姉様の言っていたことは本当だったのですか?」
セレナは一歩踏み出した。
ユリウスの退路を、さりげなく塞ぐ形で。
「そんな状態で色街に行くなんて、随分と節操がありませんね」
「その状態で不貞をするなんて、相手の方に申し訳ないと思わないのですか? それとも、そういうのがご趣味なのですか?」
一歩、また詰める。
「違うのなら、ちゃんとわたしに説明なさってください」
皮肉のつもりで言った。
だが、自分でも驚くほど声は真剣だった。
ユリウスは少し目を細め、それから苦笑した。
「……参りましたね」
「その話は、事実ではありません」
ユリウスはしばらく沈黙した。
月を見ていた。それから、観念したように視線を落とす。
「……呪いなんです。『病に至る呪い』。父上の後釜を狙う者にとっては、私は邪魔なのでしょう」
石畳に、ユリウスの影が細く伸びていた。
「普通の病ではないと気づいたときには、すでに手遅れだった……」
声に温度はなかった。
何度も反芻し、感情が剥がれ落ちてしまった言葉のように聞こえる。
「今日だって、本当は私から婚約破棄を切り出すつもりでいたんです。私はもう、長くはありませんから」
「……ですが、ただ死んでやるわけにはいきません」
何を言えばいいのか、分からなかった。
「大丈夫ですわ」は嘘になる。「気の毒に」では他人事すぎる。「諦めないで」は的外れだ。試しに「ご愁傷さま」と言ってみようかと一瞬考えたが、さすがに黙っていた。
「肺には、あえて呪いを残しています。死ぬのは多少早くなりますが、構いません」
「死んだ後、それを調べれば犯人に辿り着けるかもしれない。……犯人に父上の後を継がせるわけにはいきませんからね」
セレナはユリウスの横顔を見ていた。
月明かりの中で、その輪郭は思ったより若い。自分とそう変わらない年齢のはずだ。なのに彼は、死を材料にして、まだ何かを作ろうとしている。
自分の命を道具に変えることを、貴族の責務と呼んでいる。
それが、どこか眩しかった。
「……お強いのですのね、貴方は。それがつらい道だったとしても、自分で選び、進むことができる」
気がつけば、口に出していた。
称賛のつもりで言った。けれど、口にした瞬間、違うと気づいた。
羨ましかったのだ。
自分で選んで、進むことができる。そのこと自体が。
ユリウスは静かに首を振った。
「……そんなことはありませんよ」
少し間があった。
彼は再び月を見た。
「正直に言えば……怖い。王国のため、と言えば聞こえはいい。でも本当のことを言えば、何もなせずに死ぬのが嫌なだけです」
覚悟というより、諦めに近いのかもしれなかった。
強いというより、そうするしかなかったのかもしれない。
それでも、前を向こうとしている。
その一点だけが、自分とは違っていた。
「みっともない話ですが……色々と試しました。市井の怪しい民間療法や、異国の効果も分からない薬」
「【神癒】を使えるという、聖女もどきのところにも行きました。今思えば──いや、最初から偽物と分かっていました。それでも……縋ったんです」
【神癒】という言葉が、頭の奥で引っかかった。
聖教国が独占している、神の奇跡を謳う魔法。
「覚悟なんて、最初から出来ていなかった」
彼は【神癒】を元に、とある魔法を研究していた。
そして、その研究を手伝っていたセレナは、それを習得している。
「選んだわけでもありません。他に道がないと分かったから、そう振る舞っただけです」
周囲を見渡す。
月明かりの中に、古い切り株があった。素材はあれで十分だ。
「そういうわけです、殿下。ですから──」
「【回復】」
光が溢れた。
音もなく、ただ満ちる。月明かりとも違う、静かで白い光だった。ユリウスと切り株を同時に包み、回廊の石畳を白く染める。
人体を錬成し、置き換える魔法。
どんな怪我も、どんな病も、“置き換える”ことで治す。
