21-2
「直接、殺す」
宣言と同時に、空気が弾けた。
彼の近くから、細長い岩石が射出される。
音も、予兆もない。
僕たちを一直線に貫こうとする、鋭い軌道。
反射的に、【防壁】を展開する。
間に合った──!
硬質な衝撃音が響く。
岩石は壁に弾かれ、砕け散った。破片が床にばらばらと散る。
これは──【石槍】。
そう理解した瞬間、第二、第三の槍が放たれた。
無詠唱。
間隔は一定ではなく、狙いも散らされている。
一つ一つに【防壁】を合わせ、必死に防ぐ。
いつかの決闘で見た、ベイルの【石槍】よりも速い。重い。
大きいだけの、一枚きりの【防壁】では、いずれ貫通される。
面で受けるのではなく、点で受け続けなければならない。
一瞬でも神経を緩めれば、やられる。
集中する。
全神経を、敵の動きへ向ける。
ただでさえ読みにくい攻撃を、ネズミ特有の無詠唱が、さらに苛烈なものにしていた。
予測できない。
次がいつ来るのか、どこを狙うのか、分からない。
それでも、僕は防ぎ続けた。
レオナルド先生との戦いで、学んだのだ。
点での防御。
最小限の魔力で、最大限の防御を成立させる方法を。
彼の苛立ちが、はっきりと表情に浮かぶ。
「……チッ」
魔力の消耗も、無視できなくなってきているのだろう。
「お前さえ……お前さえ支配できていれば……!」
その言葉には、焦燥が滲んでいた。
もう、後がない。
彼自身も、そう悟ったのだろう。
彼の眼前に、赤々と燃え盛る槍が展開された。
熱が、一気に広がる。
空気が歪み、講堂全体が灼かれるような錯覚に包まれた。
汗が、額を伝う。
「その魔法は、アメリアさんの……!」
僕は思わず声を上げた。
彼は、鼻で笑う。
「そうだ。【超紅蓮槍】」
「アメリア・ラングフォードとかいうガキが使っていた魔法だ」
「俺が知る限り、最も威力の高い魔法だ」
「どうして……彼女にしか使えないはずなのに……!」
「何を言っている」
彼は嘲る。
「魔法なんてものは、術式さえ分かれば誰でも使える」
「例外は、王族の血液を必要とする【啓導の光輪】くらいだ」
「お前たち人間は、魔法を神秘だと勘違いしているだけだ」
彼の声が、侮蔑に満ちる。
「──知恵が、低い」
そして。
「死ね」
【超紅蓮槍】。
大爆発。
光と炎が、視界を埋め尽くした。
熱い──!
肌が焼かれるような熱さ。
耳の奥で、きん、と甲高い音が鳴る。
彼は、勝利を確信したように高笑いした。
だが──煙が晴れた先に、無傷の僕たちは立っていた。
◆
煙が、ゆっくりと晴れていく。
視界が戻る。
──生きている。
無傷だ。
僕とアルノンの前には、三角錐がいくつも連なったような、奇妙な防壁が展開されていた。
幾何学的で、美しい構造。
エイン君の論文に書いてあった魔法。
フラクタル構造を応用した、防壁の多重分割。
最強の【防壁】。
【分形防壁】。
計画が終わるまで待つ間に、あの論文を読み込んでおいて正解だった。
「……なぜ、防げる」
彼の声が震えている。
「【超紅蓮槍】を防げる魔法など……!」
返答はしない。
僕は黙って、【分形防壁】を維持し続けた。
その後も、彼は【超紅蓮槍】を、なりふり構わず撃ち尽くしてきた。
爆発。
衝撃波。
降り注ぐ瓦礫。
それでも、僕は【分形防壁】を維持し続ける。
防ぐ。
防ぐ。
防ぐ。
貫通は、しない。
撃てば撃つほど、彼の魔力が削れていくのが分かった。
動きが鈍くなっている。
呼吸も荒い。
そして──彼の【超紅蓮槍】は、ついに形を失った。
炎が消える。
熱が引く。
「……これは、私の魔力が」
ようやく、気づいたのだろう。
計画の完遂。
生徒たちへの命令。
連続した高出力魔法。
すべてを短時間で行い続けた結果、自分の魔力が尽きかけていることに。
「今だ、アルノン!」
僕は叫んだ。
アルノンが、静かに前へ出る。
相互支配の回路を通じて、僕の魔力が流れ込む。
端末制御は、驚くほどあっさりと奪い返された。
空気が、変わった。
命令の流れが逆転する。
彼の命令は、もう届かない。
彼は、群知能の中心から切り離された。