それが、【回復】という魔法だった。
やがて光が収まり、静寂が戻る。
ユリウスが、ゆっくりと息を吸った。
深く。
もう一度。
胸が、きちんと動いている。
「……今のは、何を……」
彼の声はかすれていた。
さっきまでの咳のせいではなく、別の理由で。
「何って、貴方の肺を新しいものとお取り替えしただけですわ。ほら、古いものはあちらに」
ユリウスの視線が、切り株へ向いた。
そこには、禍々しい紫色の染みを持つ小さな肺臓が残されていた。
「これは……やはり、呪いが残っている」
ユリウスは立ち上がり、それを丁寧に布で包んだ。
それからセレナへ向き直り、深く頭を下げる。
「……ありがとうございます」
声が、微かに震えていた。
「私の命を、もう一度選び直すことができた」
頭を上げた彼の目は潤んでいる。
泣いてはいない。泣くまいとしている。それがよく分かった。
衝動的に使ってしまった。
救えると思ったときには、もう使っていた。ネズミ相手にしか試したことがなかったことも、人間への初めての施術だったことも、彼には言わないでおこう。
「今日、貴方に会えたことが……何よりの幸運でした」
「本当に、ありがとう」
ユリウスは改めて礼を述べた。
それから、ためらいがちにセレナの手を取る。
両手で、包むように。
セレナは思わず固まった。
体温が伝わってくる。先ほど冷えていたはずの指先が、今は温かい。血がきちんと巡っている。
そのとき、会場の扉が開く音がした。
人々が流れ出てくる気配。笑い声。靴音。
その中に、見知った姿があった。
アナスタシアが、ドレイクを伴って立っている。
視線がこちらへ向く。二人の手が繋がれているのを、確かに見た。
アナスタシアが微笑んだ。
皮肉げに、ゆるやかに。
「随分と、お楽しみだったようね」
「いい方を見つけられたようで、何よりですわ」
ユリウスはセレナの手を放さなかった。
それどころか、わずかに握り直す。
「ええ。まったく、本当に」
迷いのない声だった。
「素晴らしいご縁を、ご紹介いただきました」
◆
41:名無しの転生者
そういやさぁ、何でイッチは学校に戻ってきたん?
◇42:名無しの元引きこもり
え?
43:名無しの転生者
どういう意味?
44:名無しの転生者
だからそのまんまの意味だよ、何で王国の学校に戻ってきたのかって
◇45:名無しの元引きこもり
何でって、マッマのためだって前に言ったやろ。
マッマの期待に応えるために、学校卒業まではしとかないと田舎に帰れないんや。
46:名無しの転生者
だから、帝国の魔法学校はもう卒業してるじゃん。
将軍にそういうことにしてもらったんでしょ?
47:名無しの転生者
あ
◇48:名無しの元引きこもり
本当だ。
いつの間にか俺、人生の目標を達成してたんだな。
49:名無しの転生者
人生の目標しょぼすぎやろ
50:名無しの転生者
でもこれで大手振って田舎に帰れるじゃん
51:名無しの転生者
良かったなイッチ!そのまま引きこもって大人しくしてろよ!
◇52:名無しの元引きこもり
えぇ~、いきなりそんなん言われてもなぁ~
もう留学生の受け入れ完了しちゃったしなぁ~
53:名無しの転生者
そんなん普通に断ればよくね?
54:名無しの転生者
イッチの場合、普通にバックレて逃げるパターンだろ
55:名無しの転生者
まさかこいつ、自分の意思で学校に通おうとしている?
◇56:名無しの元引きこもり
ファッ!?
57:名無しの転生者
嘘やろ!?
58:名無しの転生者
>>57
何でお前も驚いてるんだよ
◇59:名無しの元引きこもり
おかしい……なぜ俺は故郷に帰る気にならないんだ?
またつまらん授業を受ける羽目になるのに……
60:名無しの転生者
授業以外の学校生活が楽しいからまた通いたいってことやろ
61:名無しの転生者
嘘だろ?元引きこもりで、人間性の欠片もないこいつが?