抵抗手段を失った彼は、逃げ出そうとする。
だが、周囲のネズミたちは、すでにすべてアルノンの制御下に戻っていた。
無数の小さな影が、彼を包囲する。
逃げ場は、ない。
◆
制御権を完全に取り戻したアルノンは、王都中に命令を放った。
「支配されていた間の記憶を忘れなさい。そして、普段の生活に戻りなさい」
その思念波は、優しかった。
講堂にいた生徒たちも、ゆっくりと立ち上がり始める。
虚ろだった目に、少しずつ光が戻っていく。
「……ここは?」
「なんで講堂に……?」
混乱した声が、あちこちから上がる。
だが、命令通り、彼らは記憶を失っている。
何が起きたのか分からないまま、生徒たちはそれぞれ寮へと帰っていった。
やがて、静寂が戻る。
「次は、フレッド、お願いします」
アルノンが言う。
「わかった」
僕は、自分自身へ向けて魔法を行使した。
「【抗体伝染】」
生体魔法の論文には、それ自身を書き換える術式も記載されていた。
僕は【解毒】の感染魔法に、生体魔法を書き換える術式を組み合わせることで、肉体に刻まれた【精神伝播】の術式を書き換えた。
魔力が、体から流れ出ていく。
そして、周囲の人間へ伝播していく。
王都中へ。
これで、支配は解除される。
「とにかく、これで一件落着だね」
僕は、ようやく安堵の息をついた。
色々あったが、これで問題は完全に解決した。
だが──。
「待ってください、フレッド」
アルノンが、静かに言った。
「もう一つ、頼みがあります」
その声は、重かった。
嫌な予感がした。
「今度は、私たちネズミに刻まれた【精神伝播】を、無害なものに書き換えてください」
◆
「アルノン、自分で言ってる意味が分かってるのか!?」
僕は思わず声を荒げた。
「そんなことをしたら、君は──」
「ええ。私の知能は消え去り、ただのネズミに戻ってしまうでしょうね」
アルノンの声は、穏やかだった。
あまりにも穏やかすぎて、逆に怖かった。
「分かってるなら、どうしてそんなことを!」
「制御を取り戻した瞬間に、分かってしまったんです」
アルノンは、静かに語り始めた。
「彼を切り離したはずなのに、私が捨てた感情まで、群知能の奥底から戻ってきました」
その声が、わずかに震えている。
僕は何も言えなかった。
ただ、聞くことしかできなかった。
「憎しみ、恐怖、怒り。私が、群知能から切り離したはずの感情です」
「群知能である以上、個々の感情を完全に捨てることはできません」
アルノンは続けた。
「今は封じ込めています。でも、いずれまた──」
「彼のような人格が、生まれるでしょう」
僕の拳が震えた。
それは。
そんなのは。
「だから、フレッド」
アルノンが、僕をまっすぐ見た。
その目には、覚悟があった。
「お願いします」
「君は……」
僕の声が震えた。
喉が詰まる。
「君は、僕のことを友人だと言ってくれた……」
「友人として、僕に、人殺しをするなと言ってくれた」
胸が、張り裂けそうだった。
「なのに君は今、僕にその大事な友人を──君を殺させようとするのか!」
声が、講堂に悲しく響いた。
涙が滲む。
「私は人ではありません。ネズミです。ですから、気にしないで──」
「君がそれを言うんじゃない!」
僕は叫んだ。
視界が滲む。
「君がそれを言ったら──!」
言葉が続かなかった。
アルノンは、少し困ったように笑った。
その笑顔が、優しすぎた。
「つらい思いをさせてしまって、申し訳ありません」
「ですが、私は本当に死ぬわけではないのです」
「人格は死にます。でも、私という個体は生きています」
「エインやあなたとの思い出は、思い出せなくても──細胞が、確かに記憶しています」
「だから、気にしないでください」
僕は、何も言えなかった。
◆
すぐに、答えることはできなかった。
喉が、張り付いたように動かない。
言葉が出てこない。
手が震えていた。
友人に、殺すなと言われた。
人は殺さないと決めた。
それなのに、今、僕が選ぼうとしているのは、同じことだ。
「……」
沈黙が、重く落ちる。
講堂に、静寂が戻っていた。
これは殺人じゃない。
そう言い聞かせようとして、気づく。
違う。
人格が消えるなら、それは死だ。
どんな言葉で飾っても、同じだ。
でも。
ここで拒めば、また同じことが起きる。
第二の彼が生まれる。
僕は、深く息を吸った。
拳を握りしめる。
爪が、掌に食い込む。
痛みで、現実を確かめた。
「……分かった」
声が震えた。
涙を、こらえる。
「君がそこまで言うなら……」
もう一度、息を吸い込む。
アルノンの目を見る。
「僕は、友人として──君の願いを叶える」
「フレッド、ありがとう」
その声は、安堵に満ちていた。
その時──。
「やめろ!」
叫び声が響いた。
彼。
最初の個体だ。
「消すな! 殺すな!」
彼は、必死に叫んでいた。
「俺が消えてしまう! 憎しみを忘れてしまう!」
「忘れるべきなのです……」
アルノンの声は、優しかった。
「あなたはもう、負の感情に苦しむ必要はないのです」
僕は、魔法を行使した。
「【抗体伝染】」
魔法はネットワークを通じて、瞬時に王国中のネズミへ伝播していく。
◆
彼は、知性を失うことへの恐怖に、必死に抗おうとした。
「やめろ……!」
その声は、切実だった。
「俺は……忘れたくない……!」
だが、その声は次第に弱まっていく。
怒りも、憎悪も、輪郭を失っていく。
言葉が、獣の鳴き声へ変わっていく。
そして──代わりに、長い苦しみがほどけていくような、微かな安堵が滲んだ。
一瞬だけ、白いマウスの視線が揺れた。
誰かの顔が、脳裏をかすめたようだった。
それが誰だったのかを思い出す前に、彼の知性は完全に消えた。
白マウスは何の感慨も示さず、ただの獣として、静かにその場を去っていった。
そして──アルノンの思念が、僕だけに届いた。
「……フレッド」
胸が、締め付けられる。
「ありがとうございました」
その声は、温かかった。
優しすぎて、苦しかった。
「あなたがいなければ……私は、ここまで来られませんでした」
違う。
僕は。
僕は、君を。
「……一つ、お願いがあります」
「今回のことは……エインには、伝えないでください」
僕は、唇を噛んだ。
「知ってしまえば、きっと……後悔します」
「……悲しみます」
少しの間、僕は何も答えられなかった。
そして──。
「僕は、かなしいの、いやだから」
「おねがいね」
その言葉が、胸に突き刺さった。
「それと……フレッド、エイン」
「ぼくのこと……」
思念が、弱くなっていく。
やめてくれ。
「……わすれないで」
最後に。
「……わすれないでね」
その言葉を最後に、アルノンの思念は静かに途切れた。
糸が、切れるように。
「アルノン……!」
声が出た。
でも、もう届かない。
アルノンは知性を失い、ただの白マウスに戻っていた。
彼と同じように、どこかへ去っていく。
小さな足音。
それが、遠ざかっていく。
「待って……!」
手を伸ばす。
でも、届かない。
足音が消える。
そして──静寂。
◆
どれくらい、そうしていただろう。
ようやく、少しだけ落ち着きを取り戻す。
深く息を吸い込んだ。
結局、エイン君の研究は正しかったのだろうか。
人類は、エイン君のお陰で病気を克服した。
それは事実だ。
でも、それと引き換えに、大切なものを失ってしまったような気がする。
アルノンの知性。
彼の苦しみ。
そして、僕の友人。
エイン君は、こんな騒動があったことも知らないで、ホテルで呑気にしているんだろうな。
その時、ふと気づいた。
あれ。
そういえば。
彼は、エイン君へ凄まじい憎悪を持っていた。
彼の影響を受けた人々も、エイン君への憎悪を植え付けられていた。
ならば──計画の後、王都中の人間が「エインへの憎悪」を持ったはずだ。
計画が始まってから、かなりの時間が経っている。
いや。
僕があえて、時間を経たせたのだ。
一時間。
その間、王都の人々は──。
エイン君は、大丈夫だろうか?
僕は、今更ながら心配になった。
◆
【悲報】無辜の民ワイ、石打ちの刑に処される
◇1:名無しの元引きこもり
国民全員がワイに向かって石投げてくる
助けて