62:名無しの転生者
ほら、あのパターンでしょ。
言葉の通じない化け物が、人と交わるうちに人の心を覚えるアレ。
63:名無しの転生者
イッチって人外枠だったんだ
64:名無しの転生者
しかしこんな化け物と仲良く出来る人間は大したもんやな
65:名無しの転生者
すごいよ!!フレッドさん
66:名無しの純愛主義者
第四王女の賜物だ!
孤独な化け物の心を溶かすのは、同じく孤独な少女!そして恋に落ちる二人!これぞ王道!
67:名無しの転生者
第四王女ってそこまで関係あるか?
勇者が勝手に盛り上がってるだけじゃね?
68:名無しの転生者
でも案外、裏でいい雰囲気になってたりするんちゃう?
その辺どうなん?
◇69:名無しの元引きこもり
>>68
うーん、学校にいる間は、何回かお茶会に行ったり、退学のときに匿ってもらったり、あとは魔法を教えたり研究を手伝ってもらったりはしたけど、そういうシチュエーションになったことはないかな。
70:名無しの転生者
十分そういうシチュエーションやんけ!
71:名無しの転生者
今どき鈍感系主人公とか流行んね―ぞ
72:名無しの純愛主義者
自分の気持ちに嘘をつくんじゃない!本当の『彼女』への気持ちを教えろ!
ああ!俺は世界のことなんかどうでも良かったのに!俺は彼女と一緒にいたいだけだったのに!
彼女も俺のことが好きだったのに!ああ!どうして俺は世界なんて救ってしまったんだ!
◇73:名無しの元引きこもり
>>72
本当の気持ちつっても、気になるなー、かわいいなーって思うだけで、それだけだよ。
でもなんか、実際に話してるとそんな気がしないというか……
74:名無しの転生者
日和ってんじゃねーぞ童貞
75:名無しの純愛主義者
貴様ぁ!何を戯言抜かしている!
主人公たるもの一歩もヒロインのそばを離れてはいけない!
他の男が現れれば即座に抹殺しなければいけない!
奴らは隙を見せればすぐに寝取ってくる!
さぁ、手遅れになる前に今すぐ会いに行くんだ!
76:名無しの転生者
思想が過激すぎだろ
77:名無しの転生者
>>75
その考え!人格がNTR同人誌に支配されている!
◇78:名無しの元引きこもり
>>75
言われんでも元から会いに行くつもりやで。
仲が悪いわけじゃないし、今日はお茶会の日だからな。
お土産渡すついでに、第四王女の美味いお菓子久々に食ってくるわ。
◆
本来なら、今日はあの茶室にいるはずだった。
小さな丸テーブルに新しいクロスを掛け、焼き上がりを確かめながら、菓子の並びを整える。スコーンだけは絶対に揃えておく。紅茶は、少しだけ渋みのあるものを選ぶつもりだった。あの人は甘いものをよく食べるから。
だけど、彼はもういない。
ずっと傍にいてほしいと思っていたけれど、彼はどこかへ行ってしまった。
だから、今日はここにいる。
応接室は静かだった。
見覚えのある配置だった。丸テーブルの位置も、窓際の椅子の角度も、あの茶室とほとんど変わらない。
けれど、ここは違う。自分のために整えられた場所ではない。
似ているのに落ち着かない。その感覚だけが、胸の奥に残っていた。
セレナはソファに腰を下ろし、向かいに座るユリウスを見た。
あの夜から、いくらかの時間が経っている。彼は夜会服ではなく、落ち着いた色の制服を着ていた。顔色も、あの夜とはまるで違う。血が、きちんと通っている顔だった。
「お身体の具合は……その後いかがですか」
形式的な問いかけのつもりだった。
けれど声に出すと、それは本心になった。
「完全に問題ありません。おかげさまで、呪いを仕掛けた犯人の特定が進んでいます。名誉を回復させる算段も整いました」
「それは……良かったですね……」
良かった、と素直に思った。
彼は、そう思ってもいい相手だった。
「そのご報告が、本日のご用件でしょうか」
「いいえ。本題は別にあります」
彼は、一切の前置きをしなかった。
「セレナ殿下」
名前を呼ぶ声が、少し変わった。
報告の口調ではなくなった。
「どうか、私と婚約していただきたい」




